嘘は計画的に

何だか夏に逆戻りするんじゃ

ないかと思うほどの

包み込むような温暖の空気が

神奈川の上空を占領していた。


一昨日、吉永に触れられたばかりのせいで

今日はまだ人に見えているだろう頃。

一瞬意識を逸らしていても、

声をあげれば振り返るのだろう。

学校について早々

荷物を机の棚に置こうとした時、

何か紙が置いてあるのが見えた。

手にとってみれば、

それは白を基調とした封筒だった。

名前の知らない花が

隅に印刷されている。


はっとして教室を見渡すと、

当たり前のように吉永は

自分の席に座っていた。

既に何人もの生徒が教室にいるもので、

すぐに読むことは憚られるような気がして

そっと1限目に使用する

教科書に挟んでおく。


澪「…。」


本当に手紙の送り合いをするらしい。

受け取ったまま返事をしなくても

いいのだろうけれど、

返さなければと

思ってしまう気持ちが大きい。

もしかしたら吉永の言う真面目で優しいとは

こういう義務感のことを

指しているのかもしれない。


澪「…はぁ。」


面倒なことになったと

改めて思う他なかった。


1限目が始まると、

先生はひたすら板書のために

チョークを動かしていた。

世界史の流れを説明したいらしいが、

この先生の説明はわかりづらかった。

プリントやタブレットで

資料を作って送ればいいのにと思いながら、

先生がこちらを見ていないのをいいことに

静かに手紙を開く。


耳には、皆の板書する音や

内職しているだろう音が届き、

聞こえてきそうな寝息までもが

勝手に再生されていた。



『篠田さんへ


寒くなって来ましたがお元気ですか?

昨日の今日で元気か、なんて

少し変ですかね。


昨日は気が向いたので

少しだけ料理を手伝いました。

朝からホットケーキを焼いて、

それはそれはふっくら美味しそうに

出来上がったのですが、

卵の殻が入ってしまっていたみたいで

苦い思いをしました。

最近世界史の授業で

居眠りしていた罰だと思うことにします。


せっかくの文通なので、

ここでだけの秘密でも

書き残しとこうと思います。

実はチョコレートが好きすぎて

一時期親に隠れて買い食いしてました。

冬の日、駐輪場の自分の籠の中に隠すんです。

一度間違えて暖かい時期に

土の近くでやってしまい、おかげで蟻が

嬉しそうにしていたのは内緒です。

今は冷蔵庫に入れて

ちまちま食べています。


篠田さんは好きな食べ物や

やってしまった…みたいな

失敗談はありますか?


