第17話 額縁
暖炉の上の壁にある、そこそこ大きめの額縁。飾られているのは、学生の頃にわたしが描いた、庭の風景だ。
絵を描くのが昔から好きだった。親は特段いい顔こそしなかったものの、自分で貯めた金で画材を買う分には文句も言われなかったので、自室でコソコソと描いていたものだ。今となっては、研究資料として草花のスケッチをするのにだけ役立っている。
ある日そんな話をしたら、彼はこう言った。
「いいね、楽しみは多いに越したことはない。老後の趣味に再開したらいいじゃないか」
そうだね、なんて軽く流したけれども、昔のような情熱はもう持てないだろう。なんせ今のわたしには描きたいものがない。……はずだったのに。
今わたしは、髪を整えてすました顔をする彼と向き合って座っている。手元には、本棚から引っ張り出した大ぶりのスケッチブック。濃いめの鉛筆を操り、暖炉からの暖かい光に照らされた彼を描いていく。ご注文は『身体のある私を描いてほしい』。
幼少期の記憶を辿る。背は高かったけれど、しがみついたのが太もものあたりだったはずだ。だから今のわたしよりは背が低いかもしれない。長い外套越しだから細かい体型は分からなかったが、細身だった気がする。小さなピースを繋ぎ合わせ、彼を形作っていく。
「服はどうしたい?」
彼は考え込んでいる。時代に合わせて様々着てきたろうから、ゆっくりと待つ。先に背景を描こう。
「君の……この間の一張羅がいい」
なぜ照れているのか分からないが、ちょっと控えめな声で彼が指定したのはそれだった。クローゼットから出して、見ながら描いていく。
「資料のあるもので助かるよ」
「どういたしまして」
わたしが着る時よりは、ゆったりした着心地になるんだろうな。そう考えつつ、服のシワを足していく。下書きが出来たら、絵の具を水に溶いて塗っていく。絵の具も筆も、長いこと使っていてボロだがまだ働いてくれている。
格闘すること約3時間。簡素な塗りではあるが、出来上がった。乾くのを待つ間にそれぞれの食事と後片付けを済ませて、いざ、本人へ。
「すごい……私だ……!」
目をキラキラさせて喜ぶのを見て、悪い気持ちはしない。あまり絵を誰かに見せる機会がなかったので、どう反応するべきか分からなかった。
「ありがとう、上手く描けたなら、よかった……」
「この、いかにも君の服を借りて着ている感じ……なんて言ったらいいんだろう。……とても感慨深いよ、本当に一緒に暮らしてるんだという気がして」
彼はずっと、しみじみと眺めている。
わたしの死後、彼が誰かの手に渡ることがもしあるならば。この絵も一緒にがいいなと、ふと思った。わたしという爪痕を残したいのだろうか……。自分は存外、嫉妬深い男なのかもしれない。
暖炉の上にある額縁のサイズで描いた絵だ。ならば、飾るのが良いだろう。そう言って額縁を下ろし、埃を拭いて絵を入れ替える。彼はいいのかい、と言っていたけれど嬉しそうだった。同じ顔が片方はすまして、片方は満面の笑みで、向かい合っている。
なんだろうな、幸せだ。
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