あなたのなきがらはいつかのよるに

音がわんわんとうねる。

視界がぐらつく。

手首が痛い。

とっくのとうに右手は

腱鞘炎になっている。

字がぐしゃぐしゃになってもいいからと

左で書いていた時もあるけれど、

あまりに読み取れない形になっていた。

ひらがなで書いても読み取れず、

結局右手でペンを握っていた。


友達からは「今の寧々ちゃんはおかしいよ」と

「どうしちゃったの」とも言われた。

けど、今の私にはそれがノイズでしかなくて

「うるさい」としか言えなかった。

「邪魔しないで」とも言ったかもしれない。

その全てが過去のことすぎて

私の記憶に残っていない。

眠りたい。

眠たい。

でも、書くのをやめたらもう。

そんな強迫観念に襲われて

早何日だろう、経ている。

もういいんじゃないかって

何度も頭の中をよぎる。

でも、止めちゃだめだと思う方が強かった。


最近何を忘れたかさえも怪しい。

どうして友達とも敬語で

話してるんだっけとか。

お母さんってなんでこんなに

心配してるんだっけ、とか。

多分考えればわかることなんだけど

上手いこと頭は動いてくれない。


「あ、いたいた!」


想いに耽るのをやめ

はっとして顔を上げる。

あれ、今何時だっけ。

そんな事を思いながらその顔を見る。

見覚えはあるけど、名前が咄嗟に浮かばない。

ど忘れというやつだろう。

その忘れるという事象にすら

どきりと何か焦燥らしきものを感じる。


そこには私が見た時よりも

いくらか長くなった髪が見えた。


梨菜「やっほ、吉永さん。」


寧々「あぁ…えっと。」


梨菜「嶋原梨菜だよ、覚えてる?」


寧々「あ…はい。すみません、顔は覚えてて。」


梨菜「半年以上会ってないしわかる。そういう時たくさんあるよね。」


嶋原さんは私の席に近寄っては

ノートに何かを書いていたのを見やった。

それを見ては何かを察したのか

特に驚くこともなく

小さく微笑んだ。


梨菜「…少し別のところで話さない?」


寧々「……わかりました。授業は…」


梨菜「…?もう放課後だよ。」


言われてからようやく

ノートから目を離しては

周囲を見渡してみる。

すると、終業式から随分経ているのか

多くの人は既に帰っており、

受験勉強をしている人たちが

5人ほどいただけだった。


ぐらりと視界が揺らぐ。

このまま目を閉じたら

眠ってしまいそうだった。

でもうたた寝すらしてしまったらもう。


寧々「…わかりました。」


荷物をまとめるにも

何故か異様に時間がかかる。

手が進まない。

すべてのものが何倍も重い。

腕が強く下に引っ張られるような

違和感と徒労感が体を襲う。

耳の奥がうねっているかと思うほど

音が曲がって聞こえてくる。

あぁ。

何日間こうやって耐えているんだろう。

何日間か眠らなかったら

人は死ぬなんて話もあったような気がする。

気がするだけかなぁ。


嶋原さんについていく。

すると、どれだけ歩いたのだろう、

空き教室に連れて行かれた。

今日は午前で学校が終わったはず。

だからか部活動に勤しむ人が多いのだろう、

至る所で人の声がした。


梨菜「その…さっき名前書いてたじゃん?」


寧々「…はい。」


梨菜「その人、誰かわかる?」


寧々「……。」


梨菜「…そっか。」


寧々「嶋原さんは……どうなんですか。」


梨菜「私も覚えてはないんだけど…でも、ネットの人たちに何度も聞かれたの。篠田澪って人を覚えてるかって。」


寧々「…。」


梨菜「それからその人たちを通じて、吉永さんのことを気にかけてあげてって連絡が来たんだ。」


寧々「…。」


そうなんだ。

声にしたつもりが口すら開かない。


声を出すことすら億劫だった。

なんだかおかしかった。

体がここ数日ずっとついてきてないような。

逆に体だけが勝手に動いて

意識は遠く後ろに置いていっているような。


梨菜「…その…なんて言えばいいのかな。篠田さんって吉永さんにとって大切な人なの?」


寧々「……みたいです…。でも……もう…何も………覚えてなくって…。」


梨菜「…名前を書いてたのも覚えておくためだよね。」


寧々「…。」


梨菜「私が聞いた話ではね、篠田さんはちゃんと存在してた人なんだって。だから取り戻せるはずなの。」


寧々「…。」


梨菜「何か消えちゃった理由…思い当たらないかな。」


寧々「……手紙…。」


梨菜「手紙?」


寧々「…文通…してたみたいなんです…。その篠田澪って人と。」


梨菜「うん。それから?」


寧々「……多分…私が…。」


梨菜「うん。」


寧々「…。」


梨菜「ゆっくりでいいよ。」


寧々「すみません。…なんでしたっけ。」


