時刻は夜だった。

 昼頃から機嫌を損ねた天気は変わらず雨は降り続いていた。


「わざわざついてこなくてもいいのに……」

「なぁに、子供に買い物を任せるだなんてジェントルとはいえねえだろう?」

「ジェントルって……しかもなんでこの本まで……?」

「肌身離さず持ってろ。鍵もなくすなよ?」

「何もそこまで子ども扱いしなくったっていいじゃないですか……」


 ロンドン市は夜も賑わう。通りを歩く二人は一見すれば親子のようにも見えた。

 シャロンの腕の中には老爺から託された謎の本がある。

 持ってくるように、と念を押したのはシドで、シャロンは疑問を抱きつつも仕方なしに持ってきた。


「もう十二歳ですよ?」

「まだまだ子供だ。ロンドンといえど治安はそういいもんじゃない。特にお前は可憐な部類なんだ、邪な欲求を持つ糞共に何かをされるかもしれん」

「過保護なのはシドさんもですよぅ……」

「翁には負けるがな。ただ、そうだな、心配の理由こそは、お前が俺の雇い主だから、も含めていいさ」

「……本当にあのお店で働くつもりなんですか?」


 シドは老爺にシャロンの世話を任されたというが、そんな彼は頼りない新人店主の世話を焼く傍らに店員としても働くと宣言した。


「俺がいた方が何かと便利だろう。そもそもお前は店にある品の一つ一つを理解できてんのか?」

「そ、それは……その……」

「な、できちゃいない。翁はそういう所も教えちゃいない訳だ。そうなるとだ、聖魔に精通した俺が傍にいた方が何かと便利ってこった」

「でも、お客さんなんてそうそうきませんよ?」

「そうでもねーよ。お前の知らない所じゃな、あの店は繁盛してたぜ」

「……え?」


 驚きの台詞もあったものではないとシャロンは目を見開く。


「そもそもな、あそこにあるのは異端の品々だ。そんなのをこの英国で堂々と大々的に売れる訳がないだろ? だから非合法的な手段や、あるいは依頼主に頼まれて物品を探すだとかと翁は色々してたのさ」

