作者の深い教養と物語趣味に裏打ちされた生首の旅。
なぜかとってつけたように関西弁をしゃべり始める生首の語りで始まる……というのもなかなか胡乱なのだが、そこから始まる『旅』も胡乱である。
主人公の旅するさまざまな『物語』には原典がある。が、それを知らなくてもいい。
胡乱な旅は、どこか懐かしい顔をしつつ、どこに向かうか分からない不安と、どこかとぼけた味わいで、あちら、こちらを巡り巡ってもとの場所に戻ってくる。
夢であれ、旅であれそれはいつだって「行きて帰りし物語」となるのだから、この「首の身体を探す夢」、「数多の物語を彷徨う旅」がもとの場所に戻ってくるのは、定められた運命とでも言うべきだろう。