梨菜「篠田さんが消えちゃった理由。」


寧々「…私が残したメモでは…日に日に透明になっていったみたいです。」


梨菜「透明に…?」


寧々「…はい。」


梨菜「行方不明でもなく透明…それが進行しちゃって…そのまま存在も…かな。」


寧々「でも…おまじないで保とうと…繋ぎ止めようとしてたみたい…で。」


梨菜「おまじない?あ、なんか流行ってたやつ?」


寧々「はい…10年間持っていると宝物を交換したもの同士結ばれるっていうのと…10年間持っていると2人を繋ぎ止めるっていう…私が聞いたことがあるのは2つで。」


梨菜「え、そんなんだったっけ。」


寧々「え……?」


梨菜「なんかね、私が聞いたのは2人の宝物を持って思い出の場所に行くと縁を繋ぐ…みたいなやつだったと思う。」


寧々「…宝物…思い出の場所?」


梨菜「そう。だからもし両方に思い当たるものがあるならやってみてもいいと思う。」


寧々「…?」


宝物。

…交換したらしいけど、

どれかまで書いてあったっけ。

あれ、旅行したってあったし

勉強会もしたらしいけど、

思い出って結局学校じゃないの?

所詮学校の中でのつながりだろうし。


どこに行けばいいんだろう。

というか、その篠田さんが戻ってきたとして

忘れたままだったら

私、なんでこんなことしてるんだろう。

大切だった人だからと言って

もう1度大切な人になるわけ

じゃないだろうから。


おまじない…まだあったんだ。

昨日の結華さんの話を聞いていてよかった。

どんな話をしたか

あんまり覚えてないな。

なんか心配そうだったっけ。


…。

嶋原さんはどうして

声をかけてくれたんだっけ。


…なんでだっけ。

そっか、今日は終業日で…。


梨菜「何かあったら話なら聞けるから、いつでも言っー」


そっか。

誰かを取り返すためにー。


刹那周囲の音が一瞬で遮断され、

目が機能しなくなっては

ブラックアウトした。

遠のく何かを手を伸ばしたかった。

多分頑張った。

頑張って来れた。

はず。

はずなんだ。

だからかな。

頑張りすぎたのかな。





***





ゆっくりと目を開く。

すると、天井が目に入る。

見知らぬ天井というやつかもしれない。


あったかい。

布団で包まれているみたい。

記憶にない香りが鼻をくすぐる。

医薬品っぽい、それでもってなんだか

新居というか体育館というか。


「吉永さんっ!」


名前を呼ばれてゆっくりと振り返る。

すると、そこには変わらず

嶋原さんがいた。

周囲が白い、やけに白い。

布団もカーテンも何もかも。


梨菜「大丈夫…?」


寧々「えっと…何が起こって…?」


梨菜「吉永さん倒れちゃったの。幸い強くぶつけたとかはなさそうで…それで保健室に。」


あ、そうだったんだと思うと同時に

何の話をしていたのかよく

思い出せないことに気がつく。


梨菜「先生が言うには睡眠不足だろうって。あと最近栄養があるものを食べてないんじゃないかって言ってたよ。」


寧々「…そうだったかもしれません。」


梨菜「…さっきも見たけどやっぱりノートをずっと書いてたからじゃ…。」


寧々「…ノート?」


梨菜「うん。ほら、さっきまで書いてた…」


寧々「えっと…授業か何かのですか?」


梨菜「え…?」


きょとんとした嶋原さんは

「ごめんね」とひと言断りを入れては

近くに置いてあった私の鞄を漁った。

そしてノートを1冊引っ張りだしては

それを開いてみせた。


そこには夥しい数の同じ文字。

恐怖すら覚えるそれは

狂っているとしか言いようがない。


篠田澪。

篠田澪。

篠田澪と、何百何千回も。


寧々「これを…私が?」


梨菜「うん。覚えてない?」


寧々「はい。でも…手首が痛いので…もしかしたらそうかもしれません。」


梨菜「そっか。」


寧々「それで…ここに書いてある篠田澪って人…誰かわかりますか。」


梨菜「…ううん、私もわからなくて。」


寧々「そうですか…。」


梨菜「さっき話したこと、もう1度伝えておくね。起きたばかりなのにごめんね。」


寧々「いえ、ありがとうございます。」


それから嶋原さんがいろいろと伝えてくれた。

おまじないの話があったけれど、

他はあまり記憶にないことばかり。


何せ私たちはお互いに

知らない人について話しているのだから。


このノートに数多書かれた

篠田澪という文字。

誰かなのだろうけど

結局誰なのだろう。


記憶が抜け落ちたことにも気づけず

今日はきっと終わってゆく。


そしたら。


寧々「…?」


何もない朝が来るだけ。

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