Ⅻ
夜更けに火の灯る骨董屋あり。
〈地獄門〉を突破した一同は長く続いた闘争からくる疲労に深く息を吐いた。
「それで⁉ そろそろご説明を願えますか、シド⁉」
「そうも声を張り上げるんじゃない、シャロン。こっちは疲れてんだぜ」
「私だって疲れてるもん!」
「だろうなぁ」
カウンターを勢いよく叩きつけたのはシャロン・クロウリー。
対してシドは古めかしい椅子に腰かけると身を深く預け心底リラックスをした。
そんな彼の態度に肩を震わせるシャロンは腕の中に抱きしめていた本を置き、それを手で叩く。
「きっとこれに関係して私は狙われてたんでしょう、そうでしょう!」
「まぁ、そうともいえる」
「煮え切らない返事ね!」
「お前こそ煮え切った態度だな」
「口の減らない人……!」
流石にこれ以上はぐらかすのも無理があるか、とシドは一人完結をした。
「……最初にいっとくぜ。俺はお前に語るつもりなんてなかったんだ。真実の云々だとかをな」
「それは、なんで⁉」
「俺の意思だ。お前は未だ歳若い。そんなお前が自身に流れる血の宿命とも呼ぶべき……いやさ、呪いとも呼ぶべきものを知る必要はないと思っていた」
呪い、と聞いてシャロンは首を傾げた。
「だが翁は俺とは違った考えだったらしい。本、そして鍵をお前に与え……お前に力を授けた。そして俺を用意した最大の理由こそは、お前の齎す禍悪を抑えることなんだろう」
「……どういうこと?」
「つまり、お前が俺を飼うのではなく、俺がお前の鎖になる……そういうことだ」
そうはいわれても要領を得ないシャロン。
尚更眉根を寄せた彼女は腕まで組んだ。
「こうなれば仕方がない。一から説明をするが……お前にも喋ってもらうぜ、ファウストよ」
「うぐっ……せめて私にも椅子を用意せんか、この無礼者ぉ!」
腕を引いたシド。彼の手の内には鎖があった。
それを辿れば繋がれる先にファウストがあり、彼は首輪で拘束されていた。
「さて、シャロン。世の中に聖悪と呼ばれるものがあることは、もうこの一日で嫌と言う程に理解出来たな?」
「うん……」
「では、だ。元よりそれに由来する品々があるというのも理解したと思うが……端的にいえば、お前の持つその本、鍵、そして……お前という存在そのものが、強い影響力を持つんだ」
「え……?」
指を差されるシャロン。
本人は呆けたように言葉を漏らしたが、尚もシドは言葉を続けた。
「お前は翁に引き取られたといったな、シャロン。それは事実だ。お前が老爺の下に身を寄せてから十年。未だ十二歳のお前だが、お前はお前の出自をどこまで知っているんだ?」
「し、出自って……」
「きっと翁のことだ、身寄りのない孤児だったとでも語ったんだろう」
シャロン自身、当然ながら己の生い立ちというのは気になるもので、いつの日か老爺にそれを訊ねたことがある。
返ってきた言葉はシドのいう通りで、図星だったシャロンは閉口した。
「真実は否……というかどうか、少し難しいところだが、端的にいえばお前は特別な生まれであって、お前には由緒正しい血が流れている」
「由緒、正しい血……?」
「そうだ。お前は自身の姓を知らないだろう。本当の姓を」
シャロンは自身の姓を知らなかった。
今まで老爺の姓を名乗り生きてきたシャロンは、シドの言葉に胸が苦しくなる。
それは緊張を意味し、聞きたい気持ちと拒む気持ちとが混濁としていた。
シドの表情は真剣であって、その様子から、とても喜ばしい情報ではないと悟る。
だがシドは容赦もせずに口火を切り、ついぞ本人に真の名を告げてしまう。
「クロウリー。お前の本当の名は……シャロン・クロウリーだ」
「……え?」
その単語を耳にした彼女は現実味を失い、静かに後方へと下がる。
棚にぶつかるとようやく動きを止めるが、その瞳は見開かれ、静かに首を横に振るっていた。
「……まさか本当に知らなかったのか、フロイラインは」
「そうだ、ファウスト。シャロンは何も知らない。自身の生まれすらもだ」
「……それは酷と呼べることではないのか」
「襲い掛かってきたお前がそれをいうのかね、ロリコン殿」
二人の会話を他所に、シャロンは本当の名を告げられると、それを受け入れることが出来ずに立ち竦む。
英国人にとってクロウリーと言う姓は広く知れるものだった。
