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といってもアテなどあるはずもなく、とりあえず足は真っ先に路地裏に向かう。じめっとして太陽も当たらないような場所だが、ここに来ると心が落ち着く。まるで生まれ故郷にでも戻ってきたように。
雨が降るまで身体を洗うこともできない、この汚れた身体には路地裏の腐ったゴミの臭いがいい香水だ。思えば、さっきのオッサンはムカつくが今まで受けたどの会社よりも対応は良かったのかもしれない。それに、表面だけで落とすのでなく記事の中身も見てくれた。
俺みたいのは案外ああいうとこの方がいいのかもしれない。下品で汚い汚物。まさしく、って感じか。
「さて、何から始めるかな……うおッ」
飯でも探すか、手頃な水溜まりでもないか。次の行動を決めかねて壁に寄りかかると俺の身体は真後ろへ傾いた。
受け身すらもとれず地面とぶつかった衝撃を背中いっぱいに抱える。あまりの痛みに一瞬呼吸が止まって、そしてむせた。唾が変なところに入っていったみたいだ。
そんな俺の状況とはそぐわない呑気な声が頭上から降りかかる。
「あらヤダ、アナタ大丈夫?」
どうやら先ほどまで寄り掛かっていたものは壁でなくドアだったみたいで、1センチ顔を傾けるだけで強烈な甘いような香の匂いが脳天を駆け巡った。
どうやらそこは何かしらの店だったようで、暗い路地裏とは全く違うギラギラな照明の光が瞳を焼くように刺す。異世界感に浸っていると野良猫が俺の頭をずかずかと踏み抜いて店内へと入っていった。
「今日は新しい猫もいるのね。よかったらアナタも食べてく?」
野太い声はとても優しげで腹の空いた俺がその誘いを断る理由はなかった。吸い寄せられるように床に置かれた飯を食おうとすると店主は思わずといった風に笑い声をあげた。
「アナタはこっちよ。ホラそこに座って」
「え?……あ、そうか」
「人間はいつから床でご飯を食べるようになったのかしら。最近では猫でさえテーブルでご飯を食べようとするのに」
椅子に座ると、目の前に出されたのはあたたかいカボチャスープ。お椀のフチにそっと口をつけると優しい甘さが鼻を抜ける。食べたい。早く食べたい。食わせろ、と最近はロクなものを食ってない俺の胃が暴れ狂うのがわかる。
口に含むと保温性の高いスープが俺の舌を焦がす。あちっと舌を出した俺を見て、店主は笑いながらキンキンに冷えた水を出した。
すかさず水を口の中いっぱいに含むと、水はまるで火傷を治そうとするかのように舌にまとわり付いてほろりと消えていった。
「魔法みたいに上手い水だな」
「あらあら、魔法だなんて。もう神はいないのに」
神はいない、その言葉はどこかで聞いたことがある。ああ、親友の言葉だ。俺の知識の八いや九割は親友のものだろう。息をするのと同じくらい当たり前に知識を詰め込まれた。俺の方も初めからそれが当たり前であるかのように知識を吸収することに抵抗はなかった。
飯を食って、息をして、新しい知識を得て、寝て、また飯を食って知識を得る。それが俺にとっては当たり前のことなのだ。やつもよくそう言っては心底嬉しそうに笑った。俺が教えられるのが好きなら友は教えるのが好きだったのだろう。最高の歯車だった、奪い取られるまでは。
「アナタ、人でも殺しそうな顔してるわよ。誰かに恨みでもあるの?」
「恨みなら人でなくこの国にだ。本当にいたかもわからない奴等に人生をかけて死んでいこうとする人間を捕まえて、歴史なんて下らないもの追求するなと枷をかける」
「そう。……アナタも歴史を知りたいの?それとも興味を持たざるを得なかったのカシラ?」
エメラルドの用な双眸に見つめられた俺は、身動きが取れなくなってしまったようにじっと彼を見つめ返した。一方の彼は上から下まで俺を観察し終えると胸ポケットから先程紙切れ同然の扱いを受けた紙の束をスルリと抜き取って広げた。
「アラ、記者なのね。ふふっ、ココの雑誌はちょっと品性に欠けるけどとても自由よね」
紙の束の端に書き込まれた仮契約のサインを指さしながら、素敵な男性の写真集も売っているし。と、こぼした。
筋骨隆々の身体で言われてもチグハグなのに。不思議とその表情は恋をする乙女のように輝いて見えた。俺もこんな風に人を喜ばせられる記事を書けたなら。
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