1-3 分岐路、方向転換――本当の大人になる方法

「廃墟で見つけた子たちについて女神の微笑み亭に問い合わせたよ。奈落の魔域に呑まれたっきりになっていたパーティだったわ。魔神が関わっている可能性が大きくなってきたわね……貴方たち、あそこで引いて正解だったのよ。リーシャさんがアンデッドになっていたのも、もしかしたら何らかの引き金があったのかもしれない。廃墟の再探索は女神の微笑み亭が行うそうよ。手慣れた冒険者を多めに送り込むことになるでしょうね。パーティのご遺族から、貴方たちへの謝礼を預かっているわ」

 翌日、太陽が高くなってきた頃、エルダは四人を集めて廃墟の件の続報を伝えた。

「エルダさん、伝えないといけないことがあります」

 報告が一段落着いたのを見計らってバルドリックが口を開き、昨日の話し合いで纏めたことをエルダに伝えた。

 ライアン、アイザック、サリクスは冒険者の道を諦めること。バルドリックはこのまま冒険者を続けたいと望んでいること。


 エルダは真剣な表情で聞き遂げた後、柔和な笑顔とともに答えた。

「そうねぇ……昨日の帰って来たばかりの様子を見て、そう言い出すんじゃないかって何となく思ってたのよ。実際やってみたからこそ解ることってあるものね、仕方ないわよね」

「とても良くしてくださったのに応えることができず、本当に申し訳ありません。登録証はお返しします」

 サリクスは頭を下げた後、荷物袋から冒険者登録証を取り出した。エルダはそれを見て拒絶の手ぶりを見せる。

「いいのよ! そのまま持ってて。一旦登録されて依頼をこなしたことには違いないし、再発行にはお金がかかるのよ?」

「ですが、僕はもうとても……」

「今はそうでも、今後ずーっと気が変わらないとは限らないでしょ? もっと別の経験をして、それでまた冒険に挑戦してみたくなったらいつでもいらっしゃい。特にサリクスくんはさ、まだまだ長い人生が待ってるじゃない?」

 エルダの目線はサリクスの長く尖った耳を指しているように思われた。

 サリクスはエルフだ。人間が大多数を占める村で、人間やドワーフの幼馴染と同じペースで育ち、何なら父親も人間なので今はまだあまり意識する機会がないが、サリクスはまだエルフに許された寿命の二十分の一も生きていない。きっとこれから、その身に流れる時の速さの違いを実感する機会も増えていくのだろう。

「もちろん、冒険者をやる気にならなくても、みんないつでも飲みに来ていいのよ」

 過分なまでの温かい言葉。だからこそ、申し訳なさは降り積もる。


 ライアンとアイザックも口々にエルダに謝罪し、それを受け止めたところで今度はバルドリックが発言した。

「廃墟の件……女神の微笑み亭で対処するとのことでしたが、そこに俺も参加させてもらうことはできないでしょうか? もちろん報酬は求めません」

 魔神の存在を示唆されてもなお、昨日と変わらぬ言葉。サリクスも目を見張ったが、一番驚愕の色を露わにしていたのはライアンだった。

「おい、エルダさんの話聞いてなかったのか? 蛮族だけじゃなく魔神が出てくるかもしれないんだぜ」

「それでも、このままだとやれることをやり切ったとは言えないから。でもエルダさんが行かせられないと判断するなら、そこは従います」


 エルダは困惑するように視線を泳がせていたが、そこでこれまで耳にしてこなかった声が割り込んできた。

「おい、若造」

 一行は声のする方向に目を向けた。そこにいたのは重装備を纏う、黒い鱗を持つ竜人・リルドラケン。恐らく男性。昨日、白い扉亭に帰還した際にもテーブルについていた人物であった。

「昨日から横目で見てたが……一旦逃げ出したところに、もう一度行かせてください、だって? 力量が足りないから逃げ帰ってきたんだろ? もう一回突撃したところで、今度こそ蛮族なり魔神なりのおやつになるか、アンデッドの仲間入りをするだけだぞ。てめぇ、その覚悟はあるんだろうな?」