明日も素敵な日でありますように。


吉永寧々』



思っていたよりもしっかりとした

手紙になっていることに驚く。

たまたま今は世界史の授業なもので

彼女の座る前方の席を見てみると、

案の定船を漕いでいた。


澪「…。」


この手紙のやり取りが

本当に透明化の解消に繋がるのかは

些か疑問ではあるけれど、

もし本当にうちが消えたとしても

この手紙は残ることになるのだろう。


透明になったら。

なりきってしまったら。

うちの所有物とやらは

一体どうなってしまうのだろう。

姉が不審がって捨てるのだろうか。

それとも、元から自分のものだったと

誤認して生きていくのだろうか。


普通ならありもしない未来なもので、

想像していると何だか気が紛れた。

これを現実逃避というのだろうことは

容易にわかった。


泥を捏ねるよりも暇な授業時間を

胡麻以上に潰しては

ようやく放課後に辿り着く。


帰るのも面倒になるものの、

気晴らし程度に散歩することは

何故か面倒のうちに入らないらしい。

帰る準備をしたが、

鞄をそのままに廊下に出る。

手ぶらでの散歩は落ち着かないものだけど

校内でならそうでもなかった。


「マジでだるーい。」


「それな。」


「んでさ、この前ー」


「あっははは、それはやばいって、あはは。」


色々な生徒の話し声が聞こえてくる。

皆それぞれに生活があるのだと思うと

やっぱり感慨深い。


ふと空を見ると、それだけは相変わらず

マイペースな時間を流していた。

いつだって変わらない空の風貌を

ただぼんやりと窓ガラス越しに眺める。

15時ではまだ辛うじて明るいものの、

神奈川の夜は福岡よりも早く

16、17時には暗くなってゆく。

そのかわり、福岡は朝が遅かったなと

ふと思い出す。

冬だと朝の7時でもまだ真っ暗で、

登校する頃になってようやく

日が昇るかどうかと言ったところだ。

電車も神奈川とは違って

路線がふたつしかない。

人々はそこに集まっては

時間によって10分から20分に

1本くらいしかやってこない電車を待つ。


福岡の2倍の人口を誇る

神奈川に住んで3年目。

人の多さ、特に朝の通学、

通勤電車には慣れた。

でも、時々こんなにも人で溢れていることが

不思議でならない時がある。

人それぞれに意識があり、

意思があり、別々の未来がある。

見えている人、家族だろうと友達だろうと

もちろん見知らぬ人だって。

みんな、似ていたとしても

どうやら違うらしい。


持っている過去だって違う。

携えている過去によって、

その人となりだって違う。

未来を変える力は誰しも持っているのに

過去を変える力を持っている人はいない。

過去を変えられるなら

変えたいという人は

いくらでもいると思うのに。


かくいううちだってそうだ。

姉との出来事がなければ

どれほど自信を持って

生きていられたのだろうって。

もしかしたらその真逆で、

今よりも自信を無くして

生きていたのかもしれないけれど、

何故か今以下の世界線では

ないだろうなんて思ってしまう。

いっそのこと4月の時に

吉永や国方同様

別の世界線とやらの自分と

入れ替わってしまったら

よかったのだろうか。


澪「…。」


今日が少しばかり進んでいたからか、

うちが廊下の真ん中で足を止めていても

避けることなくぶつかり出した。

今日の朝まではそんなことなかったのに。

時間というのは見えていなくても

ちゃんと今この時も進んでいた。


時間も人間も進むことばかり

考えなくちゃならない。

まるで義務のように。


それに嫌気がさしたのかもしれない。

何で透明になりたかったんだっけ。

いつからか願い始めていたけれど、

いつからか願いだけが先行して

理由なんてとうに忘れてしまっていた。

何か理由はあったのだと思う。

それこそ、受験だとか。

姉に裏切られた、だとか。

それよりもっと昔の…。





°°°°°





「見て見て、綺麗なビー玉あったよ!」


ミオ「あ、ほんとだ、綺麗!」


「ね、もういっこ探そう。」


ミオ「探す!そしたらこれ、宝物ね。」


「うん。宝物にする!」





°°°°°





あの時が今思えば1番幸せで、

この人生それ以上のものは

もうないと思ってしまっただとか。


今じゃこんなに宙ぶらりん。

何になりたいかも

何が好きかも、どうしたいかもわからない。

現代の若者にありがちなんて記事で見かけた

無気力で無関心というやつなのだろう。


気づけば理由もわからず立ち寄っていた

3年理系の教室にたどり着く。

たまたまだろう、

今日に限って嶋原はおらず、

見知らぬ生徒がぱらぱらと残っていた。

残っている生徒の多くが

