エンディング
それは十年前の出来事だった。
「おい翁。手前……何を考えてやがんだ」
「きて早々に穏やかじゃないな、シド。英国人だろうに」
「適当に誤魔化そうとするんじゃねぇよボケ爺」
その日は大雨で、シドは荒い息のまま骨董屋に飛び込んできた。
全身は濡れていて傘すら差さずに駆けてきたらしい。
その様子に老爺――ヘルシングは溜息を吐くとヴィンテージな椅子を軋ませてパイプを銜えた。
「聞いたぞ。先のヘイスティングスでの騒動……そこでクロウリー一族の生き残りを見つけたってな」
「ああ、その通りだ、シド。わたしが保護した」
「頭がイかれちまったのか? クロウリーの血が未だ残っていたことすら驚きだが、そんな恐怖の末裔をあんたが何故保護する」
ヘイスティングスは英国南東部に位置する歴史ある町で、当時、この町に怪異が連日巻き起こった。
骨董屋を営む傍ら、過去の実績も関係して、彼はよく聖魔関係の依頼をされ、彼の気が向けばこれの解決にあたった。
「何故……何故とは何かな。わたしは確かに聖魔の討伐が得意だ。特に魔の相手となれば、この世で一等をとれると自負している」
「ああ、よく知ってるよボケ爺。ヴラド・ツェペシュを直接殺せるような気の触れた化け物だからな、あんたは」
「古い話をするものだなぁ。そんなのは百年も前の話だ、シド」
「その長寿もまた……その事件によるものだろうが」
「舌先で軽く、ほんの少し味わった程度だったんだがね。それでも人の寿命を百年以上伸ばす効力があったらしいよ、彼の血は」
「それと魔の一方的支配……魔を以って魔を制するとかいう、超卑怯極まりない特性もな」
「大袈裟だ。どんな濃度の悪性に触れても死なないというだけの話だ」
「けっ、これだから〈強制中和体質〉ってやつは……」
英雄としても名の知れるヘルシング。
だが覇者を打ち破ったことにより彼の戦力は人々を恐怖させるに至る。
更にはドラキュラ伯爵の血を得た事実。
決して彼が吸血鬼化した訳ではないが、それにより得た長寿、および退魔に特化した能力が殊更に各教会を震え上がらせた。
そんなヘルシングだが、この当時も当然のように息をしていて、生きながらえつつ趣味であるイワクの品々を集めたりしていた。
「その収集癖に中てられてのことだ、シド」
「……噂の〈魔の経典〉って奴か」
「そうとも。アレイスター……彼との面識はないが、彼のことは当然ながらに知っている。多くの人々を死へと追いやり、オカルトというものを確立した大罪人だ」
「そんな気狂いの遺した〈禍悪の花〉とかいうやつに惚れ込んだってのか」
「ま、そんなところさ」
「……嘘つき爺め」
悪人のような笑みを浮かべるヘルシングだがシドはこれを適当な嘘だと看破する。
「あんたは古い時代のまま、ブラム・ストーカーの作中のままにお人好しだろうが」
「そうかな?」
「そうさ。俺を拾って育てたあんただ。そうなりゃどうせ今回もそういうことだろ」
シドの言葉を聞くとヘルシングは過去のことを思い返す。
いつの日か、彼はロンドン市を歩いていた。目的もなかった散歩だ。
適当に季節の変化を目で追いつつ、彼は教会の前を通りがかった。
この日もやはり雨が降っていたが、そんな雨の中に紛れる泣き声があった。
「今となっては立派な魔殺し屋か。まるで過去のわたしのようだねぇ」
「あんたの背を追ったも同然だからな、こちとらは」
ヘルシングはシドを拾い、彼を育て上げる。
邂逅に違いはないが、ヘルシングはこの出会いを運命だと悟った。
シドに宿る特異な体質。
それは自身の〈強制中和体質〉と似て非なるものだが、まるで互いは同じ血を通わす間柄にあるようにも思えた。
親代わりとなったヘルシングはシドを扱き上げる。
いつしか単独でも仕事をこなせるようになったシドは彼の下から離れるが、時折何かの問題があるとこうして顔を覗かせた。
「それで、今回も哀れ極まったガキを拾って育てようと思ったってか」
「哀れ、というのはよろしくないよシド。わたしはお節介を焼くだけだ」
「そのお節介で災禍の嬰児を引き取るだなんて沙汰の外だ」
「だがお前もわたしと同じように嬰児を引き取ったじゃないか。しかも〈聖人〉だ」
