遠のく

寧々「…。」


先生「なので、みなさん体調には気をつけるように。」


授業が始まって早々

お子さんのいる先生が

インフルエンザが流行ってるだの

娘が咳をしてただの

雑談が繰り広げられる。

受験期が近くなると

どうしてもまとめの授業や

自習時間が多くなってくる。

来週の頭にはテストがあるからか

既に内職と呼ばれる

自習をしている人が多かった。

その中で私のノートには

澪を助けるために

何ができるのだろうかと

思案している跡ばかり。


まず、何かが原因でいつからか、

私が視認する限り

11月あたりから透明化が始まった。

私だけは彼女のことが見え続けて、

触れると澪は他人にも見えるようになった。

おまじない…私の知っているのはふたつ。

10年間持っていると

宝物を交換したもの同士

結ばれるというものと、

宝物を10年間持っていると

2人を繋ぎ止めるというもの。


おまじないは途中成立しなくなったけれど、

それを持つことで

澪は存在し続けていた。

今思えば、あれはおまじないが

叶っていたわけではなく、

あの石そのものに

私の力が込められていただけなのだと思う。

だからおまじない関係なしに

私が長いこと手に持っているもの

…それこそシャーペンでも

同じような効果に

なったんじゃないかなんて妄想する。

今のなっては試し用がないけれど。


そして案の定恐れていた

耐性が徐々についてしまい、

私に触れても彼女はどんどんと

見えなくなっていった。

最後には姿をくらませ、

私から距離をとって

そのまま消えてしまった。

今となっては私以外

澪を覚えている人はいない。

私が忘れてしまったら

澪はそれこそいないも同義になってしまう。


寧々「…。」


先生が雑談を終え、

テスト前の重要な点を説明し出した。

それでもなお私の頭のリソースは

授業に割かれることはなかった。


放課後、鞄に教科書を詰める動作ですら

体が重くて仕方がない。

嫌になる。

どうしてこんなことを

している暇があるんだろう

なんて思ってしまう。

こんなことをしてる場合じゃないのに。

一刻も早く澪を助けないといけないのに。


そう思いながらも学校に

きちんと通い続けているのは

澪の言葉のおかげだ。

…いや、ある意味澪のせいと言えるのかも。

もし彼女がいなければ

1年生の時同様

学校に行っていなかっただろうから。


廊下に出ると、

ほんの少しの暖房の恩恵を受ける。

それでも手も足もどんどんと冷えてゆく。

寄り道をすることもなく

すぐさま学校を出ようとした時だった。


靴箱につく直前、

ふと見かけたことのある影に

足が止まってしまった。

無意識のうちに影を捉えてから

じっと見つめてしまう。

その私の異様さに気づいたのか、

その人と目があった。


結華「あ、吉永さんじゃないですか。」


悠里「こんにちはー。」


寧々「…久しぶりですね。」


悠里「あ…そうでしたっけ。」


結華「さあ。夏以降会ってなかったら初めましてじゃない?」


悠里「そうかも。」


寧々「悠里さんに結華さん…。」


2人は今では仲良くしているのか

一緒に歩いているようだった。

こう2人が並んでみると

ほぼ同じ顔をしていて見分けがつかない。

髪型が違っていてよかった。

それがなきゃ本当に

わからなかっただろう。


悠里さんには苦い思い出はあるものの、

本人が忘れているのであれば

あえて突っ込む必要もない。

ぐ、と言葉を飲み込んだ。


寧々「何をされていたんですか?」


結華「部室の鍵をとりにきていただけです。」


寧々「あぁ…。」


悠里「最近頑張ってるんですよ。特に結華がもうすごくて。」


結華「私の話はいいから。」


寧々「あの…つかぬことをお聞きするんですが、篠田澪って人を覚えていませんか。」


悠里「あ…それ、他の誰かにも聞かれたかも?ネットの人だっけ。」


結華「知りませんが…。」


寧々「…っ。」


やっぱり。

わかってはいたけれど、

こうも現実として目の前で広がる架空は

息が苦しくなる。

2人だって関わりはあったはずなのに。

それこそ夏休みの時の話を聞いた限り

澪のことを気にかけて

