第3話 乗っ取りを、信じます?
式の間中アーディナルに、何度も「おい、しっかり働け!」とドスの効いた声で凄まれた私……。
そのおかげで何とか正気を保って頑張ったつもりだったけど、最後は「本気か? 一体どうなっている? 別人、じゃないよな?」とアーディナルに心配というか疑われる始末……。
別人? 私は、別人なのだろうか……? もはや自分でも、自分が分からない……。
マホガニーの艶のある大きな執務机が印象的なアーディナルの私室は、いまだかつてない沈黙に陥っていた……。
焦げ茶色の家具に合わせた落ち着いた色合いのファブリック。四人が向き合って座っているソファーも、濃紺のベルベットに銀糸に刺繍が上品に施されている。
大きな窓にはシャンパンゴールドのカーテンが引かれていて、外から入り込もうとする闇を遮断していた。
息の詰まる沈黙を破ってくれたユーグレストは、悩ましい目で夫婦の寝室につながる扉を見つめている。
「……おい、今日は初夜だろう?」
七十八歳のユーグレストの言葉だから、辛うじてセクハラにならずにスルーされた。
いや、されていない。
向かい合っているアーディナルは、「元々そういう婚姻ではない!」と苦々しい顔だ。
賢人であるはずのユーグレストは、知性を全く感じさせない顔で「えっ? だったら、どういう結婚?」と一人で楽しそうだ。
弟子を揶揄うのは、もはや彼のライフワークといえる。
いまだ子ども扱いのアーディナルは、師匠の期待に応えるようにカッと熱くなってしまった。
「世界の秩序を守るための結婚だ! 分かっている奴に説明するほど無駄なことはない!」
結婚式からイライラしっ放しのアーディナルは、諸悪の根源である私に冷え切った目を向けてくる。
「何なのだ! 結婚式での、あの体たらくぶりは! 傲慢な悪辣魔女らしい堂々とし過ぎた高飛車な態度はどうした? シャキッとしろ! おどおどするな! 声を張れ!」
「まぁ、いつもとは違ったが。アーディナルの後ろに隠れるシュリは、可愛いかったぞ? 『魔獣をものともしない魔女も、結婚式は緊張するのか』と民衆の評判も上々じゃった。なかなかの演技だったな!」
ユーグレストはにやりと私に笑いかけるけど、あれは演技じゃない……。
それが嫌と言うほど分かっているアーディナルは、思いっきり顔を顰めた。
「今日のシュリの態度は、いつもの計算ではない。本気だ……。本気で人前に立つのが嫌なのだそうだ」
拳を握り締めた状態で、そんなに忌々しそうな顔を、こっちに向けないで欲しい……。
式の前の私の話を聞いていたジークハルトでさえ、今日の結婚式の私の態度が素だったと聞いて「天変地異……」と呟いた。
ユーグレストもさすがにおかしいと思ったのか、「何があった?」と心配そうに私の顔を覗き込む。
何があったか……。
目に見える範囲では何の異常もないはずだ。魔獣が発生したわけでもないし、それこそ天変地異が起きたわけでもない。
表面上は。
だが、私の中では違う!
私の中では天変地異が起きていた。世界を揺るがす大事件だ!
三人の視線を一身に受けた私は、正直に事実を伝えようとグッとお腹に力を込めた。
私の発言を聞き漏らすまいと、三人もグッと身を乗り出してくる……。
今から伝えることは、普通に考えたら絶対に信じてもらえない。私だって自分の身に起きたのでなければ、「頭がおかしくなったな」と思うレベルだ。
それでも伝えようと思えるのは、アーディナルの存在が大きい。
隣に座るアーディナルと向かい合うように、私は身体をずらした。
「実は……救世主として戦ったこの三年間、私の身体は多分女神様に乗っ取られていたみたい」
ユーグレストとジークハルトの視線が痛い。おそらく大口を開けていて、そこから空気と言葉にならない声が漏れているはずだ。
そうやって暫く呆然としても二人なら私と同じように、左目に手を置いて天井を仰いでいるアーディナルを見るはず。
その証拠に二人共が、現実逃避気味のアーディナルから答えを聞き出そうとしている。
「……疲れて壊れたのでは、ないのか……? シュリは……、真実を言っているのか……!」
「……何度聞いても、頭がおかしくなったと言われた方が納得できる……」
ユーグレストとジークハルトの願いむなしく、これは真実なのよ。
真実の番人ともいえるアーディナルが証明してくれる!
