XⅨ


 ロンドン市での衝突――〈禍悪の花〉を巡っての〈聖人〉と魔殺し屋の闘争は各教会、および各オカルティストに知れ渡った。

 その結果として、やはり毎度の如く魔殺し屋が勝利をおさめたと噂されると、誰もがこれに機嫌を悪くした。

 更には先のファウストとの衝突も問題として挙げられ、現代でも名の知れる名家が敗れた事実は、こと〈黒魔術〉に傾倒する者達を畏縮させ皆が皆手を出せずに至る。


「以上が報告となります、猊下」

「う、うむ……」


 先の騒動から一日。

 ロンドンでは連日大騒動が巻き起こったが、ここヴァチカンでは教皇猊下が脂汗を滲ませ苦悶の表情を作っていた。理由は簡単で、彼の前に跪く美女が原因だった。

 その美女こそは名高き〈聖人〉レイラ・キャットウォーク。

 彼女はロンドンでの闘争に関する報告を纏め上げ、結果として〈禍悪の花〉を逃した旨を伝えた。


「勝てなんだかね、やはり」

「はい。彼の野良犬は誠、凶悪凶暴に尽き」

「〈禍悪の花〉の簒奪は不可能、か……」


 顎を摩る教皇だったが、実をいえば見えていた結果だった。

 それこそはレイラが起因するが、事実、彼女は幾度もシドに挑んだ過去がある。

 だがその都度敗北を喫し、今回もまた同様で、如何に〈聖人〉といえど、その特性を拒絶してしまうシドの体質にレイラは意味を失ってしまう。


「神速や怪力等の付加的能力までもが彼奴に触れると意味を失う……出鱈目な男だ」

「然様で」

「と、なると……やはりここは〈十字軍〉を展開し、更には正教の者等と手を組むしか……」


 元より〈禍悪の花〉を滅ぼすつもりだった教皇。

 ある意味ではレイラは斥候の役割にも等しく、これにて敵方の戦力を窺い知れたと内心では僥倖に尽きた。

 が、しかし彼の言葉に反応を示す美女あり。


「そのことなのですが、猊下」

「む? なんだね?」

「ええ、端的に申しましょう。シド・フラワーショップ、およびシャロン・クロウリーですが……今暫くは様子見で宜しいかと」

「……なんだって?」


 美女、レイラは顔を伏せたままに諫言するが、そんな言葉を口にするような人物ではない為に教皇は驚愕した。


「ななな、何をいっている、レイラ・キャットウォーク! そもそもお前が――」

「当人を拝見したところ、凡そ人品等は無問題。素養も十分あり、一般常識や倫理観もその歳にしては早熟に等しく」

「い、いや、しかしだぞ、まず第一にだ、あれはクロウリー家の残した魔の――」

「当人はまた他所に、彼女にはまず魔殺し屋の存在があり、ファウストの末裔もその戦力に含まれますわ。しかも恐ろしいことに〈死の女王〉ヘカテーまでもが彼女に服従していますれば」

「そ、それ等の情報は確かに恐ろしいが、それでも――」

「確かに教会が各宗派と結託し、それこそ〈十字軍〉としての機能を持たせ、英国へと攻め入れば〈禍悪の花〉を奪うことは可能でしょう。ですがそうなれば英国教会、更にプロテスタントの者達はどうなりましょうか」

「い、異教徒云々といっていたのはお前ではないか!」

「はて、そうでしたかしら?」


 恍けるレイラだが、彼女はようやくその面をあげる。


「ひっ⁉」


 その表情を見て息を呑んだのは教皇だった。

 何せ赤く燃える瞳は爛々と輝き、滲み出る殺意は彼の魔殺し屋と同程度だった。


「猊下、今一度御考え直し頂けますよう。無駄な被害は第一の問題となります故」

「……一体、何があったというのだ! まるでお前らしくもない! お前の性格ならばとっとと兵馬を派遣せよというだろうに、なのにこれはなんだ⁉」

「なんだ、とは何がでしょうか」

「異常の極みだといっている! よもや魔殺し屋に何かされたのか⁉ 〈聖人〉として、あのペトロの末裔として名高きお前が、あんな野良犬同然の純粋な人類相手に何かを――」


