ただの使命感

PROJECT:DATE 公式

異端紀行

澪「はぁー。」


怠い、と言いかけて口を噤む。

受験生というものはいつだって

気が重いものだ。

教室内では一部合格者も出ており、

各々の纏う空気は

変わり始めている。

一層張り詰めている者から、

スマホばかり見つめている人まで様々だ。


うちの周りは幸か不幸か

皆一般受験をする人のため、

空気に大きな差はなかった。

とはいえ、本気で焦りの感情を

抱いているか、

なんとなく焦らなきゃ

行けない気がして無意味に

焦っているかという差はある。

うちは、こんな時期にもなって

未だ後者に該当している。


うちとよう一緒におる鈴香は

学校指定外の教材を持って

こちらに向かってきた。

きっと書店で買った

参考書なのだろう。


鈴香「ねー、ここの文法ってさ、なんでこの前置詞入ってくんの?」


澪「あー、何でなんやろ。」


鈴香「解説見てもほんとに理解できないの。」


澪「うちのぼろぼろな英語力じゃあ力になれんわ。」


鈴香「ちょっと先生のところ行ってこようかな。」


澪「どうせ5限あるっちゃけん、そん時でもいいっちゃない?」


鈴香「うーん…いや、イライラ度が今高いから消化してくる。」


澪「ふうん、わかった。」


イライラ度、なんて言葉を使って

まるで勉強に不向きです、みたいな

雰囲気を醸しているが、

実際のところそうじゃない。

もやもやとした疑問を

すぐに解消しようと

動ける人ほど偉い。

勉強なんて特にそう。

まずは疑問を抱く。

ここで多くの人が

答えまでの道を辿らない。

抱いて終わり。

そこから調べられる人が

所謂頭のいい人なのだろう。


うちは、そうはなれない。

ならないとかではなく

もうなれないのだと思う。


澪「…。」


少し前まで一緒に

化粧品どうこうだとか、

インフルエンサーの炎上沙汰だとかで

盛り上がっていた仲間だった。

なのにどうしてこんなにも

急に勉強なんてし出して、

真面目になってしまったのだろう。


…いや、友達であれば

応援してあげるべきだし、

真面目になるなんて

きっと喜ばしいことだ。

そのはずだ。

でも、化粧っ気もなくなり

髪も雑に結びっぱなしにした

彼女のことを嫌厭したくなる。


真面目な人間嫌いになった

姉とのことは解決したはずだ。

姉が私のことを

貶すような言葉を吐いた過去は、

未来のうちのせいだった。

だから、姉のせいではない。

真面目な人には裏があるなんて

全部が全部当てはまるとは限らない。

姉はそれに当てはまらない。

これまでどれほどうちが

酷い対応をしていても、

ずっと隣で支え続けてくれたから。

それに気づいたから、

このことはもう終わったはずなのだ。

この感情は終わったことのはず。

なのに。


澪「……阿呆らし。」


まだ、うちが勉強に一心に向かえないのは

それが原因なのかもしれない。

未だに真面目でありたくないなんて

思っているのかもしれない。


子供のような反抗期が

脳内ではまだ続いた。


「篠田さん。」


ふと、隣から声をかけられて

はっとする。

振り返ってみれば、何度も見かけた

ちょこんと飛び出た2つ結び。

振り返らなければよかった。

すぐに視線を逸らすも、

彼女はうちが認知したことを

理解したらしく、口を開いた。


寧々「…先生からの伝言です。放課後、少し面談をしたいとのことです。」


澪「…。」


寧々「…よろしくお願いしますね。」


私は伝えましたから、

と言わんばかりの言い方だった。

そのまま去る足音に耳を傾ける。

これまではうちが無視していることに

非難の声が上がっていたが、

最近はあいつに対して

可哀想という声もあれば、

彼女の根気強さに感嘆する声、

同時に、どうして諦めないのかと

憐れむ声まで上がっていた。

うちへの対応が変化しない彼女に対して

馬鹿らしく思えてきているのだろう。

うちだってそう思う。

さっさと辞めればいいのに、と。


ただひとつ。

彼女は変わったことがあった。

世界線とやらを超えてきたあいつは、

当初うちのことを澪と呼んだ。

しかしその後、この世界線では

うちと仲が悪いことに気づいたのだろう。

いつからか篠田さん、と呼ぶようになった。


澪「……だる。」


さっきまで我慢していたのに、

結局毒素を吐いてしまった。


だらだらと放課後はやってきて、

全員部活もないがために

自由に散ってゆく。

行き先は家か塾か、だろう。