例え幼い彼女であっても、やはり聞いた覚えのあるものだった。
「悪魔学に精通した、悪徳の探究者……アレイスター・クロウリー……?」
「……流石に知ってるのか、シャロン」
「し、知らない英国人がいるわけないよ……!」
大罪人の名だった。過去、多くの人々を〈死〉へと誘い、〈悪魔〉を信仰し、神に背を向けた異端の代表者だった。
現代英国の闇に今も強い影響を及ぼす存在であり、オカルトの開祖とも呼ぶべき人物。その血が自身に流れていると告げられたシャロンは、しかし信じられずにいた。
「嘘、嘘よ……だって、お爺ちゃんはそんなこと、一言も……!」
「いわなかったんだ。いう必要がないと思っていたから。自身の庇護下にある限り、お前には何も心配はないと思っていたのさ」
「出鱈目よ、何もかも! シドは嘘つきなんだ!」
「事実だ。その血を証明するものも……お前は持っている」
様子を見守っていたファウストも一つ頷くと、シャロンの様子に哀れみつつ言葉を紡ぐ。
「……何も知らぬとは実に哀れよ。フロイライン、君はその本、そしてその鍵に触れることができる。更にはその錠を解放することもできる」
「だから何⁉」
「フロイライン、それはクロウリーの血にのみしか出来ぬことなのだ。何せその本はクロウリー家が秘伝の書、曰くは〈魔の経典〉とも謳われし〈礼装〉……〈禍悪の花〉なのだ」
〈禍悪の花〉――嫌という程に聞いた言葉だが、この時にシャロンはようやく合点となる。
「この本を持つから、狙ってきたのね……!」
「いいや、今いったように……その本を行使出来る存在はクロウリーの血のみ。故に君も必要不可欠だったのだ、フロイライン」
「そ、そんなのやってみなきゃわからないでしょ! ほら、開けてよ!」
乱雑に本を取ったシャロンは地べたに座るファウストへと無理矢理に押し付ける。
だがその瞬間、ファウストは顔を蒼白にすると後退った。
「ぐぐぐっ……狙ったはいいが、やはりこの悪性、並ではない……!」
「お前でも触れるのは厳しいのか、ファウスト」
「貴様はよくぞ平気でいられたな、シド・フラワーショップ……やはりその〈拒絶体質〉のお蔭か……」
「ああ、そうさ。俺に聖魔の力ってのは何一つ通用しねぇからな」
本を押し付けるシャロンの背後に立ったのはシドで、彼は本を取り上げると古めかしい外観を観察した。
ついでシャロンの手の中から鍵を受け取ると、それを錠へと突き刺し捻ろうとするが――
「やっぱりな……開きゃしねぇ」
「え……えぇ⁉ そんな、だって、さっきは普通に開いたのに!」
シドがどれだけ力を籠めても錠は微塵と反応を示さない。
どころか鍵が違ったようで、解錠するような気配は皆無だった。
「これは限定された者のみが使用できる〈礼装〉だ。間違いなくな」
「限定されたって……!」
「ファウストがいったろう、シャロン。こいつはクロウリーの一族にしか扱えないイワクの品だ。それを解放できたお前は間違いなく現代に存在するただ一人の末裔だ」
真っ直ぐに紡がれた言葉にシャロンは静かに床に腰を落とす。
そんな彼女を見て、シドは身を屈めると彼女の手元へと本を渡した。
「俺個人としては……開けて欲しくなかったんだ、シャロン」
「…………」
「だが翁は何かしらの思惑があったんだろう。お前にそれを与えたことに、きっとちゃんとした理由がある筈だ」
「そんなこと、いわれたって……」
俯くシャロンだが、彼女は〈禍悪の花〉に手を翳すと優しく撫でた。
(お爺ちゃん……なんで何も教えてくれなかったの……)
事実としてそれにより先の窮地を脱する事が出来た。だがそれは呪術であり、ファウストのいうところによれば並の品ではないとのことだった。
涙を微かに浮かべたシャロンの胸中は複雑で、未だに混乱もあったが、何よりとして〈禍悪の花〉を授けられた意味が不明で、一番のショックは、やはり自身がクロウリーの末裔だということだった。
『うーむ。どうにも悲観しておるなぁ〈禍悪の花〉よ』
「ふぇ?」
そんな風にシャロンが沈んでいる時だった。
突然響いたのは悩まし気なソプラノで声の出所は〈禍悪の花〉――本の隙間からだった。
『これ、聞こえておるのだろう〈禍悪の花〉! 妾をいつまで閉じ込めておく気か! はよ開けんか!』
「え、えぇ⁉ なになに⁉ どうして本から声が⁉」