 そこまでいいかけた教皇の顔面、の真横に飛来する物体あり。

 それは純銀製の〈聖十字架〉で、七フィートもある十字架は壁に減り込んでいた。


「ええ、そのペトロの末裔であるが故……私は逆十字を背負うのですわ、猊下」

「っ……!」


 聖ペトロ。彼を象徴する十字架こそは上下逆さのものだった。

 聖ペトロ十字は謙虚さ、あるいは無価値のような意味合いとして広く知られる。


 だが、その逆十字を信仰した魔の徒も存在した。


「クロウリーの血に懐柔されたか、ライラー・ペトロ……!」


 その者こそは名高き黒魔術師、アレイスター・クロウリー。


 ダブルクロスを裏切りと呼ぶように、逆十字は神の恩寵への反駁と呼ばれ、悪を崇拝したクロウリーはこれを好んだ。

 何の因果か、現代で対面したクロウリーの末裔とペトロの末裔。

 互いに対する影響力は血の持つ歴史が由来するものなのかと教皇は歯噛みした。


「いいえ、そのようなことはまったく。私は神に仕える身でありカトリックにて身を終えし者。斯様な悪とて当然見過ごす訳もありませんわ」

「ならばどういった判断なのだ! お前はどうしてそんな判断に至った!」

「ふふ、それならばとても単純明快ですわよ、猊下」


 その言葉を置き去りにしてレイラは姿を掻き消す。

 突然の出来事に教皇はたじろいだが、ふいに頬に吐息を寄越されると心臓を鷲掴みにされた気分になった。


「あれらは私の獲物でありますが故。この私が勝つ算段を得て、それを達成するだけの実力を得たらば……その時に全てを破壊してみましょう」

「ひ、はひっ……! わ、わはっは、わかったはぁ!」


 首筋を指でなぞるレイラだが、それはギロチンを宛がわれたような気分だった。

 玉座から飛び出して床を転がる教皇を無視し、レイラは壁に突き刺さった聖十字架を背負う。


「それでは失礼いたしますわ、猊下。少々この後に予定がありますの」


 ピンヒールを鳴らし打ち、彼女は未だ転がり回る教皇を無視して謁見の場を去る。


「これで貸し一つね、シド」


 呟きは染み入るように景色に溶ける。

 一人、通り過ぎた給仕がいたが、彼はレイラの表情に首を傾げた。

 何せ先の失態から間もなくだというのに、何故か笑みを浮かべていたからだ。





「ううむ、一人駆り出されたと思えば……まあいい。あの腐れの魔殺し屋め、ちゃんとそれなりのものは貰うからな!」


 ロンドン市のとある墓地、文句を呟くのはファウスト博士だった。

 彼は先の騒動の際に居合わせなかったが、彼には彼なりの役割があった。


「各地各所、どこでも構わず情報の発信をしろとはいうが……世界中のゴーストにそれを伝えるのも大変なんだぞ!」


 それこそはデスマーチにも等しく、シドといえばファウストに無理難題を押し付けた。

 曰く“禍悪の花を巡る大騒動について”であり、これを世界に蔓延る異端者全員に広まるように、彼は丸一日間墓地の傍で〈地獄門〉を介して情報を流していた。


「しかし〈聖人〉までもが出張った上に〈十字軍〉の存在まで仄めかされたら、そりゃ誰もが諦めるか……元よりあのシド・フラワーショップこそが最大の脅威と呼べるが、こんな各派閥が殺し合いをしている最中に巻き込まれたい奴がいる訳もない」


 瞬く間に駆け巡る情報だが、世界各地の〈黒魔術師〉たちの反応はとても渋かった。理由は単純で、先んじて動いたファウストがよい牽制となったが、次の日には〈聖人〉が姿を見せたというから事態は生半ではないと悟る。