この時期にもなって

遊びに行く人は殆どいない。

それこそ、受験が終わっていない人は特に。

10月も終わる頃となれば、

学校に残って勉強をする

生徒の姿も多く見られるようになった。


澪「…。」


休み時間にやろうと思って

使わなかった問題集のせいで、

鞄はいくらか重くなっている。

肩に重圧がかかり、

すぐさま地面に転がりたくなるほど。

からり、金具が鳴った。


先生は何やら面談のための

資料を持ってくるだか何だかと言い、

1度職員室に戻って行った。

帰りのホームルームを始める前に

持ってこればいいのになんて、

見下すような言葉が浮かぶ。

教室で待っていてと言われたけれど、

精々5分ほどはかかるだろう。

少しお手洗いに席を外したって

怒られやしない。


念の為鞄を持って廊下を歩く。

側から見れば帰宅する人にしか見えない。

経験則だけでは間違ったまま

捉えてしまうなんてこともあるのだろう。

例えば。


澪「…あ。」


例えば、文系から理系への転科は

相当な壁だから

ほとんどが挫折する、とか。


ふと通った理系選択の学生が

過ごしている教室。

そこに、ちらと嶋原梨菜の姿が見えた。

嶋原は去年まで同じクラスだったのだが、

突如として理転すると言い、

本当に理系の教室へと

混ざって行ってしまった。

それを聞いた当時は

一時的な気の迷いだと思っていた。

もしかしたら、親から何か

指示されたのかもだとか、

先生に洗脳されただとか

さまざまな予想をした。

1番は、受験という文字の意味が

ちゃんと重くなってきて、

混乱しただけだろうと思っていた。


だが、そうではないようで。

すれ違うたび挨拶だけするのだが、

その度に成長しているような

錯覚すらしてくる。

今だって、嶋原は机に齧り付くように

勉強に励んでいる。

学校に残って勉強して、

時々机から顔を離して考える。

そしてまた問題に正面から向かう。


澪「………。」


何で。

苦しそうに見えないんだろう。


うちはどう映っているのだろう。


そして、脳裏で何度も

想起した彼女のことが浮かぶ。


あの子は。

…こころはどうだったのだろう。


三門こころは、夏休みにうちが

家出した時に家に泊めてくれた。

顔が広くて、意外にもお人好し。

勝手なイメージだが

ずっと外に遊びに行っているように見えた。

友達も多くて可愛くて。

明るく、陳腐な言葉だがきらきらしていて、

有体に言えば幸せな人気者としか

思えなかった。


だから、彼女が悩みを抱える

同じ人間だなんて

信じ切ることはできなかった。


けれど、彼女もトンネルの先で夢を見た。

どんなものかは聞く機会がなかったが、

何かを見たことには違いない。

どんなものだったのだろう。

学校であれほど上手くいっているのに

何を悩む必要があったのだろう。

そして、何を願っていたのだろう。


こころは何を思ったのか、

突如として存在そのものを消した。

願ったり叶ったりな出来事なのか、

本当は嫌で嫌で仕方ないのに

消されてしまったのか。

彼女のいなくなった今、

うちはもう知ることは

叶わないのかもしれない。


ふと、最後に彼女と

交わした言葉を思い返す。





°°°°°





澪「…でも、あんたにはやりたいことがあるっちゃないと。」


こころ『わかんない。専門にして学びたいかどうかまでわからない。』


澪「あれやね。意外と淡白なんやね。」


こころ『…え?』


澪「こう、自分の心の機微に疎い感じ。」


こころ『…?えー、そう?』





°°°°°





もし、彼女が願って

存在を消したのだとしたら、

当時うちの言った

「心の機微に疎い」だなんて

見当違いも甚だしい。


逆だ。

心の機微に敏感すぎたのだ。


願って、願うだけで

消えたのだとしたら。

もし、本当にそうなら。


澪「…ずるい。」


そう考え出すと止まらなくなりそうで、

止まっていた足を動かす。

その時だった。


「篠田さん!」


嬉しそうと同時に耳に響く声が

あたりの空気を震わせる。


先生に呼び出しされているし

無視するか一言添えて

その場を後にしてもよかったのに、

うちはなぜか立ち止まって

その声のする方を向いた。


梨菜「なんだか久しぶりな気がする!」


澪「そうやな。ちゃんと話すのは数ヶ月ぶりっちゃない?」


梨菜「えへへ、そうだね!」


澪「相変わらず元気そうやな。」


梨菜「うーん、そうしてないと気がもたない感じ…?」


