おはよう
ぴぴぴ。
小さい音でアラームが鳴る。
起きろ、起きろと小さくねだる
子供のようなスマホを止め、
昨晩用意していた荷物にそれを放る。
そして、もぞもぞと布団の中で動いては
動きたくないなんて思った。
それでも何とか這いずり出ては
すぐに着替えてコートまでも着る。
簡単に髪型を整えて、
もう1度持ち物を確認した。
貴重品に防寒グッズ、宝物、念の為手紙、
そして文字を連ねたノート。
寧々「いってきます。」
お母さんに気づかれないよう
音を立てないようにして鍵を開ける。
それでも気圧の変化で
音も空気感も変わってしまう。
お母さんはもしかしたら
気づいたかもしれない。
でも、起きたとしても
あわよくば二度寝してくれないかな。
一応ダイニングテーブルの上に
「出かけてくる」と付箋は貼ったけれど、
もしかしたら気づかないかもしれないから。
お母さんにはここ最近心配をかけてばかり。
きっと少なくとも1週間くらいは
お母さんも気が気でなかっただろう。
多分これで最後だから。
だから、わがままさせてほしい。
外に出て、あまりの寒さに声が出そうになるも
ぐっと堪えて鍵を閉める。
ほ、と息を吐く。
すると、真っ白で煙のような息が
ふわりと浮かび上がるのが
アパートの電球に照らされていった。
寧々「…さっむ……。」
まだ真っ暗な中、始発の電車に乗って
例の場所に行こうと計画立てたのだが、
それは間違いだったかもしれない。
太陽が昇る前は最も寒くなるのだから。
今やスマホの天気アプリは
0℃を示している。
でも、何となく朝の方がいいと思った。
何せ眺めのいい場所らしいから。
寧々「……ながめの丘…だっけ。」
スマホを取り出して確認する。
宝物は青色のビー玉と白い石。
そして思い出の場所はながめの丘。
それから篠田澪を助けるよう示す文字たち。
寧々「…行かなきゃ。」
私に関係ある人らしい。
大切な人らしい。
好きな人らしい。
が、残念なことに実感がまだない。
知らない人を助けに行くだけ、
それだけならやめたっていいんじゃないかと。
寒いからと言って
家に戻ったって怒られないような気すらした。
でも、何となくこのままじゃ
嫌だなと思ったのも事実。
真っ暗な中の電灯は
太陽の代わりとなって道を照らしていた。
こんな時間に出歩くのは
しばらくしていなかったからか、
心がざわついて仕方がない。
きっとお母さんに黙って
家を出てきているせいもあるだろう。
ちゃんと理由を言えば
それ相応に対応してくれただろうけど、
流石に始発は許してくれなかったと思う。
だから無言で出てきてよかったんだ。
そう何度も言い聞かせて
石の幾らか転がったコンクリートを踏み締めた。
始発電車は闇の中から
刹那全てを照らすかのような光を持って
目の前にまで滑り込んできた。
始発に乗る人は案外多く、
クリスマスなのに仕事なのだろうか
とも考えたりした。
私も然り、一体何をしている
人なのだろうと考えては
窓の外を眺む。
光の閉じた家々が流れる。
時折、窓が光っているのを確認する。
家屋の遠く遠く先が
仄かに明るくなっているような気がした。
乗り換えの時に寒くなるのが
容易に目に見えて、
荷物の中に放っていた
カイロを開けてポケットに突っ込む。
寧々「……さむ。」
電車の轟音にかき消されて、
私のか細い呟きは
閑散としていた車両には響かなかった。
電車からバスを乗り継いで
ながめの丘のあるらしい
七沢森林公園へと向かう。
その頃には7時も近くなり、
ほんのりと明るかったはずの空は
黒だけじゃなく
寝起きらしい曖昧な橙色を注ぎ、
ゆりかごの中で
混ぜられたような色をしていた。
が、空が見えたのも
七沢森林公園に着くまでで、
そこからはさすが森林の名前を持つ公園、
木々で空は覆い隠されていた。
寧々「…真っ暗。」
目が慣れてきたのもあり、
スマホの懐中電灯を使用せず
足を踏み入れていく。
目が慣れてきた以外にも、
何となく押しつぶされそうな感覚が過って
理由もなく手を開けておきたかった。
しゃくり、しゃく、じゃく。
私が歩くたびに
冬になり地面に落ちた葉が音をあげる。
乾燥した葉を踏み潰す感覚が
何だか嫌に脳内に響く。
落ち葉の形がなくなる音と
森林が囁くようなざわめきだけが
ここにあるような気がして、
一層1人が際立つ。
そのせいか怖くなってきて
体温が奪われているようにすら思った。
けど。
寧々「…ここを…こっち。」
始めてきたはずの場所は
何故だか来たことのあるように感じては
ふとマップを見ずに
公園内を歩いていることに気づく。
公園は随分と広く、
それで持って森のようになっているから、
始めてきたのであれば
マップは必須だろうに。
どうして、どの道を進めば
ながめの丘に辿り着けるか
理解しているんだろう?
