XⅣ


「いやぁあ! 誰かこの獣を止めてぇえ!」


 先の騒動から一日が経過した朝、骨董屋に響くのは絹を裂くような悲鳴だった。


「暴れるなシャロン、いいから落ち着け」

「おおお、落ち着け⁉ 落ち着けってぇ⁉ どう考えても無理でしょう、シド!」


 時刻は未だ六時。

 早朝から賑やかしい骨董屋では少女の衣服に手を掛けて迫る大男の姿があった。


「誰か助けてぇー! シドが無理矢理服を脱がそうとするよぉー!」

「そうも騒ぐんじゃねぇよ、困ったガキだな……」

「お困りなのはシドでしょ⁉ いよいよ変態さんになっちゃったの⁉」

「馬鹿いえ、俺にガキの趣味はねーよ」

「ならこの手を離してよぉー!」


 傍から見れば当然犯罪の光景だが、しかしシドに悪意はなかった。

 彼は暴れようとするシャロンをなんとか宥めようとするがシャロンは混乱するばかりだった。


「なんなのだ、朝から騒々しい……!」


 そんな折、傍のソファで眠っていたファウストが目覚める。

 最悪な目覚めだとぼやくが、シャロンに覆い被さるシドを見ると我が目を疑う。


「……魔殺し屋よ、気でも違えたか」

「違えちゃいねぇよ。手前もちっと手伝えよファウスト」

「いや、それは流石に……」

「ひぃいい! 男二人に襲われるぅー!」

「な、ほら、いいから離してやれ魔殺し屋。経緯も不明だぞ」

「んだよ、面倒くせぇなぁ……」


 未だ鎖で雁字搦めになっているファウストだが、やけに常識的な事を口にする。

 対してシドは舌を打ったが、仕方なしにシャロンから手を離した。


「わ、あわわ! ヘカテー! ヘカテー出てきてぇええ!」


 即座に状況から脱したシャロン。

 彼女は傍に落ちていた本を手に取ると錠前に鍵を差し込んだ。

 そのまま急いで頁をめくると、昨日同様に暗黒の靄が溢れ出てきて、その渦の中から人形サイズの佳人が姿を見せた。


「なんだ小娘、妾をこうも好き放題召喚しおって……普通ならばぶち殺しておるぞ」

「たたた、助けてヘカテー! シドが私を襲おうとしてるの!」

「なに……? おい小僧。よもや貴様、その道に目覚めたとでもいうのか?」

「だからちげぇって……どいつもこいつも俺を犯罪者呼ばわりしやがって」

「いやそう見えたぞ、魔殺し屋……」

「小娘の怯え具合が尋常ではないぞ」

「警察に突き出すよ⁉」

「……泣けるぜ」


 頭を掻いたシドは溜息を一つ。

 そうしてからシャロンへと視線をやると口を開いた。


「あのな、いったろ。俺はお前みたいなガキに欲情なんてしねぇよ」

「ならなんでいきなり襲い掛かってきたの! 起こしに来たら目覚めと同時に飛び掛かってきたくせに! このケダモノ!」

「そりゃ野良犬に違いねぇが、だからって話くらい聞いてくれてもいいだろう」

「ななな、なんて不遜な態度! じゃあなに、私に襲い掛かってきたのには理由があるって⁉」

「だから何度もそういってんじゃねぇか……」


 困ったお転婆娘だ、とシドは吐き捨てる。


「あのな、シャロン。お前の背中なんだがな」

「背中がなに⁉」

「浮いてんだよ」

「何が⁉」

「だから、紋様みてぇなのが」

「……え?」


 そういわれるシャロンだが、彼女は当然ながらに衣服を身に纏っていた。

 これは苦し紛れの嘘八百かとシャロンは食って掛かろうとするが、しかしシャロンの背後にまわったファウスト、更にヘカテーが目を見開く。


「んな……これは、よもや……!」

「お、おい、小娘! お前、これに気付かなんだか!」

「え……? これって……?」

「浮いているぞ、フロイライン! クリフォトの樹を模した〈呪印〉がある!」


 ファウストは店内を見渡し、丁度いいところに姿見があるのを発見するとそれを引きずってきた。

 そうしてシャロンの背に立たせ、シャロン本人は訝しむように鏡越しに自身の背中を見た。


「な……なにこれぇえ!?」


 映りこんでいたのは背中一面に施された紋様だった。

 色合いは黒であり、形は樹木を模したものだ。

 不思議なことに衣服越しなのに、まるで透けるようにしてシャロンの背から形が浮かび上がっている。