澪「なんで疑問系?」


梨菜「いやー、受験のストレスでおかしくなっちゃいそうだもん。体は元気だけどメンタルはもたない!」


嶋原は顔の前で手を大きく左右に振った。

さっきまで勉強していたからか、

手の側面がやや黒く汚れている。

理系なのだし、式やら計算やらを

書き込んでいるせいだろう。


梨菜「篠田さんはどう?受験。一般だっけ?」


澪「その予定やな。」


適当に口から出る言葉。

嶋原は疑うこともなく

「そうなんだ!」と明るく返事をした。


メンタルがどうこうと言っているが

彼女がいるとその場の雰囲気が

明るくなることは確かだった。

たまにいるのだ。

どれほど辛い状況下だとしても、

その人がいればなんとかなっちゃうんじゃ

ないかと思うことが。


澪「嶋原は。」


梨菜「私は国公立目標だから、共通テストと二次かな。滑り止めでいくつか一般で受けるけど」


澪「えっ。」


梨菜「え?」


澪「あんた国公立受けると…!?」


梨菜「えへへ…そうなんだ。今頑張ってるところ。」


澪「それは理系分野でってこととよね?」


梨菜「そう!」


どうしてそこまでできるのだろう。

2年生が終わると同時に

理転したばかりだから、

たった1年しか…いや、

現段階ではたった7ヶ月ほどしか

時間は経ていないというのに、

なぜこんなに高い目標を

掲げられるのだろうか。


3年間…文系を選択したのは

2年生だから、約1年半同じ場所にいた

うちよりもぐっと成長していることは

目に見えていた。


梨菜「滑り止めはいけそうな匂いがしてるんだけど、志望校にはまだまだで…。」


澪「…なんでそんなに頑張れると?」


梨菜「頑張る…うーん、そうだなぁ…。」


顎に手を当てて

考えているそぶりを見せた。

放課後だからか、

廊下ではしゃいでいたり

走っていたりする生徒が

ちらほらと見える。


梨菜「大切なものを守るため!…なーんちゃって。」


澪「…まあ、単に目標ができたんやろ。」


梨菜「そういうこと!流石篠田さん。」


澪「何がとね。」


梨菜「こう…ある意味理解者…的な?」


澪「保護者の間違いっちゃない?」


梨菜「篠田さんなら似合いそう…。」


澪「やめんね。虫唾が走る。」


梨菜「わ、酷いんだー。」


嶋原は頬を膨らませた。

身近な人でこういう態度を取るのは

思えば三門くらいだったななんて。

頭が全てそちらの方へと

引っ張られてしまうのは

もはや病気だろう。


ととん、と嶋原は靴を鳴らして、

踵を踏んでいたらしい靴を

しっかりと履いた。


梨菜「足止めちゃってごめんね。そろそろ戻ろっかな。」


澪「ん。」


梨菜「じゃあまたね!」


近い距離にいるというのに

無駄に大きく手を振って

教室へと戻っていった。

この学校で、しかも同学年で

うちとつるみたい人などいないだろうに、

嶋原はそんな様子を一切見せない。

本心でどう思っているのかは知らないし

今後知ることもないだろうが、

ただの普通の人と変わらず

接してくれることにはありがたかった。


教室に戻ってみれば、

既に先生が資料を持ってきていた。

生え際がやや白くなっている。

ぱっと顔を合わせると、

年相応の皺が刻まれていた。

50代も後半に差し掛かっているのだろう、

今時100年時代なんて

言われていることを考えると、

まだ半分を過ぎて少しくらいか。


先生「あ、篠田さん。待たせてごめんなさいね。」


澪「いえ、こちらこそすみません。」


先生「じゃあいきましょうか。」


うちの教室にも何人かの生徒が

残って勉強している姿が目に入る。

それを無視するように、

先生の後をつけて行った。


連れられたのは

面談でよく使われている

空き教室だった。

去年も面談があった気がする。

主にはいじめはないかだとか

私生活での困りごとがないかだとか、

面談の意図はさまざまなけれど、

今回に限っては明白だ。

受験生ともなれば決まって

将来のことに関する内容だろう。


先生は机をひとつ

対面するようにくっつけて座った。

正面に腰を下ろすと、

何だか面接のようで心臓に悪い。


先生「時間作ってもらっちゃってありがとう。」


澪「いえ。」


先生「時間が惜しいだろうし、早速本題に入るわね。」


澪「はい。」


先生「そうね…まずは、最近何か困ったことでもあった?」


先生ははらりと落ちてきた前髪を

耳にかけながら言った。

視線は、少し前に提出した

