1mmの雨
先生と面談してから
1週間ほどが経っていた。
未だ白紙のままだが、
提出期限である今日の放課後は
止まることなく迫っている。
学校に行って席に着くはいいものの、
白紙を開くこともなく
スマホを眺めて考えるふりをしていた。
近くに座っていた
女子生徒がきゃいきゃいと騒いでいる。
意識するわけでもなく
自然と耳が傾いていた。
耳にかけていた、緩く巻いた髪が
はらりと頬をなぞる。
「えー知んないのー?今くっそ話題になってるじゃん。」
「今更そんな子供くさいことやる人いるんだー。」
「ロマンチックじゃない?昔交換した大切なものを10年間持ってたら、その人と結ばれるって話。」
「両思いだったらいいけど、片思いがそうなっても困るなー。」
「でもさ、10年間も手持ちにあるってことは相当大切ってことじゃない?うちの周りでも好きな人と交換しようってしてたーいへん。消しゴム交換とかしてる。」
「消しゴムなんて大切なものに入らないでしょー。」
「確かに。自分が大切にしてたもの同士を交換することがミソらしいから、多分無理だね。」
女子生徒は笑いながら言った。
言われてみれば、
ここ最近その話をよく耳にする。
発信源はSNSなのか、
ありとあらゆる人が
噂しているような気がする。
一体どういった経緯で
こんなにも広まるのだろう。
「大切なものをってとこもハードル高いけど、10年間ってのもハードル高くない?」
「ねー。」
「それに捨てずに家にあればいいの?毎日持ち歩くの?」
「さあ。」
「何それーあやふや。」
「この都市伝説、何が厄介って10年後にしかわからないんだよねー。」
「10日後とか100日後ならいいのに。」
「それな。てかうちらで作らない?バレないでしょ。」
「わはは、それあり。」
手を叩いて話す彼女たちを
一瞥するも特に目が合うこともなかった。
澪「…。」
都市伝説ね。
あるよな、この手の話くらい。
無意味にスマホの画面を
つけては消した。
高校生ともなれば
女子校だろうがなんだろうが
よく恋愛関係の話題が上がる。
うちと仲良い人の間柄では
あまりない話だが、
今のようにクラス内では
しょっちゅう耳にする。
女子校っていうことも
多少は関係しているのか、
同性同士で付き合っている
なんて噂もぼちぼちある。
澪「…今更やろうに。」
今から10年後の布石を打ったって、
その時には別の人と
お付き合いしているかもしれない。
そうなればこの都市伝説は
キューピッドではなく呪いに変わる。
もし本当に叶うとして、
円満に別れて運命付けられた人と
仲良く付き合うのか、
不倫という形なのかまでは知らないが、
いい未来とは言えなさそうとすら思う。
DV男と付き合っていて、
たまたま都市伝説のおかげで
別の人に拾われた…ならまだしも、
その逆だってあり得るわけで。
まあ、そもそも都市伝説なのだから
現実味なんてないか。
叶うはずなどない。
澪「…はあ。」
ため息を漏らす。
騒いでいた生徒たちも
周りの人だって
うちの声なんて聞こえやしない。
当たり前だ。
みんな自分のことで
精一杯なのだから。
皆が体操服を持って
ぞろぞろと退室しだす。
そうか、次は体育やったらしい。
だらりと手を垂らして鞄を漁り、
無駄に重たい体操服を取り出した。
この気温にもなれば、
ジャージを身につけている人が目立った。
半袖の人は1,2人いるが、
少数派にも程がある。
うちもジャージを着ては
手先がやけに冷えるので
袖に手を埋めていた。
未だに体操座りというものを
しなければならないのかと
毒を吐きそうになりながら座る。
今日は体育館だったからよかったものの、
外だったら服は汚れるし
凹凸が痛いして最悪だ。
先生「阿部ー。」
「はい。」
先生「五十嵐ー。」
名簿を持って点呼をする先生は
秋の気候変動にやられているのか
随分と気だるげだった。
同時に、生徒たちの返事も
大半は間の抜けたものになっている。
毎回点呼して疲れないのだろうか。
体育館の床の溝を
ぼんやりと眺めていた。
膝に頬を乗せる。
背を丸めて、まるで眠るかのように
目を閉じかけた時だった。
「先生。」
先生「ん、どうした?」
よく通る、耳に響く高い声。
嶋原とも違った、
所謂萌え声とやらに近いような
ころころとした声が響く。
紛れもない。