 バルドリックは黒いリルドラケンに体を向け、力の籠った視線で、張りのある声をあげた。

「ありません! あるのは生きてやり遂げる覚悟だけです!!」

 一切の淀みなくバルドリックは言い切った。黒いリルドラケンはそれを聞いて不敵に微笑む。

「言ってくれるじゃねぇか。上等だ。……女将さん、行かせてやったらどうだ」

 黒いリルドラケンの進言を受け、エルダは観念したように口を開いた。

「……女神の微笑み亭には希望を伝えておくわ。あちらから派遣するパーティが決まって、その全員が了承するなら、貴方も参加できるでしょう。参加したなら報酬もこちらから出すわ。……でも本当に無理はしないでね。繰り返しになるけど、死ぬための冒険じゃないんだからね」

「……はい! ありがとうございます!!」

 バルドリックは心から輝くような笑みで、腰を直角にして頭を下げつつ礼を言った。黒いリルドラケンは更に声を掛ける。

「もし行けることになっても、だ。てめぇらのヘマの尻拭いに送り込まれるような連中だ。そいつらの中では足手纏いになるだろうよ。冒険者パーティってのは助け合いのためにある。誰か一人を特別扱いするようなもんじゃねぇ。お客様として接待してもらおうだなんて舐めた真似はすんな。わきまえつつもやれることは全力でやれ」

「はい!」

「若いの、名前は?」

「バルドリック・クラインシュミットです!」

「そうか、俺は――」


 歴戦の戦士と見受けられる黒いリルドラケンはバルドリックを同志として認めたようであった。同じ温度の熱を抱き、お互いの炎を重ねて、更に共鳴させることができる相手。バルドリックは白の扉亭に居場所を得たのだ。幼馴染の輪の外側に新たな縁が築かれてゆくのを見届けて、サリクスは安心感を覚える。

「他のみんなも、この件の決着がつくまでくらいはグランゼールに居るのをお勧めするわ。ご遺族は貴方たちにも直接お礼を言いたいって仰ってるしね。今後どこに行くにしても、とりあえずそれまではうちに泊まり続けていいのよ。渡した報酬でしばらくは滞在できるでしょ?」

 逃げ出した依頼については成功とは見做されなかったが、情報を持ち帰ったことに対する報酬が一人250ガメル。遺体を見つけたことによる遺族からの謝礼金が更に一人250ガメル。

 たった一日の、それも達成できなかった冒険で一気に500ガメルの現金が懐に入った。……確かに冒険者は実入りが良い。元々冒険者生活のために用意していた資金もあるし、数日グランゼールに滞在するだけなら赤字にもならない。


 女神の微笑み亭との話し合いの結果、バルドリックのパーティ参加が認められた。翌日、バルドリックは女神の微笑み亭のパーティに合流して出発する。

 このバルドリックの挑戦を待つ間、三人は思い思いにグランゼールを味わった。サリクスはティダン神殿――シーン神も合祀されている――を見学し、アイザックはマギテック協会を見学する。この二人は連れ立って図書館にも赴いた。ライアンはとにかく街を歩き回り、名所を楽しんだり、村の道具屋――即ちライアンの実家――とは比べ物にならないほど充実して賑やかな商店の数々を見て回った。そして夜は三人で村では味わえないような凝った食事や酒を堪能する。

 ……バルドリックは大丈夫なのだろうか。そんな気持ちは常に胸をざわめかせていた。信じると決めたけど、でも、それでも。

 街の煌めきを麻酔として、大都市の喧騒に身を委ねていた。


 パーティが廃墟に出発してから翌々日の夜。バルドリックも女神の微笑み亭のパーティも、誰一人欠けることなく生還した。依頼解決の吉報を携えて。

 バルドリックは黒いリルドラケンのみならず、女神の微笑み亭の冒険者たちとも友誼を結べたようであった。彼は英雄譚へ続く道の端緒を掴んだのだ。

 冒険参加者たちで祝杯を挙げた後、バルドリックは幼馴染四人による祝いの席も設ける。そこで色々と体験談を話してくれた。


 あそこは元々本当に下級蛮族たちのねぐらだったが、つい最近操霊魔法を治めた上位の蛮族があの周辺に現れ、下級蛮族たちに断りなく食糧庫を利用してアンデッドに関する実験を行っていたとのこと。自然な状態ならアンデッドとなるような状況の遺体ではなくてもアンデッド化を促すような魔法の品の実験だったらしい。リーシャの遺体と魂はその影響により穢れさせられたのだ。