寧々「……変なの。」
そう。
変だなって思ってた。
ここの道はわけもなく
寂しい道のような気がしていた。
見て一瞬、ここは1人で通ったなんて思った。
そもそも通ったことすらないはずなのに。
それでも、入って早々は悲しい記憶が。
でも、徐々にだけれど今は。
°°°°°
「ここやね。」
寧々「七沢森林公園?」
「そ。ここからちょっと坂上がったりするけどよか?」
寧々「はい。ついていきますよ。」
°°°°°
誰かもわからないはずの
あなたの声がする。
そんな気がする。
寧々「………寒い。」
頭の中が空のように混ざってゆく。
あれと、これと、それとといったように
空だったはずの買い物かごに
勝手に物を入れられているような感覚。
頭を抱えたくなる。
頭の骨を割って
そこに素手を差し込まれたような
頭痛さえも襲ってきた。
手足の先は悴んでいる。
カイロを持っても温まらない。
冬のせいだ。
冬のせいだ。
°°°°°
寧々「言ってあげてください。私とーは去年から仲良くして」
『その呼び方、今すぐに辞めんね。虫唾が走ると。』
---
寧々「ー!」
---
寧々「待って、ー!話したいことがあるんです。」
---
寧々「あのっ、私が何かしてしまったのならごめんなさい!」
°°°°°
それから確か、悠里さんから
いじめに遭ったり…
腕の…3つ願いを叶える腕の不可解を
どうにかして乗り越えたんだっけ。
自力で戻ってきたんだっけ。
それからしばらく何もなくて、
季節はあっという間に秋へと巡った。
°°°°°
寧々「それならどうして私は見えるんですか。先生にもクラスメイトにも見えなかったーーさんを、どうして私は見つけられるんですか。」
「…知らん。明日にはあんたの前からもおらんようになるっちゃない?」
寧々「縁起でもないことを言わないでください!」
「やかましいと。うちがあんたのこと嫌っとるって知っとるっちゃろ?これも優等生ぶるための算段っちゃろうね。」
寧々「違います。私はただ…」
「道具に使うんなら見える人にしとき。無駄やけん。」
°°°°°
寧々「いった…。」
思わずしゃがみ込む。
もう少しでながめの丘に着きそうなのに、
足が動くのをやめた。
近づいちゃいけない気がするのはそう。
確かにそう感じる。
間違いない…と思う。
でも。
°°°°°
「……馬鹿げたことやけど…いつからか、透明になりたいって…。」
寧々「…そう、ですか。」
「…。」
寧々「…どうして透明だったんですか。…死にたい、でもなく。」
「…。」
寧々「…。」
「…別に。」
寧々「…。」
「…何となくちゃうなーって思っただけ。」
---
寧々「変わったのは見た目だけ。」
「じゃああんたと仲良くしよったうちも、けったいなやつやったったいね。」
寧々「けったい?」
「変なやつってこと。」
寧々「ああ。いや、そうではなく。」
「じゃあ何なん。」
寧々「真面目で優しいってことです。」
°°°°°
突如として血流が異様なほど早く
流れていくような感覚に狼狽える。
どうしたらいいのかわからなくて
声を上げることで精一杯で。
寧々「ぅー…。」
鞄が肩からぽとりと地につく。
それすら気にしてる暇はない。
°°°°°
「どの行動も全部、真面目な優等生を演じるためのものやろ!」
寧々「そう見えますか。」
「そうじゃなくとも、どうせただの使命感でしようっちゃろ。」
寧々「…。」
「本当の理由…教えてや。納得いかん。たったそれだけでここまで…手やって震えとったのに、止めに入るわけがわからん。」
寧々「…そうですよ。」
「…。」
寧々「……ただの、使命感。そうです。ーーさんの言う通りです。」
「…っ。」
寧々「私はちゃんとしなきゃ駄目なんです。みんなの言う優等生にならなきゃ。だからさっきは止めました。」
「へぇ…優等生が手を挙げるなんてな。」
寧々「誰かさんが止めてくれて助かりました。おかげでまだ優等生できます。」
「…はは…しょうもな。」
寧々「ですよね。」
°°°°°
脳裏で浮かぶ映像全てに
あなたの姿がある。
全体的にもやがかっていて
あなたの顔も何もわからないけど、
1番早くに忘れると言われる声が、
