Ⅷ
周囲は静まり返り、誰もがシドを見つめていた。
先の闘争に巻き込まれたうち、残ったゴースト共は恐怖の眼差しで、死神を使役していたファウストは唇を嚙みしめていた。
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な! こんなことが有り得るか! 貴様、シド・フラワーショップ! 何故何の力もない貴様が死神に勝てる! 何故魔を滅ぼすことが出来るのだ!」
彼は受け入れられなかった。
自身の魔術に絶対的な自信を持っていたことも関係するが、何よりとして有り得てはならない光景を目にしたからだった。
「不可能な筈だ、それは有り得ないのだ、魔殺し屋! 確かに貴様は名の知れる存在だ……聖魔問わず、この世の暗がりにおいて貴様の名を耳にしない時などない!」
「へぇ、どいつはどうも」
言葉を向けられるシドは先までの張り詰めた様子から普段の通りに戻り、シリンダーに弾丸を装填しつつ適当に返事をする。
「てっきり貴様には聖、あるいは魔の力があるものだと思っていたさ……ああ、貴様を目の前にするまではな! だが昼時や今この瞬間も含め、貴様からは何も感じない! 聖も魔もどちらの力も感じやしない!」
「それで?」
「それで、じゃない! 分かっているだろう、聖魔を相手に切った張ったを繰り広げる貴様こそが誰よりも一番理解しているだろうが! 如何に退魔の力を宿す得物を持とうが〈聖、あるいは魔に触れようものなら即死するのが当然〉だろうがぁ!」
「え……えぇ⁉」
その言葉を聞いて誰よりも驚くのはシャロンだった。
「ど、どういうことなの、シド⁉」
「別にどうってこたねぇ。先もいったろう、俺には呪術的な能力はないって。それに奴のいう通り、聖魔に対して人類は触れることすら敵わねえよ。昼時にもいったろ? 魔を殴ったりすることは普通はできねぇってよ」
「あ……そ、そういえばそんなこと、いってた、ような……」
本を抱えたままシドの下へと駆け寄るシャロン。
シドの衣服は先の戦闘によりところどころ切り裂かれていたりほつれたりしていて、折角の高級品が、と妙にずれた感想を抱いた。
そんなシャロンのずれた心配をよそにして、シドはコートを脱ぐと適当に放る。
「まぁなんだ、奇跡的にも俺は直接触れたり近寄ったりできるってだけだ。そういうことで頷いとけよファウスト博士」
「頷ける訳があるかぁ! 貴様、何がどういうことだ! 理解不にも程があるぞ!」
「はっ……だからよ、俺には関係ねぇんだって、聖魔なんてのは。特別特殊と呼べるものは俺には何もかも関係ねぇんだよ……」
吐き捨てるように呟いたシドは重い足取りを響かせて一歩を踏み出す。
「さぁ世間話は十分だろう。それで、もう手前のとっておきはお終いかね不細工殿。そうなりゃ後は俺による一方的な殺戮でエンディングだぞ」
「ぐっ……!」
これ以上交わす言葉はないとシドはいう。殺意の眼差しを向けられたファウストは後退った。追い込んでいるつもりだった筈が今では狩られる立場になっていた。
「確かに手前は立派な〈黒魔術師〉だったさ。死神を使役するなんざ並じゃねぇ。俺も久しく上等な敵と渡りあえて楽しかったとも。だが事を仕出かしたからにゃ罰を与えなきゃならん。こんな幼子を狙っただけでも万死に値するが……この俺相手に上等までこきやがった。となれば……手前は八つ裂きにしてやる」
「ひ、ひいぃ! く、くるな、くるなこの異常者めがぁ!」
いよいよ恐怖により腰を抜かしたファウストは地を這い、なんとか状況から逃げ出そうとする。だがそんな彼を追うのはシドで、周囲に立ち竦むゴースト共は何をすることもなく状況を見つめるばかりだった。
「シ、シド、もういいよ!」
「あ? おいおい、何をいってんだお前さんは」
が、そんなシドにシャロンから予想外の言葉を寄越される。
シドは顔をしかめて振り返り、不服そうにいった。
「あのな、相手はお前を狙ってこんな出鱈目な真似をしでかしたんだぞ? だっつーのにもういいよだと? 呆れることをいうもんじゃねぇぞ」
「だって、もうその人に敵意はないじゃない! それに弱い者いじめはよくないよ!」
「よ、弱い者……⁉」
「……くっく。おう、雑魚のファウストさんよ。手前はどうやらシャロンから見ても雑魚らしいぜ」
自負があっただけに無垢な少女にそういわれて顔を伏せるファウスト。
「兎に角……色々と知りたいことがあるし、説明も願いたいの! だからその人に手は出さないで!」
「……ったく、お困りなマスターだな、こいつは」
「な、なに、その言い方! 文句あるの⁉」
「ある。が、命令とありゃ仕方ねえ。頷くさ。ええ、はい、そりゃね」
完全に呆れた様子のシドだが、彼はファウストへと迫るとその身柄を拘束しようとする。