 そんな蛮族がいたものだから、当然のごとく決戦はアンデッドで溢れた。懸念していた残り三名の冒険者の遺体も、あの時倒したゴブリンたちの遺体も『再利用』されていた。

 操霊術師の蛮族――ケパラウラという種らしく、この個体は召異魔法も修めていた――は奈落の魔域にも侵入して素材を集めていたらしく、そこからの繋がりで魔神ザルバードも出現した。

 バルドリックはザルバードやケパラウラにこそ近寄らないよう厳命されたが、ケパラウラによって動き出した下位のアンデッドを相手取ることで貢献したらしい。


 ――これは確かに彼らの手に余る案件であった。


 サリクスたちに先立って詳細を聞いていたエルダも「これは廃墟を調べきれというのが無茶な話だったわねぇ」と落ち込んだ様子だったという。

 実際、エルダは翌日四人を呼び出し、危険度を読み切れなかったことに関する謝罪を述べ、追加の報奨金一人250ガメル――受け取り済みの金額と合わせると当初提示された成功報酬の満額になる――を差し出してきた。彼ら四人、特に臆病風に吹かれて逃げ出した自覚があるサリクスたち三人は追加報酬を拒もうとしたが、けじめだからと無理矢理懐に現金をねじ込まれた。


 その日は亡くなったパーティ四名の遺族も挨拶のために白の扉亭に訪れた。「見つけてくださりありがとうございました」とは言うものの、どの遺族も計り知れない深い哀しみに囚われていることは明らかであった。当事者四名はいずれもエルムワース村の四人と同年代。うら若い愛し子を、アンデッドの素材とされる形で永遠に失ったのだ。

「サリクスが、自分がアンデッドになるのを恐れた気持ち……俺も解った気がするよ」

 遺族と別れた後、バルドリックがぽつりとそう漏らした。


 報酬がどうあれ、サリクスにとってこれは大きな失敗として刻み込まれた。魔神や魔術を治めた蛮族の存在を認めたから撤退した訳ではないのだから。初心者でも相手取れると判断された蛮族を捌ききれず逃走を選んだのだから。そして脳裏から離れない恐怖を教え込まれたのだから――。これを成功体験に数えることはサリクスの中の小さな矜持が認めなかった。




 冒険者を続けるバルドリックも含め、ひとまず今後の身の振り方を家族に報告するため、一度全員でエルムワース村に帰ることにした。

 エルムワース村、夫婦神の神殿の横に慎ましく建つのがサリクスの生家。そっと扉を開けると、両親が安堵の笑みで迎えてくれた。

 父は人間、ティダン神官のフィリベルト。母はエルフ、シーン神官のベトゥラ。

 元々エルムワース村の神官はフィリベルトの家系だった。遥か昔からという程の土着の住民でもなく、根付いたのは祖父の代(サリクスから見れば曽祖父)のこと。

 ベトゥラはエルムワース村の出身ではなく、北方に位置する魔力の森・コロロポッカ付近の集落の者。旅の途中で出会ったフィリベルトと結ばれ、エルムワース村に移住してきた。

 ティダン神官がシーン神官を娶るという出来過ぎな背景のもとで第一子として生まれたのがサリクスだ。


「ごめんなさい。折角快く送り出してくれたのに、結局すぐにくじけて諦めてしまって……」

 サリクスは冒険の経緯と決断について説明した後、両親に深く頭を下げた。

「謝ることはないさ! みんながみんな冒険者やってたら世間は回らないだろ? 実際やってみてなんか違うなーってなったら、それはそれでいいんだよ」

「そうよ。無事に帰ってきてくれて本当に良かった。それだけで十分」

 母の抱擁を受け、まるで幼子に戻ったような気恥ずかしさを覚える。あるいは、結局は幼子から脱皮できていない自分自身を突き付けられているような鈍い圧迫感。確かに有難く、温かいが、それ故に痛かった。