「いや、それよりもこの声……」
「ま、まさかとは思うが……!」
シドとファウストは顔を見合わせると急いでシャロンの手から本を取り上げようとする。
「え、と……開ければいいの?」
『うむ! ここは苦しく狭いでな! はよ!』
「わ、分かった。よいしょ……」
「「おい⁉」」
しかし時は既に遅く、シャロンは声に促されるままに鍵を捻った。
先程シドがどうやっても開かなかった錠だが、やはりシャロンが操作をすると簡単に開く。それにシャロンは複雑な表情をしたが、そんなことはお構いなしに解錠された本がひとりでに頁を広げた。
風が吹いたように頁は捲られていき、ややもすると中腹で静止する。
「うわぁ⁉」
「シャロン!」
そうすると溢れてきたのは暗黒の靄で、微かに混ざるのは火炎を意味するような赤や黄だった。
突然の現象にシャロンは仰天すると跳びあがり、シドは急いでシャロンへと駆け寄った。
「ふふー……ようやく出られたなぁ。おう、先はよくもやってくれたな小僧よ。決着をつけようぞ……!」
そんな折、景色に再度甘いソプラノが響いた。
染み入るような声色に若干夢心地となるのはシャロンだったが、しかしシャロンは自身の頭の上に妙な重量があるのに気が付いた。
「あ、あれ……? 何これ?」
「……おいおい。もしかして、こりゃぁ……」
視線をあげ、不思議がって様子を窺うと妙な物体が乗っている。
それは人形だった。
特徴的なのは豊満な肉体と黒く艶やかな長い髪。
身に纏う漆黒の羽衣は扇情的で、驚くことといえば、全長十五インチ程の人形が言葉を介し、更には自動で動いていることだった。
シドとシャロンは顔を見合うと合点し、二人して人形へと迫ると指でつついた。
「あ、こら、何をする! というかなんだ貴様等、急に大きくなってはいないか⁉」
「……これやっぱりさっきの〈悪魔〉だよね⁉」
「は、ははは、あーっはっはっは! おいおい、なんつー無様な姿になりやがった? それで女王のつもりかよ、ヘカテー?」
「あぁん⁉ なんだ小僧、何を意味不明なこと……を……」
それこそは〈地獄門〉の景色を好き放題にしていた〈死の女王〉ヘカテーだった。
彼女はシャロンの頭の上で威張り散らしていたが、シドの嘲笑を受けるとようやく自身の現状を理解し、驚いたままの彼女は周囲を見渡し、更には手を寄せると全身で震える。
「な、ななな、なんだこれはぁー⁉ これが妾かぁー⁉」
「ひひ、ひゃははは! いよいよ面子も糞もねぇなババア! どうしたどうした、バービーにでも憧れたか? あぁ⁉」
「きき、貴様、小僧ぉ! 何を笑い転げておる! いやそれより、これはよもや、まさかぁ……!」
百面相をするヘカテーは自身の現状に察しが付くとシャロンを見下ろし、何度も何度も足で踏み付けた。
「あたた、ちょ、なに⁉」
「この、小娘、お前! 何ということをしてくれたのだ! 妾を元に戻せぇー!」
「えええ、全然意味が分からないんだけど⁉ 何で怒られてるの⁉」
「怒るに決まっておろうが! お前が妾を〈禍悪の花〉の〈供物〉にしたのだろうがぁー!」
「く、〈供物〉……?」
小さな身体で怒りを表現するヘカテー。
しかし威力は大した程度ではなく、シャロンは人形サイズのヘカテーを手で掴むと首を傾げた。
「ひーっひっひっひ! ははは! これが〈死の女王〉かよ! 腹いてぇ!」
「少しは落ち着かんか、魔殺し屋! いやしかしそうか、〈禍悪の花〉に取り込まれるとこうなってしまうのか……」
「何か分かるんですか、ファウストさん⁉」
一人頷くファウストにシャロンは問いを向ける。
「うぅむ、仮説の域に過ぎないのだが……いや、そもそも〈禍悪の花〉自体が不明確な代物であるのもまた事実でしてな、フロイライン」
「不明確?」
「うむ……元よりクロウリーが遺した〈魔の経典〉。それは人類のみならず、ヘカテーのような〈悪魔〉や、魔の覇者達ですらも垂涎する代物。だが分かっていることとは〈禍悪の花〉の由来となるクリフォト……世の悪徳を全て注がれた物であるということ、他には……先にもいったように、それがクロウリーの血族にしか扱えないということくらいで、〈禍悪の花〉の持つ特性や能力、発動に至る作用などはまったくの謎でしてな……」
「そ、そんなものを欲しがって私を狙ってたの⁉」
