第2話 自意識過剰女と三日間不登校男

 友梨は広弥と会った後、すぐに家に帰って、浴槽に湯を張った。右手にとっておきのチョコアイス、左手にはスマホ。勢いよく湯船に入り、エゴサーチをしながらアイスを齧る。


「あの男……許せない」


 呪詛を吐きつつ、アイスの棒を前歯でがじがじと噛む。東根 広弥。背が高くて、さっぱりした見た目の、穏やかそうなクラスメイト。ちょっといいな、と思ってたのに。

 友梨は大きなため息を吐いて、インターネット上に転がっている自分への称賛を探す。心についた傷を、パテで埋めるような作業だった。


『さくるちゃん可愛い #さらって三栖照』

『今日もさくるの配信が生きがい #さらって三栖照』

『まじで三栖照ってなんであんなに声と顔が良いの? 好きすぎてキレそう #さらって三栖照』


 感想用のハッシュタグを見て、友梨は「ふふ」と口角を上げる。

 友梨は一か月前から、大手VTuber事務所5D(ファイブドリーム)所属の宇宙人V、三栖照さくるとして活動していた。派手ではないがじわじわ登録者数は伸び続けており、SNSでも結構話題になっていた。


「やっぱり私の居場所はネット! 現実なんてクソ! 男なんて不要!」


 勢いよく湯船から上がり、自室へ戻る。ほとんど無意識にPCの電源をつけて、友梨はゲーミングチェアに背中を預けた。お風呂の温さが徐々に身体から抜けていき、怒りも冷めてくる。


「……くそ。ほんとの告白だったら、私だって」


 ポコン。

 起動したPCから通知音がして、友梨は視線を画面に映した。


「七実(ななみ)か」


 連絡してきたのは、友梨が唯一友人と呼べる人物である、長井 七実(ながいななみ)だった。メッセージを確認すると『今から通話できる?』ときている。


「……愚痴聞いてもらうかな」


 通話ボタンを押し、少し待つ。


「あ、もしもーし。ね、結局、彼氏出来たの?」


 通話が繋がるなり、七実は会話を切り出した。


「え、彼氏?」


「朝に『大人気vtuberなのに彼氏出来ちゃったら不味いかな?』『炎上しちゃうかな、まいっちゃうなーwww』って、ウッキウキでチャットルームに自慢してきたでしょ?」


「ふぐっ」


 友梨はクラスの男子に呼び出されて舞い上がっていた数時間前までの自分を思い出す。キーボードに突っ伏し、無限に文字が入力された。


「なぁにその反応」


「いや、その、実は身バレしたかもしれなくて」


「え、身バレ?」


「同じクラスの男子に呼び出されて『宇宙一愛してる』って言われちゃって……」


「……」


「あれ?」


 返事がない。ただのしかばねでは無いはずだが。友梨が首をかしげていると、やや遅れて七実が話し始めた。


「あ、そっか。宇宙一愛してるって、友梨ちゃんがお仕事してる時の挨拶か。惚気られてるのかと思っちゃった」


「そう! あの東根広弥とかいう男、私の挨拶でからかってきたの! 私だってあの媚びすぎた挨拶は変えたいのに!」


「でもでも、からかったんじゃなくて、ファンだったかもしれないよ?」


「万が一ファンだとしたら、私がさくるだって気付いても心にそっとしまっておくのがマナーでしょうが。直接話しかけてくるとかやばすぎ。そんな奴は、私の愛するホルスタ員(※さくるのファン名)じゃありません」


 話していると、冷めかけていた怒りがぶり返してくる。そう、友梨は怒っていた。自分が頑張っているVTuber活動のことをからかわれたこと。そして、告白みたいな呼び出し方をして勘違いさせてきたこと。あと、告白みたいな呼び出し方をして勘違いさせてきたこと。さらに、告白みたいな呼び出し方をして勘違いさせてきたことに怒っていた。


「……つまり告白だと思ってドキドキしてたら違ったから恥ずかしかったってこと?」


「ち、違うから。VTuberとしての誇り? みたいな、そういうものを傷つけられたから怒ってるの!」


「ふむふむ。あのさ。もしかしたらなんだけど」


「うん?」


 七実は少し間をおいて、言いづらそうに問いかけた。


「それ、本当の告白だったんじゃない?」


「え、だってさくるの挨拶を」


「友梨ちゃんがデビューしてから三ヶ月くらいでしょ? 頑張ってるのは私も知ってるけど、知名度でいったらまだまだだろうし。それだったら、単純に独特な告白をしてきたと考えるほうが自然じゃない?」


「いや、でも私は大手事務所5Dの期待の新人だし……」


「自意識過剰じゃない?」


「うぐぐっ!?」


 七実の容赦ない指摘が胸に突き刺さる。彼女はふわふわした雰囲気や言葉遣いをしているが、こういうところがある。痛む胸を押さえて、友梨は少し考えてみた。

 実は広弥はただ告白してきただけだった。冷静に考えてみると、一理ある意見だ。しかし、友梨はそれを簡単に認めるわけにはいかない。それを認めた瞬間、友梨は『生まれて初めて告白してくれた男子に勘違いでビンタした女』という一生消えない称号を得ることになるのだ。


「いやいやいやいや。あ、あれは絶対からかってきたと思うけどね?」


「……本当に?」


「いや、はい。そう、だと、思いますけど」


 話しながら声のトーンが落ちていく友梨。もし、あれが自分の勘違いだとしたら。


「本当に告白だったらどうしよぉ……」


 結局、友梨は半べそをかいた。


「確認した方が良いよぉ。それで本当にからかってたんなら、その時は一緒にプンプンしたげるから」


「……うん」


 なんだか小学生が先生に諭されるみたいだった。結局、真相はどうなのか。広弥本人に聞かなければ、それは分からない。

 その日友梨は、夜全然眠れなかった。



 次の日、友梨はロボットのような動きで教室に入る。心臓が口から出てきそうだった。すぐに広弥の姿を探す。しかし、彼の席には誰もいなかった。朝のHRが始まっても、空席のまま。


「東根は体調不良で休みだな」


 先生はそう説明したが、タイミングがタイミングだ。

 もしかして、私に振られたショックで休んだ? あれ、やっぱり本当の告白だった? 友梨の頭の中で思考が渦巻く。とうとうオーバーヒートして、机に突っ伏していると、クラスメイトの会話が聞こえた。


「なぁ、尾花沢。広弥ってまじで体調不良なの? なんか聞いてたりする?」


「いんや、アタシには何も来てないわ。今写真部のチャットで確認してるけど」


 友梨はそのまま寝たふりをして、この会話を盗み聞きすることにした。教室では普段からよく寝たふりをしているので、誰も違和感を感じることはないはず。


「あ、太一から返信。……ぷぷっ」


「どうした?」


「広弥、あいつ、振られたショックで引きこもってるらしいんだけど」


 その会話を聞いた瞬間、友梨は、自分が爆心地になって、辺りが全て吹き飛んだような心持ちだった。

 私は、死んだ方が良いのでは?


 結局、広弥は三日間にわたって学校に来なかった。友梨はその三日間、冷蔵庫に置きっぱなしにしていたネギのようにシナシナだった。

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