割れない澱み
寧々「調子どうですか。」
突如頭上から降る声に
はっとして顔を上げる。
どれほどぼうっとしていたのだろう、
どうやら朝のホームルームが
終わっていたらしい。
頭はずっと動いているのに、
ずっと悶々と考えているからこそ
思考は堂々巡りとなっていて、
結果ぼうっとしているだけに
なってしまっていた。
1歩も進めない思考を他所に
吉永と目を合わせる。
澪「そこそこ好調やな。例の件も含めて。」
寧々「そうですか…。」
自分自身への皮肉を込めて呟く。
昨日触れてして既に
声は届かない状態かもしれない。
°°°°°
寧々「…提案があるんです。」
澪「何ね。」
寧々「触れるのは篠田さんの存在が周りに知られなくなりつつある時…それこそ、私が初めに触れた程度のタイミングにしませんか。」
澪「時間を開けるってことけ。」
寧々「はい。私とずっと一緒にいなければならないというのも酷でしょう。それに…。」
澪「…?」
寧々「…例えば薬のように、使用すればするほど耐性がついて効かなくなっていったら…と考える時があるんです。」
澪「…。」
寧々「ですから、ある程度進行してからの方がいいんじゃないかって思うんです。…篠田さんには結果時に負荷をかけてしまうのですが…」
澪「よかよ。」
寧々「…。」
澪「その方が決断までの時間を稼げるんなら、それで。」
寧々「そうですね。…正直なところ、タイムリミットはそんな年単位もあるほど長くはないと見ています。」
澪「それはうちもそう。長くて1ヶ月…いや、1、2週間程度やろうな。」
寧々「…それまでに解決方法を考えなくちゃ…ですね。」
°°°°°
この話が通用すると考えるなら、
ずっと触れていなければならない、
もしくは触れてももう改善しない状況が
降りかかってくることだろう。
まるで天災の様に
突然その出来事が起こるかもしれない。
うちらは見えない癌を前に
どう対処すればいいのだろう。
それ以上返す言葉もなく
目を逸らそうとした時、
吉永は無理をする様に
口角を上げて笑顔を作った。
寧々「そうだ!話は変わるんですけど…。」
澪「何ね。」
寧々「今日お時間あればまた勉強会しませんか。」
澪「あぁ、よかよ。」
寧々「ありがとうございます!」
嬉しそうにひと言そういうと
「では」と話を早々に切り上げて
自分の席へと戻っていった。
***
気怠い授業を聞き流し、
すぐさま放課後がやってくる。
暖かい日差しは既に下がり始め、
冬だと言わんばかりの寒空が
広がり始めていた。
吉永に言われて2人で過ごせる様な
空き教室を探す。
この時期、この時間ともなれば
教室内で勉強している人や
部活動生が多かったけれど、
幸いなことに空き教室を見つけ、
隣になって席を取る。
互いに勉強する参考書やら
教科書やらを開き、
ひたすらに問題を解いていく。
どれほどの時間が経ただろう。
無言に疲れたのか、
息をする様に呼びかける声が漏れた。
澪「なあ。」
寧々「はい?」
澪「もしも例の現象の件で…耐性の話が本当やとして、触れてももう改善せんようになったらどうするん。」
寧々「…それは」
澪「ごめん、こんな話ばかり。」
寧々「篠田さんも謝るんですね。」
澪「馬鹿にしとうやろ。」
寧々「いいえ。少し意外だっただけです。」
澪「それを馬鹿にしとうって言うとよ。」
寧々「違くて。不当に誤ってしまうくらいには不安定なんだろうなと思っていただけです。」
澪「そうかもな。」
寧々「もうー。」
鼻で笑い、遇らうようにそう言った。
冗談だと通じたのか知らないが、
吉永は遊び半分に怒っていた。
でも、図星を突かれてしまったが故に
息が刹那止まる。
そして、長く息を吐いた。
それだけで空気が落とされていくような、
重たい錯覚に目が眩む。
