今日に限って朝から雨、小雨。

でも、それすら関係ない。

一応暖かい日ではあるらしい。

が、透明化が進んでしまって

それすら感じ取ることができなかった。

電車に意味もなく乗っては

人にもみくちゃにされる

…かと思えばすり抜けていった。

寝転がったって迷惑にならないけれど、

すり抜けること自体が何となく怖くて、

満員電車の時は車両の間や

上にある荷物台に身を隠した。

席が空いていればそこに座り、

人が来たらそれとなく席を立っては

電子掲示板で流れてくるニュースを眺める。


雨の日は人が多かった。

電車で本を読んでる人って一定数いること。

新聞紙を読んでるおじさんがいること。

箱根まで旅をしたり

早朝や真夜中に乗ると

お酒の缶を持って飲みながら

外を眺めている人がいること。

全部全部、普段の生活じゃ

知り得なかったことだった。

目に入らなかった。

きっとスマホばかり見てたはずだから。


人には触れられないけれど

ものには触れることが

できるままだった。

けれど、うちが触れているものは

一時的に見えなくなるようで。

だからどこで手紙を書いても

誰にも知られることはなかった。

扉を開く時は、主観でしかなく

はっきりしたことはわからないが、

動いている間は見えていないようだった。

なので、人に認知されない分

事故に遭いやすかった。

特に信号のない横断歩道を渡る時が1番怖い。

ものにはぶつかれるものだから、

事故に遭ったら本当に誰も

助けてくれないままになってしまう。

最新の注意を払いながら

箱根や近所、いろいろな思い出深い場所を

ぐるりと回っていった。


澪「…はあ。」


そして昨日から、吉永と訪れた

思い出の場所に来ていた。

ながめの丘にあるベンチで、

雨の降る中足を伸ばして

のんびりと座っていた。

手の中にはもう効力のなくなった

吉永の宝物がひとつ。


澪「これ…頑張ってくれたな。」


十二分に頑張ってくれた。

宝物をもらう前から。

約1ヶ月半もの間、ずっとずっと。


もうしばらくすれば

うちは完全に透明になるのだろう。

段々と雨はうちをすり抜けて

ベンチに直接刺さるようになっていく。


澪「…あははっ…。」


じゃあ透明になるまで、

少し長い走馬灯でも見ていようか。


いつから物心ついたのだろう、

気づけば友達と外で駆け回るような子だった。

一輪車に竹馬、ドッチボールだってした。

何かと思ったことを

率直に言ってしまうたちで

喧嘩もよくしていたけれど、

なんだかんだ子供の喧嘩は

するほど仲がいいもので、

楽しくみんなで遊んでいた気がする。

時折気ままに放課後に

遊び場のような教室に行っては

昔の遊び…それこそめんこやカルタ、

他にもパズルに将棋など

色々なもので遊んだ。

今思えば放課後児童クラブのような

ものだったのかもと思ったが、

既に何年も前かつ引っ越してしまって

今じゃどうかわからない。


幼稚園、小学校と過ごして、

中学に上がってから

1年ほど経ったあたりだったろうか。

姉の環境が変わり、

人見知りだった彼女は成長した。

だからだろう、

姉の方が優遇されるようになって

可愛がられるようになっていった。

当時部活に入っていたうちは

部員と人間関係で

少し絡まっていたこともあり、

そのまま辞めることにした。

やめたって勉強に集中すればいい。

そう思っていたから。


けど、部活を辞めたことで更に

親は落胆したのだろう。

駄目な子と言われるようになってから

勉強にまで支障が出た。

…いや、勉強しなかったことを

親のせいにしていたかっただけかな。

どうやろうね。


それから高校受験を失敗して、

今通っている高校への入学が決まった。

姉からの誘いがあったもんで、

冬あたりに唐突に志望校を変更したっけ。

勉強ができなくて落ちて、

部活も中学での一件があってから

入ろうとも思っていなかった。

だからせめて頭は良くないと。

勉強を頑張ろう。

そう思って始まった高校生活だった。


友達も少しできた。

不便ない学校生活だった。

好きな姉と一緒に暮らせて、

時折劣等感を感じながらも

大抵は幸せな日々。

不登校の人に…吉永に配布物を渡す

所謂真面目で、優等生らしい自分が

嫌いじゃなかった。


けれど1年生の夏に例の姉とのことがあり、

不真面目になってから