「……俺のことはいいんだよ。兎角、あんたの場合はマジで洒落にならねぇぞ。各教会、各派閥があんたを殺そうと躍起になってる」
「それで?」
「素直に教会に預けろ。さもなきゃ死ぬぜ、翁」
その台詞は真剣そのものだ。
しかしヘルシングは至極つまらなそうに溜息を吐くと煙を燻らせる。
「却下だ」
「この頑固爺めが」
「そもそもわたしを相手取ろうと思うのならね、それこそ教会側は全戦力を投入する勢いじゃないと話にならないし、魔に対して私は一方的な暴力で終わらせることができるんだ」
「ああ、分かってるよ。だがあんただって不老不死という訳じゃない。それっぽいってだけだ」
「そりゃそうさ。わたしもそう長くはないよ」
「はっ、どうだかな」
シドは鼻で笑うが、ヘルシング本人は遠くを見つめ確信めいたものを持っていた。
「〈禍悪の花〉と呼ばれる〈魔術礼装〉……概要は把握しているかね、シド」
「……アレイスターの遺した伝説の〈魔術礼装〉ってぐらいだ」
「わたしは先程それに中てられた、といったが……実をいえばこれはね、わたしでも手におえない代物らしい」
「なんだって?」
「というか、わたしには扱えないんだよ。これに関する正しい情報は何一つとしてないが、噂の一つの通りに、どうやらこれはクロウリーの血に連なる者にしか扱えないみたいだ」
そういうヘルシングは懐から古めかしい本を取り出す。
「もしかしてそいつが……」
「ああ、聖魔の誰もが恐れる〈魔の経典〉……通称は〈禍悪の花〉だね。これがまったく反応しないんだよ、わたしの〈強制中和体質〉を以ってしても」
「んなもん安易に見せびらかすんじゃねぇよ……如何にこの店が特殊だとはいえ、それその物は危険極まりないだろうが」
「クリフォトの名を冠するというのが、もう、堪らなくイワクだものなぁ。ああ、ゾクゾクする」
「馬鹿かあんたは……」
呆れつつもシドはヘルシングを見つめた。
「それで、結局あんたの目的ってのが毎度毎度のお節介だとしてだ」
「ああ」
「その本……〈禍悪の花〉がどうしてこの場にあるんだ」
「どうして、というと?」
「あんたでも扱えないとなりゃ興味なんてなくなるだろう。あんたは実用性のある〈礼装〉を好む。如何にそれが伝説級の代物とはいえ、使えないんなら相応の機関に任せるだろうに」
「まあ、確かに普段ならそうする。けどね、勘違いしてはダメだよ、シド」
「勘違いだって?」
「ああ、そうだ。この本はね、わたしの物ではないし、ましてや教会が管理する物でもなければ魔の徒の手に渡っていい物でもない。これはあの子の……彼女の物だ」
そういったヘルシングは優しい笑みを浮かべた。
「先のヘイスティングス。怪異の原因は何だったと思うね」
「そういえば詳しく聞いちゃいねぇな。何だったんだ」
「ずばりは……この本、そして奥で眠っている幼子が原因だ」
「……どういうことだ?」
「怪異の正体はバンシーだったよ。深夜、町の至る所で泣き声が響いて、そりゃもう眠れるような環境じゃなかった」
「……それで?」
「問題はだ、そのバンシー達が何に泣いていたのかだ。家人の〈死〉を予告すると呼ばれる妖精達は誰の〈死〉を予告したのか」
瞳を細めたヘルシングは静かに言葉を続ける。
「村の一帯が泣き声に支配されていた事実……可笑しいとは思わないかね、シド」
「バンシーがそこら辺で泣くってのは……そりゃ、不気味を通り越して異常だ」
「その通りだ。つまりね、バンシーの泣き虫っぷりはね、村そのものが亡びる事を暗示していたんだよ」
その言葉にシドは少々驚く。
「穏やかじゃねぇな」
「ああ、実にね。ヘイスティングスは歴史ある町だ。この古くから続く歴史を愛するバンシー達は、とてもじゃないがこの事実を受け入れられなかったらしい」
「それで泣きまくって警告しまくってた、と」
「そうだ」
「その原因が……その本と、クロウリーの末裔だってか」
「ああ、正解だ」
紫煙を吐きながらにヘルシングは頷く。
「通常、人であれ何であれ神性、そして悪性を宿すのが当然だ。だが君の所の〈聖人〉のように単一の属性のみを持つ個人もいる」
「……もしかして、そのガキもそうだってのか?」
「そうだ。あの子はね、悪性しか持っていない」
「マジかよ……」