進路希望表へと注がれている。

…それも当然だろう。

面談でなくとも、

何かしらで先生からの干渉が

入ることは目に見えていた。


先生「…夏前の希望調査表では第3希望まで埋めていたのに、この間のは全て空白だったから気になったの。何かあった?」


澪「いえ、特に。」


先生「進学希望では…あるのかしら。」


澪「一応そのつもりです。」


先生「そう。昔書いた大学も書いていないけれど…」


澪「迷ってしまって、期間内に志望を決められなかったんです。」


先生「なるほどなるほど。」


澪「1度見直したくて。」


先生「そうだったのね。前に提出してくれたのは…」


そう言いながら、手元にある資料を

乾燥した指で捲る。

紙が上手く捲れず、

数回摩擦したのちに

ようやくお目当てのものにありついていた。


先生「全部経営学部なのね。」


澪「はい。」


先生「これはどうして?」


澪「…それも何となくで決めた気がします。経営や経済系の学部って、将来的に学んでいて損はないかなって思って。」


先生「うんうん、わかったわ。少しだけでも興味ある分野だったとかでは…?」


澪「そういうわけではないです。」


先生「ふむ。とにかく今後役に立ちそうだから選んだのね。」


澪「はい。」


先生「長期的な目を持っていて、将来のことをしっかり考えて素晴らしい。」


先生は書類から目を離し、

うちのことを見てそう言った。


素晴らしい?

うちが?

受験勉強なんて出来ないと言っているのに?


もし本当にその目を持っているのであれば

受験に力を入れているはずだ。

就職然り、その後の人生然り

大いに看板としても役割を持つ。

学歴フィルターは昔ほどは

ないなんて聞くけれど、

実際のところはある。

未来を見ているなら、

真面目に勉強するんだろう。


先生「でもね、自分の興味のあることに傾くのもひとつなのよ。」


澪「好きなことはないです。」


先生「食べることでも寝ることでもいいの。」


澪「…浮かびません。何となく過ごしてるだけなので。」


先生「じゃあ質問を変えましょうか。尋問っぽくなっちゃってごめんなさいねぇ。」


澪「いえ。」


先生がうちのことを

大層心配しているのはわかる。

高校1年生の夏休み後から

側から見れば一気に不良と化し、

勉強だってあまりついていけてない。

極め付けは白紙の進路希望表。

そりゃあ気にかけざるを得ない。

夜な夜なほっつき歩いてると

思われても何らおかしくなかった。


先生「そうねぇ、お家では何をしてる時間が長い?あ、勉強以外でね。」


澪「趣味とかですか。」


先生「ええ。」


澪「動画を見てるくらいしかしてないです。」


先生「何の動画かしら。」


澪「ジャンルはバラバラです。美容だったり動物だったり。流れてくるものを見てるだけで。」


先生「そう。幅広く見てるのね。」


違う。

そんな綺麗な言葉でまとめないでほしい。

何もすることがないだけ。

何もしたくないだけ。

何もする気がないだけ。


専門的な…例えば絵が描けるとか

楽器が弾けるとか

特技があるわけでもなく、

勉強も運動もあまり得意と

声を大にして言えない。

コンプレックスだけが積もる

篠田澪という人間に、

うちは価値を見出すことができない。

自己肯定感というものが

恐ろしく低いのだろう。

そのくせして変にプライドは高く、

自己愛ばかりが嵩んでく。


もうわかるやろ。

うちは最低で屑ってこと。


話術だとか明るく振る舞えるとか、

いつでも笑顔でいられるとか。

そのくらいの能力が

ひとつくらいあったらよかったのに。


先生「じゃあ…Webのライターさんや記者さんあたりは、もしかしたら面白いかもしれないわね。」


ある程度お年を召している先生から

Webライターの言葉が出てくるとは

思いもしなかった。

案外世の中の流行となりつつある

働き方にも目をつけているらしい。


先生「国語の点数がいつも高いから、文章力や言葉の理解力を活かせるものかつ、ありとあらゆる情報を扱えるものといえばこの辺りじゃないかしら。」


他にも、と提案をしてくれるものの、

これと言ってピンとくるものはない。

それもそのはず。

うち自身、未来に向かうことを

拒みたがっているのだから。


先生はあれこれ話を進めて広げては

うちに提案していた。

そのどれもが頭の隅にすら

残りそうになかった。

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