 シャロンは飛び跳ねるとシドの方向へと後退った。


「え、え、えぇ⁉ なんで私の背中にタトゥーみたいなのが⁉」

「そいつは……クリフォトの樹だ、シャロン。間違いなく」

「クリフォトの樹って、確かアレイスター・クロウリーが探究したもので、えぇと、私の持ってる〈禍悪の花〉の原点みたいなものだよね⁉」

「そうだ。クリフォトってのは概念だ。これは悪徳、あるいは〈悪魔〉等に近づかんとする考えであり、往々にして樹木のような形をかたどっている。経路図だな」

「そんなおぞましいものがなんで私の背中に!?」

「ふぅむ……やはり〈禍悪の花〉が関係しておるのだろうな、小娘。名の通り樹に咲くそれはお前をクリフォトの樹として認めたという訳だ。つまりは正統なクロウリーの人間だという証だろう」

「そんな冷静にいわれても全然納得できないよ、ヘカテー! どどど、どうしよう、これじゃ不良だよぉ!」

「いや、安心めされよ、フロイライン。どうにもこれは悪性により形作られているように見える。普通の人達には見えないだろう」

「でもでも、当人としてはまったく落ち着かないよ、ファウストさん!」


 涙を目元に溜めたシャロンは抗議をする。


「ねぇ、どうにかならないの、シド! これ消せない⁉」

「……いや、これは多分消しようがない。ファウストのいう通り、これはお前の悪性に由来した〈呪印〉だ。聖に連なる物でもどうにもならねぇだろう」

「んなぁ……!」


 寄越された台詞はシャロンを絶望へと突き落とした。


「うぅ、もう、もうぅ! 昨日からなんなの! 訳わかんないことばっかりだし、背中にタトゥーまで入っちゃったし! 散々だよ……!」

「まぁそうも嘆くな、シャロン。お前らも何か励ましの一言でも――」

「しかし禍々しいな……妾ですら眩暈を起こすぞ、これ」

「元よりフロイラインの悪性は異常的でしたが、それが視覚からも作用するとなれば、いやはや実に恐ろしい限りですな……」

「やっぱり散々だよ!」

「手前等な、少しは口を噤めよマジで。頼むから」


 不安を煽るような言葉を口にする一人と一柱に拳骨を見舞いつつ、シドはシャロンへと向き直った。


「よし、いいかシャロン。混乱するのも絶望するのも仕方のないことだ。何せお前にゃ必要な知識がない。まったくといっていいだろう」

「知識があっても受け入れ難いよ、こんなの!」

「まあ落ち着け。兎角だ、何も知らないよりは知っていた方が断然いいし、如何に理不尽だからとて現実から目を背ける訳にもいかんだろう?」

「そ、それは、そうだけど……!」

「なら少しでもいいから話を聞いてくれ。これはお前の為でもあるんだ、シャロン」


 そうもいわれたら頷くしかないじゃないかとシャロンは俯く。

 それを了承と受け取ったシドはカウンターの席にシャロンを座らせるとカウンターを挟んで対峙する。


「まぁ曖昧に語ってきたことだが……聖魔の存在はもう理解してるな?」

「うん……」

「んじゃぁだ、昨夜から口にしている事だが……神性と悪性。これはどうだ?」

「その悪性っていうのが私の背中の絵の原因なんでしょ⁉ それってなんなの⁉」


 勢い余ってカウンターを叩いたシャロン。

 様子を見ていたヘカテーは彼女の頭の上に立つと適当な加減で叩いた。


「そうも憤るな、小娘」

「シャロンです!」

「……シャロンよ、一応は妾を支配下におくお前だから特別に名で呼んでやろう。先にいうがな、お前の背の〈呪印〉はお前が死ぬまで消えんぞ」

「……はいぃ⁉」

「待て待てヘカテー、結論を先にいうな。いいか、シャロン。そもそも聖魔と属性があるこの世では、万物にはその二つの属性が必ず宿っているんだ」

「そ、それが、神性と悪性ってやつなの?」

「そうだ。これは当然人も同じくだ」

「う、うん」

「しかしお前の場合、その身に宿す悪性が……通常とは程遠い濃度でな」

「……はい?」

「思い返せよシャロン。そもそもだぜ、俺は昨日何度もいったはずだ。普通の人類……神性も悪性も並程度の、それこそ聖魔に関係しない人種には、そもそも魔に触れることはできねぇし〈地獄門〉だなんてあの世に等しい状況で命を保てる訳がないんだ」


