第8話 鶺鴒(セキレイ)

 井戸のほとりで珍しいものを見つけた。鳥の生首である。

 ちょうど黒髪を後ろに撫でつけた人間のように、つやつやとして形のいい額。どちらかといえばずんぐりとした白い顔に、丸い黒い目と小さなくちばしがちょこんとついている。頭の大きさはほんの親指ばかりであるが、小さいながらも堂々としたもので、ひとが近づけども我関せずの態度。生首同士気があうのではと思って人間の首を隣に置いてみたが、とても会話になりそうにない。怖がってはいないようだが、私も首も生き物であると認識されていないらしい。

 さて、首だけの状態でどうやって移動してきたのか知らないが、井戸に近い草むらにいるということは、水を求めてきたのだろうか。試しに水をすくった手のひらを近づけてみると、くちばしをうるおした。あまりにも小ぶりであるから、水を飲んだのか飲んでいないのかわからないが、喜んではいるらしい。私の側を見てちちちと鳴いた。


 この世が巨大な鳥に載った一個の島であることは周知の事実だが、この鳥も仲間なのであろうか。世界を担ぐにしてはその額はあまりに狭い、載ってひまわりの種ひとつぶんといったところか。

 かつて鳥がまだほんの小さな鳥であったころ、雄鳥が生命の根源であるところの水たまりに浅くその身を浸し、ちゅぴちゅぴとうち震わせし尾羽から飛び散った水が、折しも隣で砂浴びをしていた雌鳥の背中を伝って羽に染みわたり、肥沃なる大地となった。これがこの世の起こりであることはいまさら言うに及ばない。雌雄一対のその身は、比翼の鳥には及ばずとも、鴛鴦のむすぼほれには劣らず。

 私は未だかつて目にしたことがないが、世の果てでは、ぴんと立った尾羽の壁が見渡すかぎり一面に広がり、上下にせわしなくひょこひょこと動いているのを見ることができるという。飛ぶよりもむしろ走っていることのほうが多いこの鳥が、せかせかと太陽のまわりを走りまわるから朝がきて、疲れて木陰で休むから夜がくる。俗に言う鳥動説である。この世は鳥を中心にまわっているのだ。


 それで、首である。

 走るにも踊るにも首から下がなければ困るはずだが、鳥の首はどうしたものだろう。

 井戸のまわりの蟻を適当につまんで運んでやれば、うまそうに食べている。自分で餌をとれるとは思えない。これほど無防備な生き物がどうやって生きていけるのか、どうにも不思議だ。

 観察してみた結果、どうやらこの首は首単体で落ちているわけではない。

 生えているのだ。首から下らしきものが土の中にある。埋まっているわけではない。 指で少し掘ってみたが、それほど深くはないらしい。土から首が生えている。くすぐったいのか痛みがあるのか、鳥がやたらと興奮しはじめたので途中で止めたが、土ごと鉢にでも植えかえれば移動させてやれるだろう。

 見れば見るほど愛らしい。

 どうせ首を運ぶのなら、人間の生首よりも鳥の生首のほうがいいのではないだろうか。鳥の首は小さいし、何よりも愛らしい。人間の首は重くてかさばるうえに、ろくな話し相手にもならない。それなら鳥の生首がぴいぴいとさえずってくれたほうがずっとよいのではないか。

 どうだろう、おまえ、どうする。

 とうとうその事実に気づかれてしまったか、という顔でもしてくれればまだ可愛げがあるのだが、つるべ桶にすっぽりとおさまった人間の首は何の興味も持たない様子でこちらに顔を向けている。愛らしさとはほど遠い顔。こんな不気味な首が捨てられたとして誰が拾ってくれようか。せいぜい野ざらしになるのがオチだろう。

 それに比べれば鳥の首の愛らしきこと。井戸のそばにあって誰も気にとめていないところを見るに、晩のうちでも生えてきた鳥なのだろう。きっといまに水を汲みにきた人間に見つかる。桶を両手にふらふらとやってきた人間が、草むらからのぞく黒いつぶらな瞳を見つける。彼/彼女はきっと信じられないだろう。地面から小さな鳥の首が、首だけの状態で生えているのだ。彼/彼女はおそるおそる草を分け、ちゅぴぴと鳥が左右を振り見るにを間近で見ることになる。果たしてこの鳥を、この鳥の首を発見したのは自分だけだろうか、もう誰か騒いでいやしないだろうか。彼/彼女は足をもつれさせながら走って人を呼びにいく。

 八日もすれば、周辺一帯でこの首を知らぬものはなくなるだろう。

 私が拾わずとも、いや、私が拾わぬほうが、話の収まりが良い。

 ならば断念するしかあるまい、あるまいと、未練がましく鳥の首。蚕の繭で編んだがごときやさしき額を、外敵にねらわれぬようしかし誰ぞに発見されるよう、そっと草を戻す。ちちち、と鳴く声がますます惜しい。どうかそのまま首のまま、巨大な鳥の首へ成長したあかつきには、私の別宅はきっとこの鳥の額に掛けよう。白と黒の模様の境目、海と地とのあいだへと。



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