真昼の月~とある冒険者志願者の挫折と再始動の記録

あやや

経歴表① 大きな失敗をしたことがある――憧憬の霧が晴れるとき

1-1 初めての冒険、初めての痛みと悼み

 息が吸える。

 目が開けられる。

 鼓動が――継続している。




 サリクス・マーネフォンスは廃墟にて目を覚ました。

 同時に己の全身が痛みに焙られていたことを思い出す。手足が動かせない。上体が起こせない。痛みは体を動かす意思を絶えず断ち切ろうとする。

 しかしそれをねじ伏せてもサリクスは起き上がらなければならなかった。

 黴の匂い、土の匂い……それらにべっとりと覆い被さる血の匂いを認めたのだから。

 上体を無理矢理起こすと、彼自身の胴体が――革鎧の下に纏う白かった長衣が赤黒く染め上げられているのが目に入った。その染料は他ならぬ彼自身の血。視界の端に垂れる銀色のはずの髪も赤黒く固まっている。

 力が入り切らないサリクスの上体を太く熱い腕が支える。腕の主である赤毛を狩り込んだ男はその両目に今にも溢れそうな涙を蓄えていた。

「良かった……目が覚めて……」

 男の丸く太い指がサリクスの細い肩に力強く食い込む。彼の纏う金属甲冑の隙間からも血が流れ出ていた。

「……バルドリック……僕は…………」

 赤毛の男はドワーフの重戦士、名をバルドリック・クラインシュミットという。バルドリックの横には空き瓶が転がっている。アウェイクン・ポーションが入っていたはずの瓶。瓶の内側はポーションの残滓で湿っている。

 サリクスは周囲を確認する。人造の光源はこの廃墟の一室にはないが、幸いにもここには光苔が蔓延っている。サリクスは夜目が効くエルフであるので、仮に光苔がなくてもこの部屋の状況を目視できるだろうが、彼らと共にこの廃墟に踏み込んだ残り二人の仲間――人間の男たちは暗闇を見通す目を持たない。魔法や松明を使用しなくても視界が確保されている環境は好都合だった。

 その二人の人間の男は予想に違わず、黴と血の匂いの中横たわっていた。

 仲間の纏う血化粧を認めたサリクスは、強く主張してくる疼痛を無視して意識を集中させた。己の役割を果たすために。

「我が女神、慈悲深きシーン様。その安らぎの光をもって、我々に癒しをお与えください」

 これまでにないほど深く研ぎ澄まされた祈り。それは女神に聞き届けられ、四人の若者を清らかな光が包む。

 サリクスは完全にではないものの痛みが引いていくのを感じた。倒れている仲間もいくらか血色が良くなり、バルドリックの表情も和らいだ。少なくとも止血は叶っただろうか。

 後は仲間を昏睡状態から引き上げなければならない。サリクスはバルドリックと手分けして、残り二人にアウェイクン・ポーションを飲ませる。

 サリクスが抱きかかえた男は栗色の髪の、無駄なく引き締まった体の持ち主。彼の両拳は拳を保護し、破壊力を底上げする武具に覆われている――拳闘士、ライアン・フォーブスだ。

 ライアンにポーションを飲み込ませると、彼は軽くうめき声をあげつつ目を開いた。

「ライアン、大丈夫? 起きられそう?」

 サリクスはライアンの背に手を添えて、起き上がれるように介助する。

「あれ? サリクス……? もしかしてもう色々と終わっちゃったの?」

「そう……みたい。僕も気絶していたんだけど……」

 サリクスは室内を確認し、更なる血臭の発生源を確認する。ゴブリン三体、ボルグ一体が血溜まりに倒れ込んでいた。彼らの肉体に刻まれたいくつかの銃創と、斧によるいくつもの深い裂傷。四体とも絶命していると見られた。

「ああ、最終的に何とかなったなら良かった……」

 ライアンは表情を笑顔へと整える。いつもならとろけるような笑顔を浮かべる彼であるが、今は口角を強張らせていた。

「……ごめん、ライアン。僕が君を回復できなかったから……」

「いやいや謝るところじゃないでしょ!? サリクスがいなかったらオレはマジで死んでたんだしさ! ありがとうな」

 腹の底から陽気を絞り出すようにおどけるライアン。彼の言葉への返答を探っていたところ、サリクスの耳に平手打ちの音、そして「来るな!」という悲鳴じみた男の声が響いた。二人は音源へと目を向ける。

「あっ……バルドリック……? ご、ごめん……助けてくれたんだよね、なのに……」

「気にすんな、アイザック! そりゃ混乱もするさ、仕方ねぇよ」

 小柄な黒髪の男、魔導機師にして銃手のアイザック・トワイニングは震えた声で詫びた。彼がこんなに怯え、取り乱すことは非常に稀――20年近くの付き合っていて初めてですらあるかもしれない。

