涼やかな夏

寧々「少しお時間いいですか。」


いつものように学校が終わると、

吉永はうちの席にまで立ち寄ってそう言った。


金曜日に話し合って以来

透明具合の様子を見ていたが、

またある程度進行しているようだった。

他者から見れば、吉永は今

虚空に向かって話していると言っても

過言ではないほどに。

大きな声を上げなければ

認知されなくなっている。


お弁当分の重さのなくなった鞄を肩にかけ

気だるげに席を立つ。

廊下に出ると、途端に冬特有の冷気が

体を包んでいった。


寧々「先週末の話…考えてくれましたか。」


澪「…。」


先週末。

きっと最後の方の話題である、

楽しいことがないなら作ってしまえばいい

ということについてだろう。

土日の2日間を使って

一旦は答えが出たと言うのに、

吉永が放課後寄ってきてくれなかったら

言い出せなかった気がする。

こうしてある意味捕まってしまった以上、

白状するのが丸く治るかと思い、

腹を括って口を開いた。


澪「ああ…他にもないか考えたけど浮かばんかったけん、文通でよかよ。」


寧々「…!本当ですか。」


澪「まあ。」


寧々「よかった。」


何故か吉永は心底

安心したような表情を浮かべながら言った。

本当にわけがわからなかった。

演技と思えばそれまでだが、

どっちにしろ、彼女の時間を

奪っていることには間違いない。

受験期、しかも共通テストまで

残り60日を切っている段階で

ここまで手を出すのは

正直狂気と言っても過言じゃない。

もしかしたらすでに

受験を終えているのかもしれないとまで

思うようになっていた。

受験を終えていても

何ら不思議ではない。

ともなれば、うちはただの暇つぶし。

そう思えば理解できる。


寧々「じゃあ今からお時間はありますか?」


澪「え?」


寧々「便箋、買いに行きましょう。」


ああ、こいつは。

自然と口が開くも

言葉を発することなく閉じ、

隠すように口の中で舌を噛んだ。

こいつは本当にするつもりなんだ。

本当に文通をする気なんだ。


言葉にし難い感情が渦を巻く。

透明になってから海に溺れているような、

海底で声を上げているような気分に

幾度もなっていた。

なのに、今はどうだろう。

海面に上がろうとしているのはいいものの、

台風が接近しているのかと思うほどの

荒波が立っているよう。

海底にいる時もそうだけれど、

今も今で息苦しい。

酸素がたまに吸えるからこそ、

波に飲まれるのが一層苦しい。

希望が見えかける方が

絶望するのだから。

いっそのこと、見ない方が。


吉永はうちの考えていることなど露知らず、

ただうちのことを待っていた。


寧々「…今日はもしかして用事があったりしますか…?」


澪「…いや、なか。」


寧々「そうですか。」


澪「……さっさと行こ。」


呟くように口にする。

席から立って吉永を追い抜いたせいで、

彼女がどんな顔をしていたのか

見ることは叶わなかった。


廊下を歩き、そのまま靴箱に向かう。

とてとてと吉永が

ついてきているのが音からわかる。


寧々「あの。」


澪「…。」


寧々「あの…!」


澪「…何。」


寧々「今のうちに見えるようにしておきませんか?」


足を止めて振り返ると、

刹那自分の髪の毛が邪魔をする。

舞うそれらが落ちた時、

こちらに手を伸ばす彼女の姿が見えた。


本当にこれが鍵とは限らない。

触れること以外に、

あの時は言い合いをしていたし、

ただ単に吉永に大声を出したからという

可能性だって捨てきれない。

それなのに、吉永は触れることが鍵だと

まるで確信しているように

手を差し出していた。


澪「…いらん。」


寧々「どうして。この後買い物に行くんですよ。不便じゃないですか。」


澪「じゃあお会計前でいいやん。」


寧々「そうですが…。」


納得しかけたのをいいことに

無視するように背を向けた。

吉永は…無表情のように見えたけれど、