「バンシー達の泣き声に紛れてね、聞こえるんだよ、夜泣きが。その声の大小に合わせて超濃度の悪性が駆け抜ける。それはとある孤児院からでね、あまりにも強烈な濃度にわたしもびっくりした」
「んで確認したら……クロウリーの末裔だった、と」
「自覚もなく、更には幼く、しかも寝入り時だなんて無意識のうちに超濃度の悪性を解放してごらん。あの一帯は〈地獄門〉に匹敵する程恐ろしい環境だったよ」
「その孤児院とやらはガキのことを知らなかったのか?」
「聞いた話によれば、これもまた捨て子を保護した形だったそうだ。出自も不明で戸籍も適当に用意したといっていた。唯一の手掛かりが……この〈礼装〉だったみたいだ。なんでも彼女の傍にこれが落ちていたそうで、これを常に持たせていたようだよ。しかしそれこそは爆薬に雷管を繋げるにも等しいことだったんだが」
「流石は田舎だな。適当極まる」
「まあ仕方ないさ、そういうことに疎い田舎だったのもある。とはいえ……その適当な加減によって町が一つ吹き飛ぶところだった。実に危うい状況だったよ」
「しかし町一つをも飲み込むってのは……尋常じゃねぇな。ましてや二歳児だろう」
「それこそがクロウリーの血を証明するんだよ。けれども、それは謂わば天然の爆弾だ。何の抑制もないままに放置してごらん。何が起こるか分からない。あるいは危機を察知した聖魔のいずれかが正体に勘付き、幼子と〈礼装〉を巡っての大戦争になるかもしれない」
「……んで、双方から中立の立場を許されているあんたが、誰の意見も無視して、己の下で管理しようってか」
「ああ、ずばりそうだよ」
あっけらかんというが、それは通常ならば許されざることだった。
しかし約二世紀もの時を生き、その間多くの問題を解決してきた彼に対して文句を口にできる人物は存在しなかった。
内心ではどの派閥も彼を殺める機会を窺っていたが、やはり伝説の御仁にそのような隙は皆無だった。
結局、英国教会ですらも黙認する運びとなり、ヘルシングは僥倖、僥倖、と幼子と〈魔術礼装〉を自身の店に持ち帰ることに成功した。
「とはいえどうするんだ、今後は」
「どうもこうもないよ。お前の時のように、私はあの子を……シャロンを育てる」
「……シャロン、ね。また可愛らしい名前だ」
「ああ、いいだろう。その名に恥じぬ美貌だよ。あの子は将来立派な佳人になるだろうね、楽しみだなぁ」
「この爺……まだまだ老いねえなぁ」
「まあ、だからね、シド」
「あ? なんだよ」
シドがこの日の言葉を忘れることはない。
何せ恩師であり親代わりであるヘルシングからの珍しい頼みことだったからだ。
「わたしが死んだら……その時はお前にシャロンを頼みたい。我が技術を全て託したお前にならばあの子を任せられる。どうかあの子を導き、そして助けてやってくれ」
「……はっ。そんな時がくるとは思えないぜ、英雄様よ」
この日の言葉を再度耳にしたのはやはり十年後のこと。
ベッドに沈む前、ヘルシングが未だなんとか椅子に座ることができた時。
十年前に聞いた内容と同じ言葉にシドはただ頷くだけだった。
◇
シドは店の軒先でヘルシングと最後に交わした言葉を思い返していた。
師として仰ぎ、三十と余年に渡り世話を焼いてもらったシドは、彼の死後に少女の下へと訪れる。
「たくよ、何もかも押し付けやがってあのジジイ。お蔭で滅茶苦茶疲れたっつーんだよ……」
そう文句をいうシドだが表情は晴れやかだった。
「ともあれ、問題は解決したし、暫くは大人しく過ごせるだろう。まぁこの店の修理なんかで忙殺される日々かもしれんが……」
見上げれば傾いた屋根、見下ろせば吹き飛んだ壁。
これは骨が折れると呟き、シドは手元にある携帯端末へと意識を向ける。
『そう文句をいわない方がいいわよ、シド。愚痴っぽい男はモテないし』
「はっ……いらねえ世話もあったもんじゃねえな、レイラ」
通話相手は〈聖人〉レイラ・キャットウォーク。
先の騒動のあと七年越しに和解した二人は策を講じ、なんとか思惑通りにカトリック教皇の行動を封じることに成功した。
その報告を受けたシドは一人頷くと、平和とは素晴らしい限りだと呟く。
「で、お前はよかったのか、レイラ」
『ん? 何が?』