澪「最近思うっちゃん。願っとったことなんに不安やなって。」
寧々「どうなるんだろう…って言うことですか。」
澪「それもあるし、こうやって付き合ってもらっとる吉永の時間も全て無駄にすることになる。」
寧々「そんなこと考えなくていいです。」
澪「恩があるんやし、そんなことで片付けられるほど割り切れんと。」
寧々「…確かに、篠田さんってそういう人でしたね。」
澪「ああ、別の世界線の?」
寧々「はい。自分が不利益を被るのは嫌だけどまだ許せるって言ってましたっけ。」
澪「そんなこと言っとったんや。」
寧々「こちらの篠田さんも同じ様に感じます。」
澪「あー…あんま考えたことはなかったけど、言われてみればそうかもしれん。」
確かに、自分が不利になるだけなら
それはそれで憤りを感じるが、
相手に被害が行くことは
別に願っていなかった。
思えば、姉もその様な人柄だったと思う。
夕食を買いに行った時、
手持ちのお金がなくて何かが
1つしか買えなかったとして、
姉は必ず半分こしようと言った。
自分が食べられないのは嫌だが、
それ以上にうちに分けないのは
嫌だなんて言っていたっけ。
澪「姉がそのタイプやけん、2年間空いたとしても根には残っとるんやろうな。」
寧々「2年空いた…って?」
澪「ああ、それは…って、どうせ別の世界線のうちから聞いとるやろ。」
寧々「いえ、本当に知らないんです。引っ越してからってことですか。」
どういうことなのか、
短い時間だったろうが
理解できずに口を噤む。
だって、吉永とはいろんなことを
話し合ったと聞いている。
なのであれば、まず初めに出てくるのは
この話ではないのだろうか。
うちを象ったこの話ではー。
そこまで思考してはっとする。
別世界線ではそもそもとして
不可解な出来事は起こっていなかった。
だから2年間姉と
喧嘩していたことだって
そもそも存在していない出来事なのだ。
澪「そっか。」
寧々「え?」
澪「…いろんなことに納得しただけったい。まず順に説明するわ。」
寧々「ありがとうございます。」
澪「うちが高校1年生の頃のお盆の時、うち2年後にタイムリープしたんよ。」
寧々「今年の夏…ですか。」
澪「そう。んで結華と、主には悠里に助けてもらいながら数日間過ごして、その2年後の自分の家に帰った時、姉がうちのことを電話で話よったっぽくて。」
寧々「うん。」
澪「自分に比べて不出来やとか、あんな奴が妹なんうざい、とか。」
あとは。
°°°°°
「あんなやつ、さっさと消えればいいのに。」
°°°°°
澪「…。」
寧々「篠田さん?」
澪「ああいや、何でもない。とにかくいろんなことを言っとった。」
寧々「そんな…電話の相手は。」
澪「それはわからん。けど、可能性がある人はおる。」
寧々「そうですか…。」
澪「この話は一旦置いといて、それから2年間姉とはほぼ話さんかった。うちからしてみれば、姉はいい人面してるだけの真っ黒な人間やったからな。」
寧々「私が過去に聞いていた印象とは違いますね。」
澪「多分、その事件があるまでは姉のことを尊敬してたしそれなりに好いとったから、いいことしか話さんかったんやと思う。」
寧々「はい。いいところしか見えていないくらいに。」
澪「そうやろうな。それで今年。うちは2年前のうちがタイムリープしてくるのは知っとったから、いろんな人の家に泊めてもらったとよ。」
寧々「そうだったんですか。無茶しますね。」
澪「過去のうちの記憶中、自分には会っとらんかったけんな。」
寧々「それで…何かわかったんですか?」
澪「今年に来た2年前のうちは、察するに家に帰っとらんかった。その代わりうちと会うたわけやけど。」
寧々「…え?あ、ちょっと待ってください…混乱してきました。」
澪「よな。まず、家に戻らんかったことで、姉の悪口は聞いとらん。」
寧々「じゃあ、姉不信になることはなく…?」
澪「そう。ついでにこれがきっかけで真面目な人間には裏があるって考える様になったから、吉永とも仲がいいはずなんよ。」
寧々「なるほど。篠田さん同士で顔を合わせたことは…?」
澪「それはどうなるのか知らんし、もう知れんと思う。助言はしたけど、それがどう響くかっちゃない。」
寧々「ちなみになんて言ったんですか?」
澪「結構聞くな。」
寧々「えへへ…すみません。」
澪「別によかよ。確か、姉のことを大切にする様にって。」
寧々「恨んでたんじゃないんですか。」
澪「そうやけど、いろんな人に泊まらせてもらって話す中で、思い返してみたら姉は2年間ずっとうちのことを気にかけてくれとったんよ。」
寧々「…。」
澪「だけん、思ったと。もしかしたら電話相手が無理矢理言わせたんやないかって。」
寧々「…!そんな、意図的に…?」
澪「この件、タイミングが合わんとどうにもならん。たまたまって言うのも考えられるけど、意図的やったと思いたい。」
寧々「じゃあ、予定であればその時間に2年前の篠田さんが家に帰ってくると知っていた人…?」
澪「…そう。それが、もしかしたらうちやったっちゃないかいなって。……ただうちは実行もしとらんけん、確証はない。」
寧々「イフの話ですもんね。」
澪「そう。…だけん、吉永にも謝りたいっちゃん。」
寧々「え?何をですか。」
澪「理不尽に嫌っとったこと。」
机から体を話し、
椅子に座ったまま吉永の方へと足を向ける。
前々から自分でもわかっていた。
吉永を嫌う理由は理不尽でしかないことに。
静かに頭を下げる。
結んでいない髪の毛が
緩やかに肩を滑った。
澪「あんたに思い当たる節もないはずなんよ。意味もなく不当な扱いを受けさせとった。ごめん。」
寧々「篠田さん。顔を上げてくださいよ。」
澪「…でも」
寧々「私は顔を見て話したいです。」
その言葉に恐る恐る顔を上げると、
春のように柔らかく微笑んだ吉永がいた。
寧々「…そうですね、何と話せばいいのか。」
澪「好き勝手言ってくれてかまわんけん。」
寧々「そうですか。じゃあ、遠慮なく。」
どれほどの罵声を浴びせられるだろう。
ただの使命感の関係でしかない。
うちが下手に回ったって
存在し続けるには
吉永に頼るしかないのだ。
不当な扱いをした分、
それ相応の報いをしなければならないと
言われたっておかしくない。
腹を括りかけたその時、
不意をつくような言葉が耳に届いた。
寧々「いいですよ。」
澪「…え。」
寧々「今こうして話せている以上、もう気にしてません。」
澪「文句のひとつやふたつくらいあるやろ?」
寧々「確かに5月あたりは寂しかったですが、あなたは理由もなく人を嫌う様な人じゃない。それは私が1番知っています。」
澪「…。」
寧々「何かしらのトラウマを抱えていたからこそ攻撃的になってしまうのは…私もわかるので。」
思えば、吉永の母は
兄を亡くすというトラウマを抱えて
働けないほどになっていたと聞いた。
それがどの様な症状なのか
耳にしたことはないが、
泣き叫んで喚いて…
ものや人にあたるほどに
なっていたとしたら。
彼女の言葉には酷く重力がかかっていた。
寧々「それに、過去に1度打ち開けてくれたんです。」
澪「うちが?」
寧々「はい。姉はしっかりしてないから、自分がしっかりしないといけないって親から叩き込まれてきた、と。」
澪「…!」
そう。
そうだった。
小さい頃の記憶が
波の様に大きく被さってくる。
小さい頃、うちは今とは正反対なことに
ある程度社交性があった。
友達と外で遊ぶことが
常だったのに対し、
姉は引っ込み思案だった。
勉強も運動も互いに
そう差はなかったけれど、
ひと昔でいう優秀、幸せへの道に
乗せたくて仕方がなかったのだろう。
あれは悪い姉だから、と
澪は立派だから、と。
一応姉のことを気遣っていたのか、
彼女には聞こえない様にと
うちに囁く様に脳を侵食した。
それから中学、高校と進学する中で、
姉は素晴らしい友人に出会えたのだろう。
はたまた、生きがいというやつを
見つけてしまったのだろう。
それこそ、好きな人がいて、
一緒に頑張っているだとか
妄想はいくらでもできたけれど、
嬉々として日々を過ごすようになっていった。
勉強会と称して帰るのは遅くなり、
テストではしっかりと
点数を取ってくる様になった。
その結果もあり、
姉が大学受験の年の頃には
うちと姉の立場は逆になっていた。
当時中学生だったうちには
まるで見捨てる様な視線を投げ、
姉ばかりを称賛していった。
出来損ないだと言わんばかりに
うちの耳にも届く様に。
そんな中、姉が言ったのだ。
「一緒に上京しよう」って。
姉だって見下されるのが
辛いことくらい知っている。
幼少期は隠れてうちが有能だと
囁き込んでいたけれど、
きっと姉だってわかっていたのだ。
卑下されていたと知っていたのだ。
だから、助けてくれたのだと思う。
だから…姉のことを尊敬しているし、
恩だって感じていた。
ありていに言えば好いていた。
それでも、中学時代の
家庭での傷はなかなか癒えず、
今でもうちは何をやっても
駄目な子だと思っている節がある。
姉は次々と目標を決めて行動もしていく。
それなのにうちは。
ああ、ほんとに出来損ないだったんだって。
タイムリープの時のあの電話は
当初両親との会話だと思っていた。
姉もそう思っていたんだって
落胆した記憶があった。
そうだ。
…いろいろな嫌なことを
思い出してしまった。
澪「じゃあ、のちに親の中での姉との立場が逆転したことも?」
寧々「ええ。」
澪「それが原因で今も…。」
寧々「はい。戦っていることも。」
澪「…そんなに信用しよったったいね。別世界線のうちは。」
寧々「…。」
澪「…そうけ。」
寧々「私も。」
澪「…。」
寧々「私も、1番の友達であるあなたを信用していますよ。」
そう言った彼女の目は、
何故だか笑っていないように見えた。
だが、それは見間違いだったのか
すぐにいつものように
無垢そうな輝きを持った目に戻る。
寧々「さて、話は戻りますが…現象について試したいことがあるんです。」
澪「なん。」
寧々「長く触れてみませんか。5分ほど。それで、明日や明後日はどのくらい持つのか見てみましょう。」
澪「わかった。」
手のひらを上にして差し出すと、
上から被せるように
遠慮もなくぎゅっと手を握ってくる。
こうして正面向き合いながら
片手を握っていると
妙にくすぐったくて仕方がない。
握手をするように指の側面が
上になるようにすればよかったなんて
今更のように思いながら、
時間が経るのを待つ。
澪「さっきも話の途中やったけど…もし耐性がつき切ったらどうするん。」
寧々「元に戻す方法を探します。」
澪「透明化し切ってしまったら?」
寧々「それでも探しますよ。」
澪「あんたの前からもおらんようなったらもう無理やろ。」
寧々「見つけるまで探します。」
澪「…ほんまようわからんやつやな。」
寧々「それは褒め言葉ですよね?」
澪「そういうことにしとっちゃるわ。」
寧々「あ、ずるい。私の真似しましたね?」
澪「ずるくなか。あ、そう癒えば手紙持ってきたけんー」
寧々「もう、話をすり替えないでください!」
吉永はまた笑いながら
怒った風な声を上げる。
何だかそれが学級委員ぽくて
面白くなってしまった。
それから残りの数分も
しょうもない利益のない会話をしながら、
けれどその会話はきっと
価値で溢れていった。
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