実際悲壮感漂う顔をしていたかもしれない。

もうわからない。

しっかりと見もしなかったから。


見えるようにするのはお会計前でいい。

これはうちの考えだ、間違いない。

けれど、理由を聞かれても判然としない。

うちがこいつと一緒におるところを

学校の奴らに見られたくなかったのか。

それとも、吉永がうちとおることで

何かしらの批判を

受けないようにしたかったのか。

うちとおると変な目で見られることだろう。

ある意味、うちの面倒を見とうとするなら

評判は上がるかもしれないけれど。


全てが悪い方向へと

思考が傾いていることに

自分自身で気づくことのできないまま、

寒空の下へと足を運んだ。


寧々「近くの雑貨屋か…100均でもいいですか。」


澪「どこでも。」


寧々「わかりました。」


スマホを取り出し、

マップアプリを開いているのがわかる。

学校の近くじゃない方が

うちにとってはいいんじゃないかと思いつつ、

口に出せないまま目を背けた。


寧々「じゃあついてきてください。」


澪「わけわからんところに連れて行ったりせんやろうな。」


寧々「さあ?」


澪「は?」


寧々「ふふ、冗談です。」


澪「うざ。」


寧々「そんなに信用ないですか?」


澪「そりゃあ。」


寧々「そうですか。」


その時、目を細めて

笑っているように見えたけれど、

その奥が全く笑っていないことに

嫌でも気づいてしまった。


あ、これ。

きっとだけれど、怒っているように思う。

もしかしたら悲しさに

振れているのかもしれないけれど、

どちらにせよいい感情ではないことは確かだ。

自分でも余計なことを言っているし、

気分を害することばかり

口から出てしまっていることに

気づいてはいるのだけれど、

それが救いようのないところまで

来ているんじゃないかと思う他なかった。


それでも吉永は

またマップに視線を落としては

「こっちです」とうちの方へ

振り返って言うのだった。

声色だって落ちることなく明るいまま。

いつも通りにしようとしているのだろうか、

その方が妙な重さの空気感があって

気味が悪いとすら感じる。

それでもうちはこいつに

ついていくことしかできなかった。


まさか在学中に吉永と

通学路を歩くとは思ってもみなかった。

平均よりも身長の低いツインテールが

風に揺られて動いている。


寧々「最近、朝はとても冷えるようになりましたね。」


澪「…そうやな。」


寧々「でも、そちらの方がいいような気がします。」


澪「何?」


寧々「その方が晴れる時が多いからです。ほら、よく言いませんか?朝冷える日は晴れる日だって。」


澪「雨でも冷えるやろ。」


寧々「雨の日は下がったまま上がりませんもんね。その分元から少しだけ暖かかったりしません?」


澪「知らん。」


寧々「そうでしたか。降水確率だけ見るタイプです?」


澪「制服移行期間でもなければ冬服着とけばいい話やしな。」


寧々「確かにそうですね。」


ローファーがアスファルトを蹴る。

その音が2つ。

たまに足を上げ切れていなかったのか

小石を蹴飛ばしてしまう。

まるで不貞腐れた少年のよう。


吉永は今、側からすれば

独り言を言いながら

歩いているようにしか見えないのだろう。

その上、うちはなあなあな反応しかしてない。

なんとか話題を振り絞っているのだろうことが

容易にみて取れる。

それでも彼女は会話することを

辞めようとしなかった。


寧々「話は変わりますが…そういえば最近あれが流行ってますよね。」


澪「何あれって。」


寧々「あれです。おまじない。」


澪「ああ。宝物を交換して10年間持っていると結ばれるってやつか。」


寧々「え…?そんな感じでしたっけ。私が聞いたのは10年間持っているとその2人を繋ぎ止めてくれる…みたいな感じでしたよ。」


澪「へえ。まあ伝言ゲームやしな。」


寧々「結ばれると繋ぎ止める…そう変わりはないように思えますね。」