受験のための勉強をしていたことは

言うまでもないだろう。


澪「…戻らな。」


誰にも見つけてもらえないのをいいことに

独り言をほろ、とこぼす。

うちもさっさと勉強しないと。

11月も終わろうとしている中で

こんな意識じゃもう既に

駄目なんだろうと

不安と諦めが過るけれど、

何もしないわけにもいかない。

せめて、何かしてるフリでもしてなきゃ

気が紛れなかった。


教室に戻ると、

廊下がややざわついていることに気がつく。

でも、そんな気がするだけかもと思い、

そのまま近づいてゆく。

が、どうやら教室内で

何かが起こっているらしいことが

耳に届く声からわかった。


「いや、正直思わない?あいつ何自分は特別扱いされて当然ですよね、みたいな態度。」


そんな大声で話すことじゃないはずのものを

廊下にいて耳をすませば

聞こえてくるほどの声で言うなんて。

それと同時に、妙に心臓が冷えてゆく。

ばく、ばくと脳にまで

心音が響き渡っているのが

嫌でもわかってしまう。

何となく、これは自分のことを

言っているのだろうなんて直感しては、

そうに違いないと決定づけられていく。

でも、それが確信に変わるのは早かった。


寧々「思いません。」


酷く真剣な吉永の声と

誰かもわからない言葉が聞こえたせいで、

その想像は本当だと

思わざるを得なかった。


「いやいやいや。はは、おかしくね?だってお前毎回適当に扱われてんじゃん。」


「人を寄せ付けないのは絶対隠したい何かがあるんだって話になって。」


「それじゃあ援交でしょ、みたいな?」


「彼氏が遊び人でお金が必要になったとかねー。」


「そもそもあの博多弁?だってキャラ付けでしょ。エセだよエセ。」


「かわいこぶってるんだー。」


寧々「それはあなた方が作った法螺話でしょう。」


「はあー?人聞き悪ーい。」


「じゃあ何?そうじゃないって証拠あんの?」


寧々「直接本人に聞いたわけじゃないので知りません。」


「ほらねー。本人に聞いてもどうせ嘘言うっしょ。」


寧々「あなた方が嘘と捉えるだけです。篠田さんはそんなことしません。」


「はあ?何でそんなあいつの肩持ってんの?」


「え、まさかこいつも一緒にとか?」


「マジ!?え、無理無理、きっしょ。」


寧々「この噂はいつからあったんですか。」


「わ、シカトだシカト。」


「さあねー?うちらも聞いただけだしー。ね、鈴香?」


聞いたことある名前に

ふと耳を澄ましてしまう。

未だ教室の壁際に身を寄せていた。

廊下側の窓が閉まっていてよかったものの、

3、4人の声は変わらず少し漏れていた。


鈴香「え?あ、うん。」


戸惑いながらも

同意するであろう彼女の声が、

深く肋骨と心臓の間に刺さる。

すぐに死ぬわけではないのに、

酷く息苦しい線を突かれたような。

そんな痛みが全身をよぎる。


どうして、って。

けれど、同時にあ、やっぱりなって。

2年間関わってきたけれど、

どうせこんなもんだよなって。

裏切られることくらいわかってたって

言い聞かせていた。

さっさと帰ってしまえばよかったのだろうか。

今鞄を取れば、いや、

時間をおいてまたここに戻ってこれば

いいだけじゃないか。


なのに、何故だろう。

怖いもの見たさなのだろうか。

気づけば足を動かしていた。


声のする方とは反対側の、

教室後方から顔を出す。

すると、たまたま吉永は

こちらに背を向けており、

4人と対面している様子が

視界に飛び込んできた。

これは2分の1を当てられた

今日の運を褒め称えたい。


鈴香は振り返りながら

吉永の方を見ていた。

特に楽しそうな表情もなく、

少しばかり眉を顰めているようだった。


寧々「そうですか。」


「ていうかさ、何でお前がこんなむきになってんの?」


「だよね。よ、さすが委員長ー。」


「うちらには真似できないわー。」


「ねー。止める義理もないのにってね。」


寧々「不快だからです。」


「…は?」


寧々「見ていて不快だったので、首を突っ込みました。」


「あーね。あははー、おもしろ。委員長頭いいもんね?だから見下して正解とー。」


「おおー、言うねえ。」


「てか悪口くらいみんな言ってるっしょ。何でうちらだけ?」


「それなそれなー。差別反対ー。」


寧々「悪口を言っていたと言う自覚はあるんですね。」


「ちっ。ああ言えばこう言う。子供かよ。」


寧々「そっくりそのままお返しします。」


「うざ。」


寧々「悪口を言うこと自体は別に否定しません。言わないことに越したことはありませんが、やっていられない時だってあるのは私だってわかります。」


「へえ?」


寧々「が、せめて本人がいない、確実にこないところでするべきじゃないですか。」