助けてくれたはずの2人なのに。


寧々「夏休み…お盆の時は何をしていたんですか。」


悠里「え?なんでですか…急に…」


結華「悠里が退院したてでして。一緒に入院分の勉強をしたり出かけたりはしましたね。」


寧々「その…出かける時にもう1人いたとか…。」


結華「…?何を言っているのか分かりませんが2人で行きました。」


寧々「…。」


結華「その人を探してるんですか?」


寧々「…そう、ですね。」


悠里「じゃあえっと…お手伝いできることってありますか…?」


寧々「ないと思います。」


結華「…そうですか。」


寧々「すみません…。」


本当は謝ることじゃないと思った。

忘れているあなたの方がおかしいのだから。

それでも、ここまでみんなが忘れていると

覚えている私の方が

おかしいんじゃないかなんて

思ってしまいそうになる。

どれが嘘だったのか。

どれが現実だったのか

境目がどんどんなくなってゆく。


結華「分かりました。じゃあまた何かあれば言ってください。」


悠里「お手伝いしますから!」


寧々「……ありがとうございます。」


ひと言短く礼を言い、

俯いて背を丸めて

逃げるようにして学校から飛び出した。

澪のことを忘れている人たちと

長い間一緒にいると

私まで忘れてしまいそうな気すらした。

そんなはずないのに

あの空間にいるのが嫌だった。


どうにかしてこの頭の中に詰まった

煙の塊を取り除きたくて

気づけばまた澪の家に向かっていた。

どうしてもあの宝物がないと

進めないような気がしてしまって。

どうせまたエントランスで

弾かれるだろうことはわかっているのに、

それでもここにきてしまうなんて

もはや病気なのだろう。

…ある意味恋は病だなんて言うけれど

あながち間違っていないよう。


寧々「お願い…。」


5月の頃から何度か口にしていた言葉。

それで叶ってしまった3つの願い。

…あれ。

あの時って結局どうやって

終わりを迎えたのだっけ。

昨日か一昨日にも

こんなことを考えた気がする。

そんな場合じゃないと

自分に喝を入れるようにして頬を1度叩く。

そして静かになったエントランスで

嫌に響くインターホンを鳴らした。


何度か鳴る機械音が

頭の中で何度も反芻する。

昨日も一昨日もここにきては

お姉さんに嫌そうな顔をされた。

でも。





°°°°°





『…吉永さんが嘘を言っていないのだろうとは思います…がどうしても信じられないんです。ごめんなさい。』


寧々「…。」





°°°°°





あの言葉を信じたくて来てしまった。

もし本当に嘘を言っていないと

思ってくれているのであれば

どうにかなるんじゃないかって。


長々と待つのも、

3回目となればもう相手方も呆れるだろう。

ここに来たのだって

執念のような何かに

突き動かされただけだから。

そう言い聞かせては

早々に区切りをつけて

帰ろうと思った時だった。


『はい。』


寧々「…!すみません、何度も来てしまって。」


口から適当ともいえる謝罪の言葉が漏れる。

「いいえ、大丈夫です」と答える

電話越しの声はいつも以上に

沈んで聞こえた。


そりゃあ呆れるし怒るに違いない。

訳のわからないことを言われる上

毎日やってこられるのだ。

いないはずの家族のことを話されたって

普通は信用ならない。

都市伝説や怪談の類と

取られたっておかしくない。

その後に何かしらで理由をつけて

高額な請求をされるかもなんて

私だったら思うだろう。


『今日も…いつもの用件ですか。』


寧々「はい。5分…いや、1分でいいので澪のものを探させてくれませんか。」


『…。』


寧々「どうしても必要なんです。澪を助けたくて…お願いします。」


『昨日、親に聞いてみたんです。私に生き別れの妹がいるのかどうか。』


寧々「…!どうでしたか。」


『やっぱりそんな人はいないって。』


寧々「……っ…そうですか。」


『それでね、私の家にその澪って人の物なんてあるのかなと思って、今度は家を探してみた。』


寧々「…ありましたか。」


『……どれがどれだかわからない。私にとっては全部見たことのある物だから…けど、もしかしたら吉永さんにはわかるのかもしれないって思ったの。』


寧々「…?」


『…昨日から何度も考えてみたんです。でも…何度考えても吉永さんが嘘をついているように思えなかった。』


親からも澪の存在が

忘れ去られていた。

きっと本当に私しか覚えていないのだろう。

その重圧と現実に言葉が出ず

俯きかけたその時。

オートロックが開く音がした。


寧々「えっ…?」


『…どうぞ、探してください。』


寧々「…い、いいんですか…?」


『はい。』


寧々「ぁ……ありがとうございますっ…。」


それを最後にぷつりと音が切れる。

扉が閉まる前に急いで

エントランスを潜り抜け、

澪の家の前にまでやってくる。

どうして…どうして入れてくれたのだろう。

どうしてこうしようと

思ってくれたのだろう。

ぐるぐると回る頭をよそに

手は勝手にインターホンを鳴らし、

間も無くしてかちりと目の前の扉が開いた。


雫「お待たせしました。」


寧々「いえ…。」


雫「どうぞこちらに。」


お姉さんに促されるまま家の中に入る。

すると、人の家特有の香りが広がった。


寧々「…?」


一昨日も彼女の家に行っては

多少鼻に届いたはずなのに、

どうにもピンとこない。

まるでタクシーに乗った時や

修学旅行のホテルの一室に入った時のように、

はたまた電車ですれ違った

見知らぬ人の香水のような

普段香るものではないなと

思うくらいでしかなかった。

ああ、あるよね、この匂い程度。


鼻は記憶力に優れているなんて聞いていたが

そもそも近づいた回数は少なかった。

唯一思い出せるのは

旅行の時の朝くらい。

だから覚えていなかった

だけなのかもしれない。


お姉さんについていくと

綺麗にされているリビングに通された。

リビングとふたつ部屋がある感じのようで

私の家と構造が似ているように見えた。


雫「こっちは私の部屋で、こっちは物置として使っている部屋です。」


寧々「…なるほど。どちらも見ていいんですか。」


雫「物置は綺麗にしていないのであまり気は進みませんがいいですよ。」


寧々「ありがとうございます。」


ふたつ部屋があって2人暮らしで。

そう考えると、お姉さんの部屋と違う

もうひとつの物置は

澪の部屋だった可能性が高い。

そう思って、気は進まないと

言われていたのにも関わらず

迷わず物置の扉を開いた。

その瞬間、何故か目を見開いては

涙が溢れそうになった。


寧々「…っ!」


部屋があった。

ベッドがあって、学習机があって。

制服がかけられていて、

旅行の時に使っていた

リュックが転がっていた。

全部全部、きっと澪のものだ。

残っていた。

全部残ってた。

思わず口元を手で隠す。

どう感情を表せばいいのかわからなかった。


寧々「…っ……。」


雫「私が小さい頃使ってたものなんですけど、邪魔になっちゃって。そのまま全部物置にしたんです。」


寧々「……っ…でも…。じゃあなんで…。」


雫「…?」


寧々「お姉さんの部屋にも学習机はあるんですか。」


雫「え?はい、ありますよ。」


きっと元々は澪のものだ。

それなのに、お姉さんからすれば

これは自分のものらしい。

記憶が既に入れ替わっているようで、

私が手出しできるようなものなのかと

恐れる気持ちが僅かに霞む。


寧々「じゃあどうしてここにもうひとつあるんですか。」


雫「小さい頃従姉妹からもらったんです。でも、たまたまおばあちゃんにも買ってもらっちゃって、ふたつになったんですよ。」


寧々「…。」


雫「…吉永さんからすると、この机も澪さんって人の物なんですか?」


寧々「…はい、おそらく。」


雫「そう…。」


寧々「…どうしてふたつある物を捨てなかったんですか。」


雫「…え?」


寧々「いらないなら捨てればよかったじゃないですか。場所をとりますし、使っていないなら…。」


雫「確かにそうかも。でも、何となく捨てる気にならなかったんです。」


寧々「…。」


雫「今、捨ててなくてよかったって思えました。」


お姉さんは困ったように笑って

少しだけ肩をすくめた。

今、私はどんな顔をしているのだろう。

くしゃくしゃになってるであろうまま

澪の机を見た。

机の上にはこれまで私が渡した手紙が

綺麗に重ねられたまま残っていた。

変に折れ曲がっているものもなく、

大切にとってくれていたことがわかる。


机の上にある小さな3段の木箱、

そのうちの1番下の引き出し。

そこに。


寧々「…っ!」


机の引き出しからそれを取り出す。

手のひらで転がすと、

部屋の光を吸って反射した。

そこにはひとつのビー玉が

可愛げのある形のまま残っていた。

青色のビー玉だった。

部分的に濁っているようなところもある。

そして見覚えのある便箋がひとつ。

お姉さんがきっとこちらを

見ているはずなのに

断りを入れず手紙を開く。



『吉永へ


続け様にごめん。

本当に消えてしまうかもしれん。

さっき姉の肩を叩こうとしたら

一瞬すり抜けたような気がしたんよ。

怖くてもう1回はしてなくて

確認しとらんのやけど、

もし、ほんとに、本当やったらどうしよう。

もう誰にも声が届かん。

長くないんかも、消えるんかな。


文字にしとったら少し落ち着いてきた。

1時間くらい空けたかも。

この前いっとった吉永の推測、

もしかしたらあっとうかもしれん。

薬みたいな、使うほど耐性がつくってやつ。

触れられて他人に認知される時間が

だんだんと短くなっとるんよ。

初めは2週間くらい、

触れて次は1週間、5日って。

今度は2日。


怖い』



寧々「…澪……っ。」


これがいつ書かれたものなのかわからない。

旅行後ではなさそうだけれど、

実際はどうなのだろう。

怖いって本人の口から聞いたことがなかった。

飄々としている姿しか見たことがなかった。

まるで何があっても

受け入れてしまうような態度が

少しばかり怖いと思う時もあった。

でも、違った。

ちゃんと怖いと思っていて、

でもそれを他人に見せていないだけだった。

こう思っていたなら

私に言ってくれたらよかったのに。

怖いって、そのひと言が聞けたらよかったのに。


雫「…ありましたか?」


寧々「……はい。このふたつを持ち帰ってもいいですか。また時が来たら返しますから。」


雫「ええ、もちろん。…そっか、こんなものとってあったっけ。」


寧々「覚えてるんですか?」


雫「ううん、全く。多分小さい頃に取っておいたんだろうけど、歳を取ったら忘れちゃいますね。」


寧々「この手紙も…?」


雫「はい。自分で書いてないだろうなとは思います。手紙で書くより電話する方が楽でしたし、貰い物なのかなって。」


寧々「…分かりました。ではそろそろ失礼します。」


雫「探すのはここだけでいいんですか?」


寧々「はい。…これのために来ただけですから。」


そう言って青色のビー玉と手紙を見せる。

お姉さんはあまり納得がいっていないのか

不思議そうな顔をしながらも、

「わかりました」と言っては

玄関まで送り届けてくれた。

外に出ては早々頭を深く下げる。


寧々「本当にありがとうございました。」


雫「いいえ、ほぼ何もしてませんし。」


寧々「だって私、側から見たら怪しいじゃないですか。」


雫「あはは…自覚はあったんですね。」


寧々「そりゃあ…。」


雫「むしろこのくらいしか力になれずすみません。」


寧々「…とんでもないです。」


雫「その大切な友達を助けられますよう願ってます。」


寧々「……ありがとうございます…っ。」


澪があれほど優しいのだ。

姉を尊敬して、と言って。

だからだろうか。

お姉さんの優しさに

どこか澪の面影を見た。


感謝してもしきれない。

けれど、ぐずぐずとしてしまっても

仕方がないと思い、

区切りをつけて澪の家から離れる。

そして、エントランスを抜けて早々

手に持ったふたつの澪のかけらを、

宝物を握りしめる。

どうか澪が帰ってくるようにって。


それでも風は吹いてこない。

澪の声も聞こえない。

何かが変わったのだろうか。

変わっていてほしい。

そう願うしかなかった。

また私は願うことしかできなかった。


明日になって

現実が変わっていますようにって。

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