澪「そう?繋ぎ止めるは友達でってこともありえるし、ある意味命の繋ぎ止め…病気とかでってこともあり得そうやなと思うけど。」


寧々「言われてみればそうですね…。」


話しすぎたと思うも遅く、

言いたいことを吐き切ってしまっていた。

はなから否定するようなことを

言いたかったわけではないのに、と

後悔するも束の間。

吉永はそれを受け止めて

考え始めていた。


寧々「結ばれるは恋愛的にってイメージはありますが、繋ぎ止めるはなんとかして関係を持たせてる…みたいなイメージがありますし。」


澪「…。」


寧々「これまで繋ぎ止めるって言うのも恋愛的な意味で考えていました。」


澪「噂ひとつで変わるもんやな。」


寧々「そうですね。どちらの方が正しいんでしょうか。」


澪「そりゃあ10年経たんとわからんっちゃない。」


寧々「実験期間が10年って…みんな忘れますよね。」


澪「そんなこと忘れて当然やろ。」


寧々「篠田さんは小さい頃にやったおまじない、何か覚えてますか?」


澪「なんでやっとる前提なん。」


寧々「え?誰しもするかなぁって。」


澪「…覚えとらん。」


寧々「あ、ってことはしてたんですね、おまじない!」


澪「はあ?うざいうざい、近寄ってこんとって。」


寧々「ふふっ。」


吉永との距離感が測れない中、

どうでもいい話を振られては

適当に返事をした。

大抵は受け流すように

返事をしていたはずなのに、

吉永は楽しそうに

それを会話にしようとしていた。

それでも気まずさに勝るものはなく、

長いと感じる通学路を歩いて

ようやく100均にまで

辿り着くことができた。

途中で何度1人で買うからいいと

断ろうとしたことか。

数えていたら2桁は軽く越しただろう。


寧々「どれにします?」


文房具コーナーには

ちっぽけなものではあるが

いくつかの便箋が並んでいる。

キャラクターの描かれた

随分と可愛らしいものから、

隅に水彩絵の具で描かれたような

花のみが飾られた便箋もある。

幼稚園や小学生の時以来

手紙という文化に触れず

スマホや携帯を手にしていたものだから、

何だか新鮮で見つめてしまう。


昔、スマホを持っていなかった間は

年賀状だって1枚1枚書いていたっけ。

授業中にメモ帳をちぎって手紙を書き、

それを工夫して折って

友達に渡すなんてことも

していたような気がする。


澪「…。」


寧々「私はこれにします。」


そう言って白を基調とした

隅には植物が描かれている、

シンプルかつ

清楚な雰囲気のものを選んでいた。

迷うことを知らないのかと思うほど

短時間で決めたものだから、

思わず振り返りそうになる。


寧々「全然ゆっくりでいいですから。」


澪「先買っとって。」


寧々「え?でも…。」


澪「まだ時間かかるけん。」


寧々「…わかりました。」


腑に落ちなさそうな声を出して

そのままレジの方へ向かうのを眺む。

そしてまた便箋へと視線を移す。


澪「…。」


こうした方が自然と選びやすかった。

100均にはぱらぱらと人はいるけれど、

その誰にも認知されていない。

邪魔されずに選ぶことができるもので、

こういう時だけは愉悦感があった。

けれど、人が来たらぶつからないように

避けなければいけないことには

変わりないのだけど。

悩んでる姿を見られないだけでも

些か気が楽になった。


突っ立ったまま少し静かな時間が経ては

吉永が戻って来た。

まるで何かを誤魔化すように

たまたま近くにあった

水色の便箋を手に取る。


寧々「決まりました?」


澪「…ん。」


寧々「よし、じゃあ試してみましょうか。」


何かを諦めるように

そっと何も持っていない左腕を出す。

すると、吉永が遠慮することもなく

手首を掴んでくる。

が、いつぞやの

引き止めるような強さとは違って、

優しく、ただ触れるだけのもの。

末端冷え性なのか、指先がやけに冷たい。

瞬間、穏やかに風が吹いたような気がした。