鈴香と仲良くなった。

吉永も登校するようになってきていた。

でも、顔見知りの人が

学校にいるようになった

程度にしか思っておらず、

ろくに話す事もなかった。

今年の4月から異変が起こり、

吉永が変化して、

うちにも夏に真相のかけらが落ちてきて。

そしてトンネルの先に進んで。


ようやく冬になった。

3年生の冬。

受験期もいいところ。


澪「…。」


今日の朝日はお目にかかれなさそうだ。

だってこんなにも曇ってる。


まだ朝だというのに

冬のせい、雨のせいで

真っ暗な中1人ベンチに座って

ぽつりぽつりと灯を漏らす

家々を眺めていた。


澪「…こんなに長い事1人なん、久しぶりかもな。」


透明化が始まってから

何かと吉永といることが多かった。

家にいても姉がいたし、

知り合いと全く顔を合わせない日が

3、4日も続いたのは

初めてかもしれない。


いつまでこうしているのだろう。

いつまで1人なんだろう。

透明になったら、それから先

ずっと1人なのだろうか。

それとも死ぬのも同義、

意識はぷつりと途切れるのだろうか。


澪「…。」


雨の香りが鼻に痛い。

雨の音に紛れていたからか、

後ろから寄る足音に気づかなかった。


「…っ!篠田さんっ!」


澪「…!」


聞こえてくるはずのない声がして

勢いよく振り返る。


するとそこには傘を差して、

大きな目を更に見開いては

うちのことを眺める吉永がいた。

見つけたことの衝撃か

ぴたりと足を止めたものの、

刹那慌てて駆け出しては

ベンチの元に寄った。


寧々「何を…何をしてたんですかっ!」


澪「うーん…1人旅…かいな。」


寧々「そんなのんびりしてる場合じゃ…どれだけ心配してたと思って…っ!」


澪「うん。ごめん。」


寧々「ほら、早く。触れなきゃ。」


吉永が隣へと回ってきては

膝に置いていたうちの手に差し伸べる。

咄嗟に手を引こうと

思ったけれど既に遅く、

彼女の手はうちをとらえた。


…これまで通りであれば

そのはずだった。


吉永の手はうちを通り抜け、

そのままの速度をもったまま

ベンチに爪を引っ掛けていた。

かつん。

いい音が鳴る。


寧々「…っ!」


息を呑んだのがわかる。

それから数歩、

狼狽えるように下がっては

きっと酷い顔をしているんだろう。

彼女のことをどんな顔をしてみたらいいのか

わからなくって、

さっきすり抜けた手を

まじまじと見つめた。


よくよく見てみれば

雨がうちを無視していることにだって

気づいただろう。

傘を差していない理由だってわかったはず。


寧々「どうして…!」


澪「少し話そうや。」


寧々「嫌です、そんなの後でもできるじゃないですか!」


澪「うちには今しかないとよ。」


寧々「嫌、もっとずっと…続くようにしますから。だから…!」


澪「吉永。少しだけ。」


寧々「…嫌です。」


澪「最後の会話が駄々こねるだけって嫌なんやけどな。」


寧々「…っ…最後じゃ…ありません。」


澪「ん、その気持ちはもらっとくけん。じゃあ無条件にただ話そ。」


寧々「…。」


澪「なん、先週と一緒ったい。」


そこまで言って漸く

1歩、2歩とゆっくり、

わざとだろう踏み出して、

錆びついた関節のように体を動かしながら

隣に渋々座ってくれた。

ベンチは雨のせいで濡れているはずなのに、

これまでと同じように隣にいてくれた。

そして、意味がないと

わかっているはずなのに

傘を半分分けてくれた。


澪「…今何時なん。」


寧々「6時くらいだと思います。」


澪「ほぼ始発で来っちゃないと。」


寧々「そんなことどうだっていいんです。どうして姿を消したんですか。どうして私を頼ってくれなかったんですか。」


ここ数日の間酷く心配していたのだろう、

目の下には隈ができており、

疲労の溜まった顔をしていた。

怒りに、悲しみに声が震える。

それだけで雨をより一層

強くしてしまいそうなほど。

ここまで感情的な彼女は

初めて見るかもしれない。

こんな顔もするんだって

冷静ながらそう思う。


澪「なんとなく1人でおりたくなっただけったい。」


寧々「そんな嘘通じません。」


澪「そういうことにしとって。」


寧々「嫌です。私が力不足だったのはわかります。でも」


澪「そんなことはなか。あんたの生活をこれ以上壊し続けるのが苦やっただけ。」


