「どうした、未だ夢心地のような顔だな」

「ふぇ……」


 雨に濡れるロンドン市。

 とある通りの骨董屋には少女と大男の姿があった。


 先の騒動から小一時間が経過した。

 シャロンは呆然としていて、そんな彼女の手元に温かい飲み物が差し出される。

 勝手知ったるように店内で茶を淹れるのはシドだった。

 受け取ったシャロンは内容を覗き込み、静かに唇を寄せる。


「さて、どこから話そうかな。取り敢えず魑魅魍魎が世に存在するってのは自覚したよな?」

「……半信半疑、ですけど」

「まあ普通はそうだろうな。だが事実奴等はこの世に蔓延っている」


 カウンターの傍に設けられた席にシャロンは座り、シドは適当な椅子を持ってくるとそれに腰を落とす。足を組んだ彼は優雅に紅茶を啜り言葉を紡いだ。


「この世には聖、魔と属性がある。聖とはつまりは神性を意味するもので、魔とは魔性を意味する。先のようなゴーストはまんま悪徳の顕現だな」

「顕現……」

「ゴースト、ゾンビ、ヴァンパイア……まぁここらが有名だな。そういった魔の徒共は悪さを働いて、人々を困らせてるのさ」


 当然のようにいうシドだが、やはりシャロンは信じ難い気持ちだった。


「別に可笑しくねーだろ? 昔から教会一派がやってたことだ。魔の討伐……エクソシズム。これこそは神の力を示す儀式だろうに」

「そ、それこそ子供だましのお話に思えますし、多くの人は信じちゃいませんもんっ」


 少々語気を荒げるシャロン。対してシドは面白そうに笑みを浮かべた。


「子供だましね。だが子供だましってのは存外世界各地に知られているし……真相の如何はよそに、それに連なるカルトってのは忌み嫌われるものな訳だ」

「…………」

「さて、ではシャロン。お前の愛した翁だが……何故多くの者等に嫌われていたか理解はしてるよな?」

「それは……」


 口ごもる彼女を横目にシドは店内を見渡す。


「収集家……それもイワクの品ばかりを集める嗜好。この店内にある品々といえばどれも眉唾もんの呪われた何かしらばかりだ」


 それがシャロンの受け継いだ骨董屋の真実だった。

 老爺、ないし翁と呼ばれる男は骨董品を愛したが、特に欲したものが、悪徳に連なる物だった。


「そういった悪徳は単純に忌諱される。老爺はいわば魔に魅了された変人だったって訳だな」

「お爺ちゃんを変にいわないでください!」

「別に変に言った訳じゃねぇ。事実として老爺はこのロンドン市でも名の知れた忌み嫌われる個人だったろう」

「…………」


 並べられた商品の中には出自も不明な物もあり、そのどれもがおどろおどろしい風格で、値段も普通とは呼び難い額ばかりだった。


「世界各国から取り寄せたこれらを見りゃ、そりゃ気の触れた奴に思うだろう。だが俺個人からいわせてもらえば、翁は常識人で、温厚でお人好しな老人でしかなかったがね」

「……本当にそう思ってくれていますか?」

「ああ、本当だ。それこそ……子供を引き取って育てるくらいに、お人好しの爺様だったよ」


 シドはそう呟くとシャロンを見つめる。

 視線を寄越されたシャロンは僅かに顔を伏せ、悲しい表情をつくった。


「……お爺ちゃんは、本当に優しい人でした」

「ああ」

「身寄りもない私を、本当の孫みたいに大切に育ててくれました」

「知ってる」

「例えお爺ちゃんが世間から嫌われていても、私はお爺ちゃんが好きでした」

「そうかい」

「……もしかして、お爺ちゃんが死んじゃったから、魔に連なる者達がやってきたんですか?」


 適当な相槌ばかりだったシドだが、その言葉に数瞬口をつぐむと絞るように言葉を零した。


「……答えは否だ」

「じゃあなんであんなのが急に……それに、シドさんがいってた言葉。これから恐ろしい目に遭うって……お爺ちゃんも死の間際にいってました。お前はこれから辛い目に遭うかもしれないって。それって、さっきみたいなことをいうんですか……?」


