XⅤ
朝早くから通りを歩くのは長躯な男と短躯な男だった。
鎖で繋がれる後者を引きずるようにして歩く前者の画と言うのは、妙どころか怪奇のようなものだった。人々は視線を逸らし足早に過ぎ去る。
「おい、魔殺し屋! いい加減にしろ!」
「うるせぇ不細工だな、黙ってついてこいっつーんだよ」
「こんな家畜同然に扱われて素直に従う奴がいるものか!」
「事実手前は敗北してんだぜ、そんな手前をどう扱おうが勝者の勝手だろう」
「ぐぬぬ……!」
いい合う二人だが、手近に見えた露店へと近寄るとホットドッグとコーヒーを注文する。それから近くにあったベンチに腰掛けると、二人は陰険な雰囲気を醸しつつ同時にホットドッグに齧りついた。
「……それで、どういうつもりなのだ、貴様は」
「どうって、何がだ」
「恍けるな……何故私を生かす。何故殺さんのだ」
その言葉にシドはファウストを見るが、本人は遠くの景色を睨み付けるばかりだった。
「どうもこうも、シャロンの前でお前を殺せるかよ」
「ならば今こそが絶好の機会ではないか。だのに何故殺意の一つもない」
「お忘れかね、ファウスト博士。シャロンは俺に命令を下している。お前を殺すなってよ」
「それに大人しく従うのか、貴様ほどの男が」
「従うのが犬だ」
「ふん……野良がいよいよ鎖に繋がれようとはな」
「走狗と呼べよ不細工殿」
「どちらにせよ犬は犬だろう」
鼻を鳴らすファウストはホットドッグを食べ尽すとコーヒーを啜った。
「聖魔のどちらにも属さず個人でそれらと対峙するフリーランス。通常ならば各教会がそんな異端者を見逃すはずもない」
「今更な話だ、そんなことは」
「だがそれこそが貴様の謎を深める。英国となれば当然英国教会が幅を利かせているだろうに、それすらもお前を放置しているのは何故だ」
「手懐けようがないと判断したんだろうよ」
「戯言を……」
「だが英国は事実そんなスタンスさ」
「英国は、だと?」
「ああ、そうだ」
ファウストとは別に、シドは静かに丁寧な所作でホットドッグを食べていた。
外観に見合わない様子にファウストは疑う眼差しで胡散臭いとまで思った。
「俺は聖魔の双方から大層嫌われてる。まあ当然さ、何せ神だとか魔だとか、そういった信仰対象を持たないし、それらを相手に好き勝手暴れてるんだからな」
「そんな貴様は事実自由だろうが」
「そうでもない。特にヴァチカン……あそこはいっとう俺を嫌ってる」
「ヴァチカン……ローマカトリックの総本山からか」
「ああ。当代の教皇のボケなんぞは俺を殺すことばかり考えてる」
「まあ血生臭いカトリックだ。古くから異端者に対して容赦がない」
「奴等は魔の討伐に関しちゃ数千年単位の歴史を誇る。過去は世を席捲したくらいだ、奴等からすりゃ報酬次第でどんな仕事も請け負う俺は実に目障りだろうよ」
適当にいうシドだが、ファウストはコーヒーを啜りつつ意外な表情で彼を見る。
「分かっているのに貴様は好き放題にしているのか」
「例え命を狙われようが何だろうが、俺は俺のやるべき事を完遂するだけだ。邪魔立てをするってんならぶっ飛ばす。それだけだ」
「それを繰り返したが故に世界中の聖魔に連なる者等から憎まれているのだろうが……誠、出鱈目な個人だ、貴様は。その特性にも等しい体質も加味してな」
「それがあるからこそ俺は俺足り得るんだよ、不細工殿」
ようやっとホットドッグを食べ切ったシドは、未だ熱を保つコーヒーに息を吹きかけつつ静かにカップを傾ける。
十二月の朝、寒空の下で男二人がベンチに寄り添うというのもやはり奇妙だが、二人はそんな事実を他所に言葉を続ける。
「さて、ファウスト。シャロンの意向もあるから生かしているが、ただ生かしているだけだとは思うなよ」
「ふん……大方、この私を利用しようという腹積もりだろう」
「なんだ、察しがいいな」
「元よりフリーランスの貴様だ。仲間と呼べる誰かがいるという話も聞いたことがない。そんな貴様一人で対処できる程、今のアンダーグラウンドは生半ではない」
「まあその通りだろうな。名高きドイツのファウスト家が先んじて攻め入ってくるほどだ、噂は下層の雑魚共にまで届いてるんだろう。〈禍悪の花〉が翁の手元から離れたってよ」
「事実それは魔の界隈、そして聖でも同じく広まっているだろう」
「だが……そんなお前が姿を見せたのは好都合でもあったのさ」
「と、いうと?」
「単純だ。お前こそが抑止力になるからだ」
シドは鋭い眼光を放つ。それを寄せられるファウストだが、彼は特に怖気ることもなく、むしろ意外な評価に内心では驚いていた。
