魔法使いと旅人 三
国を出るのは至って簡単だ。入国時に作られた入国許可証を、滞在者リストに名前が載っているか確認した上で破棄すれば、すぐに国を出ることができる。
「何だって!?」
「何だとっ!!」
私とルイスの声が揃った。普段は被ることさえない声があまりにもピタリと重なって、私とルイスは思わず顔を見合わせる。
「えぇ、ですから、こちらに滞在者リストはありません。国を出るには滞在者リストがこちらに渡るよう連絡して届くまで待つか、本来の予定通り、向こうの門までご自分の足で向かわれるしかありません」
私達は元々、最初の三日間観光しながら北へ進み、残りの七日で北門に向かうという計画を立てていた。そのため、退国の申請は北門で出し、滞在者リストは既に北門に向かっているらしい。私達は西門の滞在者リストに名前が載っていないため、西門から国を出ることはできない、と丁寧な口調の兵士が言った。
「滞在者リストが届くのと、北門へ向かうのは、どちらが早い?」
「ご自身で向かわれる方が早いでしょう。滞在者リストが載せられた馬車が北門に届かなければ、連絡を取り合うことができません。そのため、滞在者リストが戻ってくるまでに七日ほどかかります。馬車に乗って向かわれれば、最短で三日で到着します」
「分かった」
ルイスはそう一言だけ返すと、踵を返した。
「ルイス、どうするつもりだ?」
「今日はもう遅い。これから宿を取って早朝に北へ向かうしかあるまい」
「そうか」
どうしてか、ルイスの冷ややかな声が怖くて仕方がなかった。先程まではちょっとした冗談を言うほどの余裕があったが、今は若干ピリついた空気感が全身を刺す。
入国した時と同じようにルイスの背中を追っている。だが、その時と全く違う。
日が傾き始め、オレンジ色を孕む空は、今の私にとってただ焦燥感を煽るだけの無意味な刺激に過ぎない。本来なら美しいと溢していたであろう空を眺めて、余裕のない自分たちに、私は苦しさを覚えるのだった。
◇
「すまなかった。これでは野宿と変わらないな」
衝立の向こうでルイスが呟いた。今日は宿の隅で身体を拭く。いつもなら川や湖、風呂屋で汗を流すが、今日はそうはいかない。携帯食もいつも以上に味を感じなかったし、桶に溜めた水が跳ねる音が、少し寂しく感じていた。
だから、自分を責めるようなルイスの声が聞こえて反射的に顔を上げた。
「そんなの慣れている。私だって旅人だ。屋根があって、ベッドがある。それで十分ではないか」
「今日は
「自分の身ぐらい自分で守れる。ルイスが寝ないと言うのなら、私も付き合おう。丁度今日は、私が語る日だからな」
「そんなことを言って、寝るのだろう?」
「寝ない。私がルイスを守るのだ」
「偽物も、口だけは達者なようだな」
「まだ偽物呼ばわりか!解せぬ」
「で、今日はどんな話を聞かせてくれる?」
「……!い、今行く」
あぁ、先程の空気感が嘘のようだ。一瞬にして変わった。ルイスが話しかけてくれたから。ルイスが和やかな雰囲気を作ってくれたから。それもこれも、ルイスが優しいから。
ワンピース型の肌着をさっ、と被って服を着ると私は衝立から顔を出した。
今日はいつもと違う。いつでも逃げられるように、服を着ているし、
それでも、今日は何だか楽しくて、私はいつものように口にした。
「ルイス、好きだ」
「あぁ、知っている」
◇
ルイス。今日の話は、宝石の国を知った経緯を話すのはどうだろうか。
私が村を出て一番に向かった場所は話しただろう。覚えているだろうか。
川に沿って山を下り、その山の麓の町が、私が旅で最初に訪れた場所。お金はないし、服はただのボロ布を身体に巻き付けたような酷い有様だった。おまけに首を切られた鮮血で染まっている。さらにさらに、たどり着いた時間が真夜中だったものだから、私は化け物に間違われて役人が駆けつけたほどだった。
勘違いで殺される前に修道院の修道士が私を保護し、そこで漸く新しい服とまともな食事を得た。村では成長しても服を破りながら何年も着ていたから、新しい服は本当に久しぶりだったし、あの頃の私は食事をとらなくても死ぬことがなかった。それこそ化け物じみているだろう?山菜と川の水、時々ウサギを仕留めては焼いて食べた。そんな食生活だったから、その町で初めてパンを食べたのだ。
奉仕活動でお金を得て、地図を買って、それから私は町を出た。最初に訪れた町で一年も拘束されてしまったよ。…………って言いながらも、私はルイスに救われたように、その町にも救われたんだがな。
町を出た直後は無一文だった。地図を手に入れて、その喜びで勢いに任せて町を出たものだから、身なりや身体が整ったくらいで状況は大して変わっていない。どうしようか、と視線を地図に落として、そこで目が合ったのが宝石の国だった。
そうだ。私は美しさと共にありたい。宝石を見てみたいし、皆が口を揃えて「とても美しい」と言う、宝石のようになりたいと思った。
道中、情報を得ながらたくさん寄り道したが、いつでも宝石の国は私の目的地に変わりはなかった。
それがきっかけ。宝石の国を知り、宝石の国を目指した話。宝石の魔女の由来。
――――単純?そうか?
でも、いつだってきっかけはシンプルだ。
美しさを求めたのも、たった一筋の、ルイスの涙だった。
ルイスと旅を始めたのも、ルイスのことを知りたい、共にいたい、共に旅をしたいと思ったからだ。
直感的で感情的で、明確な根拠も理由もない。
他の誰かには理解できないかもしれない。だが、それでもいい。ルイスとの旅は楽しくて、後悔なんて欠片もしていないんだ。
好きだ。私のことを偽物と呼ぼうと、ルイスが私のことを嫌っていようと、私はルイスのことが好きだ。
ただそれだけを、知っていて欲しい。覚えていて欲しい。
◇
ルイスの顔を直視できなくて、ぼぅっと蝋燭の火を眺めていたせいか、一瞬、意識がどこか遠くへ飛んだような心地がした。
「ラピス」
「何だ?まだ寝ていない」
「違う、そうではない。話の感想だ」
「感想?」
私が蝋燭から顔を上げてルイスの顔を見ると、ルイスもまた、私の顔を見ていた。
「言葉には魂が宿ると、私は信じている。壊滅の魔女が本当に村を滅ぼしたように、言葉に宿った魂が言葉が持つ意味を全うしようと不思議な力を働かせる。だからな、宝石の魔女という名前を持って輝きを放つ君は、嘘ではないと、きっと私も知っている」
「………………ほん、とう、に?」
ルイスは答える。
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