「あいつがいようがいまいが、あいつだってわかってんでしょ。こういうこと言われるくらい。」


「あえて嫌われることばっか言ってるもんね。」


「ありゃあ友達なくすって。鈴香も仕方なく仲良くしてんでしょ。」


鈴香「…。」


寧々「ろくに話したことがなくて知らないからそう言い切っているんです。そもそも、知ろうとしていないですよね。」


「え?当たり前じゃん。」


寧々「幻想で敵を作って憂さ晴らししてるのは子供と何も変わりませんよ。」


「お前…!」


「まあまあカッとなるなってー。優等生からのありがたいお叱りタイムだしさー。」


ぎゅ、とスカートを握りしめる

吉永の背が小さく見えた。

目を凝らせば、

その手は震えているように見える。

怒っているのか、それとも怖いのか。

それなのに何で

立ち向かっているのだろう。

関わらなければ自分が

酷い目に遭うことなんてないのに。


その背中を見ていると、何故だろう、

さっきまで息も吸えないほどに

息苦しかったはずが、

少しだけ和らいだような気がした。

お化け屋敷でよくある

自分よりも怖がっている人がいると

自分はそうでもなくなる状況と

似ているのかもしれない。


寧々「とにかく、本人の目があるかもしれないところで…大声で批評するのは不快なのでやめてください。」


「本当のことかもしれないのにねー。」


「それなー。」


「てかさ、最近AI流行ってんじゃん?あれで本人に似せて動画でも作ればいいんじゃねー?」


「話題のフェイクニュースってやつ?」


「あはは、ウケるー!」


寧々「あなた方は…っ!」


咄嗟に、主に話を回していた

生徒に向かって手を上げた。

反射的に体は動き、

机の間にある鞄を飛び越えて

その腕をとった。


強く握ってしまったのかもしれない。

驚きのあまり、勢いよく吉永が振り返った。


寧々「…っ!?」


澪「…そこまで。」


一瞬時が止まったように思えた。

かと思えば、鈴香を含めて

話をしていた奴らは

目をまんまるにしてこちらを見ている。

透明具合が進んでいたから

唐突に現れたように見えたのだろう。

鈴香も目を伏せては

こちらにすら目もくれない。


後ろめたいならこいつらと

いなければいいのに。

裏切るなら仲良くしなければいいのに。


そこまで言いかけてぐっと飲み込む。

今燃料を投下したって

誰も得なんかしないことはわかっている。

ここで吉永がこいつらを叩いて

被害者面されてもいいことはない。

悪評や悪い噂はうちだけが被ればいい。


澪「先出とくけんな。」


ひと言だけ伝えて手を離す。

そして、鞄だけをとって

教室を後にした。

うちが寄った頃とは違い、

随分と静かなように思えたそこは

紛れもなく小さい世界だなと

思う他なかった。


あんなことがあったのに冷静だった。

否、冷静でいようとしてた。

未だに心臓はこれまでにないほど

強く鼓動しているし、

吉永の腕を掴んだ手は

相反するように冷たくなっていたはずが、

今では手汗が迸るほどに

暑くなっている。

今だけ、ヒートテックを

着てこなければよかったと思うほど

体が暑くて仕方がない。


わかってた。

自分の態度が裏目に出続けていること。

わかってた。

それが原因で敵を作っていること。

でも、味方を作るのは怖かった。

味方は裏切るから。

だから、そもそも作らなければ

いいんだって気がついた。

友達を意図的に作らなければ

裏切られるなんてことないんだから。

期待しないから、裏切られない。

他人に期待したって

自分を守れないんだから。


なのに鈴香と仲良くなってしまった。

妙に心地よくて、

楽しいと思う時が多々あった。

だから甘えてしまった。

こんなうちなのに

関わりを持ち続けていることに

信頼してしまっていた。


馬鹿だ。

うちは馬鹿だ。


そんなはずないのに。

できる限り1人で生きることも選びきれず、

生半可な気持ちで背を預けかけては

椅子を引かれるような思いをした。

期待しないことを

すぱっと選びきれたらよかったのに。

うち自身が自信を持って

自分の足だけで立てたらよかったのに。

昔からずっとそう。

姉を信頼して半生を生きて、

友達に、鈴鹿を信頼して生きて。

信頼、そんな綺麗な言葉でもないか。

依存か。

依存だろうな。


鈴香ですらあいつらの噂話を否定せず、

話を振られたらそれとなく同意していたのに、

吉永はどうしてあんな…

話を止めるようなことをしたのだろう。

明日から自分が

標的になるだろうことだって

あり得るはずなのに。

なのに、どうしてうちを庇うようなことを

先陣切って言ったのだろう。


足早に廊下を歩いていたはずなのに、