耳が覚えてしまっていた。
寧々「点呼中すみません。篠田さんを飛ばしてます。」
先生「ん…?あ、ほんとだ。ごめんごめん。」
何を言い出すのかと思えば、
どうやらうちの名前を
読んでいなかったらしい。
先生は軽く謝りながら
うちの苗字を呼んだ。
自然のうちに膝を頬を離すも、
丸まった背までは伸びなかった。
それにしても、
順番が飛ばされたくらいで気づくなんて
なんて気持ち悪いのだろう。
うちですら気づかなかったことに
吉永はすぐさま気づいたのだ。
他の人の点呼なんて
普通聞かないだろうに。
どれほど彼女の関心が
こちらに向かっているかを
実感してしまったような気がして、
心の中はゼラチンを入れられたように
不快感によって段々と緩く固まっていく。
先生「千村ー。」
「はーい。」
先生「天堂ー。」
先生はサ行でもないところから
また苗字を呼び出した。
また、すべてのことに
興味をなくすかのように、
ゆっくりと膝に頬をついた。
体育の授業も昼食も、
午後の授業だって
水の上を流れる素麺のように
手っ取り早く終わっていく。
ただ、話の内容は
どんどんと重くなっていくようだった。
受験の話ばかりで耳はもうもたない。
途中からイヤホンで
耳を塞ぎたくなったほど。
6限目ともなれば眠くなり、
うたた寝しそうになる。
真面目に取り組むふりをして、
結局行き着くのはこの半年間の異常事態。
ふと徐にTwitterを開く。
すると、色々な人のツイートが流れてくる。
日常的なことだったり、
誰かの書いた漫画だったり、
お得情報だと発信したり。
下から上にスクロールしていっても
当たり前だが三門こころのツイートは
何ひとつとして見当たらない。
何せ、アカウントが消滅したのだから。
澪「…?」
あれ。
存在以前に、アカウントって消滅したら…
…削除したら、確か。
はっとして顔を上げる。
先生はどこを見ているのだろう、
虚空に向かって授業している
ようにすら見えた。
アカウントって削除したら、
1ヶ月以内でしか復元できないんじゃ
なかっただろうか。
…ただ、アカウント削除までの
期間でしかなく、
それは三門が戻ってくるまでの
期限とは限らない。
今後も戻ってくる可能性だってある。
…それこそ、国方やあいつ…吉永だって
該当者ではある。
2人が、この世界線の2人に
戻る時が来るかもしれない。
戻ってくる時が…。
澪「…。」
…ふと、嫌な考えが頭をよぎる。
戻ってくることを願っている人は
本人を含めているのだろうか。
今でも本来の2人を望む人は
いるのだろうか。
2人だって、この世界線で
ある程度生きる術を身につけただろう。
情報の混乱もほぼなくなり、
元の世界線と遜色ない程度には
過ごしているに違いない。
むしろ、こちらの世界線の方が
いい部分もあるかもしれない。
そう思うほど、このままでも
いいんじゃないかなんて
考え始めてしまう。
うち自身、2人に関しては
戻っても戻ってこなくても
どっちでもよかった。
今の吉永も
うちとの距離感は把握したようで、
変に親しげに話しかけて
くることも無くなった。
国方に関しては曲を作っているか
作っていないかだけで、
それ以外での違いはうちは見出せない。
奴村あたりは違うのだろうけど。
だから。
だから、もし別の世界線の三門が来たら。
この怒涛で奇妙な半年間を忘れた、
または経験していない三門が
来てしまったとしたら。
澪「……はぁ。」
それでも、戻ってくるだけ
よかったなんて思うのだろう。
親御さんや仲の良かった友人の
大切な気持ちをよそにして。
うちだってきっと
ほとんどの人にそう思われてる。
澪「…。」
狭い友人の範囲のみならず、
もしかしたら家族も。
いや。
そもそも戻ってきたって…。
重たい気持ちのまま
放課後まで過ごし、
鞄に荷物を詰める。
無駄に嵩んだ参考書が
肩にのしかかることが想像できる。
その度に、鬱憤濃度の高いため息が
出そうになっていた。
机には1枚の紙を
裏返して置いていた。
無論、進路希望表だ。
結局先生にはオブラートに包んでだが
ちゃんと書いてこいと言われた。
篠田さんの未来は明るいから、
やりたいことはちゃんと見つかるから。
そんな生温い希望の言葉を伝えられても、
たった18年しか生きていないうちには
理解できるものじゃない。
得意なこと?