寧々「私の生活なんてどうでもいいってこれまでに何度も言っているじゃないですか。」


澪「先週末なんて1分も授業受けとらんかったろうもん。受験だってもうすぐなんに…ずっとそんなことさせられん。」


寧々「…そのくらい…」


澪「どうだってよくなか。」


寧々「…それをいうなら私といる間、篠田さんだって勉強できてないじゃないですか。」


澪「だってこんなんになっとるんやもん。…元から夢もなかったしいいと。」


寧々「…っ…あなたはいつも自分を疎かにしすぎです。」


澪「それはあんただってそうやろ。」


寧々「違います。違くて…。」


澪「…あんたと言い合いがしたいわけじゃないけんさ。」


寧々「…っ。」


澪「お互い譲れんものがあって、それが今回たまたま両者共にかちあってしまっただけなんよ。互いに妥協できんかった。それだけ。」


寧々「…それだけ…が、こんなに酷い結果になってるんです。」


澪「この先のあんたにとったら、全部が酷いわけじゃないはず。」


寧々「いいえ。」


澪「…。」


寧々「篠田さんがいなくなる時点で…。」


澪「…そうけ。」


吉永の声が雨よりも冷たく、

鉛よりも重いことが心にのしかかる。

吉永はこのままうちに

生活を縛られちゃ駄目だ。

受験どころかそれから先の人生すら

めちゃくちゃにしかねない。

こんなの介護以上の何かだ。

1秒足らずうちに

捧げなきゃいけない人生なんて

ない方がましだ。

彼女には叶えるべき夢がある。

うちは友人として

それを精一杯応援したい。


何を話したらいいのかわからず、

無言に雨が突き刺さる。

悩んだ末、どうしようもなく

暗い言葉だけが脳裏をよぎった。


澪「死ぬ時ってこういう感じなんやろうなーってやっとわかったわ。」


寧々「…何を…言ってるんです?」


澪「言葉のまんまやって。」


寧々「そんな…そんなこと、言わないでくださいよ。何を根拠に言ってるんですか。」


澪「勘。」


寧々「ほら、理由なんて何もないじゃないですか。なら」


澪「でもわかると。」


寧々「…何ですか、それ。」


吉永が半分笑いながらそういう。

やめてよ、と冗談を言うように。

これが極限な状況が故に起こる

真逆の反応であることくらい容易にわかった。


寧々「まだ大丈夫ですよ。渡したお守り、ちゃんと持ってますよね?」


澪「持っとうよ。でも、もう駄目になった。」


寧々「…っ。そしたら、また私が持って力を込めれば…。」


澪「…。」


寧々「ねえ、何か言ってください。」


澪「…。」


寧々「お願いします……っ…ねえってば。」


悲壮感に塗れた声が耳を劈く。

そんな声出さんくても。


澪「…もうよかよ。」


そう言って、片手に握っていたそれを

開いてみせた。

そこには丸くて白い石のような

吉永の宝物が転がっていた。


澪「これ、返そうと思って来たっちゃん。」


寧々「…っ。」


澪「これな、長いことうちのことを守ってくれたとよ。」


寧々「たったの1ヶ月も持ってません。」


澪「これのおかげで長く普通みたいに過ごせた。」


寧々「まだ…まだ足らないです。全然短いです。」


澪「返すよ。あんたの宝物なんやろ。」


寧々「…持っててください。…今それを握りますから、ですから…っ。」


澪「…というより、これが交換やけど。」


寧々「…どういうことですか?」


彼女は本当にわかっていないらしく、

焦らすように話すうちに

苛立ちを隠せていないようだった。


どうやらうちだけが覚えていたらしい。

じゃあ今日からは2人の秘密にしよう。


澪「あはは…気づいとらんかったんや。」


寧々「何がですか…!」


澪「あの例のおまじないあるやろ。「10年間持っていると宝物を交換したもの同士結ばれる」ってやつの他に「10年間持っていると2人を繋ぎ止める」ってやつ。」


寧々「それは…。」


澪「これ、この白い石をあげたんはうちやったやん。もしかして気づいてなかったと?」


寧々「…っ!?」


これまでにないほど目を見開いては

信じられないものを見るように、

はたまた何か思い出したかのように

その宝物を凝視した。


澪「父親の会社のイベントに家族で参加することになって、福岡から神奈川までいったんよ。そこでバーベキューすることになっとって…その会社のつながりで子供も結構来とってな。」


寧々「…あ、え…それって…。」


澪「うん。そこにあんたもおったとよ。」


今でも覚えている。

バーベキューをして、川辺で遊んだ時のこと。






°°°°°





寧々「見て見て、綺麗なビー玉あったよ!」


澪「あ、ほんとだ、綺麗!」


寧々「ね、もういっこ探そう。」


澪「探す!そしたらこれ、宝物ね。」


寧々「うん。宝物にする!」


楽しくって川辺に両手を突っ込み続けてた。

時折跳ねる飛沫に

嬉しそうな悲鳴をあげていたのを思い出す。

そういえばトンネルを潜った時、

奴村にはこんな嘘をついたっけ。





°°°°°



陽奈『目の前の2人、片方は澪ちゃん?』


澪「そ。んでもう片方は忘れた。」


陽奈「…。」


澪「親の繋がりの集まりやったんよ。それで行ったら、たまたま同い年くらいの子がおって、一緒に遊びよったと。」


陽奈「…。」


澪「この日以来あっとらんけん、誰やか名前も知らんまま。」



°°°°°





でもそんなのは全部嘘。

名前も限りなく忘れるに

近いながらなんとか覚えていたし、

会った瞬間にはもうすぐに思い出せた。


が、誰に話すわけでもなかった。

何となく隠したかったのだろう。

こんなふうに再会したくなかったって

それとなく思っていたのだろう。

昔は楽しく対等に遊んでいたのに、

今じゃ一方的に嫌っては

関係を絶っていたのだから。


澪「見て、見つけた、もういっこのビー玉!」


寧々「青い、綺麗!」


澪「さっき見つけたの白かったね。」


寧々「じゃあ、お互い見つけたやつ交換しよう!」


澪「いいよ!やった!」


寧々「いつかビー玉屋さん開こうね。」


澪「ビー玉屋さんあるかな、この前ね、家族でガラス屋さん行ったよ。」


寧々「ビー玉そこにあった?」


澪「あった!だから、ガラス屋さんね。」


寧々「うん、そうする!」


澪「じゃあ次何するー。」


寧々「かくれんぼしよう!」


澪「する、する!」


寧々「じゃああたしが鬼ね!」


澪「わかった!」


寧々「いーち、にーい…。」


そうしてかくれんぼが始まった。

絶対に見つかりたくなくて

急に意地を張ってしまった。

そうしてキャンプ場の森の方へと

身を隠しに行ったのだ。

大人たちは会話に夢中で、

子供たちから少し目を離していた。

その束の間の出来事だった。


森の中へと足を進めたうちは

帰り道がわからなくなってることに

気づかなかった。

気づいた時には自分がどこのいるのか、

どの方角に向かえば両親がいるのか

本当にわからなかった。


隠れようとする間に、

ついさっき交換したばかりの

綺麗なビー玉も無くしてしまった。


澪「うえーん…うぁーん…。」


あたりは鬱蒼としていて、

光がほぼ入ってこない。

遠く遠く、木々の間に

夕闇がこちらをのぞいているだけ。

湿った土、茂った草木。

手のひらはちくちくと

小さな葉が刺してくる。

人の声なんてもちろんしない。


澪「おねぇちゃーんっ…ママぁーっ!パパぁーっ…!」


顔をぐしゃぐしゃにしながら

叫び続けていた。


澪「だれかぁーっ……ねーえー…!…だれかぁ…。」


もうだめだって。

うちはここで1人で生きていくのかも。

動物と会ったらどうしよう。

人と会うにはどうしたらいいんだろう?