背後からは既に

こちらに向かってかけてくる

足音が聞こえていた。


寧々「待ってください!」


澪「…。」


寧々「少し…少し話しませんか。」


いつの間にか校舎の隅に来ていたようで、

他の生徒はほぼ通らなかった。

たまに、今から部活動がありそうな、

体操着を身につけた学生が

部室の鍵を持って歩いて行った。


寧々「…ごめんなさい。まさか…見ているとは思わず。」


澪「どうしてあんたが謝るん。」


寧々「…だって……。」


澪「悪いのはあいつらやろ。」


寧々「でも、私が篠田さんを教室から遠ざけなかったから…。」


澪「別に。どうせ鞄取りに戻っどったし。」


寧々「……ごめんなさい。」


か細くなる声に

胸が絞られるような思いをした。

振り返ってみれば、

鞄を肩にかけては肩紐を両手で強く握り、

少し猫背になって目を伏せていた。

吉永がやましいことを

したわけでもないのに、

どうしてこんなに申し訳なさそうに

しているのかがわからなかった。

何で。


澪「何で庇ったん。」


寧々「え…?」


澪「さっきの。何で。」


寧々「篠田さんを守りたかったからです。」


澪「うち、あんたに酷いことしか言ってこんかったのに?」


寧々「そんなことないです。」


澪「こんな時にお世辞はよか。」


寧々「本当です。便箋を買いに行った時もそうですし、教室で話した時も…それに、もっと前だって。私が不登校だった時だって話してくれました。」


吉永が不登校だった時。

確かに1年生の頃、

そんなこともあったかもしれない。

けれど、話したのはせいぜい

ひと言、ふたこと程度だ。

うちが忘れているだけかもしれないが、

もしそれのことを言っているのであれば

たったそれだけのことで

ここまでするのだろうか。


澪「そんなしょうもないことで…さっきの行動に?」


寧々「当然です。」


澪「……はは…信じられるわけないやん。」


寧々「…。」


澪「自覚あるんよ。だって…あれだけのこと吐いといて、うちのこと庇うなんて…。」


ああ。

うまく言葉にできない。


澪「あんたには大切にしたい友達とか環境とか、いろいろあるっちゃないと。なのに何でうちを庇うようなこと言ったん。」


さっきの答えじゃ

どうしても納得できなかった。

したくなかった。

だって、これで納得してしまったら、

うちはどうやってこれまでのことを

贖罪していけばいいかわからない。

これはせめてもの

責任逃れでしかなかった。


澪「どの行動も全部、真面目な優等生を演じるためのものやろ!」


寧々「そう見えますか。」


澪「そうじゃなくとも、どうせただの使命感でしようっちゃろ。」


寧々「…。」


澪「本当の理由…教えてや。納得いかん。たったそれだけでここまで…手やって震えとったのに、止めに入るわけがわからん。」


本当の理由。

裏切るためならそれはそれで構わない。

期待しなければいいんだから。

それでも、うちはこの透明の現象が

続いている間は

吉永といなければならないわけだけど。


空には能天気そうな雲が

ぽつんと浮かんでいる。

視界の中心にいる吉永は

静かに息を吸った。


寧々「…そうですよ。」


澪「…。」


寧々「……ただの、使命感。そうです。篠田さんの言う通りです。」


澪「…っ。」


寧々「私はちゃんとしなきゃ駄目なんです。みんなの言う優等生にならなきゃ。だからさっきは止めました。」


澪「へぇ…優等生が手を挙げるなんてな。」


寧々「誰かさんが止めてくれて助かりました。おかげでまだ優等生できます。」


澪「…はは…しょうもな。」


寧々「ですよね。」


しょうもない。

そう、どうでもよかった。

むしろ、綺麗事を並べてこなくて

安心している自分がいた。

変に、ない期待に応えようと

しなくていいんだ。

そう思うと臓器の隅の影が

取れていくような気がした。


澪「…もう帰るけん。じゃあ」


寧々「最後にひとつ。」


澪「なん。」


寧々「私は真面目を貫くためにこうしていますが、そこにあなたを裏切る意思は一切ありませんから。」


澪「嘘つけ。」


寧々「嘘じゃないです。だってこんなにも馬鹿真面目なんですよ。」


澪「……そうやったな。」


彼女も彼女で

馬鹿真面目という自覚があるらしい。

それに、疲れのあまりか

笑いそうになりながら背を向ける。

もしかしたら口角が少し

上がっていたかもしれない。

吉永からうちは

どう映っているのだろう。

そんなことはいつまで経っても

計り知れないままなのだろうな。


かつん。

廊下に響く靴音が

やけに冷たかった。

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