 そういわれたシャロンだが、彼女は昨日の出来事を振り返ると段々と顔を蒼褪めていく。


「教会での騒動、更には商店街からタワーブリッジまで、挙句は……お前、ヘカテーに頬を撫でられてる上に口付けまでされてるよな。いっとくけどな、そいつ〈死の女王〉なんだぞ。死神すら平伏する相手なんだぞ」

「うむぅ、シャロンの悪性は並ではないぞ、事実としてなぁ。触れて得るのは驚異のままよの」

「ファウストの血を引く私ですらフロイラインに触れて気が飛びそうになる程だしなぁ……」


 シドの言葉を聞きつつ、ヘカテーとファウストの感想にシャロンは自身の手を見つめた。


「わ、私、そんなに可笑しいの……?」

「別に可笑しくねーよ。単に人より悪性が濃いってだけで」

「でも、でも! じゃあ私に宿る神性は⁉ あるんだよね⁉ それで中和できたりしないの⁉」

「あー……それ、なんだがな……」


 頬を掻いたシドは少々渋る。

 が、そんな彼の反応をよそにしてヘカテーが言葉を紡いだ。


「ほぼないぞ、シャロンよ」

「え……え? 今、なんて?」

「だからな、お前に宿る神性……ほぼ零なのだよ」


 簡単にいうヘカテーだが、これにシャロンは絶叫した。

 堪らずに耳を塞ぐシドとファウストだが、シャロンはシドに食い掛からん勢いで迫る。


「そ、そんな訳ないよね⁉ 誰にでも宿るものなんでしょう、神性も悪性も⁉」

「ああ、ああ、間違いねえことだ。例外とも呼べる存在も実在するがな。それこそ過去にも多く存在した〈聖人〉や……お前のような、特異な生まれの者なんかだ」

「〈聖人〉⁉ 特異な生まれ⁉」

「〈聖人〉とは神に愛された者、そしてお前の場合は……」


 シドは少しばかり口をまごつかせる。

 だが決心したように息を大きく吐くと、シャロンの瞳を見つめて言葉を続けた。


「魔に愛された者、という意味だ」

「魔……に……」


 それはクロウリーの血筋だからかとシャロンは口に出そうと思ったが、それが紡がれることはなかった。

 シャロンは俯くと、いよいよ自身に流れる血が汚らわしく思え、涙を零すと顔を覆った。


「……少し飛ばし過ぎたか。おい、ファウスト、少し買い物に付き合え」

「ぬ? お、おい、待て引きずるな! せめて鎖を解け、おい!」


 消沈するシャロンを見てシドは口をつぐむ。

 暫し一人の時間が必要だろうと判断した彼はファウストの襟首を引っ掴むと無理矢理に引きずった。

 出入り口まで迫った彼だが、ふと立ち止まった彼は振り返らずにシャロンへ言葉を紡ぐ。


「シャロン。酷な現実だろうとは思う。未だ幼いお前に受け止めるだけの余裕はないだろう。だが……それでもどうか理解してくれ。何も知らず闇に飲まれてしまったら、それこそ取り返しがつかなくなる」

「……急にいわれたって、無理だよ……」

「……すまん」


 そこで言葉を終えたシド。

 鳴り響くチャームは彼とファウストが店外へと出たことを意味する。

 シャロンは未だ泣き続けていて、彼女はカウンターに突っ伏してしまった。


「何もそう泣くことはないだろう、シャロンよ。何がそうも悲しいのだ」


 シャロンの頭上から降りたヘカテーは適当に浮きつつそう問いを向ける。


「悲しいだけじゃないよ。辛かったり、色々複雑な心境なの……」

「よく分からん奴め……誇るべきだぞ、シャロン。お前は特別な存在なのだから」


 そういわれるシャロンだが、やはり納得もできず、さめざめと涙を零し続けた。

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