蒸れる寒さは英国の特徴の一つだった。分厚い雲が十二月の空を覆う。

 曇天の下、とある教会の墓地で祈りを捧げる少女と男の姿があった。


「お爺ちゃん、シドさんだよ。あのね、お爺ちゃんの為にきてくれたんだよ」

「…………」


 真新しい墓標に語りかけるシャロン。

 彼女は嬉しそうに言葉を紡ぐが、それに対する返答はなく、シドは虚空に語るシャロンの背を横目に、眉根を寄せて空を見上げた。


「……シャロン、つったか」

「あ、はい!」

「すまんね、お話の最中に」

「いえ、お気になさらないでください!」


 シャロンの態度にシドは少々驚く。


「未だ幼い見た目だってのに、出来た娘だな」

「えへへ、お爺ちゃんがそういうのに厳しい人でしたから」

「だが歳相応にお転婆でもいいと俺は思うぜ」

「普段はお転婆ですよ? ただ、今は猫被ってるだけです!」

「はは、自分でいうかね、普通……」


 笑うシャロンに陰はなく、少しばかりは物悲しさも薄れただろうかとシドは胸中で思う。


「あ、お花ありがとうございました! お爺ちゃんが無類の薔薇好きなの知ってたんですね?」

「一応はな。さっきはよくも散々笑ってくれたが、まぁ礼をされたんなら忘れるしかねーか」

「あはは、すみません。だってフラワーショップさんがフラワーショップでフラワーを買うんですもん……ぷぷっ!」

「おい、また笑ったぞ……」


 途中、花屋に立ち寄った二人だが、シドは真っ先に赤い花をくれと頼んだ。

 その光景に一人抱腹していたのはシャロンだったが、内心は当然シドに対して感謝の気持ちしかなかった。


「……シドさんは、いつごろお爺ちゃんと知り合ったんですか?」

「ん? 俺の話か?」

「はい。その、今までシドさんのお話を聞いたことがなかったので、ちょっと……いえ、かなり驚いてます」

「……まぁ、そうだろうな。翁に近しい人物なんてほぼ皆無だし、翁を知る連中は理解に乏しい愚鈍ばかりだった」

「……はい」


 吹き抜ける冷たい風。シドはシャロンの前に立つと風を遮ってやる。

 行動で示す不器用な優しさを見て、この男は見た目とは対極的な性格をしているんだとシャロンは思った。


「俺が若い時分からの付き合いだから……もう三十と余年くらいだったかな」

「えっ。あの、シドさんってお幾つなんですか?」

「俺か? もう三十八だ、おっさんだよ」


 シドの顔は決して若いつくりではないが、しかし年季を感じる関係性にシャロは仰天した。


「そんなにですか! お爺ちゃん、なんで何も教えてくれなかったんだろう……?」

「……まぁこうして知れたんだからいいじゃねぇか。シャロンはどれくらいなんだ?」

「お爺ちゃんと出会って、ですか?」

「ああ。一応少しは話を聞いてたんだ。幼子を引き取ったってな。それも十年くらい前だった気がしたが……」


 往時を懐かしむように記憶を掘り起こすシド。

 傍ではシャロンが頷きを見せ、確かにそれくらいだと返事をする。


「そうですね、私がお爺ちゃんの下に引き取られてから……もう十年です」

「……歳は幾つなんだ?」

「十二です!」

「そうか、まだまだ若いな」


 呟きつつ、シドはシャロンを見下ろした。


「その歳じゃ……まだよくわからないことも多いだろう」

「そうですねー……勉強も得意じゃないですけど、今困ってることといえば、やっぱりお店のことです……」

「ん、もしかしてあの店を引き継ぐつもりなのか?」

「はい、その、遺言ですから。それに、私もあのお店が大好きですし、誰かに譲るだとか、売り払うのは違うと思いますから」

「立派だな。いい孫を持ったじゃねぇか、翁よ」


 そう口にするシドだが、しかし表情に笑みはない。

 違和感を覚えたシャロンは訝しむが、けれども追及するでもなく、改めて老爺の墓標へと振り向き頭を下げる。


「お爺ちゃん……私、頑張るよ。こうしてお爺ちゃんのお友だちさんとも出会えたし、きっと辛いことばかりじゃないと思うんだ。だから、全力でお爺ちゃんのお店を守るよ!」


 果たして店を経営するにあたって必要な様々というのがシャロンにはさっぱり理解出来ていなかった。

 これは前途多難だと悟ったシドは天を仰ぎ、再度目を細めると鼻を鳴らす。


(……ったく。過保護な爺様だぜ、翁よ)