「そ、そんな、知らなかった……」

「んでそんなイワクの物品は当然普通の値段じゃない。そしてそれを求める異端者共ってのは往々にして変わり者の金持ちばかりだ。つまり翁はな、滅茶苦茶儲けてたのさ」


 聞いたこともない真実の数々にシャロンは半信半疑で、それこそ嘘なのではないかとシドを訝しむように見る。

 対してシドは懐を漁ると冊子を取り出した。


「……? 通帳、ですか?」

「翁からお前にプレゼントだとよ。奴が死ぬ数か月前に渡されてた。中身見てみろ」

「なんであなたに……?」

「端から俺にお前を任せるつもりだったんだろうよ。まあいいから見てみろよ、全部お前のもんだぞ、それ」

「えーと……」


 促されて内容に目を通すシャロンだが、彼女は一歩、二歩と歩くとそのまま硬直して立ち止まってしまう。

 次いで静かに顔をあげると、目を白黒させつつシドを見つめた。


「……これ、嘘ですよね?」

「本当だ。他にも必要な書類等を預かってる。明日までにはすべて用意してお前が引き継ぐようになってる」

「いつのまにそんな手際よく⁉」

「翁がツテを頼って色々としてたのさ。そこに載ってる金だってほんの一部だぜ」

「こ、恐いからそれ以上はやめてくださいぃ!」

「……まぁそれが当然の反応か」


 並ぶ零の数にシャロンは驚くばかりで、これが自身の財産になるのかと思うと生きた心地すらしなかった。


「そ、そりゃあ、こんな大金を持ってたらゴーストだって襲ってきますよね……!」

「いや、それは関係ねーぞ」

「いやいや、でも、こんなにお金いりませんよ! 多くの人に嫌われてたのって、たくさんお金を稼いでたことも理由に挙げられるんじゃないですか⁉」

「その発想はなかったが、まぁ有り得るかもな」

「お、お爺ちゃん、なんで秘密にしてたのぉー……!」


 こんなものを急に寄越されても困るだけだとシャロンは項垂れる。


「一応は喜んどけよ、翁がお前の為にと残してくれた遺産だぜ? 何も怪しい仕事だけを任せるつもりじゃなかったのさ」

「それでも現実味がないですよ……お昼の件といい、怒涛の連続ですよぅ……」

「そうも萎れるな。兎角、さっさと買い物を済ませて飯にしよう」

「はい……」


 二人は夕食の材料の買い出しに来ていた。

 こちらも古い商店街で、二人は品定めをしている。


「マーケットよりもこういった場所の方が安いし新鮮だ」

「意外と経済的、かつ家庭的なんですね、シドさんって」

「まぁな。ところで今夜は何を作るんだ? つーかどっちが料理をするんだ?」

「私が作りますよ。ていうか食べてく気まんまんなんですね?」

「飯は誰かと食う方が美味いぜ、シャロン」

「……そうですね」


 老爺が亡くなって未だ一日。

 心の整理がつかないシャロンを思ってかシドはそんなことをいう。

 これにシャロンは俯き、やはり優しい人柄なのだろうと胸中で思った。


「そういえば、住まいはどちらなんですか?」

「住所か? それならもう変更してある」

「はい? 変更?」

「ああ。俺がこれから住む場所はあの骨董屋さ」

「……はぃい⁉」


 まるで当然のようにいうシドだが、何を勝手に住み着こうとしているのかとシャロンは仰天した。


「ななな、何でそんな勝手な!」

「だから翁に頼まれてんだよ、いついかなる時もお前の身を護るようにってよ。そうなりゃ傍で暮らすしかねーだろ」

「なんで私に断りもなく⁉」

「断りをいれたら頷いたか?」

「頷かない!」

「だろう? なら先に手を打っとくんだよ」

「いや納得できないですけどね⁉」


 出会って未だ一日にも満たない間柄なのに住まいをシェアするという事実。

 年頃のシャロンにとっては当然看過できないことだった。


「安心しろ。俺はロリコンじゃねーし、そもそも貧相な身体にゃ興味がわかん」

「んなっ、失礼なぁ!」