寧々「…私、少しだけわかったことがあります。」


澪「何ね。」


寧々「やっぱり、篠田さんは篠田さんです。」


澪「そりゃそうやろ。何言って」


寧々「何を言ってるんだって思うかもしれません。でも、言った通りです。」


澪「…?」


寧々「私が元々別の世界線とやらから来たことは知っていますよね。」


澪「…まあ。」


寧々「そこで篠田さんと仲が良かったことは?」


澪「耳にはしとる。」


寧々「なら話が早いです。その別世界線の篠田さんは確かにあなたとは違って、おとなしい雰囲気ではありました。」


澪「そう。」


寧々「元から顔立ちがよくって美人さんでしたが、更に綺麗になったなって思うくらい。でも」


そっと手を離す。

時間にしてたった数秒の出来事のはずが、

奇妙なほどに長く思えた。


そして彼女は少し肩をすくめて

小さく笑った。


寧々「変わったのは見た目だけ。」


澪「じゃああんたと仲良くしよったうちも、けったいなやつやったったいね。」


寧々「けったい?」


澪「変なやつってこと。」


寧々「ああ。いや、そうではなく。」


澪「じゃあ何なん。」


寧々「真面目で優しいってことです。」


澪「……はぁ…?」


思わず間抜けな声が出る。

もはやここまでくると

怖いという感情が先行した。


そこで話を区切るように

1人先に店外へと出ていってしまった。

仕方なくレジに並ぶと、

当たり前のようにうちの方を見て

「次のお客様どうぞ」と声をかける。


吉永といる時に

大声を出すというのは

条件ではなさそう。

Twitterでは本音で話すとか

腹を割ってだとか、過去をどうだとか

さまざまな推測がなされていたけれど、

実際それが正しいのかわからない。

それをすれば完治

なんてことはありそうだが、

事実、現状の悪化を遅延させるには

触れることが1番なのかもしれない。


レジを抜け店外出て早々、

頭の中を彷徨いていた文句が

口から出ていた。


澪「目も耳も腐っとるっちゃないと。何を見たら真面目に映るん、優しく映るん?」


寧々「簡単なことです。」


さらに外へと先導するように

数歩前に進む。

ついていったら、これまでのうちが

なくなってしまうような気がした。

今までの、うちをうちたらしめていた

何かが壊れてしまうような。


寧々「あなたは私のくだらない話にひとつひとつ返事をしていた。それが全てです。」


澪「はあ?そのくらいのこと…。」


寧々「無視したっていいんです。この買い物についてこなくなって…1人で行ったって良かった。そもそもの話、私に触れるだけで存在できるなら、文通なんていらないんです。」


澪「…。」


寧々「それでも、あなたは選んだ。」


澪「うちやって今後のことを考えとらんわけじゃない。念の為の策として来とうだけったい。勘違いすんな。」


寧々「じゃあ、そういうことにしておきます。」


澪「絶対せんやん。」


寧々「そりゃあ感じ方次第で見方は変わるんですから。」


ふゆり。

ツインテールが僅かに揺れる。


寧々「今日だって人によっては浅い冬ですが、人によってはただの秋で、人によっては涼しい夏なんです。」


当たり前と言うように言葉を並べる。

けれど、うちにはそれが

恐怖でしかなかった。


寧々「だから、雑な返事をしただけと感じる篠田さんも、返事をしてくれる優しい人だと感じる私もいたって不思議じゃないですよね?」


一方的に別のうちのことを

知られている以上そもそも警戒していたのに、

より一層怖いと思わざるを得ない中

吉永はまた微笑んでいた。

うちはどこまで話したのだろう。

どこまで悩みを口にして、

どこまでの感情を吐露したのだろう。

どれほど人を頼って、人を信頼したのだろう。

乖離が酷く、頭を抱えたくなる。

それに気づいてか気づかずか、

吉永は「手紙は私から書きますね」と

ひと言だけ残していった。

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