第3話 俺、ガチ恋勢になったんだ

 告白ビンタ事件から4日後、ようやく広弥は登校してきた。席につくと、「おぉ、東根。久しぶり」「元気出せよ」と周りから声がかかる。その声色がやけに優しいので、広也は随分みんなに心配をかけたのだと反省した。


「もう大丈夫だから」


 広弥が周囲にそう笑いかけると、クラスメイトの和歌が駆け寄ってくる。


「本当か? 目の下にめっちゃクマあるけど」


「これは……」


「ま、女に振られたくらい気にすんなよ!」


 和歌は八重歯を見せてにかっと笑い、サムズアップする。教室の空気が固まった。


「……何で知ってる?」


「あたしは太一から聞いた」


 和歌はにこにこして答える。広弥が周囲を見回すと、全員がさっと目を伏せた。


「じゃあ、他のみんなが知ってるのは?」


「広弥が失恋で不登校になるの面白すぎて言いふらしちゃった」


「このバカが!」


 広弥は和歌のポニーテールをつかみ、首をガクガクさせる。


「ゔあー、やめでー」


「だからみんな妙に優しかったのか。一応言っておくけど、もう大丈夫だからな! 失恋は乗り越えたから!」


 広弥がそう力強く宣言すると、クラスの隅で身を縮こませていた友梨の肩がびくりと跳ねた。


「で、失恋の相手って誰なん?」


「え、それは……」


 意図せず友梨の方へ視線が向く。ぱっと目が合った瞬間、互いに目を逸らした。


「……傷口に塩を塗り込むな!」


 和歌の頬をむにーっと引っ張る広弥。


「ひゃめてー。顔面がドラクエのスライムみたいになっちゃうー」


「スライム可愛いだろ!」


「元々の顔のが可愛いもーん」


 馬鹿騒ぎする広弥と和歌の姿に、クラスの雰囲気は明るくなる。

 友梨は机の木目をじっと見ながら、二人のやり取りを聞いていた。広弥の告白にビンタで返したのが全て自分の勘違いだったことは、もはや疑う余地もない。


「……どうしよう」


 謝らなければならない。そう感じていたが、友梨は人への謝り方を知らなかった。そもそも、傷つけ合ったり、気を使ったり、そういうことが苦手だから基本一人でいるのだ。

 友梨は胸のあたりで手をぎゅっと握った。今、自分はどう思われているのだろうか。きっと怒っているし、自分を恨んでいるだろう。逆の立場だったら、死ぬほど激怒する自信があった。


「遊佐さん」


「はひゃい!?」


 突然声をかけられ、友梨は先生にあてられた時のように立ち上がる。椅子がガタガタ音をたてて、クラスの注目がやや集まった。


「ちょっと来てくれる?」


 見上げると、そこには広弥が立っていた。あくまでにこやかに話しかけてくるので、友梨は逆に恐怖を感じる。


「え、え?」


「ほら、昨日の美化委員会。俺休んじゃったから、どんな話してたのか聞きたくて」


「あ、そういう」


 と言いつつ、美化委員会が建前なのは友梨からしても明白だった。本当に話題がそれなら、呼び出す必要なんてない。今ここで話せば良いだけの話だ。


「行こう」


 そう急かされて、言われるまま友梨は教室を出る。広弥は周りを気にしているようで、きょろきょろと辺りを見まわし「ここでいいか」と空き教室に入った。


「え、気まず」


 思わず声が出る友梨。


「何か言った?」


「い、いや別に」


 空き教室はカーテンが閉められており、薄暗かった。こっぴどく振った男と、二人きり。冷静に考えると、恐ろしい状況だ。まずは謝らなければ、と友梨は頭を下げる。


「ごめんなさい!」


 動揺した頭ではそれ以上の言葉が見つからなかった。どんな反応をされるのか想像もつかないが、返事を待つ。 


「え、なんで?」


 返ってきたのは、純粋な疑問だった。自分の口から説明しろ、ということだろうか。友梨は勝手に悪く解釈して、胃を痛める。


「その、突然ビンタしてしまい……」


「あぁ、それはまぁ別に良いって。気にしないで。それより、顔上げてほしい」


 広弥はなんだそんなことか、と友梨が謝るのを制止する。


「別に良いんだ!?」


「それより、俺のほうこそ、申し訳ございませんでした」


 驚く友梨をよそに、広弥は土下座する。床におでこをつけるタイプの、きっちりしたお辞儀だった。


「なんでそっちが謝るの!? え、止めて止めて」


 友梨は慌てて土下座をやめさせようとするが、男子高校生の力には勝てない。岩のように動かない広弥を見て「これだったら怒られたほうがましだった……」とドン引きした。


「実は、告白した後に知ったんだ。さくるちゃんのこと」


「さくる、って、え?」


「偶然声を聞いて、それで気づいちゃって。まさか告白の台詞とさくるちゃんの挨拶が被るなんて、どんな確率だって話だけど、紛らわしい言い方で勘違いさせたのは俺だから。謝りたかったんだ」