「まあ顔は認めてやらんこともないが……なぁ?」

「人を値踏みするとはいい度胸ですね、あなたは……!」

「ひっひ。そうも怒るなよ、可愛い顔が台無しだぞ?」

「怒らせようとしてるのはあなたでしょう!」


 なんて失礼な男だとシャロンは憤る。対してシドは悪びれる様子もなかった。

 出会って未だ一日。しかし両者はなんとなしのところで距離感を掴み、相手の性格やらも理解をしていた。


「もう、大人なんだか子供なんだか分からない人ですよ、あなたは!」

「お前はなんだかんだで子供らしいさ」

「ふんだ!」


 むくれるシャロンの頭を撫でてやるシド。

 そうするとシャロンはそっぽを向いてしまった。


「さて、それじゃお姫様。雨も煩わしいし、とっとと買い物を済ませて飯にしよう」

「……謝罪の一つもないんですか」

「悪かったよ、馬鹿にするつもりはなかったんだぜぇ」

「まるで誠意を感じませんよ!」

「ははは。本当に感情豊かなやつだな。そんだけ元気がよけりゃこっちも安心だ」


 何げなく呟いたシドだが、シャロンにとっては意味のある台詞で、つまり、シドなりの気遣いが態度に現れているということだった。

 不器用にも程があるやり方だが、少なかれ、このシドという男は非常識だとか、外道のような人間ではないのだと理解する。


「よし、じゃあ今日はコロッケにしよう」

「……分かりました。ならメイクイーンを買いましょう」

「……あ? いやいや、男爵芋に決まってんだろ?」

「はい? 男爵芋? 何をいってるんです? なんであんなボロボロしたものを使わないといけないんですか?」

「いやいや、お前こそ何をいってるんだ、コロッケといったらほくほくほこほこした男爵に決まってんだろ。メイクイーン? 正気か?」

「これは……よもや全面戦争ですかね?」

「ああ……どうやらそうらしい」


 下らないことで険悪な空気になる二人だが、そんな二人を中心として景色に変化が起きる。

 先から賑やかだったはずの通りが段々と静けさに包まれていく。

 溢れるような人だかりも数が疎らになり、歩みを進める度に減り、いつしか無人となっていた。


「いやだからですね、メイクイーンのあの確かなテクスチャがですね?」

「いやいや、それはおかしいだろ。コロッケってのはな、衣と内容のギャップが大切でだな」


 辺りに立ち込めるのは霧だった。

 それは次第に濃さを増し、通りは濃霧に満たされていた。

 二人は尚も言い争うが、けれどもシャロンはぼやけるような街灯に気が付くと、ようやっと景色に注目する。


「って……あ、あれ? なんか急に霧が……?」

「あん?」


 夢中だったからかその変化に驚くシャロン。

 通りは閑散としていたし、景色は古い霧の都のようだった。

 あるいはスモッグか、はたまた突然の異常気象だろうかとシャロンは首を傾げたが、シドは付近を見渡し、次いでその濃霧を確認すると深い溜息を吐く。


「……本当、初日から怒涛だな」

「え?」

「気付かないフリしてそのまま無視したかったんだけどなぁ……どうやら奴さんは逃がすつもりがないらしい」

「え……え?」


 先の言い争いは全て演技だったといいたいらしいシド。

 シャロンは呆れるが、しかしシドの片腕が懐に突っ込まれているのを見ると、彼女も遅れて危機感に包まれた。


「さて、シャロン。昼時の件だがな」

「は、はいっ……」

「あれな、実をいうと……異常事態なんだよ」

「……え?」


 急に昼の件の事実を伝えられたシャロンは気の抜けたような声を漏らした。


「い、異常事態?」

「そうだ。往々にな、ああいう景色の変化ってのは人為的なものなんだ」

「……はい⁉」

「覚えてるか? 突然空が渦巻いて周囲が濃霧で満たされただろう? あんなの超常現象にも等しいことであって、そんなことを可能にする術なんてただひとつしかない。それは――」


