第13話 流行


 どれが最初だったのかはよく思い出せない。雨音だけが聞こえる無言電話がかかってきたところからおかしかったようにも思われるし、もっと後、冷蔵庫から生首を取りだしたところからだったようにも思われる。外を歩けば三メートル近い女が腕を引きずり歩いているのとすれ違うし、人間の顔をした猫が幅十センチの隙間に吸いこまれるのを目撃もする。駅に行けば駅カテドラルは永遠にどこへもたどりつかず、線路をゆっくりとやってくるのは上半身だけの人間だった。これでは仕事へも行けない。仕方なく、線路に沿って歩く。夢にしても奇妙な夢だ。化け物ばかりの土地に迷いこむことはあるが、それにしては統一感がない。全身の皮が剥がれた人体模型の学生と、山羊頭のテーラードが同じ方向へ歩いていていいものか。村役場だった場所は、いつの間にか因習歴史アイランドなる建物へと変わっていた。

 ここ数週間は真面目な会社勤めをしていたはずだったが、どこで位相がずれたのだろう。

 家に上がりこんできた同僚が、悲鳴を上げて逃げ帰ったときだろうか。生首が苦手だと聞いていたら無理にでも帰らせたところを、悪いことをした。

 だが同僚の件は、さすがにその後のあれとは無関係だろう。歩いていたら急に呼び止められたのだ。マントを着た男。奇術師かなにかだろうか。いまでもよくわからない。

 赤か、青か。

 たしか色の好みを質問されたのだ。赤か青の二択。あえていうなら赤だと答えたら突き飛ばされ、そのまま馬乗りになってナイフかなにかでめった刺しにされた。おかげでスーツが穴だらけの血まみれになってしまった。しかしもっと悲惨なのは首のほうだ。どうやら首は私の血しぶきをまともにあびたらしい。私がどうにか身を起こしたときには、首は血だまりに転がっていて、顔も髪も真っ赤になっていた。持ち上げる。べっとりと地面に張り付くような重さとともに、毛の先から血がしたたる。どうにかしぼってみたはいいが、水分が減ると血液は途端に乾燥しはじめ、首の長髪はごわごわになってしまった。湯で洗わねば落とせそうにない。

 私も同じだ。手やら足やらべたべたで、このようなことをしでかした不届き者に入湯代金くらい支払わせねば気が済まないが、あいにくと影も形もない。刺され損だ。傷がなかなかふさがらないせいで、せきこんだ喉の亀裂から血しぶきが飛び、ちょうど下にいた首の頭にかかったらしく、露骨に嫌そうな顔をされる。すでに血まみれなんだからいいだろ。大目に見ろ。


 ともあれ、たまたま首を持っていたのが幸いしたらしく、外の様子は明らかに異様であるがめった刺しにされた以外は特に襲われるでもない。ゾンビはゾンビを襲わない、おばけはおばけに菓子をねだらない。だから彼らにごく近い姿をしていれば、いらぬ注目を集めないという理屈である。

 生首を持った血まみれの人物。いかにも怪談にありそうな、スプラッタホラーの登場人物だ。警察に通報でもされたら逮捕されかねない。実際には首はたまたま所持していただけで、私は被害者であるというのに、取れたて新鮮と言わんばかりに血だらけの首が、すべての説得力をなくしている。いっそ首だけ捨てていこうか。そんなことを考えたときである。

「きみの首かね」

 と話しかけられた。路地を進むうち、立ち飲み屋台の横を通っていたらしい。のれんの向こうには灯りがあり、男がこちらを見ていた。眉が蛾の触覚のように太く、口の大きな男だ。奇妙な顔だが、どことなく人好きのする男で、私が答える前から何事か得心したように

「一杯おごろう。二杯か? まあいい。さ、ほら、よってきなさい」

 そう言って私を誘った。のれんが血で汚れないよう大きくめくって。

 それで私は誘いに乗った。男は簡素なシャツにズボンで会社勤めらしく、客側に座っているというのに、店主の姿はなく、さも当然のようにカウンターの向こうの酒瓶をつかんだ。私はグラスを受け取った。見た目からすると清酒なのだろうが、ご丁寧にストローをさしてくれている。単純な好意、とは思われない。男がおもむろに背をそらし、首をしげしげとながめはじめたからだ。察するに、首が飲んだものがどこへいくのかいかないのかが気になっている、といったところか。無遠慮な視線にさらされて、首はどことなくためらう様子であったが、結局は飲み物を口にした。

「なるほどなあ、そういう。うん、ううん、」

 奇妙な男は満足そうにうなずいた。頭が大きいせいで、そういう動きをする人形のようだ。男は不意に動きを止めた。こちらが血まみれであることにやっと気づいたのだろうか。視線が私の身体の上を行ったり来たりする。

「ところで君、色にこだわりはないだろうね。なに、これは他意のない質問なのだが、赤が好きか青が好きだとか、そういったことを聞いてこないだろうね」

 その質問が流行っているのだろうか。

 さっきその質問をしてきた人物にめった刺しにされたところだ。

「そうかそうか、失礼! そいつがついね、前に痛い目にあわされたもんだから、ふむ、よく見ればコートか、ああ、マントに見えたものだからね。それならそれなら、結構! 飲みたまえ友よ。会えたよしみだ。失われた時代よ!」

 よく見れば男の大きな耳は先まで赤い。すでにできあがっている様子である。ならば構わないか、と私はグラスと一緒に首をカウンターに置いた。口の中が血の味だ。私もなにか喉を潤すものがほしかった。

「人は私を夢男と呼ぶ。『誰でもないこの男』と。君もそうだ。君も、そう呼ぶ。いいね」

 男は機嫌良く言いながら、私のグラスにも首と同じものを注いでくれた。

「いいぞ、いい飲みっぷりだ。血の痛みなど飲んで忘れてしまえ。忘れるのはひとの特権だ。そうやって、勝手気ままに語られて、忘れられるのが私たちだ。オッホホホ、私の顔を知っているかね? 検索すればすぐに見つかる。私はそこにいないのに、おかしいねぇ。デマと噂話、行き交う電波の中にいる。文字で読む、思い出す、その指先に私がいる。おわかりかな? 私たちに過去はない。あるのは今このときだけだ」

 私たちとは?

「私と、君以外のすべて」

 男は冗談っぽく言って、薄い唇をゆがめた。

 おそらく誰もが一度は目にしているのであろうその顔は、思い出そうとするあいだにも薄らいでゆく影のようで、日がのぼればたちまちに消えた。あの奇妙な男とは、もう二言三言の言葉を交わしたはずなのだが、『今』ではない一点において思い出すことはない。そうやって、始まりばかりか終わりまでもが曖昧としているから、やはりこれは夢だったのだと私は思う。信じるか信じまいかは聞くものしだいだが、信じてもらえずとも大いに構わない。夢の話を現実のように語るのは、やはり無理のある話であろう。



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