「お前が初っ端攻め入りゃぁ、並だとか凡の雑魚共は足踏みするだろうよ。更にはこの俺に敗れたとなれば、誰もが〈禍悪の花〉……シャロンを手に入れることは容易ではないと悟る」
「つまり、今の私は見せしめか」
「いい材料さ。生かしているのがいい宣伝効果にもなる」
「ふん……」
「もっと喜んだらどうだ、俺ぁお前を正当に評価してやってんだぜ。凡百のそれらとは程遠い位置にあるっつってんだ。死神をも使役する奴はそうはいない」
「下手な賛辞に背が痒くなる。敗北を喫したとあらば私もまた凡百の一に過ぎん」
「ほぉ、意外な精神だな」
「見くびるな、私は名高きファウストだぞ。驕るだけならばとうに血は絶えているし、私の代でその血を恥で染めることは許されん」
「普通にしている分には単なる不細工だが……意外と性根は男前か? 教会の時もそうだ、分かりやすい手法で攻めてきた。商店街の時なんざわざわざ正面から姿まで見せて。〈黒魔術師〉は姿を見せないのがセオリーだろうに」
「そんな誇りも糞もない奴等と同じに思うなよ、野良犬。血とは己一人を証明するものではないのだ。それこそは連綿と紡がれし歴史そのものを当代の人間が代表することなのだ」
血、という言葉にシドは眉間に皺を刻む。
「……お前はもう、シャロンに対して興味は失せたのか、ファウスト」
「否。正直にいおう、やはり興味深いし、フロイラインはとても魅力的だ。ああ、それは魔の意味合いであり性的な意味合いではないぞ」
「そうか、やけに敵意も見せないからそういった興味まで消失したと思っていたが……」
「聖魔に身を寄せる者は誰もが探究者よ。だがあの異常的な悪性を前にしては多くの者等が触れることすらできずに終わる。この私ですらもだ」
「だから興味は抱けども諦念を抱くのか」
「近いが、そうではないともいえる。私はな、シド・フラワーショップ。一人の〈黒魔術師〉として、フロイラインが今後、どのような悪性を育み、どのようなものを身に着けるのかを見てみたいのだ」
「……成程。立派に博士らしいぜ、ファウストよ」
「殺すなら今の内だ。あるいは貴様の見ていぬところで彼女を殺すかもしれんぞ」
「下手な嘘だな、お前にゃできねぇよ。そもそもあいつにゃヘカテーがついてるし〈禍悪の花〉もある。何よりとして……お前、子供を殺せる性格かよ」
「…………」
黙ったファウストを見てシドは笑いを零す。
「まぁいいさ。今のところはお前を見逃す。それは主の令も関係するが……やはりお前の有用性は捨てがたい」
「私が魔殺し屋に屈服したと多くの者等に誤解されるのは癪だがな」
「だが従ってもらうぜ。お前も俺と同じくシャロンに従うのさ」
「……誠、何故こんな事態になるんだか……これも全ては、あの翁氏が……」
そこまで口にしたファウストは少々沈黙を挟み、視線をシドへと寄越した。
「……シド・フラワーショップ。思うに、よもやフロイラインは翁氏のことを何も知らんのではないか」
「……ああ」
「彼女は自身の出自すら知らなかった。魔の知識もほぼ皆無だったことも考えると、少々歪ではないか」
「歪、と」
「ああ。何せ彼女はクロウリーの末裔。そうなれば必要な教育も多かろうに。だのに翁氏は何も教えなんだか」
「俺もそれは疑問だったさ。だがそれが翁の考えであって、つまり、翁はシャロンを聖魔と関わらせたくなかったんだろう」
「それは難しい話だろう。第一、本人は死んでしまったではないか。その後にこうも彼女は苦労に見舞われている。まるで翁氏の考えが読めん」
「……俺だって読み切れねえさ、死んだ奴の考えることなんざ」
コーヒーを飲み干したのは同時だった。
更に二人は同時に立ち上がると大きく伸びをして、晴れた空を見上げる。
「兎角、そういった必要な教育の様々も……俺の仕事に含まれるんだろうな」
「……まるで、端から貴様に全てを託すつもりだったように思えるな、翁氏は」
「さてな。死人に口なしだぜ、ファウスト。だろう?」
「ほう? ははは……ふむ、違いないな」
死霊を使役するファウストの頷きにシドは小さく笑った。
「さて、帰る前に少しより道だ、ファウスト」
「ぬ、何かあるのか」
「いや、お前のその馬鹿馬鹿しい恰好をどうにかしねぇとだ。あと食料だとかシャロンのご機嫌をよくするような代物が必要だ」
「んな、これは由緒正しきファウスト家のローブだぞ! 何が可笑しな物か!」
「時代に見合わないし、お前にゃそぐわねぇのさ」
「な、なんと無礼な奴だ! やはり貴様は許しておけんぞ、魔殺し屋ぁ!」
「おーおー、うるせえ不細工殿だぜ……」
通りを歩く益荒男と醜男だが、その光景はやはり珍妙だった。
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