周りより秀でていること?
ないに決まってる。
そんな中で受験をして
合格を目指すなんて、
夢のまた夢にも程がある。
受験が早く終わるからという理由で
推薦での入試も一時期考えたが、
面接で答えられるはずもなく
先生のアドバイスも加味して、
偏差値60から55、53、50…と
順番に並べて置く。
学部も、現代表現を専攻するものや
日本の文学、文化系のものを入れた。
進路希望表もうちにとっては
国語の問題で言うところの
「作者の気持ちを答えなさい」に等しかった。
こう書けば先生は喜ぶのだろう。
自分が生徒の支えになれたと、
未来を選ぶ指標を与えられたのだと
にこやかになることは
目に見えていた。
大人を見下しているうちが悪いのか、
生徒を道具としか見ていない先生が悪いのか。
きっとそんな容易な話ではない。
誰も悪くないなんて
思考を放棄するつもりもないが、
生徒も先生も惰性で生きている人が
ほとんどだろうに。
1日を精一杯生きたと感嘆しながら
床につく人は一体何人いるのだろう。
うちがそこに入ることなんて
一生かけてもできないだろうことは
わかり切っていた。
はぅー、と息を吸う音が
脳の中でこだまする。
深く芯のある息が
脳に充満していった。
鈴香「じゃあねー、ばいばい。」
澪「ん。また。」
彼女は色々と順調なのだろう、
このあと塾があると言って
教室を去っていく。
残されたうちは未だ教卓で
少しばかり作業しているらしい
先生の元へと向かう。
日直の書く学級誌を確認していたのか
そのページを開いているも、
先生はそちらに一切視線を向けていなかった。
ぼんやりと教室全体を見ているようで、
明らかに視界に入る位置から
先生の隣に立つ。
澪「先生。」
ひと言呼んでみるも返事はない。
小さな声だったとは思わないけれど、
集中しているあまりに
気づいていないらしい。
少し疑問に思うところもあるけれど
教室内も騒がしいのだから、
仕方のないことだろう。
澪「先生。」
先生「ん?ああ、あらあらごめんなさいね。」
今日はやたらと先生の目に
入らない日らしい。
先生が皆裏で話を合わせて
生徒1人を無視しているなんて話、
可能性としてはありえるかもしれないけれど
うちに限ってはないと
無意味な自信があった。
6限目に書き加えた進路希望表を差し出す。
すると、先生は目を細めて
穏やかな顔をして言った。
先生「ありがとう。受け取るわね。」
澪「お願いします。」
先生「あれからどう?」
澪「面談からですか?」
先生「ええ。」
それ以外何があるの?と言った様子で
僅かに首を傾げた。
話してもいないから知らなくて
当然だと言うのに、
「いろいろとあったのに」
「何も知らないくせに」と
脳内で悪態つくうちがいる。
澪「…先生のアドバイスを聞いてから、その分野での大学を色々調べました。こんな学部もあるんだなって、正直知らないことばかりで。」
先生「そう。出願の締め切りが間に合うようなら、少しでも気になるところにチャレンジしてみるのもありだからね。」
澪「はい。」
先生「短大や専門であれば、卒業ぎりぎりに申し込めるところもあるから。頑張ってね。」
澪「ありがとうございます。」
小さく会釈をしてから
鞄を肩にかけてすぐさま
教室から離れた。
先生自身、どうしてこんな
うちの面倒を見ようと思えるのか
甚だ疑問だった。
11月になってもなお
志望校を決め切れず、
だらだらと学生をしているのに。
…もしかしたら呆れているのかもしれない。
その上で、自分のキャリアに
傷がつくのが嫌で…とか。
…。
澪「ありえない話やないな。」
ひと言吐き捨て、
怠いながらも鞄を掛け直す。
季節は巡り既に秋。
夏は残像どころか
面影ですら無くなっていく。
窓から見える空は、
細く涙を流していた。
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