 何もかも時既に遅く、老爺の死後、僅か二日で世界は激動し、一人の少女を巡って聖魔の互いは緊張に支配されていた。


「だがこれだけ各派閥が押し寄せ、互い同士を牽制し合うとなれば、虚を衝こうにも不可能。魔殺し屋め、よもや暴力のみで全てを解決するとはなぁ……」


 それが根本的な解決か否かとなれば否だ。

 しかしシドの一計により事実聖魔のどちらも沈黙をしてしまった。


「嵐こそが嵐を鎮めるのやもしれんな。まったくもって恐ろしきは魔殺し屋、そしてそれを飼い馴らす〈禍悪の花〉か」


 呟き、ファウストはようやく作業を終えると丸一日の疲労を全身で感じ、即座に瞼がシャッターを下ろそうとする。

 が、それをなんとか耐え、彼は危うげな足取りで帰路を辿った。

 ロンドン市のとある通りにある、古めかしい骨董屋を目指して。





 十二月、冬のロンドン市。とある通りには古めかしい半壊した骨董屋がある。

 先の騒動により酷い見てくれとなった店だが、修繕は未だ何一つとして始まっていなかったし、これでも営業中だった。

 閑古鳥の常駐する店内に客の姿はなく、客足はほぼ零と呼ぶに相応しい。

 外観的なことも含めそれは当然と呼べた。


「ねぇ、シド、ヘカテー。なんでお爺ちゃんは私に何も教えなかったのかな」


 そんな店内のカウンターで頬杖を突く少女がいた。

 彼女の名はシャロン・クロウリー。呪われた宿命を持つ生まれだった。

 問いに対し、同じくカウンターに腰かけていた人形が踏ん反り返って言葉を返す。


「そりゃ、あの翁のことだ。お前の身を単純に案じたが為だろうよ」


 人形の正体は〈死の女王〉ヘカテー。

 寄越された返事にシャロンは何ともいえない表情をした。


「でも〈禍悪の花〉が恐ろしいものだってわかってたんだよね? なのに説明の一つもなかったし、聖魔に関する情報だって何も知らなかったよ、私」

「ふむぅ……こればかりは死人に口なしというやつだな。真相は闇の中。兎角としてお前は無事に護られたのだから、それでよいだろう?」

「そうはいうけど、なーんか煮え切らないなー……」


 突っ伏したシャロンだが、そんな彼女の頭を小突く大男が一人。


「あいた! もう、何するの、シド!」

「なんとなくだ。気にするな」

「なにそれぇ⁉」


 慣れた様子でヴィンテージな椅子に腰かけたその男はシド・フラワーショップ。

 シャロンの文句も他所にして、彼はコーヒーを啜りつつ本を開いた。


「ねぇ、シドは分からないの? なんでお爺ちゃんが秘密にしてたのか」

「前にもいったが、これは俺にもよく分からねえよ」

「だよねー……」

「……ただ」

「え?」


 シドは本に目を走らせつつ、ゆっくりと言葉を続けた。


「翁はな、お前を絶望に突き落とそうと考えた訳じゃない。あいつの性格は俺がよく知ってる」

「そういえば昔からお世話になってたって……あ、レイラさんも、確かお世話になったっていってたよね?」

「ああ、事実な。何せあの爺様といえばよ、そりゃこの英国じゃ名の知れた奴さ。聖魔共に深く関与してきたが、そんな翁にこそ俺は様々な知識を与えられた」

「へぇー……そんなに有名なの?」

「当然だ。ヘカテーだって知ってるんだろ?」

「まぁなぁ。あれは昔名を馳せた男だし、当然地獄にも名は轟いていた」

「お爺ちゃんって、いったい何者だったんだろう……?」

「……そうも気になるんなら、この本でも読めよ」

「え? あ、え?」


 シドはそういうと手に持っている本を投げて寄越した。


「……憶測だが、翁はお前をどうあっても聖魔とは切り離した環境におきたかったんだろうな。だから何の教育もしてこなかった」

「うん」

「だが、だ。自分の死期を悟り、今際となった時なんぞは、嫌でも思い知ったのさ。どうあってもシャロンには魔の力が必要で、更にはそれを守護する番犬も必要だと。もっといえば……己がするべきだった教育等を任せられる奴をな」

「……それが、シドだってこと?」

「まぁ、事実俺は翁の後代とも呼べるしな」

「え? なんで? あ、このお店で働くから? でもこのお店の主は私で――」

「否、否。兎に角……その本、ちゃんと読んどけよ、シャロン」


 シドはコーヒーを飲み干すと携帯端末を取り出して外へと出てしまう。

 彼の後姿を見送りつつ、シャロンは渡された本をヘカテーと一緒に覗き見た。


「……これって、ブラム・ストーカーの〈ドラキュラ〉?」

「うむ、そうだな」

「へー、こういうストーリーだったんだぁ」

「シャロンよ、よく読むといい。これは英国を代表するお話でもあるし、その主人公、というかドラキュラ本人を倒した者も、英国を代表する覇者である故な」

「覇者って大袈裟だなぁ、もう。一体誰のこと……を……」


 シャロンは我が目を疑う。

 その名が出てきて、更にその人物が魔の代表格に値する〈ドラキュラ〉を葬ると、いよいよ席を立ってシドの後を追いかけた。


「シ、シドぉ⁉ これお爺ちゃんの名前が! エイブラハム・ヴァン・ヘルシングって、お爺ちゃんの名前がのってるよぉ⁉」

「まぁ、それはフィクションという名の史実だからのう」

「……シドぉおお⁉ つまりどういうことなのぉお⁉」


 エイブラハム・ヴァン・ヘルシング。

 通称ヘルシング教授はいわずと知れた退魔のエキスパートであり、英国を代表するヒーローだった。


 だが危機を排除した彼は英国教会から危険視されることとなり、〈ドラキュラ〉事件以降、彼は英国全域で忌み嫌われる存在となってしまった。


 そんなヘルシングにより育てられた少女こそは〈禍悪の花〉――シャロン・クロウリー。

 何の因果か魔の花を引きとったヘルシングはシャロンを大層可愛がり、自身の後釜としてシドを据えると、この世を去った。

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