「しかし間近にして感じるその異常量の悪性は疑う余地もなく。間違いなく現存する魔の遺物においては最高峰と呼べよう」
ファウストは唸ると〈地獄門〉で発動した〈禍悪の花〉を思い返した。
「ふむ、クリフォトの体現とは正しくよ。つまりですな、フロイライン。その〈禍悪の花〉と呼ばれる〈魔術礼装〉は……対する存在の悪性を吸収し、更には対象を隷属させることが出来てしまうのですな」
「え、と……悪性っていうのは何となく分かったんですけど、その、隷属っていうのは……?」
「言葉のままだが……ようは、例え相手が魔の大権現と呼ばれる覇者だろうとも、その存在の誇示する悪性を無理矢理に簒奪し、更には己の支配下におき、もっといえば……そのように使役することも可能だ、ということですな」
「……えぇえ⁉」
シャロンは本日何度目かの驚愕をすると自身の手の中にあるヘカテーを見つめる。
「くぅ、よもや本に取り込まれるとは思わなんだよ……しかも妾の悪性のほとんどが吸われている……!」
「なーるほどなぁ。〈禍悪の花〉の発動に伴い術者に簒奪能力、および支配能力が備わる訳か。本から飛び出した羊皮紙は、あれ一枚が花弁の意味を成すんだろう。そこからクリフォトの樹がメキョメキョと育ち対象を無理矢理に支配する。驚きなのは魔の大権現であるヘカテーの悪性まで一瞬で吸い尽したことだ。このババアといやぁ飛ぶことも出来なきゃ火炎の操作すら出来なかったし」
「悪性は恐らく〈禍悪の花〉の本体……あの本へと還元されているのだろうな。そうして更に悪性を溜めこみ、いずれは世に存在する悪徳の全てを喰らい尽す……」
「故の〈禍悪の花〉……悪徳の樹に生る花、か。恐ろしいね、極悪にも程がある。その花弁一枚で世界はぶっ壊れるんじゃねぇのか」
「恐ろしいものを生み出したものだ、アレイスターは。しかしこの事実、どうする気だ魔殺し屋。笑い事ではないぞ」
本人を他所に話が進む状況。
シャロンはただ呆けるばかりで、取り敢えず手の中のヘカテーを抱きしめる。
「うぎゅぅ!」
「ね、ねぇ、ヘカテー? 私、もしかしてとんでもないことしちゃったのかな……?」
「んなっ、自覚がないのか小娘! お前は〈禍悪の花〉を自身の手によって開花させたのだぞ! 妾を含め、魔に連なる、或いは魔を使役する存在は皆お前を求めていたのだ! そんなお前が冥府を総べるこの妾を簡単に服従させたとなれば、それはもう笑い話では済まぬわ!」
呆れたような、あるいは怒りに狂うようなヘカテーだが、シャロンは薄い笑みを浮かべると静かにシドを見やる。
「今までは翁のお蔭でお前という存在は聖魔双方手出し無用の立場だったんだがね」
「えっ」
「しかし翁がおっ死に、早々に危機に見舞われたお前だが……最悪なことに、自身の手でその実力を示しちまった」
「あうっ」
「その実力足るや〈死の女王〉を圧倒する程。持ち前の悪性は天井知らずもいいところで、誇る〈礼装〉は魔を支配する力を持つことを証明しちまった」
「ひぃっ」
「こうなりゃぁ……聖魔の双方は各々で理由を持ち寄ってお前に迫るだろうなぁ」
「そ、そんなぁ⁉ なんでそんなことになるのぉー⁉」
「いやいや、普通に考えてみろよ。聖に連なる奴等からすりゃぁ、お前の持つ力は単純に恐怖であって、魔に連なる奴等からすりゃぁ、そんなとんでもない力は喉から手が出る程に欲しい代物なんだよ。ああ、無論本と鍵とお前はセットだぞ。じゃなきゃ〈禍悪の花〉は発動しねーからな」
「な、ななな、なにそれぇー⁉」
シャロンは叫ぶと同時にシドへと詰め寄る。
「ねぇ、これからどうなるの⁉ もしかして滅茶苦茶ヤバイの⁉」
「なぁに、なんとかなるだろう。その為に俺が用意されたんだしな」
「安心できないんだけど⁉ ねぇヘカテー、ファウストさん! 私の今後はどうなるのぉ⁉」
「妾を振り回すんじゃない! 落ち着け小娘ぇー!」
「……とりあえず、私の首輪をそろそろ解いてはくれんかな、誰か……」
これはシャロン・クロウリーが自身という存在を理解した日であり、この日を境にして彼女の生活は激変する。
夜の更けたロンドン市、少女の叫びが響き、遠くで黒犬の群れが応えるように咆哮をあげた。
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