第11話 坂道


 神の敵たる我が身であればこそ、かの方をよく存じたるは道理。かの方が御足に寄りますことをゆるすのであれば、指を組み瞑目して敬虔を捧ぐになんの不自由もない。ましてや聖教の子らが集う学舎なればなおのこと。学校というのは私たちのようなものにとって都合がいい。同じ制服を着ていれば誰もが私を同じ学徒として扱う。教室にいないはずの四十一番目の子供、名簿の人数は合っているはずであるのに人の頭を数えれば一人多い。ちょうど生首を持っていることであるし、廊下に飾られた首持ち巡礼者の列に並ぶこともできるだろう。

 とはいえ我が身はどこの家にも属さない。

 どこの家とも知れぬ子供として、屋根裏に済む魔物が私だ。

 寮もあったが時期が悪い。あいにくとベッドが予備も含めてすべて埋まっていた。私はこのとおり大変模範的な羊であるが、羊の皮をかぶっているだけの獣であるから、一時の仮住まいのために本物の羊を追うのは気が引ける。紛れこんでいるだけであればまだ、忙しい彼らのこと、多少の目こぼしもしてくれるが、害と見なされようものならたちどころに熾天使の火にあぶられかねない。システマチックでストイックな寛大さには大いに救われている。そういう意味では私もまた神に救われしもののひとりといえよう。


 そのような日々を幾日、幾年送ったか。

 私がかの娘を見かけたのは、いずれか秋の帰路である。

 ことに目立ったのはおそらく、制服ではなかったからだ。ああ、正確には、このあたりの制服ではない、という意味である。あの形のセーラー服を制服にしている学校は付近になかったはずだ。それに夏服だった。季節はもう肌寒い時期であるというのに、半袖の白いセーラー服だ。髪の長い、右頬に大きなガーゼを当てた娘で、花束を抱いていた。花の名はわからない。血のように青い花だ。

 そのような娘が、坂道をのぼって歩いてくるのが見えた。

 まるでそういう生き物だ、と私は思った。

 そこにいるのにいないものというのはたしかにある。娘は天に昇る階段をゆくような、静かな足取りで坂をのぼってくる。ローファーの足は足としてあり、西日に伸びた影もある。それでもその姿が不意に透けたとして、なんの不思議でもない気がするのは、どこか現実というものが欠けて遊離しているからだ。

 私は幾人かの同級生がそうするように、なんでもないような顔で道の端を歩いた。娘は特に思うところもなさそうにすれちがった。掲げた花束の匂いが、髪に遅れて通り過ぎる。

 同じ顔でくだるのだろうか、坂を。

 私は知っている。さっきのぼってきたばかりだ。坂の下、地の底のような暗闇から私はきた。あの暗がりに行くのだろうか。私は心のうちで十字を切った。自分のためではなく、ましてや見知らぬ娘のためでもなく、教会の作法に則ったのだ。祈りとはただ行旅の無事を願って、するものだ。



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