「いや、勘違いした私も悪いっていうか、ほぼ全面的に私が……」


「俺、俺さ」


 広弥の声が震える。土下座し、顔を突っ伏しているから、友梨からその表情を窺い知ることができない。


「そんなに謝らなくても」




「俺、この三日間、ずっとさくるちゃんのアーカイブ見てたんだ!」



 それは、広弥の魂の叫びだった。

 この東根広弥というバカ男。不登校になっていた三日間、ショックで塞ぎ込んでいたのではない。好きな子がVTuberとしてどんな活動をしているのか気になって、ひたすら配信のアーカイブを見ていたのだ。


「……へ?」


 思っていたのと全く違う話が始まり、困惑する友梨。土下座の体勢から顔を上げ、広弥は目を輝かせる。


「寝る間を惜しんで見てた。ずっと見れた。さくるちゃんの配信が最高に面白かったからだ。RPGのストーリーで感動して割とすぐ鼻声になっちゃうの可愛い上に本気で楽しんでるの伝わってきてよかったし、FPSで全然敵と会わなくて一生雑談してるのも落ち着いててよかった。パズルが全然分からなくてリスナーに当たり散らしてコメント欄とプロレス始まるのも楽しかったし、とにかく全部のアーカイブが、最高だった」


「あ、ありがとう……?」


「俺はやっぱり、遊佐さんのことが好きだし、さくるちゃんのことも大好きになったんだ。こんなに人を好きになったの、初めてなんだよ」


 真っすぐな瞳だった。カーテンの隙間から光が漏れて、朝の日差しが二人を照らす。現実に、こんな直球で好意を示されたのは、友梨の人生で初めてのことだった。いや、本当は二度目だ。広弥は既に、一度告白をしていた。


 返事をしなければならない。有梨はそう思った。そして、計りかねていた広弥の意図も、理解した。彼はもう一度、告白をしに来てくれたんだ。誤解で滅茶苦茶になった告白をやり直して、返事をするチャンスをくれた。

 跳ねる心臓に急かされるようにして、友梨は口を開く。バーチャルとリアル。両方の自分をこれだけ愛してくれる人は、もしかしたら他に居ないかもしれない。それなら、返事は……。


「私は」


「俺は、君のガチ恋勢になったんだ。だから、極力話しかけないようにする!」


 友梨の言葉を遮り、広弥が宣言した。


「……ん?」


「聞こえなかった? 極力話しかけないようにするから、安心してほしいって」


「なんでそうなる!?」


「いや、だって、単なる一ファンがリアルで付き纏ってきたら怖いだろ? きちんと配信者とファンっていう距離感を守るよ、って、それを伝えようと」


「告白は?」


「告白? あれは、だってもう終わったことだろ? 振られた訳だし」


 友梨の全身から力が抜け、のびたうどんのようになる。平衡感覚が失われ、つま先から風化して崩れてしまいそうだった。


「それに、ガチ恋勢として、さくるちゃんに男がいるなんて許せないんだ。その相手が例え、自分だとしても」


「え。今私に、一生恋愛するなって言ってる?」


「いや。恋愛するのは問題ない。寧ろ永遠に幸せになってほしい。でも辛いから、恋人が出来ても俺やリスナーには言わないで、隠しておいてもらえると助かる」


「何言ってんだこいつ……?」


 思わず呟くが、広弥は聞こえなかったようで、勢いそのままに話を続けた。


「とにかく、そういうことだから。遊佐さんがさくるちゃんだってことは誰にも言いふらさないし、ずっと陰ながら応援してる。それじゃ」


 広弥が部屋を後にして、一人残された友梨は呆然としていた。


「どうして、こうなった」


 その呟きは何もない教室だけに響き、誰にも届くことはなかった。

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