でもママの電話番号

ちゃんと全部言えたっけ。

どうしよう、ど忘れしちゃうかも。

そんなことばかり考えては

嗚咽と涙が止まらない。

思い出すとこちらまで泣いてしまいそう。


本当に助からないのかも。

そう思った時だった。


寧々「みおちゃん!」


ぱ、と目の前の草木が払われ

視野が開けたような気がした。

まるでヒーローのように見えた。

安心し切ってしまって、

さらに涙が溢れてゆく。

伸ばされた手が

嘘偽りもなく本当に

神様のようにすら思えた。


そこには吉永寧々が

うちに向かって手を伸ばしていた。


そこで不意に思い出す。

そうだ。

さっきもらったビー玉、無くしたんだった。


澪「…!ごめんなさぁぁい…!ぅ…ぇぅ…うあぁぁーっ…。」


幼い自分は吉永に

抱きつきながらそう言った。


寧々「うん、うん。いいよ。パパとママのところ行こう?」


澪「ぇぅ…うん…っ…。」


寧々「澪ちゃん隠れるの上手だね。」


澪「でも、でもっ…び、ぃ玉なくし、ちゃった。」


寧々「大丈夫。だいじょーぶ。」


澪「ごめんなさぁい…っ。」


寧々「じゃあすぐに戻ってまた探そっ。それで交換こしよう!」


澪「ぐずっ…んっ……ぅんっ…。」


泣きじゃくるうちを宥めながら

そのままバーベキュー場まで

連れて行ってくれた。

親に抱きつきながら散々泣いた後、

夕方だからと言うこともあり

バーベキューは終わりに

向かっていることに気づいた。


親に「もう出る準備して」と言われながらも

川に入ろうとすると、

流石に強く止められたんだっけ。

でも、どうしてもビー玉を、

せめてその代わりのものを

見つけたかったうちは、

粘って川辺の石を漁り始めた。


そして、さっき吉永が見つけたものに

極力似てる石を見つけた。

丸くて白い石を。


寧々「綺麗な石だね!」


澪「うん…でも、ビー玉じゃない…。」


寧々「でも綺麗だよ、それがもらえたら嬉しいな!」


澪「ありがとう…はい、どうぞ!」


寧々「私も。どーぞ!」


そうして青い色のビー玉が手渡される。

反対に、うちは白い石を渡した。


これを宝物にすると決めてから10年。

場所だっていつからか決まっていた。

机の上にある小さな3段の木箱、

そのうちの1番下の引き出し。

からん、と乾いた音がするのだ。





°°°°°





そこまで話し終えると、

隣の彼女は呼吸することも忘れて

スカートをぎゅっと握った。


寧々「そんな…。」


澪「もう既に繋ぎ止めてくれとったんよ。これが守ってくれとった。」


そう。

とっくのとうにおまじないは叶ってた。

もしこれがなかったら、

11月の時点で吉永にも

見えていなかったことだろう。


澪「他の誰にも見えんようなっても、あんただけには見えとったろ。おまじないはちゃんと叶っとった。」


だから、吉永がおまじないを

実行しようと言って

白い石を渡した時点で、

ある意味おまじないは破綻していた。





°°°°°





澪「今のうちの宝物はこれになるかいな。」


寧々「…!…手紙…。」


澪「でもこれって元より交換しとるもんやん?この場合ってどうなると。」


寧々「それは…私にもわかりません。」


澪「専門家でもないしそりゃそうやな。」


寧々「そしたら、篠田さんがまた新しく書いた手紙を宝物ということにして…。」


澪「自分で書いたものは別に大切とは思っとらん。」


寧々「…なるほど…確かに言いたいことはわかります。…じゃあ私がこれまでに渡したもののどれかを…でも、そしたら自分のものが戻ってくるだけですし…。」


澪「それは今更やろ。」


寧々「…?そうですか?」


澪「とにかく、明日何かしら…他に思い当たらんかったら1番初めのあんたからもらった手紙、持ってくるわ。」


寧々「わかりました。」





°°°°°





おまじないが破綻してもなお

本当の過去をいい出さなかったうちが悪い。

おまじないを実行しようと言った吉永も

その周りの人、ネットの人だって悪くない。

うち以外誰も悪くない。


澪「うちが透明になったら…この前も言ったけど、うちにも…願わくばあんたの親にも兄にも縛られんで生きてほしい。」


さあっと雨が強くなる。

吉永の持つ傘を打つ音が激しくなる。


澪「何ヶ月も何年も、あんたに冷たい態度とってごめん。」


寧々「謝罪は受け取りません。」


澪「この数週間も、めちゃくちゃ迷惑かけてごめん。」


寧々「受け取りませんってば!だからやめてくださいっ!」


澪「…ほんま、人の話を聞かんやっちゃな。」


寧々「絶対…嫌です。絶対方法はあります。まだ澪がこの世界に残る方法が絶対にあるんです。」


名前で呼んでくれたことに、

彼女自身柵から

1歩踏み出せたのだろうことに

嬉しさを感じながらも

困ったように笑ってみせた。


この1ヶ月は随分と

慌ただしかったけれど、

なんだかんだで楽しかった。

でも欲を言ってもいいのであれば、

もう少しくらい吉永と居たい。

居たかった。


澪「吉永ほど頼りになる人はおらんかった。旅行に行った時も思ったけど、ここまでうちのことを思って一緒におってくれる人がおって…幸せやったよ。」


満面の笑みを作ろうとしてもできなくって

歪に片方の口角だけ小さく上がる。

まるで意地悪をしているように。


澪「だから、もうよかよ。」


もううちに縛られんでいいから。

だからしばらくこの先

自分のことに目を向けて。


そして、静かにビー玉のような

白い石を差し出した。

ガラスのような瞳が

さらに大きく見開かれる。


傘がぽとりと落とされた。

無情にも綺麗だと思った。

頬に雨が触れたような気がした。


澪「…ただの使命感でもいい。うちのことを気にかけてくれてありが」





***





からん、からんからん。

白い石がベンチに跳ねる。


寧々「…っ!」


今、篠田さんを。

澪を見ていたはずだ。

この目で正面に捉えていたはずだ。

それなのに。


寧々「澪!澪っ!」


澪は目の前から姿を消した。

白い石だけをそこに残して。


はっとして慌てて石を拾う。

そうしたらもしかしたら力が、

おまじないの力が宿って

澪が戻ってくるかもしれないと思ったから。


寧々「澪っ!お願いします、お願い…戻ってきて…っ!」


戻ってきて。

お願い。

こういう時に猿の腕を残していたら…っ。

でも、間違って…

兄の時のように違った方法で

叶ってしまうのなら意味がない。

いや、それでも…。

何でもいい。

何でもいいの。


お願いします。

お願いです。

お願い。


寧々「澪ーっ!…み、お…お願い…っ…ぇぅ…うぅ…澪っ…。」


喉が詰まる。

さっきまで普通に呼吸できていたのに。

息が吸えない。

雨水が口の中に入ってくる。

苦い。

苦い、苦い。


既に交換してたんだ。

おまじないは既に叶ってた。

なのに私ときたら、

宝物を差し出して

大切なものを渡した気になっていた。

違う。

実際は返していただけ。

澪は長くこの世界で

認知されていたかもしれないけれど、

本当はこの世界に繋ぎ止める力を

私自身が奪い取っていた。


私のせいだ。

私が澪を消してしまった。


寧々「み……ぉ…っ…。」


その場で泣き崩れそうになった時、

近くに鞄が転がっているのが見えた。

雨のせいでずぶ濡れになっているが、

その鞄には見覚えがある。

旅行の時、澪が持っていた

小さい鞄だった。


慌てて駆け寄っては

雨が降ってることも気にせず開く。

そこにはスマホも財布もなく、

手紙とペンだけが転がっていた。

そこには見たことのない手紙の内容が

ずらりと書き連ねられていて、

雨も時間も忘れて文字を追う。



『吉永へ


短くて長いつきあいやったけど

今までありがとう。

でもな、もうそろそろ無理やと思う。


四六時中あんたとおらんと

人には見えんくなってしまった。

吉永から離れて1日もすれば

人にすら触れん時が出るようになった。


実はな、最後渡してくれたビー玉。

あれ、この2日間くらい

持っとらんかったんよ。

何でって思うよな。

うちもわからん。

諦めとったんかもしれん。


だけどとっといて良かった。

これを持って遊びにいってくるわ。

これで文通はおしまい。

なんだかんだ言って楽しかった。


ありがとう、おやすみ。


篠田澪』




『吉永へ


一応宛名は書いたけど、

今日から届きもしない手紙に

なると思うけん、

日記みたいに書こうと思う。


まず、今日ドタキャンしてごめん。

多分埋め合わせもできん。

ごめんな。


知らん図書館や

近くにあったのに行ったことなかった

公民館とかでのんびり過ごした。

先週も休憩したばっかなんにね。

姉はうちのことが見えてないみたい。

同時に、うちのことを忘れとうみたい。

朝食も夕食も自分の分しか作らんかった。


夜中に散歩だってした。

警官の前にずっとおっても

工事現場を覗き見しても何も言われん。

犯罪にも遭わんことはいいことやね。


じゃあもし渡せた時ように。


おやすみ。


2023/12/9

