殺意を解放したシドを見つめるのはシャロンのみならず。

 死神を召喚したファウストは笑みを浮かべていた。


「く、くくっ……ああ、実に勇ましい男だ、シド・フラワーショップ。死神を前にしても正気を保つどころか……一人で戦おうというのか?」


 鼻を鳴らし、ファウストは据わった瞳でシドを見た。

 そこには蔑みや嘲りを帯びた色がある。

 だがそれに紛れて賞賛や、或いは感嘆したような色合いもあった。


「よく鍛えられているなぁ。その巨躯……七フィート近くはある。衣服越しからでも理解できるその肉の鎧、ウェイトはいくつだ? 二百ポンドは優に超えていそうだな? 運動神経は語るに及ばず、武芸の腕前もお手の物。単純に見て貴様は強者だろうなぁ。対人ならば負けなしだろう」


 だが、とファウストは続けた。


「如何に強靭な肉体を誇ろうとも、魔を討つ純銀の凶弾を誇ろうとも、人類程度が神と名のつく存在に敵う道理などありはしないのだ、この愚か者が!」


 ファウストは叫び散らすと赤樫の杖を振るった。

 その動きに合わせるようにして死神が二股の大鎌を振りかぶり、シドへと目掛けて突っ込んでいく。


「神と名がつきゃ最強無敵だってか、ファウスト博士よ」

「ぬっ……!」


 空気の唸る音がある。

 それは死神が景色を袈裟に切り裂いた音で、向かう先はやはりシドだった。


 死神はシドへと肉薄すると電光石火のままに刃を振り抜く。

 だがシドは凶刃に対し、自身の誇る大型の回転式拳銃の銃身で受け止めてみせた。


 真っ向から鍔迫り合う巨漢と怪異。

 激突により生じた音は激しく、この場に居合わせる人魔の全員が身を震わせる程だった。


「そりゃあ普通は敵わねえだろうよ。何せ相手は〈死〉を告げる存在だ。それに近づき、触れるとなりゃぁ……普通は死ぬとも。抗うことも出来ないまま、訳もなくあっさりとよ!」


