おまじない
昨日に引き続き暖かい日差しが
教室の隅に降り注ぐ中、
慣れた光景だろうか、
机の棚にはいつもの便箋が入っていた。
一体彼女は何時に登校しているのだろう。
そんな疑問がふと浮かぶ。
うちは朝のホームルームには
間に合えばいいと考えているもので、
いつも8時半近くに来ている。
もし誰にもばれないように
この便箋を入れているのであれば、
きっと7時前半台には
学校に着いているのではないか。
それだけ聞けば、
朝練もないのに狂気の沙汰だとは思うが、
受験生であることを思えば
むしろ理想的な生活なのだろう。
それに、もしかしたら
吉永のことを気にしてなかっただけで
長いことその生活を送っていた
可能性だってある。
以前までの吉永の母親は
問題を抱えていたと聞いたし、
逃げるようにして早朝に
登校していたと言われても
何ら不思議ではなかった。
澪「なあ。」
鞄を自分の席に置き、
ろくに話したこともない
後ろの席に集る人らに声をかける。
それでも気づいていないようで、
まだけたけたと笑っていた。
この人らはいつだって
楽しそうに笑っている。
幸せそうで何よりだと
皮肉を込めて思ってしまう。
澪「千村。」
うろ覚えだったその生徒の名前を呼ぶ。
流石に普通であれば
聞こえているほどの声量だというのに、
誰1人として耳には
届いていないようだった。
昨日は長く触れたが、
前回とそう変わりないように思う。
逆に言えば、進行度合いは変わらない
…長く触れたことの効果は
多少はあるようだった。
それをいいことに自分の席につき
吉永からもらった手紙を読むことにした。
透明になるのは恐れるほどのデメリットで
塗れているものの、
こういう時に限っては
メリットに変わってしまう。
澪「…ん?」
便箋を持つと、これまでのものとは
明らかに異なっていることがわかる。
便箋が歪に膨らんでおり、
手のひらに乗せると
僅かに重量があった。
『篠田さんへ
今日も一緒に勉強する時間を
作ってくれてありがとうございます。
またまた集中できました。
篠田さんの魔法ですね。
想像している通り、
上京した流れは耳にしたことがありました。
他にもバイトをするなら何がいいとか、
理想の髪の長さとか。
恋人にするならどのタイプか
なんてことも話しましたよ。
色々な話を聞かせてくれて楽しかったですが、
今の篠田さんは過去は同じでもこの2年間は
少しばかり違う時間を
過ごしていたみたいです。
なので、昨日みたいに
また少しずつ知っていけたら
いいななんて思います。
私は日本史が好きです。
戦国時代あたりが濃密で
特に引き込まれます。
物語を読んでいる気分になれるので
すうっと入ってくるんです。
篠田さんが良ければまた勉強会しませんか。
あと、この手紙を渡した後にも
話すとは思いますが念のため。
ひとつ、例のおまじないに
縋ってみませんか。
もしかしたら繋ぎ止めてくれるかも
しれませんから。
それに、私が持っていたものを所持していると
見えるなんてこともあり得るかもしれません。
なので、宝物をひとつ入れておきますね。
どうか明日も素敵な日でありますように。
吉永寧々』
袋の中には、固形の丸っぽいものがひとつ
ぽつんと残っていた。
澪「宝物な…。」
所持していると見えるかもという
文面を見たせいか、
すぐに手に取ることはしなかった。
もう1度中身を見やる。
小指の関節ひとつ分ほどの
直結をしているようで、
思わず思考を止めそうになった。
頭を軽く振り、
考えていたことを1度放棄する。
宝物。
これで繋ぎ止めたいのだろう。
°°°°°
寧々「話は変わりますが…そういえば最近あれが流行ってますよね。」
澪「何あれって。」
寧々「あれです。おまじない。」
澪「ああ。宝物を交換して10年間持っていると結ばれるってやつか。」
寧々「え…?そんな感じでしたっけ。私が聞いたのは10年間持っているとその2人を繋ぎ止めてくれる…みたいな感じでしたよ。」
澪「へえ。まあ伝言ゲームやしな。」
°°°°°
どちらが本当の噂なのか、
