浮気夫をタイムリープで調教します
むらた(獅堂平)
第1話 妖しい老婆
「おや。お嬢さん。何かお悩みかい?」
雨の中で泣き崩れている私に、紫の頭巾を目深に被った胡散臭い老婆が話しかけてきた。
「大丈夫です」
彼女は小柄で身綺麗にはしているが、宗教の勧誘と思い身構えた。
「いいから、話してみなさい」
老婆の目は力強く、人を説き伏せるような不思議な輝きがあった。
*
「また、お義母さんから、『子供はまだか』って言われたよ?」
私は悠真に詰め寄った。彼と結婚して三年経つが、いまだにご懐妊はない。
「あ、そう。適当に濁しといて」
リビングのソファーで横になっている夫は、こちらを一瞥もせず、熱心にスマートフォンを見ていた。子供ができない理由はわかっている。私たちは一年以上セックスレスだからだ。
彼にとって私は女ではなく、ただの同居人のようで、抱きついてくることもない。彼の下半身は不能ではなく、他の女に浮気するほど元気だ。出会い系アプリで連絡をとって、出張と偽って何度か若い女とデートしていることを私は知っている。
「しつこいから、何とかしてくれない? 最近、毎日のように」
と私が言った時、悠真は苛つきながらリビングのテーブルにスマートフォンを置いた。
「うるせえな。だったら、電話でなければいいだけだろ」
ゲームアプリが起動していた。そんなにも私との会話よりゲームが大事なのだろうか。
「そんなわけにはいかないでしょ。あなたのお母さんだから」
「適当でいいんだよ」
悠真のイライラは増していた。これ以上言っても無駄だと思い、私は黙った。
気分を切り替え、私は夕食の準備をすることにした。本来であれば週末なので外食ディナーでも行きたいところだが、最近の夫は私と出かけることも嫌がる傾向にある。それすらも束縛行為と思っているのだろう。
「何、食べたい?」
キッチンから私が聞くと、彼は「ああ。うん。なんでも」と意思がわからない返事をした。リビングのソファーから動こうともしない。今日の夕食も私だけで準備することになりそうだ。
「パスタにするね」
特に返答がないので、作り置きのミートソースでパスタを調理した。リビングのテーブルにパスタ、サラダの載った皿を並べ、
「ご飯できたよ」
悠真に声をかけると、「ああ」と言い、彼はテーブルの席に座ろうとした。
「なんだこれ?」
第一声がそれか。作ってくれてありがとうくらいは言えないのか。
「見ての通り、ミートソースのパスタ」
私が簡潔に言うと、彼は大きい嘆息をした。
「俺、疲れているから、もうちょっとマシな料理できないの?パスタにするにしても、カルボナーラとかさ」
その発言を聞いて、私は頭の血管が切れるような感覚があった。
「はあ? 私も働いていて、共働きなのに、なんでそこまで配慮しなくちゃいけないの? そもそも、『なんでも』っていったのは悠真でしょ!」
怒り心頭になった私を見て、夫は肩を竦めた。
「なんで、そんな些細なことでイライラしているんだ。俺が言ったのは提案だよ。提案」
さきほど、悠真もゲームしながらイライラしていたが、それはどうやら無かったことになっているようだ。
「だったら、家事も一緒にやろうよ。いつもソファーでゴロゴロしているじゃない」
私の反論も虚しく、
「俺は男だし、そもそもやり方がわからない」
と逃げの一手だ。
「やりたくないだけじゃない! そんなにもパスタが嫌なら、カップ麺でも食べていて」
「これだから女は……。すぐに感情的になるし」
思いやりの欠片もない発言に、私は泣きながら家をでた。
*
「なるほどねぇ」
老婆はしみじみと頷いた。私は何故か老婆と近くのカフェで雨宿りをして、事の経緯を話していた。
「そんな男とは別れちまいな」
彼女は屹然と言った。私は首を振り、
「まだ、好きだから……」
「でも、酷い状況じゃないか」
老婆はコーヒーを啜った。えぐみが強いらしく、カップを見ながら眉を顰めた。
「なんとか、仲直りとかできるかなって。付き合ってから、五年もなんとかできていたので」
「ふむ」
彼女は腕を組み、思案した。
「それならば」
老婆は自分の手持ちの緑色のバッグから小冊子を取り出した。宗教本かと私は訝った。
「これを試してみるといいよ」
「なんですか、これ?」
本の表紙には『タイムリープ教本』と書いてある。怪しさ満点だ。
「読んでみな」
老婆に促され、私は読み進めた。
内容は荒唐無稽だった。本によれば、直径20cmの魔法陣を描き、その周りに四本のろうそくを立て、魔法陣に血を注ぎながら「プッザイラ」と唱えるとタイムリープするということが書かれていた。
「えっと、これは何なんですか? どういうつもりでしょうか?」
私は恐る恐る尋ねた。
「タイムリープして、彼とやり直せばいいんじゃよ。ただし、注意してほしいのは、注ぐ血液の量でタイムリープする時間が変わる」
老婆は不敵に笑った。とても不気味に見えた。
「少量なら数時間、一年前に戻りたいなら一リットルくらいかの」
彼女はフォッフォッフォッとバルタン星人のような笑い声をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます