心の穴

寧々「もう…あれは流石に笑いましたよ。」


澪「……そりゃあ楽しそうでよかったな。」


寧々「明らかに不機嫌そうな声出さないでくださいよー。すみませんって。」


吉永は嬉々としてそう語る。

ファストフード店では

老若男女様々な人が立ち寄っていた。

16時前後なこともあり、

学生の姿が多く見えた。


吉永の言うあれとは、

昨日うちが渡した手紙のことだった。

彼女から誘われて

数時間勉強しようという話になり、

せっかくの機会だしと思い

手紙を返した。



『吉永さま


昨日もあっとうのに元気ですかは

くすぐったすぎるけんなしで。

冬はすかん、冷えたら何にもやる気が起きん。

だからといって夏も嫌やけど。

結局花粉もそこそこな秋が

1番過ごしやすくていい。


結構イメージ通りって言われること多いけど

明太子は外せんね。

レストランに行っても

めんたいパスタばっかり食べよる。

そのせいでこの前姉から

別のものは食べんとって聞かれた。

そんな姉もジェノベーゼっていう

バジルのパスタばっかり食べとるんにな。

とにもかくにも、福岡から来ただけあって

いちごとかラーメンとか、

福岡県産って見るとちょっと嬉しい。


失敗談で言うと、この前シャーペンを

逆さにして芯を出そうとしたくらい。

大きい失敗も沢山あったはずやのに

いざとなると全然浮かばん。


あと、今日は助けてくれてありがと。


締め方が思いつかんけん適当で。

おやすみ。


篠田澪』



と。

どうやら1行目がお気に召したらしい。

そして今日の朝。

当然のように手紙が机の棚のところに

置いてあった。

これが一昨日悪口を

言っていたやつらに見つかったら

大変なことになるんじゃないかと

勝手ながらひやひやする。

鈴香以外は他クラスのようだし

そこまで気にしないのが吉だと思った。

一昨日触れたばかりだし

もしかしたら見える可能性もあるために、

授業中に手紙を開くことは憚られた。

手紙を開かないまま

放課後にまでなってしまったが、

きっと文字でも宛名のことが

書かれているに違いない。


随分と嬉しそうに口を開く彼女は、

最近期間限定で発売されたばかりの

チョコ系の飲み物を注文していた。

そういえばチョコレートが好きで

…なんて手紙に書いてあったような。


澪「それにしても、あんたも寄り道するんやな。」


寧々「たまにです。滅多にしません。」


澪「真面目さんやもんな。」


寧々「それもありますし、受験ってこともあって。」


澪「あー…そうやんな。」


寧々「どうですか、そちらは。」


澪「ぼちぼち。」


寧々「…まあ、絶好調って答える人の方が少ないですよね。」


澪「それもそうか。」


買ったポテトをつまむ。

イートインしていることもあって

揚げたてでサクサクしている。

時々萎びれているものもあるが、

こういうものに限って美味しいものだ。


寧々「バイトに入っていた時はまだ寄り道していた方ですね。」


澪「え、バイトしとったん。」


寧々「はい。1年強ほど。」


澪「やめたと?」


寧々「そうしました。」


これだけはっきりと受け答えできるのだし

納得できると言えばできるが、

まさかこんな身近な人が

バイトをしているとは思っていなかった。

学校の方針としては

何かしら家庭の事情がある場合

バイトをしてもいいことになっている。

が、実際ばれなければ

何も言われないので、

申請も何もせずに始めている人は

結構多いと聞いたことがあった。

吉永の場合は申請していそうだけれど。


寧々「一応受験でとは伝えてあるので雇用されたままにしてくれると言ってもらえたのですが、少なくとも2ヶ月は入れない…というか入りたくないですし。」


澪「キリもいいしな。」


寧々「そうなんです。大学生になったらまた別のバイトを探すのは大変ですが…いろいろなことを経験したいなって思えるようになったので、そうしてみようかと。」


澪「へえ。」


寧々「澪は何かしてみたいバイトってありますか?」


澪「うーん。」


高校生になったら

バイトは何をしようと考えたことはある。

ペットショップの店員だったり、

コンビニ店員だったり、

イベント設営スタッフだとか。

結局申請が必要だったために

していないけれど。


澪「こじんまりとしたカフェとか。」


寧々「似合いそうですね。」


澪「適当言ってるやろ。」


寧々「そんなことないですよ。」


澪「何のバイトしよったん。」


寧々「アパレルショップの店員です。」


澪「え。」


寧々「意外ですか?」


澪「とても。」


寧々「三門さんと同じバイト先だったんですよ。」


澪「へぇ。じゃあガーリー系と?」


寧々「ですね。」


澪「さらに意外やな。」


なるほど、と腑に落ちる。

これまで三門と吉永に

何の接点があって仲良くなったのかと

思うところがあった。

バイト先が一緒で、

しかも寄り道をしていたと言うには

三門が無理矢理にでも誘ったのだろう。

容易に想像できてしまう。


澪「あんたのことやし申請通したっちゃろうねー。」


冷やかしのつもりで不意に口から溢れる。

これだけ真面目なのだし、

ただの興味でバイトをするにしても

何らかの理由をつけて

申請したに違いない、と。

いや、逆か。

真面目だから理由で

嘘をつくことができずに

申請していないのかも。

どちらにせよ不真面目要素があることに

遅れて気づく中、

吉永はさも当然だと言うかの如く

ひと息ついてから言った。


寧々「はい。ちゃんと正当な理由で申請しました。」


澪「え。」


あ、そうなん、と言うには

あまりに重そうな内容だったので

咄嗟に口をつぐんでしまった。


澪「それ、うちが聞いてもいい話なんけ。」


寧々「ええ。それに、元の世界線の篠田さんには散々話していたことですし。」


澪「へえ。」


寧々「そうですね…今日はゆっくり話しますか。」


机に手を置いたまま

猫のように軽く伸びをしては

姿勢を正していた。

うちも自然と背筋を

伸ばしていたことに気づくのは

もう少し後のことだった。


寧々「私としてはもうだいぶ割り切っていることなので大丈夫なんですが、もしかしたら少し重い話になるかもです。」


澪「吉永がいいなら。」


寧々「ありがとうございます。」


くすりと笑うと、

手元のチョコのドリンクを

まるで温めるようにして手を添えた。


寧々「私のいた世界線であなたとちゃんと深い中になっていったのは進級するあたり…2年生になる前後くらいのことだったと思います。」


澪「へえ…長い付き合いやったんやな。」


寧々「そうですね。1年生の頃からお世話になってましたし。」


澪「あぁ、そこは一緒なんや。」


寧々「はい。学校に通うようになってからは篠田さんに色々な相談に乗ってもらってたんですよ。」


澪「相談。」


寧々「はい。主に家庭のことで。」


家庭。

それがバイトの申請の話にも

通じてくるのだろうことは

最も簡単に想像できた。


寧々「まあ…俗に言う毒親ってやつです。昔はそんな感じじゃなかったんですけどね。」


澪「そうなんか。」


寧々「私には兄がいたんですけど、それこそ進級する前に事故で亡くなってしまって。母は兄を溺愛してたものですから、それでちょっと精神をやっちゃったみたいです。」


澪「あんたは大丈夫やったん?」


寧々「だいぶ引きずりましたよ。多分、今も少し。」


澪「…。」


寧々「そんな暗い顔しないでくださいよ。」


澪「しとらん。」


寧々「そういうことにしといてあげます。」


澪「あ?急にうざいな。」


寧々「ふふっ。」


吉永は時々

そういうことにしといてあげる、と口にする。

それはうちの素直じゃない部分を

皮肉っているのか、

それともただただ揶揄っているだけなのか。

判別は今でもつかないままに

彼女はまた口を開いた。


寧々「母は働ける状態にありませんでしたし、保険やら貯金やらだけじゃ厳しくなってきたのでバイトを始めたんです。」


澪「それでやったんやな。」


寧々「バイト自体はアパレル系で興味のあることでしたし、周りの人もとても良くて。でも家庭だけは中々厳しかったですよ。」


そういえば先日の手紙で、

チョコレートを親に隠れて

食べているみたいなことが

書かれていた気がする。

外の駐輪場のカゴの中に

置いているとか言っていなかったか。

それも親が厳しいことを

表しているのだとすれば、

どれほどの過酷な環境下で

過ごしていたのかが脳裏に浮かんでしまって

少しばかり気が滅入る。


それでも吉永は

もう過ぎたことだと

言わんばかりの態度で奇妙に映る。

今でもその親の元にいるはずなのに、

どうしてこんなにもけろっとしているのか。


寧々「そして今年の春です。」


澪「世界線が変わったんか。」


寧々「はい。篠田さんに沢山悩みを話しましたが、もちろん今のあなたではありません。」


澪「この世界では…関係性を見るに三門がそのポジションやったんやろうな。」


寧々「みたいですね。けど、私の認識としてはバイト先の人…顔を知っている程度でした。」



寧々「だからこそ私としては不思議だったんです。梅雨時に助けてもらったこと。」


澪「何があったん?」


寧々「今の篠田さんに降りかかっているみたいな、現代科学では説明し難いことが起きたんです。」


澪「…なるほど。」


寧々「兄の部屋に見覚えのない箱があって、開けたらミイラみたいな片腕と『3つの願いを叶える手』と書かれたものが入っていました。」


澪「それって猿の手やないん?」


寧々「猿の手?」


澪「都市伝説的なやつ。」


寧々「ああ、現実になる…あのグロいジェットコースターの夢とかと一緒の…?」


澪「それは猿夢やな。」


寧々「動物が箱に入ってるかどうかは見てみるまでわからないっていうあれとも…?」


澪「シュレディンガーの猫…ってそれは都市伝説やないけど。」


寧々「ふふ。詳しいんですね。」


澪「タイムリープしたことがきっかけで色々調べたと。それは夏に解決したんやけど…この話は置いとこうや。」


寧々「すみません、話が逸れちゃいましたね。」


周囲の人の数は増えているなのに、

隣の席が空いたせいで

今はピークではないんじゃないかと

頭の隅で捉えてしまう。

けれど、それに反するように

耳に届く喧騒は大きくなっていた。


寧々「確かあの時は精神的に参っていたような気がします。」


澪「…そりゃあうちとの関係が全て無かったことになって頼れる人がおらんかったら…そうなるわ。」


寧々「…あはは、ですよね。今冷静考えれば修羅場を潜り抜けてますね。」


澪「…んで、願い事は?」


寧々「1つ目はどうでもいいようなことに使って。2つ目に兄を生き返らせて。3つ目は三門さんに頼んで、兄を消してください、と。」


澪「…。」


寧々「そしたらびっくり。兄の存在ごと消えてしまったんです。」


澪「……え?」


寧々「母も兄がいたことなんてもちろん記憶になく、精神的に不安定…ということもなくなりました。というより別人ですね。元より兄の死がきっかけでしたから。」


澪「存在ごとって…。」


寧々「でも、私は覚えています。時間が経ってきているので相応に薄れつつはあるのですが、記憶がなくなったなんてことはありません。」


まるで。

まるで、三門の時のようなんて

思ってしまった。


寧々「そうして今は冷蔵庫にチョコレートを入れても怒られず、1人でちまちま食べているわけです。」


吉永はもう過ぎたことだと

言わんばかりの態度をとっていた。

それもそのはず。

今はその親の元におらず、

全く別の母親と言っても

過言ではない環境にいるのだから。


思わずため息が出そうになる。

そうしたいのは目の前の

こいつの方だろうに。


澪「そっ……かぁー。」


寧々「何ですか、その溜めは。」


澪「いや、こう…頑張っとったんやなって。今のうちはほら、これまでの吉永を知らんから、そんなそぶりもないように見えとったんよ。」


寧々「知らないとそうなりますよね。わかります。」


そう、知らなかった。

知らなかったから仕方ないでは

済まされないようなことを

していたのではないか。





°°°°°





寧々「澪!」



---



寧々「待って、澪!話したいことがあるんです。」



---



寧々「あのっ、私が何かしてしまったのならごめんなさい!」





°°°°°





あの時、姉と和解もせず

名前で呼ばれたことに

嫌悪感が積もりに積もって

無視するような真似をした。

悲痛な叫びと言っても

過言ではなかったような。

記憶の中ではすでに

脚色され出しているのかもしれない。


頼りの綱がひとつ切れたも同然だった。

それも知らず、うちは悪態をつき続けた。

そりゃあ意図せずかしてか不明だが

澪から篠田さんへと

呼び方を変えるだろう。

無知は罪とたまに聞くけれど、

その意味が本当の輪郭になって

ようやく捉えられたような気がした。


寧々「今日は自分の話ばかりになってしまってすみません。」


澪「いや、別に。」


うまい返しも見つからず、

曖昧に答える。

互いにただの利害関係でしかないはずなのに、

同情しそうな自分が嫌になる。


外はぼちぼち暮れだして、

肌寒そうな色が広がりだした。

2人ともちょうど手元のものも

食べ切ってしまったので、

それを皮切りに店外へ向かう。

予想通り、昼間に反して

鳥肌の立つほどの気温になっている。

どうやら明日からは

ぐんと冷え込むらしい。


寧々「篠田さん。」


澪「ん。」


寧々「昨日触ったばかりですが、土日を挟みますし念のため触れておきませんか?」


澪「わかった。」


振り返れば、相変わらず

ふたつ結びをした吉永がいた。

手の甲を上にして差し出すと、

まるで手を支えるかのように

下から掬うようにして握られる。


やっぱり。

いつものように指先は冷えていた。





***





家に帰って早々

鞄から手紙が発掘される。

そういえば読んでないなと思い、

学習机につくや否や

すぐにそれを開いた。



『篠田さんへ


開幕早々失礼ながら笑ってしまいました。

吉永さまって硬すぎますよ!

さま、は禁止です。笑


確かに秋って過ごしやすいですよね。

20℃くらいがちょうどいい。

もう朝は10℃を割って来て

それまた冷えること冷えること。

末端冷え性の私には厳しい季節です。


福岡って美味しいものが

沢山あるイメージがあります。

明太子とラーメン。

あと、個人的にはお魚が

美味しそうだなって思っています。

今度、年末年始あたりは

地元で過ごすんですかね?

そうなったらお土産話待ってますね!

美味しいものを沢山食べて

お過ごしください。


あなたが助けられたと思っている出来事、

色々と考えは巡りますが、少しだけ。

どういたしまして。

こちらこそありがとう。


今日は一緒に勉強ができてよかったです。

いつもより何倍も捗りました。

私は世界史がてんで駄目なんですが、

篠田さんは苦手な科目はありますか?


では、明日も素敵な日でありますように。


吉永寧々』



澪「明日も素敵な日で…なぁ…。」


そうひと言呟く。

一昨日から昨日にかけて

散々Twitterでも考慮したが、

本当に裏切る意思はないのだろう。

もしあったとしても、

嘘をついていたとしても、

今だけはその嘘に

酔っていてもいいやと思えた、

手紙を読み返す。

やっぱり世界史は苦手らしい。

うたた寝していたし納得だ。


便箋の下部は水色で

グラデーションになっており、

小さな羽が舞っている。

そこに、シャーペンで羽を1枚

それとなく付け加えた。


「吉永へ」。

一昨日よりは手に馴染む書き始めだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る