第7話 悪辣魔女は意見する

「おかしくないですか? 私ばっかり貧乏くじを引かされている!」


 ユーグレストの研究室に飛び込んだ私は、色とりどりの刺繍がされたド派手なソファーに倒れ込んで嘆いている。ちなみに、本当に半泣きだ。


「侍女達からは『下働きの根性悪』と蔑まれ、各国からは『血も涙もない傲慢な冷血漢』と恐れられている! そういう演技を私に強いているアーディナルは、そんな魔女を諫める良識ある人だと思われている! 逆でしょう!」

「間違いなく、逆だな」


 ソファーのフカフカな座面を拳で殴りつける私の頭を、ユーグレストが優しく撫でた。

 魔女を演じてはストレスをためて、ユーグレストに泣きつく。これが私の日常だ。辛い……。


「しかし、シュリの演技は、いつ見ても完璧じゃな。儂が見ても、そこに魔女がいるようにしか思えない。中身が別人と疑う者はいないくらい、癖まで完璧に再現しておる」


 癖? そんなもの、あるの?

 まぁ、上手くいっているなら、何でもいい。これ以上「あれが足りない、これが足りない」とアーディナルに小言を言われるのはたくさんだ! 


「だったら褒美として、もう私を解放して欲しいです。どこか遠くの人の寄り付かない修道院で働きたい。お願いします!」

「それは無理だな」


 ノックもなく入ってきたアーディナルの一言のおかげで、部屋から和やかさが消え去った。

 さっきまで張り付けていた温かみのあるにこやかな笑顔が嘘のように、素のアーディナルは冷酷なまでに無表情でしかない。

 床に座り込んだ私の上から降り注ぐ矢のような視線が痛いけど、不満を漏らすのも許されないの?


「これだけ嫌な思いして悪辣魔女を演じることに耐えている私に、そういう態度はどうかと思う」

「何度も言うが、自業自得だろう?」

「こら! アーディナル……。シュリは女神に乗っ取られていたのだから、自業自得はないだろう?」

「女神から力を与えられながら、その力から逃げたせいだ。やっぱり自業自得だろう?」


 アーディナルの言葉は、恐ろしく尖った凶器だ……。

 人の心が見えるせいかアーディナルには、思いやりとかそういう感情が欠如している。だから視野が狭くなる。


「確かにアーディナルの言う通りかもしれないけど、私から言わせてもらえば女神の人選ミスだと思う」


 ユーグレストは笑いをこらえているけど、アーディナルは珍しくシルバーグレーの目と口を開いて驚いている。


 だって、そうじゃない?

 今まで女神から力を与えられた者が躊躇いなく戦いに挑めたのなら、それができない私を選んだのが間違いなのよ。


「人には向き不向きがあるわ。同じように命を懸けるにしても、私は目立つ最前線よりも人知れず後方支援がいい。人に感謝されたり崇められたりなんてしなくていいから、昔の通りの自分でいたかった!」

「昔の自分って、いじめられていた修道院の頃に戻りたいと言うのか?」

「その言い方だと、いじめられていた私が泣き寝入りしていたみたいよね?」

「そこから逃げ出せて、救世主になった。自分を見下していた奴等を見返せて、喜んでいるのだろう?」


 出た! アーディナルの思い込み! 

 そうだと信じて疑わない。「俺だけが正しい!」というアーディナルには、ため息しか出ない。


 前に立つアーディナルの心があるであろう胸に、私は人差し指を突きつけてやった。


「心の色が見えるからって、それだけで自分の都合がいいように相手の気持ちを解釈するのは失礼よ。私の気持ちは私のものなの! 勝手に決めつけずに、知りたかったら聞きなさいよ!」


 私の剣幕に、目を見開いて固まったのはアーディナルだけではない。後ろに控えているジークハルトだって同じ顔だ。だからといって、もう止まれない。私の怒りは、限界を超えたのだ。

 

「修道院で嫌がらせはされていたけど、きちんとやり返していたわ。シスターラマリという心の支えもいて、私は幸せに暮らしていた!」


 失ったものが過去の記憶だけだった私は、この魔力に目覚めるまで幸せだった……。


「私の職務放棄(希望)を責める前に、アーディナルは自分の職務怠慢について考えるべきだと思う!」

「俺が……、職務怠慢だと?」

「アーディナルは自分の能力に頼りすぎなのよ! 相手の心の色を見て、勝手に『こいつはこう思っている』と決めつける!」

「心の色がそう言っている!」

「実際に私に対しては、『いじめられっ子が力を手に入れ、周りを見返して喜んでいる』という誤った見立てじゃない! 明らかな偏見よ!」

「それは……!」

「相手の心を見る優位に立っているのだから、見るだけで楽ばっかりしないで知る努力をしなさいよ!」


 アーディナルは悔しそうに下唇を噛んだが、珍しく何も言い返してこない。

 そりゃ、言い返せないだろう。決めつけは私に対してだけではない。ユーグレストとジークハルト以外には、みんなそうだ。

 自分の心の狭さを、思い知るがいい!