 彼ら四人は同じ村――グランゼール付近の農村、エルムワース村で育った幼馴染。広い世界への夢を育み合いながら成長し、その夢想を現実にするべく第一歩を踏み出した。その結果がこの血に塗れた姿だ。




 サリクスは意識が途切れる前のことを思い出す。

 冒険者としての第一歩を踏み出すべくグランゼールに踏み込み、冒険者ギルド支部<白の扉亭>の門を叩いた彼ら四人は、力量の見定めを兼ねた単純な依頼を与えられた。

 蛮族のねぐらと目される廃墟の調査。必要とあらば、そこに詰める蛮族の掃討。

 事前に集められた目撃情報から、そこまで強力な蛮族は出入りしていないだろうとギルドマスターは判断していた。それこそ、最低限の戦闘の心得の持ち主が数人集まれば未経験者でも取り組めるだろうと。

 憧れの冒険生活の始まりに胸を躍らせ、四人の若者は希望と闘志を胸に目的の廃墟へと向かった。

 入り口で哨戒していた蛮族は三体のフッド族。彼らを急襲した四人は勝利を収めることこそできたものの、戦闘の流れは決して楽勝と評せる内容ではなかった。

 攻撃を外す。当てられても威力が振るわない。手痛い攻撃を受ける。回復魔法は十全な効果をもたらさない。

 四者四様に能力を発揮しきれず、特に前線に立った二人はこの一戦だけでそれなりのダメージを受けた。

 用意していた薬品なども含めて態勢を立て直した後、廃墟に侵入する。戦闘前の沸き立つような高揚感は既に失せていた。

 罠の調査や解除はバルドリックとサリクス、薬品使用や自然に紛れた痕跡の見分はライアンが請け負い、アイザックはこれまで蓄えた魔物や物品などの知識をもって仲間を下支えする。そういった役割分担に従い、用心に用心を重ねて、ゆっくりと廃墟を探索していく。廃墟内の様子も事細かく記録していく。

 そうしてある小部屋の前の扉に立った時、彼らは扉の奥に複数の何者かの気配を認めた。罠がないことを確認し、フィールド・プロテクションの加護を与えるなど考え得る限りの下準備を重ね、四人は蛮族が待つ小部屋――今いるこの部屋に乗り込んだ。

 三体いるゴブリンのうち二体を無力化した直後。ボルグの一撃がライアンの体を深くえぐった。サリクスのキュア・ウーンズ、アイザックのヒーリング・バレットの準備も間に合わず、三体目のゴブリンの追撃を受け、まずライアンが崩れ落ちた。その後もサリクスは魔晶石の助けも借りつつ仲間に回復の加護を与えるが、走り寄ってきたゴブリンの一撃が深く刺さり……それ以降、バルドリックに起こされるまでの記憶がない。状況から見るに、程なくしてアイザックも倒れたのだろう。倒れ伏す三体のゴブリンのうち一体は頭にぽっかりと穴が開いているから、アイザックが会心の一撃を放って三体目を仕留めたのだろうか。そして残ったボルグとバルドリックがぶつかり……最後まで立っていられたのがバルドリックだったと。

 幸運だった。三人とも致命傷も受けず、とどめの一撃もなかった。

 ――とどめを刺されなかったのは、蛮族側が己の勝利を疑っていなかっただからだろうか。四人全員を無力化すれば、その後にじっくりと『調理』できるのだから。




 アイザックが全員にヒーリング・バレットを撃って回る。万全ではないもののだいぶ楽になってきたとサリクスは感じた。

 癒しの力を実感したところで、次はこの部屋を調査しなければならない。

 神経を研ぎ澄ませて探るまでもなく、部屋の隅に死臭を放つモノが見つかった。何かが積み上がり、そこに覆いが掛けられている状態。バルドリックは慎重に覆いを剥がす。

 覆いの下にあったのは蛮族にとっての『食料』。

 命の灯が消えて久しい骸、肉の一部が人為的に剥ぎ取られ骨が露出した骸……人間の遺骸が、実に四人分。

 この部屋は食料置き場だったのだ。

 サリクスは村の夫婦神――太陽神ティダンと月神シーンを合祀した神殿を預かる神官夫妻の息子。遺体を清め、埋葬するのも仕事のうち。なので、遺骸に対する忌避感や恐怖心はない。そう自分では認識していた。だがこんな、食料として尊厳も何もなく放置された人間の骸を目の当たりにした経験はなかった。今まで実感したことがない部類のやるせなさを感じながら、四名の死者に祈りを捧げる。ライアンとアイザックは見るからに血の気が引いた様子で、日頃豪胆なバルドリックですら平常心は保てていない様子だった。

