第50話・申請書類


とある昼過ぎ―――

安武やすべ満浩みつひろが母方の実家を購入した地方……

その村役場で、職員たちが事務作業を行っていた。


すると若い職員が一枚の書類を手に取って、


「んん……? あれ、この申請書」


「あー、『あの』山のだ」


もう一人、60代くらいのすっかり白髪だけになった職員が答える。

年齢からいって、一度定年退職した後の嘱託しょくたく職員だと思われるが、


「……いいんですか?

 だってここ、『あの』山ですよね?」


すると老人はふぅ、と軽くため息をついて、


「書類は揃っていたからな。処理するしかない。


 東京の建設業だとか言っていたが―――

 都会のやつら、怖いモンってのがわかっていないからなぁ」


彼は遠い目をしながら、窓の外へと視線を移す。


「どうしましょうかね……」


「どうにもならんさ。


 地元にも建設業はあるのに、どうしてそいつらが手を出さないのか、

 少しは考える脳みそがありゃいいんだろうが」


「まあ、あったら申請なんかしていないですよね……」


老人と青年の職員2人は、複雑な表情で書類を眺めていた。




「……? 何だ?」


銀を見送った次の日、というか当日。

昼過ぎまで寝ていた俺は、車のクラクションで叩き起こされた。


窓を見ると敷地内に軽トラックのような車が入って来ている。

少なくとも裕子さんや、旅館の『源一げんいち』でない事は確かだろう。


緊急事態かも知れないと思い、俺が玄関から出てみると、


「いたのかよ! おいオッサン!

 聞こえているのならさっさと来やがれ!!」


いかにもガラの悪い声が軽トラの運転席から聞こえて来た。

見ると、声の通りのチンピラ風の若い男が乗っていて―――


俺はその声に動じず、マイペースでゆっくりと車に近付く。


「おい!! 急げよ!!

 何モタモタしてやがるんだぁ、あぁ!?」


相変わらずクラクション混じりに怒鳴りつけてくるが……

俺は歩くペースを変えずにゆっくりと近付いていく。


やがてクラクションを鳴らす間隔が長くなり、怒鳴り声も止んで、

運転席側まで接近すると、


「……何だよ?」


あれだけわめいていた男はすっかり大人しくなり視線を泳がせる。


「おい、どうした?

 何か用があって呼んだんじゃねぇのか?」


「あ、い、いや―――

 ちょっと聞きたい事がありまして」


基本的に誰彼構わず怒鳴ったり喚いたりするバカは、相手を脅す……

いわばビビらせる事を前提としている。


そして相手がおびえたりしたら、さらに怒鳴って言う事を聞かせようとする。

大きな声で相手をひるませ、交渉を有利にするのを処世術と勘違いしている

典型的なバカだ。


そしてこの手のバカは、『相手がビビらなかったら?』という事を

想定していない。まあだからバカなんだろうけど。


「何で急に丁寧語ていねいごになるんだよ?

 お前、さっきは散々オッサンだの早く来いだの、ラフな言い方

 していなかったか?


 お前に合わせてやってんのに、何で言い方変えるんだよ。

 俺をからかってんのかテメェは?」


「あ、ああ、いや……ちょっと道に迷いましてですねっ。

 それで教えて頂きたくて」


無い頭を振り絞って、何とか言い訳を考えているんだろう。


「どうやったらこの辺で迷うんだよ? ここほぼ一本道だろうが。


 はー……いいからもう戻れ」


実際、俺の家の前には集落道が通っているだけで、ほぼ山のやまと

奥に行けば山しかない、そんな場所だ。


彼はすぐに車を発進させると、俺の視界から消え去っていった。


「まったくもう―――さて、もうひと眠りするとしよっか」


満浩は家の玄関に向かって歩き始めた。


少し離れた場所でその光景を、狐の群れが見ていた事に気付く事なく……


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