「相手がどんな人物なのか知ろうともしないで、心の色だけでその人を判断するのは危険よ!」

「心の色が分かれば十分だ! それで相手がどんな奴なのかは分かる!」

「アーディナルだけが相手の心を知っているって、とっても傲慢なことよ?」 

「傲慢だろうと何だろうと、これが俺に与えられた力だ! 大切な力に尻込みして敵前逃亡した奴に言われたくない!」

「……それとこれは別の話でしょう? そうやって話をすり替えないで!」

「すり替えてなどいない!」

「アーディナルは相手のことを分かった気になって、自分に従わせるの。勝手に心を暴いた主従関係では、そこに信頼関係は存在しない。だって、アーディナルは相手を見下していて、信頼なんてしていないもの!」

「相手の心が分かれば、信頼関係なんて必要ない!」


 そう吐き捨てたアーディナルは、嵐のように研究室から出て行った。

 アーディナルによって割れんばかりに叩きつけられた扉が揺れている。部屋も揺れていて、本が雪崩れた音がいくつも聞こえてきた。

 ユーグレストのため息が、アーディナルや私の態度に対してなのか雪崩れた本の片づけに対してなのかは分からない。


「ここまで言う気はなかったのだけど、言いすぎてしまいましたね……」

 ユーグレストは、ゆっくりと首を横に振った。

「今まで、儂やジークが甘やかしすぎたのだ。シュリの言ったことは、儂も正しいと思う」

「そうであっても、言い方も、言う機会も、間違えた気がします。人の心が見えるというのも、苦労が多いでしょうし……」

「そうやってアーディナルを理解してもらえるのは嬉しいよ。あいつも複雑な状況にいるからな」

「……理解とかそういうレベルの話ではなく、ただ単に自分の意見を通したい子供のケンカでした……」


 私がため息をつくと、ユーグレストは「子供のケンカ? 大いに結構!」と大笑いだ。

「アーディナルは子供の頃から、心を覗かれると周囲から恐れられ距離を置かれていた。二枚舌の大人なら尚更、アーディナルを前にすると何も言えなくなるのが日常だ。そんなアーディナルには、ケンカ自体が未体験だ」


 ユーグレストが言うには、アーディナルが自分の力に気付いたのは八歳の時だったそうだ。

 人から色が見えると気づいたアーディナルは、何が起きたのかと恐ろしく思いながらも、好奇心を押えられず自分なりに分析を始めた。人の反応と色を確認していくうちに、自分が見ているのは人の心、「感情の色」なのだとアーディナルは理解した。

 いくら賢いとはいえ、まだ八歳の子供だ隠しておけない。アーディナルは、尊敬する父親に自分の力を伝えた。

 その時に父親に見えた心の色は、自分に対する「軽蔑」と「畏怖」と「拒絶」だったそうだ。

 禍々しい色を発した父親は、ニヤリと笑って「今後は私にその色を教えろ」と言った。その瞬間、「興味」の色も追加された……。

 父親は自分を息子ではなく道具と判断したのが、幼いアーディナルにだって分かった。


「家族も側近も貴族連中も、アーディナルの目に怯えている。そのくせ、何かあれば利用しようと擦り寄るのだから質が悪い」

「大人に利用されたくなくて、アーディナルは無表情になった? なら、あの笑顔の仮面は……?」

「いずれこの国を背負う男が、周囲から避けられるわけにはいかぬだろう?」

「恐れられて孤立した状態では国王として機能しない。あれはアーディナルなりの処世術……?」

「その処世術を隣で見て、シュリはどう思う?」

「微笑みながら、いつの間にアーディナルが思う通りに事が運んでいるなと思います」

「心を見て先回りして、自分の作った罠に相手を陥れるのがアーディナルの手法だからな」


 言葉で聞いただけでもゾッとする。これ以上に冷酷な対話方法はないと思う。

 でも、アーディナルには、これしかなかった。


「人の心を見るアーディナルが、優秀な王太子として周りから好意的に迎えられるのは難しい。だからといって笑っているだけで人の毒牙を抜ける人物を演じるようになったのは、褒められることではないがな……」

「アーディナルのあの仮面が、自衛のためでもあるとは思いませんでした。周りになんて左右されない強い人だと思っていましたから……。相手を知る努力を怠ったのは私ですね」

「『見るだけの楽ばっかりしないで知る努力しろ』という言葉は、アーディナルには響いたはずだ」

「それはそれで、申し訳ないですけど……」

「実際にアーディナルは人の気持ちを知ることを恐れている。今まで散々人の裏側ばかり見てきたから、これ以上人の闇を知るのが怖いのだ。人の表面しか見ないで決めつけてしまうという、シュリの言い分も正しい」


 アーディナルが本当に冷徹で、「何でも利用する」という言葉の通りにできる人間だったら楽だったのかもしれない。

 その言葉の裏で、アーディナルもたくさん傷ついてきた。ユーグレストやジークハルトがアーディナルの側を離れないのは、きっとそれを見てきたからだ。


「このままの自分では駄目だと、アーディナル自身も分かってはいるのだ」

「独りよがりな王様って、国を滅ぼしそうですよね……」

「だからこそ、シュリに頑張ってもらいたい」

「……ん? 私が、頑張る?」

「儂とジーク以外には仮面を貼り付けるアーディナルが、シュリには素を見せている」


 素? あの傍若無人のこと?


「信じられないかもしれないが、アーディナルはシュリには心を許している。シュリのことなら、もっと知りたいと思えるはずだ」

「……私達の間に、信頼関係を築けと?」

「夫婦なのだから、当然だろう?」


 老獪という言葉がぴったりな笑顔をみせたユーグレストに、私はめまいがしそうだった……。




◇◇◇◇◇


読んでいただき、ありがとうございました。

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