 せめて身元を確認できるものでも身に着けてはいないか。非礼を詫びながら遺体を探ると、四人分の冒険者登録証が見つかった。それといくばくかの現金や消耗品も。

 登録ギルドの欄には<女神の微笑み亭>とある。依頼を受ける時の説明としては、この廃墟の調査に入るのは彼らが初めてだし、他のギルドにこの廃墟探索の依頼がいったこともないとのことであったが。

 四名分の朽ちた死体を四人でグランゼールまで運ぶのは現実的ではない。遺族に真実を伝えられるよう、登録証だけでも持ち帰ろう。彼らの持ち物も遺族へと返そう。

 そう合意し、更に探索を進める。この『食糧庫』には遺体の存在を超えるインパクトのある情報はないようだった。

 発見しておきながらも埋葬できないことに申し訳なさを感じながら、一行は部屋の出口へと向かった。




 その時。命あるモノがいないはずの食料置き場から、何かが蠢く音がした。

 振り返ると、食料となった哀れな犠牲者の一人――唯一の女性の遺体が立ち上がっていた。既に肉が『消費』されたのであろう、右足の骨が剥き出しになった彼女、登録証によれば名はリーシャ。その瞳には穢れ切った暗い光が宿っている。

「嘘……レブナント……?」

 アイザックが絶望の色を隠さず呟いた。

 サリクスもレブナントの存在は知っていた。死者が『こう』ならないように葬送の儀礼はあるのだから。しかし本物のレブナントとの対面はこれが初めてだった。

 ――こんなにも悼ましく、痛々しい存在とは。解っていたつもりだったが、五感――いや、感覚器官の枠を超えて流れ込んでくる冷え冷えとした衝撃を味わった今、レブナントが纏う哀しみを愚かしくも『理解したつもり』にすぎなかったのだと実感した。

 蛮族との衝突で満身創痍になりつつも命拾いした傍からの連戦。しかし、彼らの選ぶべき道は一つしかない。

「リーシャさんをこのままにしておく訳にはいかない」

 サリクスはレブナントへと向き合った。体内のマナは空に近く、用意した魔晶石の残りは少ない。しかし、自然の円環からはぐれたアンデッドを放置することは神官として、ヒトとしてできなかった。

 他の三人も覚悟を同じくした様子で、リーシャだったものへと対峙した。

 アイザックは己を諫めるように深呼吸すると、レブナントを鋭く睨む。

「レブナントは神聖魔法による癒しで逆にダメージを受ける。……斬るなら、首だ」

 アイザックはそう指示を出すと弾丸に魔力を込める。彼もまた、己の矜持を示そうとしていた。




 レブナントとの戦闘は先ほどの蛮族との交戦に比べれば危なげなく勝利できた。

 キュア・ウーンズとクリティカル・バレットを撃ち込み、弱ったところをライアンが背負い投げし地面に打ち付ける。その隙を逃さず、バルドリックの斧が彼女の首を刎ねた。

 リーシャの遺体は塵と化し、廃墟の埃と同化していく。

 こうして手早く勝利できたのも、ひとえにリーシャのレブナント一体だけを四人で相手取れたからだ。他三人の遺体もレブナントと化していたら……今度こそ彼ら四人は食糧庫の在庫の仲間入りをしていたことは想像に難くない。

 しかし、蛮族の縄張りにおいて安息は訪れない。廊下の奥から、複数の足音、何らかの話し声が聞こえてきた。

 こんなに戦闘を繰り返しておきながら、一切奥の蛮族に気付かれないでいられるなんて無理な話だったのだ。

 食料に成り切ってやり過ごすか? 接近され、気付かれたら終わりだ。本当の『在庫』の一部になってしまう。

 迎え撃つか? ……先程の四体編成でも紙一重の辛勝だったのに? 次も致命傷を受けずにいられる? とどめを刺されずに見過ごされる? ……本当に?

 それに、他三名の遺体。レブナントは無念の死を遂げた者、弔われなかった遺体が動き出すもの。彼らもまた、今この瞬間にもリーシャのように動き出すかもしれない。

 そして万が一、この場にアンデッド化を促す何らかの要素が働いているのなら、今何とか排除したばかりの蛮族の骸も起き上がってくる可能性すらある。




 …………逃げよう。

 四人の意見が固まった。登録証はじめ証拠品だけ持って、可能な限り物音を立てずに、なおかつ手早く外に出て。廃墟を出たら一目散に。

 蛮族は追ってこなかった。




 こうしてエルムワース村の若者四人は敗走を選び、グランゼールへと帰還した。

 誰もが押し黙る帰路の中、サリクスは青空の中に白い月影を見つけた。

 月神シーン様は、世に安寧を広めることもできず、辱められた遺体も見捨てて逃げ出す己の使徒に呆れておられるのだろうか。

 それでも命だけは拾えたことにシーン様のお導きを見出して良いのだろうか。

 答えを導き出せないまま、サリクスは黙々とグランゼールの城壁を目指して歩んでいった。

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