「……残念だけど、シュリは嘘を言っていない……」
ガックリとうなだれて「本当に悔やまれます」みたいな言い方はやめて欲しいけど、私の発言の正当性は認められた。
自分の中にある魔力に目覚めてから今日までの三年間、私の身体は女神に乗っ取られていた。自分の意識が消えていたわけではないけど、自分の意思で動いている感じはない。
私の意志とは関係なく、ひたすら目立つ戦いをして、高慢で目立ちすぎる発言をして、どこまでも目立つことを意識して表舞台に立ち続けた魔女。
魔女の目を通して見たのは、傲慢な悪辣魔女に振り回される人達だった。その様子を見ているだけでも申し訳なくて平謝りしていたのに、もし魔女の悪辣ぶりを正面で見ていたら……。私の心は、申し訳なさと羞恥で悶え死んでいたと思う。
左目をひくひくと痙攣させたアーディナルが、疲れ切っているのは一目でわかる。それが自分のせいなのだと思うと、さすがに心苦しい。
それでも私には、どうしたって魔女としての現状を受け入れることはできない。
「三年にも渡って傍観者だった私が、いきなり当事者になった。自分の人生なのに、私にとっては全く望まない人生をいきなり押し付けられた。悪辣魔女として生きることは、断固拒否します!」
言っている私だって、「無理だろうな……」と半ば諦めてはいるよ? でもさ、突然バトンを渡された身とすれば、そのまま何事もなかったかのごとく受け入れられない!
とりあえず、主張くらいさせてくれたっていいじゃない。もしかしたら、少しは待遇改善が望めるかもしれないと期待をしたっていいじゃない! もしかしたら、もしかしたら、希望が叶うかもしれないと夢を見たっていいじゃない!
そんな可愛い自己主張も認めてくれないアーディナルは、部屋が凍り付くほどの冷気を態度と言葉にまとわせる……。
「子供か? 二十三にもなって甘ったれたことを言うな! 傍観者だったにしても、お前が魔女なことに変わりはない。これからだって世界を守る必要がある。まさか…魔法が使えなくなったとか言わないよな?」
「えっと、それは……」
「使えるのか。ならいい。乗っ取りが解けたら魔法が使えなくなった、なんて事態が一番洒落にならないからな」
魔法が使えなくなったと言って退場するのもありかと思ったけど、アーディナル相手に嘘は通じない……。そして、私の期待も夢も届かない……。
私はもう、子供でも甘ったれでも構わない! アーディナルは三つ年上なのだから、子供の我儘を聞いてよ!
「シュリの置かれた状況なんて、どうでもいい。俺達は今まで通り、自分に課せられた仕事をするのみだ。甘えは許さない!」
がっくりとうなだれる私の上から、冷気を降り注ぐアーディナルを見上げる気も起こらない。
こんな優しさの欠片もないアーディナルを見たら、世の人達は言葉を失う。世間の評判では、アーディナルは素敵な王子様であることが既に大前提だ。『穏やかなアーディナル様だからこそ、あの高慢暴走悪辣魔女を操縦できる』と、現実を知る者達からは言われている。
それに引き換え、女神による魔女は戦い方も態度も荒っぽかった。立ち振る舞いや発言に気品と威厳があったから、何とか体裁を保っていたが……。そうでなければ、ただの荒くれ者だ。
その役を私に引き継げと……?
「職務放棄ができるなんて、私だって考えてなかった。だけど、条件の見直しくらい話し合うべきじゃない? あんな荒くれ魔女なんて、本物の女神じゃなければできるわけがない!」
私の怒りに呼応して、磨き上げられたキャビネットの上にある分厚いガラスの花瓶が割れた。
◇◇◇◇◇
読んでいただき、ありがとうございました。
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