あなたの声が頭に響く。
寧々「…ぅ……ぅー…。」
そうだ。
私、嘘をついたんだ。
嘘を吐く時は本当のことに混ぜ込むと
いいと聞いたことがあった。
だから計画的に嘘をついたつもりだった。
それが全部仇となったんだ。
嘘は見事なまでに
壊滅的になっていった。
それから。
°°°°°
寧々「そんな暗い顔しないでくださいよ。」
「しとらん。」
寧々「そういうことにしといてあげます。」
「あ?急にうざいな。」
寧々「ふふっ。」
°°°°°
確か心の穴をあなたに話した。
あなたなら大丈夫と思ったから。
それがいつしかきおくのあなになった。
°°°°°
「さっきも話の途中やったけど…もし耐性がつき切ったらどうするん。」
寧々「元に戻す方法を探します。」
「透明化し切ってしまったら?」
寧々「それでも探しますよ。」
「あんたの前からもおらんようなったらもう無理やろ。」
寧々「見つけるまで探します。」
「…ほんまようわからんやつやな。」
寧々「それは褒め言葉ですよね?」
「そういうことにしとっちゃるわ。」
寧々「あ、ずるい。私の真似しましたね?」
「ずるくなか。あ、そう言えば手紙持ってきたけんー」
寧々「もう、話をすり替えないでください!」
---
寧々「行きましょう?」
「ん。」
寧々「…ーーさん、ごめんなさい。」
「いいや、うちの方こそごめん。」
寧々「あはは…駄目ですね。落ち着いて対処しないと。」
「その顔寝不足っちゃろ。」
寧々「…バレました?」
「酷い顔しとうよ。」
寧々「そんなにですか?」
「真っ青真っ青。」
寧々「え、嘘。」
「嘘や。」
寧々「う…騙しましたね!」
---
「はぁ…?旅行するために調べてくれたっちゃろ?それに思い出作りしたいって思ったんは本心やし。」
寧々「そうですか…よかった。」
°°°°°
どうして忘れてたんだろう。
苦しいことも多かった。
それは否定しない。
だけど、楽しい話だって
たくさんあったじゃんか。
寧々「…っ…。」
秋の亡骸が蔓延る時期のこと。
いつしかあなたも秋と一緒に、
または冬の始まりと共に
姿を消してしまった。
あなたのなきがらすら
見つけられなくなった。
°°°°°
寧々「だから、消えないでください。」
「…。」
寧々「お願いです。」
「…気が向いたらな。」
寧々「絶対です。約束。」
「あんた約束好きやな。」
寧々「口約束でもしないよりかはマシなものですから。」
「どうせすぐ忘れるんに。」
寧々「そんなことありません!舐めないでくださいよ。」
°°°°°
そしてあなたは本当に
気まぐれにいなくなった。
気が向いたかのように。
諦めたかのように。
でも実際はきっと
何か大切なものを守るために。
あなたはそういう人だから。
°°°°°
寧々「それでもできると思いますか。」
「…さぁ。あんた次第やろうな。」
寧々「…そうですよね。」
「でも、あんたがそれを克服できるまで、素の吉永の方がいいとって言い続けることはできるけどな。」
寧々「…!」
---
寧々「……じゃあ、言い続けてください。」
「ん。」
寧々「何年後も。何十年経ってもずっと。」
「何十年経つまでには解決してて欲しいけどな。」
寧々「ふふっ…それはそうですね。」
「吉永は吉永やけん。」
寧々「うん。…ありがとうございます。少しずつ…ほんの少しずつだと思いますが、進んでみます。」
°°°°°
寧々「はっ…はっ…。」
何とか振り絞って
膝に力を入れる。
肩からずり落ちた鞄の紐を
肩に掛け直す。
それだけで重力が何倍にも
かかっているのかと思うほど
体の至る所に負担が
かかっているような気がする。
でも行かなきゃ。
引き返したいくらい怖かった。
今のこと、これまでのこと。
消えていく彼女と
忘れている事実、全部全部。
°°°°°
「冗談には見えん。けど、それは受け入れられん。」
寧々「…っ…そうしたくないのはわかります…だけど。」
「したくないからとか気持ち悪いからとかやなくって、吉永を傷つけることになるのが気に入らんと。」
寧々「そんなこと言ってられない状況ですよ。」