「お前が望むんなら、お前を奪還する為にヴァチカンへと乗り込んだってよかったんだぜ、俺は」
シドは騒動終結後にそれを案として口にしたが、これに首を横に振ったのはレイラ本人だった。
『シドもいってた通り、やっぱり私にも役割があるから。それは信徒達の導となることでもあるし、己の使命であるとも思ってるの』
「そうかい。まぁいいさ、お前が頷くんならな」
笑みを零しつつシドはそう呟く。
「ところでな。今更なんだけどよ、俺は思い出したんだ、レイラ」
『……? 何よ、どうしたの?』
「そのな、俺ぁどうしてもそれを諦めることが出来ない。元よりその計画だったのにファウストの間抜けが押し寄せてきて、更にお前まで出張ってくるもんだから、まったく叶ってないんだ」
『要領を得ないんだけど……』
「ああ、つまりはな――」
言葉はそこで途切れた。
理由は単純で、戸の前に立っていた彼はシャロンが開放したことにより前へとつんのめったからだ。
「ちょっとシド、これどういうこと⁉ お爺ちゃんが伝説のドラキュラ殺しなの⁉」
「お、なんだ小僧、よもや逢瀬かの? ん? お? どうなんだおい?」
『なんだか騒がしいわねぇ。何か問題でもあったの?』
正に姦しいとシドは思いつつ体勢を立て直し、携帯端末へと言葉を紡ごうとする。
だが再度そんな彼を邪魔する者が登場した。
「おい、魔殺し屋ぁ! 丸一日もかかったぞ、疲れてしまったぞ! 何か相応の報酬はあるんだろうな、おいぃ⁉」
「げぇ、まーた喧しいのがきやがったぞ……!」
通りの向こうから響く声の正体はファウストで、自慢の白い外套ではなく、黒いセーターにジャケットを羽織るとなんとか見られる具合で、シドは改めて彼を見ると笑ってしまう。
「あぁ、おい貴様笑ったな! 私をこれ以上馬鹿にする気か貴様ぁ!」
「騒がしいのう……おい、それでどうなのだ〈聖人〉よ、小僧と進展はあるのか? ん? お?」
『その声はヘカテーかしら? 別にシドと私はそういうんじゃないんだけどねぇ』
その光景は平和だった。
殺し合いをした者達で、皆はただ一つ、〈魔の経典〉と呼ばれる悪しき遺物を求め集った覇者達。
だがそんな覇者の群れでもついぞそれを手に掴むことはできず、皆はその悪の花から放たれる薫香のみを堪能するに至る。
「ねぇねぇシドってば! これってやっぱり――」
「あのな、シャロン。俺はよ、何度もいおうと思ってたんだ」
「え? なにを?」
「ほれ、散々言い合ったろ。んで結局言い合ったはいいが、それを口に含めてもいないだろ?」
「へ……?」
〈禍悪の花〉と呼ばれる少女がいた。
名をシャロン・クロウリー。
呪われた血を持つ少女は、それでも自身の運命に抗った。
「コロッケ。男爵芋のコロッケ。いつになったら食えるんだよ」
「……あー! 忘れてた!」
そんな彼女の傍に寄り添った男がいた。
呼ばれ名は魔殺し屋。
伝説と謳われる退魔のエキスパート、エイブラハム・ヴァン・ヘルシングの下で研鑽を積み、実力は事実として最強無敵。
覇者に相応しい特性を持ち、その身一つで荒れ狂う魔銀の覇者だった。
そんな魔殺し屋の名前こそはシド・フラワーショップ。
彼は賑やかしい景色に笑みを咲かせると約一日ぶりの買い物の再開を促した。
「よし、んじゃ買い出しの再開だぜ、シャロン隊長殿?」
「あいあいシド副長殿! 今回の買い物は絶対に成功させるであります!」
英国は首都ロンドン市のとある通りには古めかしい骨董屋がある。
古今東西様々なイワクの品があり、どれも使い勝手が不明なものばかり。
そんな骨董屋には伝説と謳われる代物がある。
曰くは〈魔の経典〉と冠され、それの価値は計り知れない。
だがそれを手にする事は至難にも等しい。
何故ならば魔を食らう番犬が常に寄り添い、その花弁が散らぬようにと目を光らせているからだ。
「よぉし、それじゃあ皆で行こう! 今日はコロッケパーティだよ!」
「はは……悪くねえ。実にお気楽なお嬢様だぜ」
〈禍悪の花〉を背負う少女をお求めの方へ一つの御忠告を。
その少女は実に可憐だが、綺麗な花には棘がある事をお忘れなきよう、切に願う。
終
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