 こうして知り合ったのも何かの縁といえば聞こえはいいが、シドが今のシャロン、並びに骨董屋を無視することは出来ない。

 更にいうと、彼はそうするつもりが端からなかった。


「が……過保護で大正解みたいだぜ、翁」

「え……?」


 頭を掻いたシドは天を見つめたままに静かに呟く。

 更には腕を懐へと持ってきた。

 彼の様子にシャロンは小首を傾げ、何をいっているのだろうかと疑問を抱く。


「さてシャロン。唐突で済まんが、翁に何かいわれちゃいないか」

「え? 何かって……」

「先の様子……店に出向いた時に察しは着いたが、今日、俺が店に出向くことは知らなかったんだよな」

「……?」


 不動のままに天を仰ぐシド。

 彼の言葉に理解が追い付かないシャロンは、やはり首を傾げるばかりだった。


「そうか、となると翁は心底お前を愛していたんだな。いきすぎた程の過保護ってやつだ」

「あ、あの、シドさん?」

「シャロン、他にはないか。何か……あの翁は遺言を残していないか。あるいは遺物を」

「遺物……」


 そういわれてシャロンは自身の胸元を見下ろし、着込んだ衣服の隙間から老爺に託された鍵を引きずり出す。


「こ、これと、変な古い本を受け取りましたよ!」

「……そうか、成程な。そこはしっかしてた訳だ。なら少しは安心かもしれねーな」

「あの、シドさん? さっきから何で空を見上げてるんですか?」


 シドは懐に手を突っ込んだまま動かない。

 空の一点を見つめるばかりで、流石のシャロンもその様子に不安を抱いた。

 果たして何があるかは不明だが、しかし彼女は段々と不思議な感覚に包まれていく。


「あれ……なんか、寒い……?」


 本日、風は穏やかな具合だったが、墓地の空には曇の渦があった。

 それは蜷局を巻くようで、シドは先からその動きにばかり注目をする。

 雲の合間には稲光が走り、次第に空の色合いが黒味を帯びてくる。

 付近には冷たい空気が流れ、その変動に今更ながら気付いたシャロンはシドの袖を掴んだ。


「シ、シドさん、なんか変ですよ……」

「ああ……そうだな。だがそうも不安そうにしちゃダメだ。特にお前の場合は……真っ直ぐに、平常心を保ってなきゃダメだ」

「な、何のことですか?」

「……今更ながらに文句をいいたいくらいだ。翁の野郎、過保護が過ぎてちっとも本人に自覚がねぇじゃねーか。しかも知識までないだなんて最悪と呼べる」


 空気はおどろおどろしく変貌した。

 先までの日常と隔絶されたように、とある教会は靄のかかった景色と化す。

 シャロンはすっかり怯え、理解の追いつかない現象に混乱までしかける。

 だがそんな彼女の頭を撫でたのはシドで、彼は未だ片手を懐に突っ込んだまま景色を睨み続けている。


「シャロン。今からいうこと、そして今から見るものは……すべて現実のことだ」

「え、え? はい?」

「済まねえとは思う。だが間に合ってよかった。俺が逸早くお前の傍に立つことが出来て心底安堵したぜ」

「あの、シドさん? さっきから何をいってるんですか? それにこの景色は一体……?」


 ふいに、黒い靄が動きを見せた。

 それはシドとシャロンの周囲を埋め尽くし、吹き荒れるように景色を舞う。


「聞け、シャロン。この世にはな、信じ難いかもしれんが……普通じゃないやつらがいる」

「普通じゃない、やつら……?」

「ああ、そうだ。そいつらは映画や小説なんかじゃポピュラーな扱いだが、けれど多くの者達はそれをフィクションとして認識している」


 シドは語りながら、静かに懐から腕を引き抜き始めた。


「それは人々の恐怖の象徴……悪、あるいは罪の象徴と呼ばれている。魔と呼ばれ、ないしは鬼と呼ばれてきた。突き詰めればそれこそは闇であり、顕現化された悪そのものとも呼べる」


 言葉を聞くシャロンだがやはり理解が追い付かない。

 そのどれもが抽象的なものばかりで確たるものが見えてこない。

 だがいよいよシャロンは彼の言葉を理解することになる。


「え……え?」


 それは――否、それ等は姿を見せた。

 霞の景色、揺蕩う暗黒の淀みが静かに這いずり出てきて、それは形を持ち、シドとシャロンの周囲へと群がった。


「な、なに、これ……?」


 シャロンは目を見開く。

 それ等は現実にあるべき存在ではないと一目で理解出来た。

 それ等はシドが口にしたように、映画や小説ではよく扱われる存在だったが、それが現実に存在するものだとはシャロンも思わなかった。


「人は古来より理解し難い、或いは許容し難い不可思議と遭遇すると名付けてきた。魔、鬼、悪……それらは全て同義の意味合いであり、単一の存在を名指すんだ」


 それらは人体模型のように、骨の標本を思わせた。

 ただ通常のそれ等と違うことといえば、手には大柄な鎌を携えていて、意思を持つように身体を動かしていた。

 やにわに群がるそれ等こそは人々が恐れる存在だった。


「ゴースト、死霊、悪魔。端的にいおう、シャロン。お前は今、こいつらにその身を狙われている。そんで俺こそがお前を救うべく翁に頼まれた……魔殺しの手練れってやつさ」


 シドは引き抜いた。

 それは大柄な回転式の拳銃で、引き金が絞られると大袈裟な火炎ガスを撒き散らし、壮絶な闘争の幕開けを告げた。

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