そもそもおまじないの効力は
あるのかなんて疑問は
考慮しないらしい。
縋れるものには縋る、ということか。
°°°°°
澪「さっきも話の途中やったけど…もし耐性がつき切ったらどうするん。」
寧々「元に戻す方法を探します。」
澪「透明化し切ってしまったら?」
寧々「それでも探しますよ。」
澪「あんたの前からもおらんようなったらもう無理やろ。」
寧々「見つけるまで探します。」
澪「…ほんまようわからんやつやな。」
°°°°°
昨日、そう豪語した彼女だ。
何が何でもうちのことを
ここに留めておきたいらしい。
澪「…それもあいつらしいっちゃらしいな。」
ひと言こぼすも、
それは当然、誰の耳にも伝わらなかった。
宝物とやらに触れなかった影響で
やりたくなかったグループワークを
傍目に見学し、
堂々と授業中に爆睡していると
昼休みになっていた。
最近はまともに授業を
受けることも徐々に減っていた。
見えている時のみ
成績に加味されるのだから、
見えていなければいいか、と。
人間には良くある心理だと
漠然と思っていたが、
どうやらこういうことらしい。
身をもって体感しつつも
机に伏せていた。
今日は窓の外ではなく
教室内をぼけっと眺めていると、
たまたま吉永と目が合う。
すると、うちがまるで指示したかのように
席を立ってこちらに向かって歩いてきた。
ゆっくりを状態を起こすと、
ゆらりと視界がくらみかけた。
ずっと寝ていたせいで
頭が揺れる思いがする。
寧々「今少しいいですか。」
澪「ん。手紙は持ってったがいいな?」
寧々「お願いします。」
言葉少なく席を後にする。
昼食を取る前にこちらの方が大事だと
言わんばかりの彼女の背が、
うちとは随分乖離しているように見えた。
不安で押しつぶされそうになっていた
一昨日とは違って、
今日は帰って何をするんだろう、
夜ご飯は何なのだろうと
呑気に考え始めてしまっている。
この緊迫している空気感に
慣れたのかもしれない。
ずっと透明の危機に瀕していると、
吉永に見えているだけ
まだ大丈夫なのだと
安心しているのかもしれない。
もしも、彼女からも
見えなくなってしまったら。
流石に不安になるのだろうか。
それとも、彼女の時間を
もう奪わなくていいことに
安堵するのだろうか。
彼女に着いていくと、
音楽棟の誰も使っていない
空き教室まで来ていた。
たまに吹奏楽部が
お昼でも練習している姿を
棟越しに見かけたことはあったが、
今は忙しくないのか
生徒の影がほぼ見えない。
寧々「すみません、遠くまで来てしまって。」
澪「昼休みはいろんなところに人がおるのはわかるしよかよ。」
寧々「ありがとうございます。」
空き教室とは言え
机は綺麗に並べられていた。
週に数回は誰かが使用しているのだろう。
机の上も埃まみれなんてことはなく、
その縁に体重を預けた。
吉永は対面するように
そこの席に座っては
真剣そうな目つきでこちらを見やる。
寧々「手紙の中のものには触りましたか?」
澪「ううん、まだ。」
寧々「やっぱり。授業中に寝ているあなたを見てそうだろうと思いました。」
澪「触ったと同時に見えるんやったら、手紙も同時に見えるわけやん。」
寧々「そうですね。」
澪「そこで変な噂がたっても困るけん、触れんかった。」
寧々「それに、突然そこに現れるも同義ですもんね。」
澪「そうやな。」
この前も席が取られていた時だったか、
大声を出して驚かせたことがあった。
あまり騒ぎを起こすのも
良くないだろうと学んだのだ。
こほん、と彼女が咳をする。
持っていた手紙を何となく見つめた。
寧々「本題ですが…篠田さんは宝物ってありますか。」
澪「ないな、そんなの。」
寧々「本当に?」
澪「ぱっと思いつかん。あー…でも、それでいうなら。」
手紙を彼女の前に
軽く突き出すようにして見せる。
吉永の目が僅かながら
見開かれていった。
澪「今のうちの宝物はこれになるかいな。」
寧々「…!…手紙…。」
澪「でもこれって元より交換しとるもんやん?この場合ってどうなると。」
寧々「それは…私にもわかりません。」