「それで、今後はまたうちで神殿の仕事をするのか?」

 三人で食卓を囲み、ハーブティーを口にしながら父・フィリベルトが軽やかに尋ねた。

「ううん。ちょっと別の土地で奉職できるところがないか探してみようと思うんだ。神官の仕事は好きだし、村の外の生活も知りたいから。当てはないけど……」

「そう考えているなら丁度良い話があるの」

 サリクスの希望を受けて、母・ベトゥラが静かに説明を始めた。

「私の出身の集落ではないけれど、その近くの村に新しい神官を募集しているシーン様の神殿があってね。今そこに居られるのは司祭様一人なのだけれど、神官を増やして新しいことを始めたいと考えていらっしゃるのよ」

「新しいこと?」

 母の解説に関心を惹かれたサリクスが問いかける。

「ええ。そちらの司祭様は、神殿の施療院としての機能を広げたいと仰っているわ」

「施療院……」

 神殿の務めとして、エルムワース村の神殿も弱者や傷つく者を救う用意がある。しかし手に職をつけ、地に根を張って暮らす住民ばかりのエルムワース村には劇的な貧富の差はない。魔動機を扱えるトワイニング家、鍛冶を一手に引き受けるクラインシュミット家など、村の中でも特異な役割を担うが故に、相対的に生活に余裕がある家庭は存在する。しかしその逆、特別な貧困にあえぐ家庭はいないのだ。なので都市部で見られるような貧困層への炊き出しなども必要とされない。特別な役割のある家庭であっても、村全体が飢饉に陥れば共に飢えることには変わりはない。

 縁者すらいない単身者もほぼ存在しないから体調を崩したものも家庭内で看護される。病気治癒の奇跡が必要ならば神官夫妻のどちらかが居宅に赴いて術を施す。

「ペールスノー村というのだけれど、そこはこの村よりも人が少なくてね。少ないだけならともかく、若い方が出て行って戻らなかったり、そもそも子供を授からなかった方が多かったりで、お年を召した方の割合が高いの。奥様、旦那様に先立たれて天涯孤独になった上に体も満足に動かせなくなった方も何人もいらっしゃるわ。司祭様はそういった一人での生活が難しい方を、神殿で纏めて面倒を見られないかと考えておられる。でも司祭様一人だけではとても手が足りない。だから同じ思いで協力し合える仲間をお探しなの」

 母の説明をサリクスは反芻する。一人ぼっちで助けを必要としている者を生活の中で厚く手助けする。それはサリクスが求める『人を助けられる生き方』の一つの形として光を放っているように思えた。

「司祭様は神の奇跡をもたらすのみならず、自然と調和した魔術や自然界の恵みに関する知識も深いお方。この村ではなかなか触れる機会のない分野への学びも得られるでしょう」

 サリクスにとってはそこも興味を惹く情報だった。この村で魔法を扱う住人はサリクスたち神殿のマーレフォンス家と、魔動機術を学んだトワイニング氏――アイザックは父からの手解きで魔動機術を習得した――くらいである。母は妖精、精霊、あるいは自然の中の幻獣といった存在の知識こそ持っているが、妖精などの力を借りる術を会得している訳ではなかった。

 サリクスは静かに決意を固めた。

「母さん。……僕、そこで働きたい。司祭様が僕でも良いと受け入れてくださるなら」

 サリクスの意向を受けた母はたおやかな笑顔を見せる。そしてねぎらうようにサリクスの手を握った。

「きっとサリクスならできるわ。 早速司祭様に連絡してみるわね」




 後日、サリクスの志願は快く受け入れられたと知らせが届いた。

 そしてサリクスは家族や友人に見送られ、北の地――ペールスノー村へと旅立つ。


 痛い目を見て子供時代からの夢をあっさりと投げ捨て、親に就職の工面までしてもらう。

 本当に情けない。

 だからこそ。

 情けなくない、己を誇れる大人になるために、ここからまた進んでいく。

 今。ここから。この道の先で。自分で決めた道で。


 青く澄み渡る快晴の空に白い月がくっきりと浮かぶ。

 いつかの敗走時に月を見上げた時とは違い、月影を素直に月神がもたらす祝福として受け取れる心持ちであることにサリクスは感謝した。

 穏やかな、それでいて温かく満たされた気持ちを味わいながらサリクスは北へと向かう。




 サリクスはペールスノー村での十数年を安寧と充実感の中で過ごした。

 かえして言えば、彼の地はサリクスの安住の地とはならず、ほんの十数年しか留まることを許されなかったということなのだけれど。

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