第4話 温室


 首はどちらかといえば植物に近い。植物の中でも特にサボテンに似ている。頭部だけで地に植わる丸いたたずまいといい、手入れをさほど必要としない性質といい、ちっとも口をきかないところといい、そっくりだ。それに首は首の切れた断面に銀の盆を当てているから、首が飲んだ水のいくらかは底に溜まるようになっている。ちょうど鉢植えのような構図だ。ますます似ている。首は、もしかするとサボテンの一種だったのかもしれない。

 首、そうだ、首は普段からものをあまり口にしない。舌と喉を通るだけの即時的な快楽に興味がないのか、切れた喉からたちどころにものがこぼれるのを嫌っているのか、まあ、あまり興味はない。ただ干からびてしまうといけないので、たまに少しだけ水をやる。少しの量を、少しずつだ。というのも、前に水をやりすぎて吐かせてしまったことがある。忘れもしない、砂漠でのことだ。首は砂まみれで、見るからに暑そうで、ただでさえ潤いのない長髪がカラカラに干からびて、このまま干し首になるのではないかと思って、水筒を無理やりにくわえさせた。よかれと思った。悪いことをしたとは思っていない。ただ首はとつぜんの水を嚥下しきれず、ごほごほとむせかえって、あげた水をぜんぶ吐きだしてしまった。貴重な水だったのに。それ以来だ。私がものを与えようとすると、首は露骨に警戒するようになった。

 これならサボテンのほうがまだかわいらしい、と首に意識を向ける。

 首は温暖さに気を良くして、眠っているらしく、こちらには見向きもしない。まったく愛らしさの欠片もない。

 と、雑念が止まないところを見るにつけ、私はとことん植物には不向きと見える。隣近所の木もいっこうに私と口をきいてくれない。先住者たちは新参者には厳しい、というよりは、私の側が木々の語る言語を持たないのだ。

 今回は単に、世話をされる側になるのも悪くないと思った。屋根のある温室であれば、不意のスコールに打たれて濡れ鼠になることもない。まぎれこむのは得意だ。私の唯一といってもいい。案の定、施設管理者たちは私という一木が増えたことに気づきもしなかった。温室の暮らしはどうだ。土は肥料を含んだ良い土で、適度な水と均一な温度、空調による清浄な空気と平穏、ビニール越しの陽の光、おだやかで口数のそう多くない客たち。ここでは大雨に打たれる心配もなければ、大風に枝を折られることもない。剪定されるのは存外に心地がよく、私が病気をすれば施設管理者たちはあれこれと身体を調べるだろうし、手に負えぬとわかればふさわしいやりかたで看取ってもくれるだろう。建物ごと火にかけられたとして、ひとりで死ぬこともない。周囲の樹木たちが一緒だ。ここにはすべてがある。

 けれども私はといえばどうだ。私はひどく退屈で、この状態がこの先何年も続くと思うとうんざりする。木はうんざりなどしないだろう。向いていない。時間を気にすることもしない。彼らにとって、一日と一年はさほど変わらず、それが百年になったところで、それはただ百年が経過したという事実以外の何物をもあらわさないのだろう。

 首はなにも感じていないのだろうか。

 鉢と鉢のあいだで静かにしている首を見ていると、地に転がり落ちた果実が、ゆっくりと腐っていくのを待つようで、植物であれば気にしないであろうことに意識を差し向けてしまう。

 だからというわけではない。私は足を――根を、注意深く引き抜いた。しかしどんなに慎重にしても、地に張りめぐらせた細い血管が、ぶちぶちとちぎられながら体内に引っ込む不快感に、喉の奥から声が漏れる。喉を、そうだ、喉のあることを意識して声を漏らす。洞に息を、息を喉に。幹の末を二つに割り、根であった足を土につける。四方に伸ばした枝を腕に、一本ずつにまとめて枝葉を指に分かれ目を手のひらに集約させる。

 樹皮を肌に、大きさは、だめだ、周りが背の高い幹ばかりだから、客観的な人間のサイズというのがわからない。

 それでも筋肉を肉として動け動かせと命じて、足を足として動かし、腕である腕で首を拾い上げる。身体の中のものを無理に凝縮したせいでめまいがして吐きそうで、吐いた。内側に巻き込んだのがいけなかったのか、口から出るのは葉と土だ。髪が葉っぱまみれになった首が露骨に迷惑そうな顔をする。いくら表層をまねたところで、と言われている気がして、うるさいと返す。土でじゃりじゃりする口を動かして。目に見えないところは歩きながらでも整えればいい。

 出口は、というところで、雨の気配に足が誘われる。身に残った樹木としての残滓が、と考えかけて、それはどうだろうかと考えなおす。雨の降る前の気配を、ひとは多かれ少なかれこれは雨だ感じとるではないか。ならばひとの中には幾分かの樹木が入り込んでいるに違いない。

 さて、外に出れば、降り始めのスコールに強く打たれることになる。木でない私はおそらくうれしくはないだろう。それでも雨は、心地よくはあるはずだ。首もまた、打たれる雨に文句は言うまい。



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