 窓を叩く雨音が強まり、生まれた沈黙は騒がしくなる。

 シドはカップを傾けると内容を全て飲み干し、そうしてから真っ直ぐにシャロンを見つめた。


「端的にいえば、そうだ」

「それって、お爺ちゃんと何か関係があるんですか?」

「そうといえばそうかもしれん」

「お爺ちゃんは、ゴーストだとか、そういう、魑魅魍魎の存在を知ってたんですか?」

「知っていた、というより……俺と同じく、それの存在を当然のこととして扱っていた」

「じゃあ、何で私に教えてくれなかったんでしょう?」

「……そればっかは翁の過保護が悪いのさ」


 一度天を仰いだシド。

 言葉に首を傾げるシャロンは、何を以って過保護というのだろうと思った。


「兎角、俺は翁にお前の面倒を頼まれてる。古い馴染みの頼みだ、無下にはできん」

「……私を守ってくれる、んですか?」

「ああ。翁はお前を心底愛していたからな。俺も大分世話になってたから、その義理を果たす」


 意外と義理や人情に篤い人のようだとシャロンは内心で驚く。


「シドさん」

「ん、なんだ?」

「お爺ちゃんや、シドさんの言葉を聞いていると思うんです。お爺ちゃんに関係したから私が狙われるんじゃなくて……私が問題になっていて、私自身が狙われてるんじゃないかなって」


 シャロンは先の騒動からそのことばかりを考えていた。

 突如出現したゴーストだが、それらは迷う素振りもなくシャロンへと迫った。

 シドによりそれ等は殲滅させるに至るが、シドの行動の目的こそは守護だという。

 老爺の遺言、そしてシドの行動や台詞から、シャロンは自身に疑問を抱いていた。


「私が狙われるのは何でですか? 何で今まで私は魔に狙われなかったんですか?」

「それらの理由か? そんなの簡単さ」


 シドは小さな笑みを浮かべるとシャロンを指さした。


「理由一、お前が可愛いから。理由二、翁の加齢臭がキツくて何人も近寄り難かったからさ」

「……ふざけないでください!」

「ふざけてねーさ。お前は事実として可憐だし、翁は臭かったし」

「わ、私の云々は知りませんけど、お爺ちゃんは臭くなかったですもん!」

「ひっひ、照れるなよシャロン。顔が真っ赤だぜ」

「怒ってるんです!」


 真剣に悩んだ自身が阿呆のようだとシャロンは項垂れると席を立ち、二人分の空いたカップを持って奥へと下がろうとする。


「ああ、ところでシャロン」

「なんですかっ」

「老爺から渡された本と鍵。大切にしろよ」

「いわれなくてもそうしますっ」

「そりゃ重畳」


 大きな足音をあげるシャロンの後姿を見てシドは笑う。


「ああ、それとだ」

「まだあるんですかっ」


 振り向いたシャロンだが、彼女は少々息を呑んだ。


「その本を、決して開けるなよ」


 笑みを浮かべている筈なのに、シドの瞳には禍々しい程の殺気が泳いでいた。

 シャロンは数瞬挙動を失うが、思い出したように数度頷いた。


 ◇


 雨に濡れるロンドン市。高見から件の骨董屋を見下ろす誰かがいた。

 低い背丈に大袈裟な白い外套を着こむ。手には赤樫の杖を持っていた。


「ふふ……先の手並みは見せてもらったぞ、魔殺し屋め……」


 奇抜を地でいくそれは男で、顔付きは醜悪だった。


「よもや貴様が出張るとは……あの邪魔な翁氏も死に、いよいよ好機が訪れたというのに……!」


 歯噛みをし、地団太を踏むと男は荒い息になる。


「……だが、先んじたこの私こそが彼女を手に入れてみせようではないか。あの魔殺し屋をも屠り、魔の徒が垂涎せし乙女を我が手にしてみせる……!」


 男は赤樫の杖を振るう。それによって景色が変動した。

 彼の周囲を覆うのは暗黒の靄で、それに包まれた男は景色から消えてみせた。

 完全に掻き消える寸前、男は一つの言葉を残す。


「魔に愛されし乙女、禍悪の花――クリフォトの花。我が死霊魔術を御堪能召されよ、フロイライン」


 後には何も残らない。

 静々と雨が降りしきるだけだった。

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