篠田澪』




『吉永寧々へ


寧々ってこの漢字であっとったっけ。

今日はまた箱根に来てしまった。

無銭乗車でもばれんって

逆に怖なってきたわ。

貴重品を持ち歩くんもやめた。

身軽やね。


旅館見にいったり

大涌谷や美術館見にいったり。

それと滝も見に行こうと思ったんやけど

また迷子になったらと思うと

怖くてやめてしまった。

どれもこれも1人やと

スタンプラリーみたいに

ただ回るだけで終わる。

あんたと行ったけん

楽しかったんやね。


じゃあおやすみ。


2023/12/10

篠田澪』




『吉永寧々へ


思い出の場所にきたよ。

ここ、うちだけの思い出の場所じゃないんよ。

あ、でも覚えてないってことは

そんな思い出深くもないんかな。


願って良いんかな。

またここで会えますようにって。


そんなことしたら

またあんたの生活を崩してしまうな。

やっぱり今のはなしで。

あんたはちゃんと学校に行ってな。


でももし時間があったら

遊びに来てくれたらな…なんて。

うちって最後まで矛盾ばっかよな。

だけんかな、真っ直ぐなあんたが

かっこよく見えとったよ。

羨ましかった。


おやすみ。


2023/12/11

篠田澪』



文字が滲む中、

きっと最後だろう手紙に手を伸ばす。

あたりは仄かに明るくなり始めていて、

雨だというのに朝がわかるようだった。


こういう時に限って運が悪かった。

澪を探している間、

行った場所はよかったのに

日付が違うせいで

綺麗にすれ違ってしまっていた。


手が震えた。

かさかさ、紙が音を鳴らす。

それもすぐになくなって

雨の一部になっていく。

それでも手は震え続けた。

多分、多分ね。

寒かっただけだよ。



『吉永寧々へ


あんたの、寧々の明日が

素敵な日でありますように。


おやすみ。


篠田澪』



最後に限って言葉は短く

簡潔にまとめられていた。


寧々「…っ。」


自然と力が入る。

くしゃ。

いとも簡単に折れ曲がる。

もう元には戻らない。


澪。

澪、私、素敵な明日を

迎えていいような人間じゃないよ。

そんなできた人間じゃない。

綺麗な人間じゃない。


私は嘘を吐き続けてきた。

ずっとずっとあなたへ

嘘を重ね続けていた。

「嘘をついていないよね」と言われても、

「信用ならない」と言われても

自分が大切で、自分を守るためだけに

嘘を貫き通してきた。


ごめんね。

ごめんなさい。

全部嘘なの。

嘘なの。





°°°°°





澪「じゃあ、のちに親の中での姉との立場が逆転したことも?」


寧々「ええ。」


澪「それが原因で今も…。」


寧々「はい。戦っていることも。」


澪「…そんなに信用しよったったいね。別世界線のうちは。」


寧々「…。」


澪「…そうけ。」


寧々「私も。」


澪「…。」


寧々「私も、1番の友達であるあなたを信用していますよ。」





°°°°°





あの時、1番の友人である

あなたと言ったことも。





°°°°°





寧々「篠田さんが繋いできたんですよ。」


澪「適当言っとうやろ…。」


寧々「さあ。」


澪「…もうよか。」





°°°°°





バスの中で手を握った時、

恋人繋ぎをしていた時。

澪から握ってきたって言ったことも。





°°°°°





澪「吉永もあれは…何で言えばいいかな。優しい嘘やけん、先生も怒らんよ。」


寧々「…優しい嘘になり得ますかね。」


澪「…?」


寧々「自分を守りたいだけの嘘ですよ。」


澪「もしそうやとしても、人を傷つける嘘やないはずやけんさ。」


寧々「そうとは限りませんよ。」





°°°°°




人を傷つける嘘を吐いていないはずなんて

言ってくれたけれど、それすらも。

それよりももっと根本の。





°°°°°





澪「どの行動も全部、真面目な優等生を演じるためのものやろ!」


寧々「そう見えますか。」


澪「そうじゃなくとも、どうせただの使命感でしようっちゃろ。」


寧々「…。」


澪「本当の理由…教えてや。納得いかん。たったそれだけでここまで…手やって震えとったのに、止めに入るわけがわからん。」



---



寧々「…そうですよ。」


澪「…。」


寧々「……ただの、使命感。そうです。篠田さんの言う通りです。」


澪「…っ。」


寧々「私はちゃんとしなきゃ駄目なんです。みんなの言う優等生にならなきゃ。だからさっきは止めました。」


