第19話 置き去り

 やってしまった……体調管理に抜かりはないつもりだったのに。わたしは今、寝室のベッドで天井を見上げている。昨日今日、やたら寒いと思っていたら、このザマである。気づいたきっかけがまた大変間抜けで、いつものように彼を持ち上げて立ち上が……ろうとして、無様に床へ尻餅をついたのだった。

 彼を取り落とすことはなかったのでいいのだが(彼は「全く良くない!」とおかんむりだ)、その際の手の温度、顔の赤みから熱があることが分かり、こうして療養に勤しむ羽目になってしまったというわけだ。

 とは言え、アレクセイにも出来ることはない。寝込む前にせめてこれだけ、と懇願して薔薇を切り、花瓶に生けた。自分の食事も保存食を食べれるだけ食べて、氷のうを用意して布団に入る。彼とアルネも寝室についてきた。吸血鬼は風邪を引かないそうだ。

「お眠り、私は静かにしてるから。氷のうが全部溶けたら起こしてあげよう」

 彼はよく言い聞かせるように言う。礼を言って、毛布をしっかりかぶった。食べて寝れば治る性質なので、それを粛々とやるしかない。しかしまぁ今日は、風の音がうるさい夜だ。胸のくさびが声を上げる……どうにもたまらず、昔話をしてしまう。


 まだ彼と出会う前、もっと幼い頃。上の兄弟と少し歳が離れているわたしは、どうにも兄弟たちから邪険にされていた。ある時、風の吹き荒ぶ夜だ。子供たちだけでこっそり出かけた帰り、兄弟たちがわたしを引き離し、街路へ置き去りにされたことを思い出す。その時も街は静かで、風の音だけが途方もなく大きかった。

 わたしは道で泣いていたのを発見され、大事には至らなかったがひどく叱責されたのを覚えている。

 そこまで話し終えると、彼がわたしの真横に飛んできて、頬を触れさせた。

「かわいそうに。心細かっただろう」

「そうだね。……今も、似たような気持ちなのかもしれない……」

 そう弱々しく答えてしまった。今まで自覚がなかったことに名前がつくと、人間は弱い。

「ちゃんとそばにいるさ。朝まででも、……いつまででも」

 優しさが、彼の温度と共に沁みてくる。彼は小さな声で、異国の子守唄を歌い出した。いつか一緒に観た映画のものだ。わたしより少し高い、優しい声。懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになる。そうして今度こそ、眠りの淵へ落ちていった。

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