 シドと死神は音を立てて距離を置くと再度互いに向けて殺意を飛ばす。


 先を打つのは死神だった。

 空間を駆け抜けると黒い軌跡を残してシドの直上へと飛び出る。

 振りかぶった大鎌はシドの脳天へと目掛けて撃ち落とされた。


 だがそれをシドは防いだ。

 やってきた剣閃を銃身で薙ぎ払い、更には身を捻って回転蹴りを死神へと見舞う。


「おら、触れてやったぞ、糞ボケ」


 掠めた程度に終わる一撃だったが、シドはまだ行動を終えていなかった。

 空いている方の腕を伸ばすと死神の外套を引っ掴み無理矢理に引き寄せる。

 対する死神はシドを振り払おうと身体を捻り、刃で三百六十度を薙ぎ払った。


「おいおい、この程度でお怒りか? 一応は神なんだろう? だったらもっと寛容寛大な心を持てよ、イモータル……!」


 振るわれた凶刃は空間を穿つ勢いだったが、しかしシドがそれに巻き込まれることはなかった。

 シドは地を蹴り、今度は自身が死神の真上へと飛び出してみせる。

 拳銃の引き金を複数回絞り、吐き出された魔弾が死神の顔面へと全て直撃した。


「ちっ、やっぱかてぇな……生意気にも程があるぞ、死神如きがよぉ……!」


 計四発の魔弾を喰らった死神だが、ゴーストのように滅びることはなく、未だ滞空するシドから距離を取った。

 舌を打ったシドは地に降り立つと同時に懐から弾丸を取り出し、次いでシリンダーを展開すると再装填を完了させる。


「それで……シャロン。いい加減命令を下す気にはなったかよ」

「ふぇっ⁉」


 その光景を夢見心地で眺めていたのはシャロンで、彼女はシドに声をかけられると我に返り頓狂な声を零した。


「済まねえとは思ってる。何も知らないお前は巻き込まれたも同義だ。けどな、それでも現実となったら対峙せにゃならんだろう」

「そ、そんなこといったって……」

「自覚だって芽生えねえだろう。非現実にも程がある……そう思ってるんだろう?」

「…………」

「だがな、これらは全て現実だ。今お前が危機に晒されているのも全て現実なんだ」


 景色は張り詰めている。

 怒りに震えているのは死神で、先から何度も刃を薙ぎ、シドに対して牽制をしていた。それに注意をしつつもシドはシャロンへと言葉を紡ぎ、彼女の言葉を待ち続けている。


「このまま俺が俺の意思で戦ったところで……本当の意味で今日を乗り越えたとはいえないんだ、シャロン」

「……勝てるの、シドさんは」

「勝てる。勝てるに決まってる」

「私は……何でこんなことになってるのかも、何で私自身が狙われているのかも、未だ何も知らされていないの」

「ああ。実に理不尽だろう。気持ちは察してる」

「そんな私に……命令を下せという。それは私に対して覚悟を問うことと同じなんでしょう?」

「そうだ」

「……先のことも、その時にどんな風になるかも分からないのに。それでも私自身にも強い意志を持てっていうの」

「……そうだ、シャロン」


 シャロンは俯いた。その腕の中にある古めかしい本を抱きしめ、瞳を強く閉じた。

 シドの視界にその姿は映らない。だが彼は背後に立つ彼女を感じていた。

 触れている訳でもないのに、彼は確かにシャロンの抱く熱を理解した。


「勝つって……約束して、シドさん」

「くすぐったいぜ、シャロン。お前はこれから俺の主になるんだ。そんなお前がここぞという時に……飼い犬をそんな風に呼ぶもんじゃないぜ」


 鼻で笑うシドに油断はない。

 それは絶対勝利を言外に告げるもので、恐怖に飲まれかけていたシャロンは小さく笑みを零した。


「シド……あれをやっつけて!」

「ああ……了解だ、我が君。しかと承った……!」


 シドは賜った。

 命令の内容は敵である死神の殲滅。それを受けてシドは歪に笑んだ。

 それを皮切りに死神が再度景色を駆け抜ける。速度は先よりも跳ね上がり、まるで影を置き去りにするようなもので、黒い軌道こそは死神の残像を意味した。


 空間を超高速で駆け抜ける死神。

 縦横無尽を描いてはシドを撹乱せんとするが、対してシドは地を蹴りつつ死神の動きを追う。


「っとぉ!」


 時折姿を見せては大鎌を振るい、それを寸でのところで避けたり、あるいは銃身で受けたり、衝突をしては互いに勝機を窺っていた。

 二人の闘争に巻き込まれるのは周囲を取り囲んでいるゴースト共だった。

 シドと死神は被害も鑑みない。

 シドを追い縋る死神が景色を薙ぎ、死神を追撃しようとシドが魔弾を撒き散らす。


「なんという人間だ、奴め……死神を相手に渡り合うだと⁉ ありえん、何故に人間如きが魔を相手に当然のように……!」


 生まれる被害に焦燥するのはファウストも同じく。

 先から巻き起こる破壊の様々から距離を取る彼は呟きつつも状況に目を見張った。


「なんだ、不思議か不細工野郎。俺程度の人類が魔を相手に、何故に余裕で戦うことが出来るか気になるのか?」


 怒涛にも等しい景色だというのにシドは律儀にもファウストの問いに答える。


「確かに普通は不可能さ。聖魔……そのどちらも人類が直接触れることは不可能だ。例外といえばお前等のような異端者――〈黒魔術師〉や、他には聖に身を捧げる神の徒くらいだ。ご存知の通り俺は魔術なんざ行使できねーし、敬虔なる徒という訳でもない。それらを相手に暴れはするが……俺には呪術的な能力なんざありゃしねぇよ」