澪「専門家でもないしそりゃそうやな。」
寧々「そしたら、篠田さんがまた新しく書いた手紙を宝物ということにして…。」
澪「自分で書いたものは別に大切とは思っとらん。」
寧々「…なるほど…確かに言いたいことはわかります。…じゃあ私がこれまでに渡したもののどれかを…でも、そしたら自分のものが戻ってくるだけですし…。」
澪「それは今更やろ。」
寧々「…?そうですか?」
澪「とにかく、明日何かしら…他に思い当たらんかったら1番初めのあんたからもらった手紙、持ってくるわ。」
寧々「わかりました。」
吉永はあまり腑に落ちしていないのか、
釈然としない反応を見せた。
おまじないに縋ること自体
相当難しいことだろう。
何せ、どこ発端のものかわからなければ、
どこで脚色が加えられたか、
そもそも原型はあるのかすらわからない。
宝物の定義についてもそう。
今宝物だと思っているものなのか、
昔そう思っていたものなのか。
昔宝物にしていたものといえば
思い当たる節はあるものの、
それを彼女に渡す気にはなれなかった。
無論、彼女を信用していないだとか、
嫌いだからなんて理由じゃない。
むしろ、利害関係としては
大いに信頼している。
が、渡すわけにはいかないのだ。
持っていた便箋を開き、
中に入っていたものを
手のひらに転げる。
そこには白濁した、
お世辞にも綺麗とはあまりいえない
石のようなものが入っていた。
刹那、僅かながら
風が吹いたような気がした。
はっとして顔を上げる。
吉永はきょとんとして、
そしてこちらを微笑んだ。
澪「これ、宝物なん。」
寧々「はい。いつどこで拾ったのか、もらったのかすら覚えていないんですが、何故かずっと持っていたものです。」
澪「…へぇ。変な趣味しとうね。」
寧々「好きで持ってたわけじゃないですよ。本当、何となくです。」
澪「そう。」
寧々「じゃあそれを1度手に持って、廊下を歩いてみますか。」
澪「やな。」
寧々「手紙は小さく折ってポケットの中に入れてもいいので。」
澪「あんま形は崩したないけど…しゃあないか。」
寧々「文字が読めるようであれば折り目が1つ2つ増えるくらい良くないですか?」
澪「それはあんたが書いた物やから言えるったい。」
寧々「そうでしょうか。」
澪「…あれやな、ケーキがぐしゃぐしゃになっても味は変わらんって言っとるのと同じやな。」
寧々「え。それは嫌ですね。ケーキはできるだけ形の整ったまま食べたいです。」
澪「そこはこだわるんや。」
吉永は楽しそうに
口元を隠して笑った。
それから、廊下に並んで歩いてみる。
すると想像通り、
人々はそれとなくよけてくれているようだった。
次に、吉永の指示の通り
ポケットの中に入れて隣を歩く。
それでも、誰ともぶつかることはなかった。
まるで吉永と
触れた後すぐのような。
寧々「どうやら効力はあるみたいですね。」
澪「あんたと触れた後みたいな感じやね。」
寧々「なるほど…持っている間は安全にしろ、耐性がつくことには変わりないかもしれません。」
澪「家とかで透明化が進行した時に触るようにしとくわ。」
寧々「はい。お願いします。」
おまじないは形を変えど
…どのような形であれ、
うちらのことを
繋ぎ止めていてくれるようだった。
ただ、これも長くは
続かない可能性が大いにある。
これすら頼みの綱ではいられなくなった時…。
…。
いや、それは今考えなくても
いいのかもしれない。
嬉しくないことに
今後迫る未来は微かながら
見えてしまった気がした。
澪「吉永。」
寧々「はい?」
隣を歩く吉永は
やや見上げてうちと目を合わせる。
くりっとした小動物のような瞳が
まるでチワワのようだなんて
どうでもいいことを考えていた。
少し、くしゃっと
スカートを握る。
澪「あんた、嘘ついてないよな。」
寧々「そう見えますか。」
澪「いいや、鎌かけただけや。」
そういうことにしといたる。
口にはしなかったが、
心の中でそう唱えた。
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