第22話 呪文

 随分と、年をとった。彼の背中を見てそう感じる。20年ばかり共に過ごしただけなのに……ザハリエは私の心のほとんどを占有してしまった。なのに、私を置いていくのだ、いつかは……。

 そう思うとやたらと悲しくなって、彼の心音を確かめに行ってしまう。まだちゃんとあの力強い音がしているか、弱まってはいないかと。その度に彼は作業の手を止めて、向き合ってくれる。私の考えはお見通しなようだった。

 彼は繰り返す。……いつもいつも、同じことを繰り返す。

「大丈夫、アレクセイ。大丈夫だよ」


 子供にでも言い聞かせるような、それでいて批判を含まないそれに、どれだけ救われるか。魔法の呪文のように、安堵が満ちていく。それでも終わりは見えていて、居なくなってはくれない。私の胸中は晴れないままだ。

 今夜はダメだった。呪文が効かないまま、彼の胸に身を投げ出している。彼は絹糸の髪を撫で、おもむろに口を開いた。

「今のわたしなら、薔薇の生気で生きていけると思うかい」

 逡巡する。私が吸血鬼になった時、愛は知らなかった。不確定なことを言うのは主義に反する。……でも。

「君が、私を心から愛してくれているなら……多分」

「なら、それもいいかもね」

 現代に生きている吸血鬼を、私は自分の他に知らない。だから、今の社会でどんな扱いを受けるのか分からないのだ。少なくとも人々の恐怖がないことなどあり得ない。それを思うと、胸が二つに裂ける気持ちだった。

「きみ、吸血鬼の友達はいるのかい」

 彼が尋ねる。私は首を振って否定した。

「それは……寂しいな」

 そう言うと抱きしめてくれる。厚みのある彼の身体の上で、目が溶けるほど泣いた。そこに雪のように降り積もる、静かな静かな声。

「大丈夫、アレクセイ。……大丈夫だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る