 言葉を紡ぐシドだが、そんな彼の横合いから景色を切り裂いて死神が迫った。

 それは死角からの攻撃で、左方からの突撃にシドは反応が遅れる。


 この勝負決したか――誰もがそう思った。

 だが、それこそは早計な判断だった。


「確かに聖は不滅であり魔は不死に等しい。どちらも相反するが故に互いの力にのみ影響を受ける。それ故に何の力もない人間そのものに抗う術はない。だがな、世の中にゃ様々な特別特殊ってもんがあるんだぜ。それこそ古来から確立されてるだろうに、そんな当然の事すら手前等腐れの聖魔信者はお忘れだってのか、馬鹿野郎が!」


 シドは拳を振るった。左拳だった。

 拳銃は右手に握られていて、それだけが唯一の攻撃手段だと誰もが思っていた。

 だが真実は否で、彼は死神の接近を悟ると同時に後ろ腰へと左手を突っ込み、刃が直撃する寸前に拳を振るった。


「退魔……その代表格こそは銀だ」


 それは純銀製のナックルダスターだった。

 大柄で、誰もが一目で理解する暴力装置は見事に死神の鎌を受け止めていた。

 死神は驚愕に尽きる。そんな死神へと自身から接近するのはシドだ。

 彼は左拳を振り上げると、その非凡的な腕力で死神の鳩尾を撃ち抜いた。


「人々は無力だ。古くから魔を前にしては簡単に滅んできた。だがそんな理不尽に屈するだけで終わった訳じゃない。聖水を、灰を、血を、泥を、杭を、陽を……自然や多くの力を借りて魔という存在に抗ってきたんだ!」


 響いた音は水袋を地に叩きつけたような音で、身の丈十フィートもある死神の身がくの字に折れる。

 だがシドの行動は未だ終わらない。

 左拳を開放すると死神の襟首を引っ掴み、寄せると更に右手に握る拳銃の銃身で顔面を殴りつけ、仰け反った所を再度左手で寄せると今度はその勢いのままに頭突きを見舞った。


「何を得意気に威張りやがって、不死性だの不滅性だの怪力だのと! 手前等は昔から変わらず最強気取りだがな、その実は弱点塗れの腐れ雑魚なんだよ!」


 やられてばかりではないと死神は刃を振るうとシドから距離を取ろうとする。

 だがそんな死神の誇る凶刃だったが――


「教えてやるぞ死神野郎! 何故この俺が魔殺し屋と呼ばれるかをなぁ!」


 シドは左拳を腰溜めに構えると、迫った刃を真っ向から撃ち砕いた。

 果たしてシドの誇る膂力とは如何なるや――宙に舞う刃の破片を見てシャロンはそんな疑問を抱いた。


(獣みたいだって思ってたけど……天魔みたいって思ったけど……)


 シドの表情をシャロンは見る。

 常々余裕綽々といったような、お道化たような男がシドだと彼女は思っていた。

 だが今のシドの顔にそんなものは皆無だった。


 彼は必死であり、汗を振り撒き、雄叫びのように叫ぶ。

 それらの情報を見てシャロンは思う。


(誰よりも、人間らしい人)


 シドは凶刃を粉砕すると地を勢いよく蹴り、その拳を更に死神の下顎へと突き立て、弾けるような大袈裟な音が周囲に木霊し、死神は上空へと大きく吹き飛んだ。

 そんな死神の顔面へとシドは右手に持つ大型の拳銃を構えた。


「終わりだ、死神」


 彼を知る人々は魔殺し屋と呼ぶが、これには未だ内容が不足している。

 その姿は荒れ狂うがままで、好む武器は銀に由来するものばかり。

 故に真に彼を呼ぶ場合、口をそろえて皆はいう。


「荒くれ魔銀の、魔殺し屋……」


 シャロンの呟きと銃声が鳴り響いたのは同時だった。

 吐き出された魔弾は死神の顔面を穿ち、淀む天へと駆け抜けた。

 それと共に生まれる音は硝子の砕けるような高い音で、砂塵と成り果てた死神は宙を踊り、吹き抜けた風により彼方へと向かった。


「はは……大したことねぇなぁ、死の神ってのも」


 勝鬨をあげるでもなく、シドは呟くとシリンダーを展開する。

 それにより零れ落ちた空薬莢の乾いた音だけが、静寂に満ちる〈地獄門〉で高く響いた。

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