第2話 タイムリープ

 私は悠真がいる自宅マンションに戻るのが癪だったので、インターネットカフェで泊まることにした。明日は土曜日なので出勤の必要がない。好きな漫画を読んで、ストレス発散しよう。

「あ、この漫画」

 私が棚から手に取ったのは、昔流行ったタイムリープものの少女漫画だった。

「この主人公の心の機微が好きなんだよね」

 パラパラとページを捲った。この漫画はタイムリープが突発的に起こっているのだが、老婆からもらったタイムリープ本は自分で操作できると書かれている。

 私は、あてがわれたネカフェの個室に入ると、タイムリープ教本をビニール袋から出した。ビニール袋にはコンビニで買った化粧水などのお泊りセットが入っている。

「なになに。魔法陣は、紙でも土でも、どこでも書いてオーケーなのね」

 私は個室にあったメモ書きを張り合わせて、ボールペンで魔法陣を描いた。

「あ、でも、ろうそくはないわ」

 ネカフェなどの施設は原則禁煙だ。ろうそくなど使うものなら、煙感知器が反応することだろう。

「ボールペンや鉛筆を並べてみようか」

 私は魔法陣の四隅にペンを立てて並べた。

「あとは、血ね」

 私は自分の親指を噛み魔法陣に血を滴らせ、呪文を唱えた。十秒待ってみた。

「なーんて、そんなこと起こるわけないか」

 私は馬鹿馬鹿しくなって寝転がった時、変化が起きた。私の目の前が暗転し、何も感じられなくなったからだ。パニックになったが、声も出せない。


 ジイイイという音で闇が無くなった。

「おい。どうした?」

 目の前に悠真の顔があった。

「え?」

 私は驚いて後ずさった。何かが足にぶつかった。傘だ。周りを見渡すと、そこは見慣れた自宅の玄関だった。

 すぐに腕時計を確認する。時刻は19時10分を指していた。

「時間が……戻っている」

 私は金魚のように口をパクパクさせていた。

「なんだ? お腹減っているのか。口を動かして」

 悠真は愉快そうに笑った。この時間は私と喧嘩する前の彼だ。

「ねえ。悠馬」

「ん、なんだ?」

 そこで、ジジジジという音が響いた。暗転した。


「あれ」

 ネカフェに戻ってきていた。どういうことだろう。

「タイムリープは限定的……?」

 私は首を捻ったが、ある事に思い至った。

「そうか。蝋燭じゃないからだ」

 魔法陣の四隅に立っているペンを見つめた。


 宿泊は止め、すぐさまネカフェの料金を支払うと、私は自宅に戻った。悠真は不在だ。おそらく不倫相手のとこだろう。

 私はキッチンの下段収納を漁る。ろうそくを探した。

「あった」

 先月の誕生日に買ったケーキについてきたものだ。ファンシーな魔法陣になってしまうが致し方ない。

 さきほどと同じように魔法陣を描き、ろうそくを並べる。血を注いで呪文を唱えた。目の前が暗転した。


 ジイイイという音で場面が変わった。

「おい。どうしたんだ?」

 またしても目の前に悠真の顔があった。私は玄関にいた。腕時計を見ると19時12分だった。

「なんでもないよ」

 私は寝室に行き、スーツを脱いで着替えながら考える。彼と喧嘩をせず夜を過ごし、仲良く布団を共にすることは可能だろうか。

 着替えが終わってリビングに行くと、彼の脱いだ背広や靴下が床に無造作に置かれていた。またかと私は呆れた。脱いだものをハンガーに吊るすでも洗濯籠に入れることもせず、いつも私が片づけていた。

「あのね。悠真」

 私は発しかけた言葉を飲み込んだ。そういえば、私はイライラしながら強い言葉を使っていたはずだ。優しく言ってみよう。

「えっと、自分の着ていたものは、自分で片づけてくれない?」

「あ、気づいたのなら、君がやってくれない?」

 当然とばかりに悠真は言った。私を家政婦かなにかだと思っている態度が苛立ちを募らせる。

 一度深呼吸をし、言葉を必死に考える。

「悠真は仕事でも、書類とかを自分で片づけないの?」

 私が聞くと、彼は呆れた表情で、

「そんなわけないだろ。プライベートの時くらい、リラックスさせてくれ」

 と言った。

「疲れているのは私も一緒だよ。自分の服は、自分で片づけてくれると嬉しいな」

 私がぎこちない微笑を作ると、悠真は嘆息し、渋々と背広と靴下を手に取った。小学校か幼稚園の先生になった気分だ。それくらい、諭すのにパワーと精神力がいる。

 少しずつではあるが、彼を私の手で変えていけばいい。今からでも遅くない。


「夕食は何にする?」

 私が尋ねても、悠真はソファーで寝転がり、こちらを見ようとせず「ああ」と気のない返事をする。タイムリープ前に見た光景だ。

 同じことを繰り返さぬように、私は慎重に言動を選択した。

「ねえ。そのアプリ面白いの?」

 彼に近づき、スマートフォンを覗き込む。

「見るんじゃねえよ」

 素っ気ない態度だ。本当に夫を変えることはできるのだろうかと不安がよぎるが、私ならできると内心活を入れる。

「そんなこといわないで、見せてよ」

「お前、今日、なんか変だぞ」

 訝しげな目で見つめてきた。

「そう? でも、悠真に甘えたいのは事実かも」

 しおらしく腕をツンツンとしてみた。気持ち悪いと引かれるかと思ったが、

「なんだよそれ」

 意外にも抱き寄せてきた。

「ねえ。久しぶりに、しない?」

 私は目を潤ませ、聞いてみた。

「いや、やめとく」

 結局、引かれてしまった。


 その後、パスタを調理して夕食にしたが、喧嘩に発展することはなかった。理由はわからないが、私の言動の何かが功を奏したようだ。

 タイムリープしたまま、元の時間に戻ることはなかった。今日は色々とあって疲れてしまった。タイムリープの検証を色々としたかったが、明日に持ち越し、さっさと寝てしまうことにした。

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