 シドは言い終わらないうちに拳銃を引き抜くと景色に目がけて引き金を絞る。

 通りの先からやってきたのは暗がりに佇む亡者――ゴーストで、大鎌を振り上げて迫ってきたそれをシドの凶弾が撃ち砕いた。


「魔術……〈黒魔術〉ってやつだ」

「く、〈黒魔術〉……?」

「そうだ。世に聖悪と属性があるといったよな。その聖……神性を意味するものこそは〈白魔術〉、対して魔性を意味するものを〈黒魔術〉と呼ぶ」


 周囲は昼の時と同じような変化をした。

 濃霧が漂い重苦しい空気に支配され、うごめく靄から刃を手にゴーストの群れが這いずり出てくる。

 シャロンは小さな悲鳴を上げるとシドの懐に飛び込んだ。

 シドは傘を放り捨て、雨の一滴も降っていない空を見上げる。


「そんでこの景色こそは、ある黒魔術の最高術式。通称は〈地獄門〉といってな、結界の役割をもつ、異界化を実現する大迷惑な術式だ。昼時のあれも同じくだ」

「じ、〈地獄門〉って……」

「つまりこの状況っつーのはな、あの世とこの世の狭間、その中継地点に近いリンボの手前であって、ゴーストのような死霊がひしめく魔境そのものなんだよ」


 緊張感の欠片もない口調でいうシド。

 シャロンは顔を蒼褪めると言葉を失い、更には力を失って腰を落としそうになる。

 が、そんな彼女を支えたのはシドで、空いた方の腕に彼女を抱えたシドは大型の回転式拳銃を構えて景色を睨んだ。


「さて、そんな傍迷惑な景色を描く奴なんてのは性根の腐ったカスばかりでな。ゴーストまで操作する訳だから、そりゃあ……お困りな野郎だろうぜ」


 そうだろう、とシドは大きな声で叫び散らす。


「出てこいよ、いるんだろう腐れ外道。昼時からしつこい奴め。翁が死んで間もない内にそうも必死になるたぁ無様だぜ、死霊魔術師――ネクロマンシー……!」


 シドの声が闇夜に響く。すると刹那もせずに新たな声が生まれた。


「ふ……ふふふ……! なんだ、気が付いていたのか、野良犬如きが……我が死霊魔術を看破していたのか、生意気な……!」


 声が生まれると同時、二人の頭上の靄が動きを見せる。

 それはやはり蜷局を巻き、その中心が円形に窪むと、中から姿を見せる男がいた。


 それは特徴的な男だった。

 短躯で大袈裟な純白の外套を着こみ、手には赤樫の杖を握りしめている。皺の寄った顔は老齢を思わせ、カメレオンのような瞳が眼窩から零れ落ちそうだった。


「はは、なんつー不細工野郎だ。手前かよ、今回の騒動の主は」

「ああ、その通りだぞ魔殺し屋。いや、シド・フラワーショップ殿……?」

「俺を知っていて尚こんな真似をしてるってのか。度胸があるじゃねーか」


 静かに地面へと降り立った男はシドの名を口にし、シド本人は意外そうに笑みを浮かべた。


「それで、昼時から一体なんだってんだ? 俺達は何もしてねーし、そもそもお前が誰かも知らん。何をそうもちょっかいをかけやがる」

「何を? 何をだと貴様……貴様という存在が出張り、その乙女を守護している事実……それだけでも異常性は語るにも及ばんだろうが!」

「はて、何のことやらさっぱりだがね」


 シドはお道化た感じだったが、その反応が男の怒りを煽る。


「そうもふざけおって……しらばっくれようったってそうはいかんぞ! その乙女を私に渡せ、魔殺し屋!」

「えっ……⁉」


 驚きの声を発したのはシャロンだった。

 男の口にした内容が理解出来ず、何故己なんかを、と彼女は疑問を抱く。


(そ、そうだ、さっきシドさんがいってた……お昼の時も、今の状況も、誰かが作り出したものだって……)


 昼時に襲い掛かってきたゴーストの群れはシャロンを目的としたような動きを見せていた。そんなゴーストを操作している醜男を見つめたシャロンは、あの男こそが自身を目的としている犯人なのだと理解する。


「ほれみろシャロン。俺が傍にいて正解だろ? 危惧していた通りに危険なロリコン野郎がちょっかいを出してきやがった」

「ロ、ロリっ……⁉ 今何といった貴様ぁ!」

「顔も悪けりゃ耳まで悪いのか? ロリコンつったんだよタコ助。そのイかれたファッションセンスも込みでお前は倒錯した人種だといえるね」

「シ、シドさん! なんでそんな煽るようなことをいうんですか⁉ 怒らせたらマズい人だって分かるでしょう⁉」

「あぁ? おいおいシャロン、あれを見てどうして煽らずにいられるってんだ? 存在そのものがギャグだっつーのによぉ」

「シドさぁん⁉」


 シャロンの怒鳴り声が響くのと同じくして景色に変動があった。

 黒い靄がうねりを見せ、そこから新たにゴーストの群れが生まれ落ちてくる。


「よくも……よくもそうまでコケにしてくれたな、はぐれの野良犬の分際で……」


 男は手に握る赤樫の杖を振るう。

 その動きにつられるかのようにゴーストの集団が一斉に刃を構え、殺意をシドへと向けた。

 先までの安穏とした商店街の景色は黒一色に埋め尽くされていた。

 異界化したロンドン市の一画、そこに犇めくゴーストの数は五十を超えていた。


「コケにしたら……どうなるってんだい、糞野郎」

「ふ、ふふ……挙句は人を糞便扱いまでしおる。よかろう、実にいい度胸といえる。ではその度胸の程をこの私自ら確かめてやろうではないか……!」


 男は杖を一気に振り下ろした。

 それと同時にゴーストの群れが四方八方からシドへと目掛けて駆け抜ける。

 大地を揺らすような勢いにシャロンは大きな叫びをあげ、対してシドは調子よく口笛を吹いた。


「後悔しても遅いぞ、魔殺し屋ぁ……! 貴様はこのファウストが、ハンス・ゲオルク・ファウストが殺してやるぞ、小僧め!」

「けっ、名高きはドイツが腐れ一家の血統様かよ……上等だ、かかってきやがれボケが!」

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