第20話 たぷたぷ


 祠は単に「御首様」と呼ばれている。御首様というくらいなのだから、祀られているのは首なのだろう。不思議なのは、その首が何の、誰の首であるのか、誰も知らないということだ。

 祖母は節操のない信心者で、ありがたいと見るや地蔵にも道祖神にも稲荷社にも手を合わせる人だったから、当然のようにこの御首様の祠にも手を合わせた。御首様の祠というのは、その不吉な名に反して駅前スーパーのすぐ脇という、静けさとは正反対の往来にあるのだ。自転車置き場の並び、石を積んだ仕切りの合間、ちょうど首が入りそうな大きさの、古びた木の祠。目立つつくりではないが、視界に入れずに通り過ぎることは難しい。だから祖母に限らずお参りする人間は少なからずいるようで、祠の戸の前には決まって少量の小銭と、ちょうど晩酌の一杯にでも使うようなグラスとが置かれている。管理者が誰なのかはよく知らない。母は近くのお不動さんが管理しているようなことを言っていたが、清掃活動の一環としてボランティアの人たちに掃除されているのを見たことがある。

 だからまあ、それは、町の風景の一つだったわけである。よその人からすれば異質な光景なのかもしれない。だが、そういったものはどこの町、どこの地域にもひとつくらいあるのではないだろうか。あなたの町のシンボルを調べてみましょうという授業で、薔薇公園や鶺鴒集まる噴水や蓮の湖が挙げられていく流れで、他の班の子が紹介しているのを見てやっと思い出す。「御首様」はそういう存在だった。

 個人的な感想を言えば、少し不気味ではあった。

 いくら「様」とついていても、得体の知れない祠だからだ。祖母の荷物持ちに付き合うと、祖母は決まって祠の前で手を合わせる。待っている時間が手持無沙汰で、あまり好きではなかった。祠の前は駅の近くだというのになんとなく陰気で、石垣も苔むしていて湿っぽい。それに近くに立っていると、どこからか水の音が聞こえる気がする。電車と電車の合間、人と人の途切れる合間に一瞬だけ。水がこぼれるような音だ。見えないところに溜まっている水でもあるのか、人の通りも多いし、電車も通っている、打ち水の音か、自転車が水たまりでも轢いたのだ。ただそれだけの音だ。決まっている。


 わたしたちの班はおくびさまについてしらべました。おくびさまはいつだれがつくったのか、よくわからないそうです。お不動さんにもききましたが、ゆらいはよくしらないといわれました。住職さんのおじいちゃんのおとうさんのころにはあったそうです。おくびさまのまえにはかならず水をそなえていなくてはいけないそうです。水をきらしてはいけないそうです。ほこらのとびらをあけたものはのろわれるそうです。かぎはかかっていませんでした。みなさんはだれのくびだとおもいますか。


 だからあのようなことが起こっても、すぐに御首様と結びつけて考えるものはいなかった。

 有名な首を祀ったものなら将門塚がある。俗にいう将門の首塚だ。これは祟る。取り壊そうとすると関係者に事故や不審死が相次ぐというのだ。だから滅多なことはできない。祟られないよう丁重に祀るしかできないのだ。しかし御首様にはそんな来歴は見つからない。土地の伝承もない。八岐大蛇伝説も土蜘蛛伝承も落ち武者伝説もない。「御首様」という結果だけがある。

 ならばあれは歴史に名が残らなかった何者かを祀る祠なのだろうか。耳塚や鼻塚。悲惨な戦で死んだ民たちを供養するための塚だ。首だけを残して死んだ何者かを祀る塚。墓であれば無縁仏とでも呼べるのだろうが、祠をそのように呼んでいいのかは知らない。だって、誰も壊そうとしなかったではないか。何が始めだったのかは定かでない。不動尊が焼けたことだろうか。でも本尊ではなく蔵の一部が少し燃えただけだ。出火元だって寺の人間の焚火が原因であるとすでにわかっている。不動尊の軒下から首のない死体が見つかったのとは何の関係もない。腕のない死体が河口から上がったのも、足のない死体が木の洞に折りたたまれていたのも関係ない。だから人差し指を切り取られた祖母が勝手口で見つかったのも御首様とは無関係だし、床に割れていたグラスが祠に供えられていたものとそっくり同じであると気づいてしまったから、だから、確かめずにはいられなくて。

 開けるつもりなどなかったのだ。

 でも鍵が、開いていたから。


「首いうから首桶を連想するんやろ」

 と枯れた男の声がする。

「首桶の中に血でも溜まってるて思うんかな。ほんまは塩か酒か、まあ酒か。だから供えんねやろ。変な音がしても水が供えてあるんやからその音に違いない。鳥が羽休めでもしてたらなお安心や。これは祠の中からではなく、外から聞こえる音に違いない。声がするのも気のせい。しゃらくさい理由付けやな。もっとやりようがないんか」

 声は祠の向こうから聞こえる。

「御首様なんて神様は存在せん」

 丸型の鏡がこちらに向けて立てられている。

「君がそういう夢を見てるだけ」

 だから祠の中には首がある。

 私の首だ。




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