第10話 来る

 もうじきに夜が来る。街から少し離れたこの家は、わたしの一族の持ち家だったが、場所が辺鄙なために放置されていた。学者として生計を立て始めたわたしが改修して住み始めたのが、三十代のこと。それからも来客など滅多にない……はずだったのだが。


 トントンと、控えめにドアを叩く音がする。わたしとアレクセイは顔を見合わせ、いっせいに物置へ向かった。とりあえず彼を隠さなければ。彼の特等席を物置(あれから暇な日に掃除を済ませた)の一画に置き、彼を安置する。彼は短く礼を言い、わたしを急かした。

「こんばんは……」

 ドアを開けると、立っていたのは一人の少年。膝を擦りむき、小枝や落ち葉があちこちについている。かわいそうな有り様だ。

「こんばんは坊や。どうしたのかね」

 そう答えると、その子は泣きそうな顔で声を震わせる。どうやら森で迷ったらしい。怪我の手当をしながら詳しく話を聴いていき、その子が出た街までは分かった。本人も街に戻れば家までは戻れると言っている。少しだけ休ませて、送っていくことにしよう。

 少年に温かいシチューとパンを与えると、元気よく食べ始めた。それを見届けつつ、外出の用意をする。

 家からその街までは五キロほど。子供の足でも一時間ほどで着く距離だ。あっという間に空になった器を見て、おかわりをよそって与える。またも勢いよく食べる彼を見て、若さというものを実感した。

 食事を終えて眠そうな少年をロッキングチェアに乗せ、休息を取らせる。ほんの数分で安らかな寝息を立てだした。その隙に、物置へ。アレクセイは暇そうに待っていた。

「どうだい、来訪者は」

「軽傷だし、元気もある。体力が回復したら送って行くよ」

 そう答えると、彼は難しい顔をした。

「夜遅いけれど大丈夫だろうか……名刺を持って行くといい、相手の親に怪しまれるといけない」

 わたしの肩にトン、ととまったのはアルネ。それを見て彼が思い出したように言った。

「そうだ、お嬢さんのリボンを拝借するといい。手首にでもつけておきなさい」

 不思議そうな顔をするわたしに、彼がウインクする。

「おまじないだよ」

 アルネの足からそっとリボンを取り外し、自分の手首……には長さが足りなかったので胸元のボタンに結んだ。そうしてそろそろと暖炉前に戻ると、少年はまだ熟睡している。もう少し寝かせておいてやろう。


 日の出前に、家を出た。たっぷり眠った少年は元気で、難なくついてくる。結局一時間程で目的の街へと着いた。少年の家まで着いて行き、簡易なドアをノックする。飛び出してきたのはパニック状態の女性、見たところ少年の母親のようだった。

「ニカ!ああ、どこへ行っていたの……!」

 少年を抱きしめて泣く母親をなだめつつ、名刺を渡して経緯を説明すると、何度も礼を言った。

「少々お待ちくださいね」

 そういうと彼女は階下に降りていく。ほどなくして、両手に抱えるほどの紙袋を持って戻ってきた。パンの香ばしい香りがする。

「うちはパン屋なんです、こんなものしかなくて……」

「いえいえ!こんなにいただくわけには」

 そう慌てて言うと、彼女はゆっくり首を振る。

「この子はうちの一人息子なんです。……ですから本当に、気になさらずお持ちください」

 そこまで言われたら、断るのも失礼にあたる。ありがたく頂戴して、また家路を急いだ。

 家に着くと、彼はまだ物置で大人しくしていた。抱え上げて暖炉の前に連れていく。彼がわたしの胸元のリボンを見て言った。

「やっぱり、持たせてよかった」

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