「落ち着いて聞いて。うちは確かにこの現象は治したい。けど、吉永を傷つけて成り立つものであるなら、うちはあんたを傷つけとる事実で自分が嫌いになると思う。」
寧々「…っ!」
°°°°°
大切な人なのに。
たいせつだったはずのひとになって、
全く知らない人になった。
もう怖いの。
忘れることも、思い出すことも。
忘れていたことを思い出すことが怖いの。
あなたも怖かったよね。
私の計り知れないほどに
怖い夜を過ごしたはず。
明日消えていたらどうしようって
思っていたはずだよ。
それでもあなたが普段通りいるから
てっきり大丈夫だと思っているか、
はたまた諦めているんじゃないかと思った。
そんなの見当違いも甚だしいよね。
怖くても、それ以上に
怯えて焦っている私がいたから、
落ち着かせようとしてたんだよね。
意識的にじゃなくとも、
無意識のうちに他人を優先させることが
できるあなただから。
寧々「…っ!」
名前。
記憶の中であなたは何度も
私のことを呼んでいる。
私だって呼びたい。
頭が軋むような頭痛がした。
もうやめて。
思い出すのが怖い。
でも、思い出さないのはもっと怖い。
°°°°°
寧々「みおちゃん!」
澪「…!ごめんなさぁぁい…!ぅ…ぇぅ…うあぁぁーっ…。」
寧々「うん、うん。いいよ。パパとママのところ行こう?」
澪「ぇぅ…うん…っ…。」
寧々「澪ちゃん隠れるの上手だね。」
澪「でも、でもっ…び、ぃ玉なくし、ちゃった。」
寧々「大丈夫。だいじょーぶ。」
澪「ごめんなさぁい…っ。」
寧々「じゃあすぐに戻ってまた探そっ。それで交換こしよう!」
澪「ぐずっ…んっ……ぅんっ…。」
---
澪「何ヶ月も何年も、あんたに冷たい態度とってごめん。」
寧々「謝罪は受け取りません。」
澪「この数週間も、めちゃくちゃ迷惑かけてごめん。」
寧々「受け取りませんってば!だからやめてくださいっ!」
澪「…ほんま、人の話を聞かんやっちゃな。」
寧々「絶対…嫌です。絶対方法はあります。まだ澪がこの世界に残る方法が絶対にあるんです。」
澪「だから、もうよかよ。」
---
澪「…ただの使命感でもいい。うちのことを気にかけてくれてありが」
°°°°°
ぽつぽつと鳴るピアノのような雨が
酷く冷たくて痛かった。
勝手に1人にしやがってって
今なら怒ってしまいそう。
力強く足を踏み出す。
ながめの丘まではあと少しだった。
寧々「馬鹿…馬鹿、馬鹿っ!」
そうだよ。
そうだった、何で忘れてたの。
篠田澪。
澪。
私の大切な人。
大切で、大好きで、忘れちゃいけない人。
もうよかって何度も言われた。
その最後のだけは
諦めや呆れじゃなくって、
私を許すかのような言いようで。
馬鹿。
澪の馬鹿。
勝手にいなくなるなんて酷い。
私の生活が1番?
元の生活に戻れるよう?
そんなの澪のエゴでしかない。
私はそんなこと望んではない。
澪がこの世界に存在し続けられるなら
何だってしたよ。
「透明になっても見つける」って言ったでしょ。
あれ、守るよ。
見つけるから。
でも、ごめんね。
ひとつだけまた嘘を重ねた。
「澪のことを裏切る意志なんてない」
なんて豪語しておきながら、
澪のことを忘れたんだ。
裏切った。
馬鹿だよね。
そう、私馬鹿なんだ。
だから私のこともたんと怒って。
それでまた仲直りしようよ。
ねえ。
寧々「澪……澪っ!」
ながめの丘には朝の朗らかな日差しが
差し込んでいた。
そういえば澪がいなくなったのも
朝だったっけ。
慌てて2つの宝物を手にする。
青色のビー玉が朝日を吸って
手に光を落とした。
白い石は相変わらず冷たくって、
でも光を浴びて綺麗に見えた。
寧々「お願いです…。」
もし澪を奪い去ったのが神様なら
私はきっとこれから
神様に反抗することになる。
でも、気まぐれでいい。
いいから、私の願いに耳を傾けてほしい。
寧々「お願いします…篠田澪を返してください…っ。」
お願い。
私を縛り付けた物。
ずっとこれに悩まされている気すらした。
このお願いが叶えば何だっていい。
いい。
お願い。
お願い。
お願い。
篠田澪を返して。
そう何度願っても
一向に澪の声はしない。
朝がどんどん明けてゆく。
それでも声がしない。
