おもかげ

明日からのテスト期間のために

勉強するべく机に向かう。

家の中でシャーペンの芯が削れる音と、

隣の部屋から微かに聞こえるテレビの音。

それからお昼の時間だからか

お母さんが料理をする音。

普通の家庭を実感しつつも、

どこか普通じゃない。


学校じゃなくとも

澪のことが思い浮かぶ。

澪がいない。

彼女の宝物を手にしても

澪が戻ってくることはなかった。

考えられる望みはこれだけしかないのに。

お姉さんに何度も頼み込んで

やっとのことで渡してもらえたのに。

それでも澪は戻ってこない。


1人で勉強するのは

いつからか当然のことに

なっていたはずなのに、

澪との勉強会のことを思っては

心が苦しくなる。

雑談をしながら勉強をしたことも

話さずに集中して勉強した時も

全部全部が思い出なのに。


それでも。


寧々「…。」


2度目に澪の家に行った時には

声を忘れていた。

その翌日、澪の宝物を

手に入れた時には香りを。

きっと私は今でも忘れていっている。

今…一体何を思い出せないのだろう。

…旅行の時のことは思い出せる、

どこにいったか、どんな話をしたかだって。

…でも。


違和感という腫瘍は

どんどんと大きくなるばかり。


寧々「……あ…れ。」


澪ってどんな顔で笑っていたっけ。

どんな顔で話していたっけ。

どんなふうな風貌だったっけ。


寧々「…っ!」


気づけば私は顔も姿すらも

何ひとつ思い出せない。

頑張って記憶の底を、

脳の隅までもを探しても

何ひとつ引っかからないのだ。

私は一体誰と過ごしていたのかすら

…否、過ごしていたことすら

忘れてしまうのだろうか。


嫌だ。

絶対嫌だ。

どれだけこの忘却の事実が押し寄せてきても

諦めちゃいけない。

諦めたら本当に

澪は存在しないことになってしまう。

この世の中の多くの人は

既に澪はいなかったように認知している。

…。

私はそうはなりたくない。

それとも、私は既に

誰かを忘れているのだろうか。


寧々「…っ。」


苦しくないながら手を動かす。

今回のテストが高校生活最後の試験。

これを頑張って年末を迎えると

もう学校に行くのはあと2,3回だけ。

卒業にありつくためにも

苦手な世界史にも手をつけなきゃいけず、

頭に入っているのかもわからないながら

手を動かして暗記する。

でも頭はここに向けられておらず

澪のことばかり考えている。


でもたとえ覚えようとしていなくても

文字を書き続けると

段々と覚えてゆくから。

覚えて。


寧々「……そうだ。」


はっと思い立っては

近くにあった裏紙に

顔を近づけたまま文字を綴る。


私はきっとこのまま過ごすだけだと

本当に澪のことを全て忘れてしまう。

ならば忘れる前に

少しでも澪の情報を書き留めておくべきだ。

どうして今まで思いつかなかったんだろう。

いくつかの情報は忘れてしまったけれど、

年齢や学年、住所、好きなもの、

そして名前を書き連ねる。

それから手紙の内容を元に

私たちが2ヶ月間の間に

何をしたかまで具に記す。


初めはいつだったか、

先生が澪のことを呼んでいたと

伝えたあたりだろうか。

体育の授業で点呼をしている時に飛ばされたり

先生の視界に入っていなさそうな挙動だった。

澪が教室内で大声をあげて

ようやく気づいてもらえるようになってから

本格的にこれはおかしいと思うようになった。

だって普通じゃありえないから。

それからノートが返却される時、

彼女の分は返ってこなくて。

でもその時、澪は私のことを頼ってくれた。

ノートをとってきてほしいと。

それだけで嬉しくって

飛び上がりそうになった。

まさか本当に任せてもらえるなんて

思っても見なかった。

その日のことだよね。

私に触れると澪は他の人に

見えるようになるって知ったのは。


それから澪が「透明になりたい」と

思っていたことを知った。

衝撃的だった。

知らなかった。

もっと早くに気づいていれば

彼女がそう思うことも

なかったのかもしれないなんて

自分を責めた日もあった。

けれど、私に言えることは少なく

「戦ってきたあなたを少し手伝いたい」

なんて理由づけをした。

それはそれで本心だったけれど、

純度が100%かと問われると

そうでもないだろう。


話し合って文通をしないかと

半ば無理に推し進めた。

けれど、澪は割と

どうでもいいと思っていたのか、

思いの外流されるように

文通をすることが決まった。

便箋を買った翌日、

里方鈴香さんを含む数人が

澪の悪い噂をしていて、

止めに入った所結局

彼女の耳に届いてしまった。

そこで咄嗟に「ただの使命感だ」と

認めてから、彼女との距離感は

どんどんと近くなっていったような気がする。


喧嘩紛いなことをしたり

仲直りしてはお互いの過去や

傷に思ってることを話した。

その後おまじないに頼ることになって

お互いの宝物を交換して。

…実際は私が宝物を

返しただけになっていたけれど。

時折また空気は険悪になりながらも

たくさん話して和解して

お互いを知っていった。

そして旅行に行って、

長いこと2人で過ごした。

その頃にはもう触れたとしても

1日以上保つことができず、

思っている以上に

透明化は進んでいて、

学校に行っても2人でサボっては

またずっと一緒にいることが多かった。

そしてその週末には遂に

澪は姿を消し、学校にもこなくなった。

最後、何回も口にしていた

「もうよかよ」って言葉を1番優しく吐いて、

それからー。


そんなに長く尊い時間を過ごした

大切な人の顔が、姿がもうわからない。

篠田澪という人と過ごした。

それだけしか…。


書き留めたはいいものの、

この記憶ももしかしたら

忘れてしまう時が来るのだろうか。

もしかしたら明日にも…。


寧々「…っ。」


嫌だ。

覚えていたい。

その一心で頭を巡らす。


この記憶を覚えておくには。

覚え続けるためにはどうすれば。


…そういえば覚え続けることは

ある意味勉強も一緒じゃないか。

そう思えば、もしかしたら。


記憶を書き留めた紙に付箋を貼る。

そして。


『もし記憶が無くなったら

名前をずっと書き続けること。

篠田澪は私にとって

1番大切な人だから』


と書き加えておく。

からん。

無意識のうちに力が抜け

シャーペンが無惨に転がる。


視界の隅には青色のビー玉と

白い石が並んで佇んでいた。

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