対してファウストには戦意がなかった。自慢の死神が敗れると勝機はないと悟った様子で、シャロンは事態の収束に一人胸を撫で下ろす。
だが、そんな落着となる時だった。
(あれ……? なんだろう、なんか肌がピリピリするような……)
シャロンはひりつくような感覚を得て首を傾げる。
ファウストは完全に諦めたように見えるので、今更彼が妙な真似をするとは思えない。不思議がって彼女は周囲を見渡すが――
「……?」
ふいに、周囲に佇んでいたゴーストの群れが彼方の方角を向き、群れは震えを見せた。中には地に膝を突く者までいて、複数のゴーストは悲鳴のような、奇妙な音を鳴らしてタワーブリッジから逃げ出した。
「え、と……何? 何かゴースト達が変だよ、シド?」
「……んだな。おい、なんのつもりだファウスト。こりゃまた何かの作戦か」
訝しんだ様子の二人だが、しかし誰よりも困惑しているのはファウスト本人だった。
「な、何だ、お前達、どうしたというのだ? 何をそうも怯えて……」
その様子は怯えきったものだが、この空間はファウストが築いた異界だ。
故に支配者であるファウストが彼等の戒律になる。
だがそんなファウストの言葉にすら耳を貸さない亡者達。
ファウストは眉根を寄せると、立ち上がって群れへと声を掛けようとした――
「ああ……感じる、感じるぞ。悪の香り……〈禍悪の花〉の薫香だな、これは……」
その時だった。
突如としてその声は響いた。
心地のいいソプラノは天からやってきて、〈地獄門〉の空には先よりも濃い暗黒の淀みが渦を巻いていた。
「……おい、ファウスト。やっぱり未だ何か企んでやがったのか」
「ち、違う、もう私に手段など……!」
「ならなんだってんだ、ありゃ……どう見ても〈召喚術式〉じゃねぇかよ……!」
その渦は次第に巨大な円となり、やがては紋様を描いて宙へと浮かび上がる。
シドはファウストの胸倉を掴むが、ファウスト自身はまったく身に覚えがなく、むしろ誰よりも混乱していた。
「あ、ねぇ、シド! 何か出てくる!」
「……!」
ゆっくりと、それは姿を現した。
大きさはヒトの程度であり、様相も人類に似ていた。
だが肌の色合いは浅黒く、長い黒髪は触手のように蠢く。
天から舞い降りてきたそれは女であり、身にはかぐろい羽衣を纏う。
タワーブリッジの中央へと静かに降り立つと、佳人と呼ぶに相応しい黒い女性は静かに笑みを零した。
「馬、鹿な……!」
その光景に驚愕をするのはファウストだった。
両目を見開き口は顎が外れそうなほどに開かれ、地べたを張ったまま後方へと下がり、腕を持ち上げると佳人を指さした。
「ななな、何故、何故あなたのような存在が、私の〈地獄門〉に……!」
「おい、あれは手前が呼んだんだろ?」
「そんな訳があるか! あ、あんな化け物を私が呼べる訳がないだろうがぁ!」
「……化け物だぁ?」
シドは拳銃を備えたままに立ち上がり、シャロンの前へと立ちふさがるようにして出張る。そんな彼を見つめる佳人は微笑みを浮かべ、妖艶な声で語り掛けた。
「おお。貴様か、先程我が子を屠ってくれたな。その腕前、実に見事と呼べる」
「……我が子だと?」
「ふふふ。恐ろしきは貴様が単なる人類であるということか。いやさ、その真実は歪であるやもしれんが」
シドは佳人の台詞、他にその外的特徴を観察し、更にファウストの反応も加味して思慮を巡らせた。
(ファウストですらも腰を抜かす奴だと? 我が子……ってのはさっきの死神か。死神の親……親? 親だと?)
彼は自然と汗を浮かべ、ナックルダスターを装着したままの手でシャロンを抱き寄せる。
シャロンは不思議そうに彼の顔を見たが、その表情は強張っていた。
「……そうかい。ファウスト博士もビビる訳だ。いいのか、あんた程の存在がこんな辺鄙な〈地獄門〉に飛び出てきて」
「そうせざるを得まい。何せ我が子を屠った事実もそうではあるが……芳しき花蜜を嗅げば馳せ参じようとも」
「へ、そうかよ。実にお困り極まるスケだな」
シドはファウストへと視線を送り、ファウストは無言で頷く。
それを見て確信したシドは大きな溜息を吐くと、佳人へと改めて言葉を紡いだ。
「ヘカテー……〈死の女王〉ヘカテーだな、あんた」
「然様。おお、愛しき死の緒を持つ者等よ。よくぞ我が獄へと〈禍悪の花〉を届けてくれた。褒めてつかわそう」
死の女神、霊の先導者、死者達の王女、無敵の女王――その者、呼ばれ名は多く。
死霊魔術が最高術式〈地獄門〉により展開された異界へと姿を見せ、シドとシャロンは対峙することになってしまう。
その者こそは〈死の女王〉ヘカテー。
死の代表格にして無敵と称される、魔の大権現だった。
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