澪の声も香りも姿も顔も
記憶も名前だって思い出したんだよ。
このまま消えるなんて
その方が酷だよ。
ねえ。
寧々「………お願い…っ。」
篠田澪を返して。
…やっぱり気まぐれじゃ駄目。
絶対私の願いを聞いて。
お願い。
大切な人だから。
でも。
時間切れだよと言うかのように
澪の姿は見えなかった。
寧々「………っ。」
何分願っただろう、
それでも駄目で。
朝日が痛くなってきて
ようやく自分が指を組んで
祈るように願っていたことに気づいた。
ゆっくり目を開いて顔を上げる。
でも、そこには街が広がっているだけ。
寧々「……。」
もう駄目だったのかもしれない。
1度私は忘れてしまった。
澪のことを全部、
澪とのことも全部。
その時点でもう駄目だったのかも。
もっと後半に、倒れる前に
眠っていたら忘れずに済んだのかな。
少しだけでいいから
仮眠を挟んでいれば
もっと長く覚えていられたのかな。
でも眠るたびに
彼女のことを忘れるんだから、
うかうか眠っていられなかった。
…私のせいだ。
おまじないを奪ったあの時から
既に全て手遅れだったのかも。
寧々「……澪…みお…っ。」
いつから溢れていただろう、
頬を滴る雫に光がさす。
朝日だけがこちらを見てくる。
ずるい。
ずるい、ずるい。
澪も、全部。
寧々「みお……澪ぉっ…。」
歯を食いしばる。
泣いちゃ駄目と思ったから。
でも、とめどなく勝手に溢れてくるせいで
顔はとっくのとうにぐしゃぐしゃだった。
もうちょっと粘ってから
帰ろうと思った。
それと共にもう駄目なんだろうとも思った
その時だった。
肩をとんとんと叩かれる。
まずい、大声で人の名前を呼んでいたせいで
不審者だと思われたのかも。
そうじゃなくともこのあたりを
散歩していた人が
心配してくれて声をかけてくれたのかも。
こんなに泣いていたらもっと
迷惑をかけてしまう。
その一心で袖で拭って振り返る。
寧々「………すみません…邪魔で」
背後に立っていた人影は
私が振り返って
言い終える前に被さってきては
刹那驚きのあまり硬直してしまった。
視界の隅で
ゆるく巻いた髪が揺れた。
目を見開く。
何でだろ。
余計に涙が溢れてくる。
「振り返るまで黙って待ってようと思ったんやけど、流石に可哀想やって声かけたわ。」
ぎゅっと抱きしめられる。
ああ、覚えてる。
旅行に行った時だって
こういうふうに抱きしめてくれたこと。
すん、と鼻を啜る。
澪の優しい香りが鼻をくすぐる。
寧々「……っ!……澪…澪ぉっ…!」
澪「…うん。」
寧々「見つけた…馬鹿…馬鹿っ…馬鹿ぁ…っ。」
澪「ごめん。」
寧々「いいの、いいの…っ。ごめん……忘れてごめんなさいっ…。」
おろおろと背に手を回す。
すると、また少しだけ
力を込めてぎゅっとしてくれた。
辛かったの。
ずっと暗くて光のない道を歩いてたの。
深海で彷徨っていたの。
澪「ずっと見よったよ。全部見よった。」
寧々「ぐずっ……ぇ…全部…?」
澪「頑張ってくれたことも寧々の手紙も全部。」
寧々「……っ…私…わ、たし…っ。」
澪「うん。」
寧々「ずっと…ぇぅ…好きでっ…っ。」
澪「…うん。」
寧々「…ぅ…ごめんなさいっ…。」
澪「あははっ…何でそこで謝るん。」
寧々「だってぇっ…。」
澪「寧々、ありがとう。」
寧々「…っ。」
澪「全ての想いにすぐに応えることは難しいかもしれん。でも、寧々の気持ちに応えていきたい。」
寧々「もー……ぐずっ…澪の馬鹿ぁっ…。」
澪「はいはい。1人にしてごめんな。」
寧々「うぅっ…ずるいって…ぅー…。」
澪「あはは。あ、そうや。」
澪が私の肩の方へと頭を傾ける。
まるで甘えている子猫のようで。
澪「おはよ。」
寧々「…っ…お……はょ……ぅ…っ。…うわぁあぁあっ………っ…あぁぁぁぁっ…っ。」
朝日は徐々に昇っていた。
時間は止まってくれなかった。
なのに、澪の暖かさがいつまでも、
私が泣き止むまでずっと包んでくれた。
やっと。
手紙で何度も綴られた彼女の「おやすみ」は
これでやっと明けたのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます