嘘は壊滅的に


天気ばかりはいい12月の半ばすら

あっという間に過ぎ去ろうとしていた。

ぽっかり空いた澪の席。

誰も何も疑問に思うことはないらしく

今日もそのまま朝のホームルームが始まる。


寧々「…。」


昨日だって今日だって

澪はいないのに新しい日がやってきた。

時間はどんどんと進んでいるのに

何故か誰1人として澪のことを覚えていない。


いや、知らないのだ。

そんな人はもともといなかったと

言わんばかりに知らん顔をして

皆過ごしている。

澪が「いい先生だよ」と言った

担任ですら何も気にかけなかった。


それもそのはず。

篠田澪はほぼ全ての人の記憶から

消え去ってしまったのだから。


寧々「…。」


なんとなくペンを回してみる。

やったこともないので

当然のように机に落ちる。

からん、と大きな音を立てた。

それでも先生は何事もないように

伝達事項を口にし続けていた。

その言葉は何ひとつとして

頭の中へと入り込まず、

脳内では別のことが

ぐるぐると渦巻いていた。


一昨日、澪が消えてから

1度学校に向かった。

何気ないいつも通りのはずの日常が

皆の目には広がっている。

それが不思議でならなかった。

それが嘘のようでならなかった。


昨日のことも思い出してみる。

それでも苦い記憶しか蘇らない。





°°°°°





Twitterでは、澪を取り戻すためには

澪の本当の宝物を手にすれば

いいんじゃないかといくつも声をもらった。

それも、詳細な場所まで。

机の上にある小さな3段の木箱、

そのうちの1番下の引き出しに

澪の本当の宝物はある、と。


それだけを頼りに澪の家まで行く。

旅行後に彼女の家まで送っていて

よかったと何度胸を撫で下ろしたことか。

学校に行く時間帯に家を出つつも、

朝早くなことに間違いなく

お姉さんに迷惑をかけるのも

よくないと思い、

近くの書店で時間を潰しては

やっとのことで向かった。


恐る恐るインターホンを鳴らす。

現代じゃ知らない人がいたら

1度は無視することがあってもおかしくない。

ましてや私と澪のお姉さんは

小さい頃にあったことがあるとは言え、

覚えていないに違いなく

不審者に変わりはない。


コール音が仄か冬の空に響く。

しばらく待っても顔を出す気配がなく

もうだめかと思った時だった。

少ししてからかちりと鍵の開く音、

そしてわずかながら扉が開かれた。


雫「…はい?」


寧々「…!朝にすみません。」


雫「いえ。えっと…どちら様ですか…?」


寧々「あなたの妹さんの篠田澪さんと友達で…学校でいつも仲良くしてもらってる吉永寧々です。」


雫「あ…その…大変言いづらいんですけど、澪さんって方はこちらにいなくて。」


澪さんって方。

その言い方に違和感があり、

刹那思考はぐるぐると回る。

そしてたどり着くのは嫌な妄想話。

もしかしたらお姉さんすら

澪を忘れているのかもしれないという

嫌な嘘みたいな現実。


雫「別のお家と間違っていらっしゃいませんか?」


寧々「…いえ、ここであってます。」


雫「え…?でもそんなはず…。」


寧々「あなたには妹がいたんです…思い出せませんか。」


雫「ひとりっ子ですよ。やっぱり間違えて…」


寧々「篠田さんですよね。それには間違いないですよね…?」


雫「え?は、はい…。」


寧々「なら…っ!」


雫「…あの、お言葉ですがこういう悪戯はやめていただけないでしょうか。」


寧々「…っ!」


違う。

違うのに。

その言葉が口から出ない。

飲み込むしかないのだろう現状に

どうしたらいいのかわからない。


雫「その制服、東雲女学院の学生さんですよね?


寧々「…そう言えばお姉さんもこの高校に通われていたんでしたっけ。」


雫「…どうしてそう思うんです?」


寧々「……妹さんから聞いたので。」


雫「すみません。どうしても理解できません。」


寧々「…。」


雫「このまま居座るようでしたら警察を呼びます。妄想をするのはいいですが迷惑をかけるのはやめてください。」


寧々「でも…!」


雫「ストーカーの容疑もかけてもらうよう警察に相談しますが。」


寧々「…違っ……その妹さんの…澪のものを預からせてほしくて」


雫「お引き取りください。」


澪のお姉さんは心底迷惑そうにそう言った。

訝しむ顔がこちらを眺む。

それが彼女の姉ということが

どうしても悔しかったし悲しかった。

家族くらい覚えていてほしかった。

澪からの手紙で

こうなることは大抵予想できていたはずなのに

いざ目の前にすると

息が詰まるような思いが募る。


お姉さんからみたら

私は今いないはずの妹と友達であると

妄言を吐いているようにしか

見えないのだろう。

加えてお姉さんの情報も少しは得ている。

存在しない妹を理由に

お姉さんに近づこうとしているようにも

見えなくないのだ。


寧々「…っ。」


理屈ではわかってる。

透明になって、皆の記憶から消えた。

…そう。

……そう?

あれ。

誰と似てるんだっけ。

なんだか前にも

似たようなことを経験した記憶はあるのに、

分厚い羽毛布団を

かけられたようにそれが見えない。


雫「では。」


寧々「…待ってください。」


口内は乾燥して

掠れた声だけが喉を通る。

けれど、お姉さんは不機嫌そうな顔をして

そのまま扉を閉めてしまった。

無理矢理押し入ればよかったのだろうか。

それとも、嘘でもついて

家にあげて貰えばよかったのだろうか。

嘘で家にあげてもらう?

どうやって?

点検の人だとでも嘘をつくのか?

それで易々と家の中に

あげてくれるような人ではないと思う。

それに、澪の存在が無かったことに

なっているのだとしたら、

彼女の私物はどうなっているのだろう。


寧々「…っ!」


手紙やペン、鞄が残っていたのだから

物自体が消失するわけじゃない。

だからと言って、

今のお姉さんからしたら

澪の私物は自分のものでもない

突然湧いて出てきた謎の家具たち

ということになってしまうかもしれない。

そうなればいつ廃棄されたっておかしくない。


もう1度インターホンを鳴らす。

「開けてください」と

半ば半狂乱にも見える形相で口走る。

それでも返答はひとつもなかった。

もう警察を呼んだ可能性だってある。

もしこのまま警察に連れて行かれて、

精神障害を持っているとして

病院に連れ込まれたら、

その間に時間切れになるかもしれない。

さまざまな不確定な未来を

無闇に憶測してしまっては

それに怯えて家から離れた。


そのままの足で学校に向かい、

がらんどうの澪の席を見た時には

わけもなく涙が溢れそうになった。





°°°°°





澪がいない日を過ごし、

学校での楽しみは

一気に消え去ってしまった。

どうして覚えていないのだろう。

それほどどうでもいい存在だったわけじゃ

ないはずなのに、

大切な人をいとも簡単に忘れては

けろっとしている人たちのことこそ

私は理解できなかった。

それでも、今の世界では

澪がいないことが当たり前で

澪を覚えている私の方が

異常者でしかないのだ。


味気のない時間を過ごしては

どうにかならないかと思い

また澪の家まで足を伸ばす。

どうにかして彼女の家に入れないか。

刻一刻を争うことになるのはわかっている。

それなのに、最悪なケースばかり

よぎってしまっては足が踏み出せない。


寧々「…お願い。」


インターホンを鳴らす。

前回はオートロックの時点で

誰だろう程度にしか思われていなかったからか

開けてくれたけれど

今回はその限りじゃないだろうな。


そんなことを思いながら

半ば祈るようにして待つ。

すると、ぷち、と通話が

接続する音が聞こえてきた。


『はい。』


カメラはついているものだから

誰だかわかっているはず。

昨日のことがあってもなお

出てくれることに感謝する他なかった。

けれど、私が言えることは

ひとつしかないわけで。


寧々「…昨日に引き続きすみません。吉永寧々です。」


『…。』


寧々「……お姉さんに迷惑をかけることは承知です。…でも、どうしても友達を助けたいんです。」


『…。』


寧々「大切な人を助けたいんです…。5分だけでいいので、どうか……。」


カメラの前で頭を下げる。

写っているかどうかもわからないけれど、

そんなことを気にしている暇もない。

どうしても澪を助けたい。

けれど。


『…お引き取りください。』


寧々「…っ。」


届く声は冷たくて。

どうしようもないのだろうか。

本当にもう…。


そんなことを考えて

頭を上げられずにいると、

出て行かない私に呆れたのか

息を浅くながらも吐く音が聞こえた。


『…吉永さんが嘘を言っていないのだろうとは思います…がどうしても信じられないんです。ごめんなさい。』


寧々「…。」


心苦しげにそうひと言言っては

再度ぷち、と音がする。

通話が切れたようだった。

エントランスの扉を

開けてもらえることもなく、

だからといって再度部屋番号を

押すことはしなかった。

連打をしたって

不快感しか与えないことは

わかり切っているのだから。


足が重い。

ゆっくりと頭を上げて、

この先どうしたらいいかわからないまま

ローファーを小さく鳴らす。

私の嘘が招いた結果だと

わかっているはずなのに、

それを受け入れられないでいる。

受け入れたくないのかもしれない。


本当に澪は消えたのだ。

いなくなってしまった。

彼女が願ったのかわからないが

誰の記憶にも残らずに。

今のところある足跡は

私の手元に残った宝物と手紙だけ。


寧々「なんで…。」


一緒に帰った道を、

音楽棟での会話も思い出せる。

横断歩道でのことも

当時1年生の時の教室に行って

話をしたことだって

休日に勉強会をしたことだって覚えている。

もちろん旅行したことだって。


電車内のことも、美術館に行ったことも

滝のある谷に向かったことも、

大涌谷や澪の思い出の場所に

行ったことだって。

それに、彼女と1番近づいた

日曜日の朝のことだって。

澪が布団と共に

包んでくれた朝のこと。

あの時の体温も声も香りも…。

…?


寧々「…あれ。」


澪の声ってどうだったっけ。

澪ってどんなだったっけ。

こんなにも思い出せないものだっけ。

何度も聞いたあの声を

そう簡単に忘れるものだろうか。


ほんのわずかな違和感を抱えながら

1人帰路についた。

2人で歩いた道を1人で歩くのが

こんなに寂しいことだとは思わなかった。

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