澪「へぇ…優等生が手を挙げるなんてな。」


寧々「誰かさんが止めてくれて助かりました。おかげでまだ優等生できます。」


澪「…はは…しょうもな。」


寧々「ですよね。」





°°°°°





…。

…。

あなたに…。

あなたを助ける意味として

「ただの使命感」なんて言ったことも

全部嘘。


本当は。


寧々「…ぇうっ…澪っ…みおぉっ…っ…。」


嗚咽が止まらない。

肩の震えが止まらない。

涙が止まらない。


本当は、本当はね、ただ好きだったから。


ごめんね。

不純だよね。

ただの好意だったの。

友達からとしてじゃなくて、

恋人的な意味合いとして。


不登校だった私と顔を合わせても

嫌な顔ひとつしなかった。

学校に通うようになったら

いろいろとサポートをしてくれた。

仲良くしてくれた。

相談に乗ってくれた。

こちらの世界線の澪は

私の知る彼女じゃなくても

澪ってことに変わりはなかった。

優しかった。

根は真面目で、

自分よりも他人を優先できる強い人。


一緒に過ごすうちに

いつの間にか惹かれていった。

好きだな、って思うようになっていった。

最初は否定してたの。

友達にそんな感情を持つのは

失礼だって思ったから。

認めちゃだめな気がしてたから。

だから隠してた。

別の世界線でも、今までもずっと。

けどね、それを無視するように

気持ちはどんどん大きくなるの。

どきってしちゃうの。

馬鹿みたいに、無意識に。


透明化が進んで、触れるようになって。

やっぱり変な動悸がおさまらなかった。

少し…ほんの少しだけ

これでよかったなんて

思ってしまった自分が恥ずかしい。

隠してた気持ちが幾度となく

口から溢れそうになった。

それでも抑え続けた。

澪が信頼しているのは

友達としての私だと知っていたから。

でも。


いなくなっちゃった。


寧々「うぅっ…ぇぁぅっ…あぁっ…っ。」


どうしよう。

どうすればいいんだろう。

澪。

澪ならどうしてた?


私、どこで間違ったんだろう。

ねえ。

教えてよ。

教えてほしい。

お願い。


お願い。

澪を返してよ。


雨に打たれながらぐずぐず泣いた。

子供のように、ずっとずっと。

微かに浮かんだ記憶の断片が

脳の中で浮かぶ。

わんわんと泣きじゃくっていた

幼い澪の姿が

僅か脳の隅に眠っていたようで、

もやがかっているようだが

少しばかり思い出していた。


長々と泣いていても

雲の奥に日は昇っているようで、

時間ばかりは待ってくれないのだと

身に染みて感じる他ない。


しばらくして、

彼女の手紙と白い石を抱える。

それから傘を手に取った。

しばらく逆さのまま放置していたせいで

まともにさせる状況じゃなさそうだった。

けれど、これ以上手紙を濡らしたくなくて、

それらを鞄に突っ込んでから

傘の水を切ってそれを差した。

片方の腕で目を擦る。


寧々「…まだ方法はある。」


絶対ある。

ないなら見つける。

諦めちゃ駄目だ。

駄目。

絶対に取り戻す。

澪をまた見つけて見せる。


だって、言ったもの。





°°°°°





澪「さっきも話の途中やったけど…もし耐性がつき切ったらどうするん。」


寧々「元に戻す方法を探します。」


澪「透明化し切ってしまったら?」


寧々「それでも探しますよ。」


澪「あんたの前からもおらんようなったらもう無理やろ。」


寧々「見つけるまで探します。」





°°°°°





せめてこの言葉だけは

嘘にしないように。





°°°°°





澪「…もう帰るけん。じゃあ」


寧々「最後にひとつ。」


澪「なん。」


寧々「私は真面目を貫くためにこうしていますが、そこにあなたを裏切る意思は一切ありませんから。」


澪「嘘つけ。」


寧々「嘘じゃないです。だってこんなにも馬鹿真面目なんですよ。」


澪「……そうやったな。」





°°°°°





あなたを裏切らないことを

この身を持って証明しなきゃ。

そうしなきゃ、

また澪は不必要な懐疑心に

苛まれなければいけなくなる。

そんなの私にとっては不本意でしかない。


寧々「…まだ。」


まだ。

まだだ。


内側からも水の滴る傘を刺しながら

ながめの丘を降りてゆく。


今日は平日。

普通の火曜日。

今日だって学校がある。

ただ、大切な人の消えた

味気のない登校日。

穴の空いた火曜日だった。

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