十二月の冬。ロンドン市のとある通りには骨董屋がある。

 外観は古めかしく、中は仄暗い。

 一歩を踏み出せば堅木張りの床が小気味よい音を鳴らすが、漂うのは埃だとか、黴臭い空気だった。


 寂寥とした様子に違わず、客の出入りはほぼ零だった。

 今の時代に骨董品に関心を持つ者は少なく、閑古鳥は連日変わらずに鳴いていた。


「……お爺ちゃん」


 似つかわしくない少女が店内で突っ伏している。

 金髪碧眼で容姿端麗な少女だった。

 そんな少女の目元は腫れている。理由は昨夜から延々と泣き続けていたからだ。


 少女の名前はシャロン。

 昨夜、愛する老爺が世を去り、彼女はただ一人この世に取り残されてしまった。


「これで本当に、一人ぼっちになっちゃった」


 呟きは埃の舞う店内に紛れる。

 老爺の死に際し、誰かが言葉をもってくる事はなかった。

 埋葬は近隣の教会に頼んだが、祈りの一つも捧げられることはなく、老爺は土葬されるだけで終わった。


 その光景を前にしてもシャロンは動じない。

 異常な様子だというのは理解していても、これもまた栓の無いことだと彼女は割り切っていた。


「……ダメ、いつまでもくよくよしてちゃいけない! お爺ちゃんにお店を任されたんだもん、私がしっかりしなきゃ……!」


 沈むばかりのシャロン。

 だが突然に立ち上がった彼女は自身に言い聞かせるように声を張り上げ、次いで店内の様子を見渡す。


「出自も分からない古物ばっかり……やっぱり、今時こういうお店は流行らないよね……」


 例えば甲冑なんかもあったし、概要も分からない装置らしきものもあった。

 この骨董屋こそは先の老爺の持ち物であり、老爺はこれを経営していた。


「まずは掃除だよ、掃除! これでも手馴れてるんだから!」


 そんな骨董屋を託されたシャロンはこの店を愛していた。

 例え流行りのものがなくても、この空間には常に老爺がいて、他愛のない話を延々と繰り返した。

 そんな温かい思い出を振り返ると、シャロンは再度目元に涙を溜める。

 だがそれを拭い、頬を張り、強い眼差しになる。亡き老爺の為に彼女は奮起した。


「よいしょ、よいしょ……」


 店を任されたシャロンだが、実をいうと店内にある様々な古物についての知識は皆無といえた。

 それもこれも、彼女は特別、古物に興味があった訳ではなかったし、老爺も古物の取り扱いだとか、それぞれの概要を説明することは一切なかった。


「本当、よく分からないものばっかり……お爺ちゃんの収集癖って本当に凄かったんだなぁ」


 呟きつつ、シャロンは自身の胸元へと手を持ってきた。


「それと、これもやっぱりお爺ちゃんの趣味なのかな? 変な鍵だけど……」


 彼女が首から下げているのは老爺から託された小さな鍵だった。

 それは緋色で、ところどころは錆びていた。

 材質も不明なそれを手に取り、シャロンは様々な角度から観察する。


「あの本の鍵を解くものだっていってたけど……」


 果たしてその内容とはなんなのかとシャロンは今更ながらに疑問を抱く。

 一度掃除を中断した彼女はカウンターへ戻ると、卓の上に置いてあった古めかしい本を手に取った。


 錠を施された本は異質な感じで、独特な空気を醸していた。

 知らぬうちに喉を鳴らしたシャロンは、そのまま鍵を錠へと宛がうと、慎重に捻ろうとした。


「そいつは開けない方がいいぜ、お嬢ちゃん」

「へっ……?」


 そんな時だった。

 久しくチャームが鳴り響き、更には重めかしい足取りが店内に木霊する。

 入ってきたのは恰幅のいい偉丈夫な男だった。


「い、いらっしゃいませ!」


 何はともあれ客人だ、とシャロンは取り繕う。

 が、彼女の視線は宙を泳いだ。


「挨拶は目を見てすべきじゃないかね、お嬢ちゃん」

「うぅっ……」


 男の様相は凡そ通常とは呼び難く、背は七フィートに迫る程で、瞳は獣のように鋭かった。

 纏うのは上等なスーツにコートだったが、しかしそんな身形にシャロンは勘繰る。


(ギ、ギャングかな……雰囲気が刺々しい……)


 肌の質感からして歳は壮年程度だろうかとシャロンは思う。

 となれば何処かの組の者か、或いは一帯を纏める親分かと一人妄想を加速させる。


 壮年なギャング――のような男――に背を向けたシャロンは百面相をするが、対して男は鼻を鳴らし、適当に頭を掻いた。


「しかし、なんだな。本当にあの翁はくたばっちまったのかい」

「え……!?」

「え、ってなんだよ。そういう話を聞いたから態々出向いてきたんだぜ、俺は。この骨董屋の主人はおっ死んじまったのかい、お嬢ちゃん」


 男の台詞にシャロンは驚愕した。

 老爺を知る人物のうちで、わざわざ追悼の意思を持ち挨拶にくる人がいるとは思いもしなかったからだ。

 シャロンは浮かれるとカウンターから飛び出し、男へと駆け寄った。


「し、知ってるんですか、お爺ちゃんを! しかも親しい関係だったんですか⁉」

「おいおい、少し落ち着いてくれ。あとそうも近寄るもんじゃないぞ、お嬢ちゃん」

「あ、すみません! でもでも、少し驚きで!」

「驚き? 何が驚きだって?」

「いえ、だって、その……お爺ちゃんを知る人たちは、皆、お爺ちゃんを悪くいうから……」


 言葉尻は萎み、シャロンは顔を伏せる。

 その様子に男は再度頭を掻き、少々困った素振りを見せた。

 だが身を屈めた男はシャロンの目線に高さを合わせると、彼女の顔を覗き込んで言葉を紡いだ。


「まぁ、そりゃそうさ。世間からすりゃ翁は確かに悪のように見えただろうよ」

「…………」

「が、だ。とはいえあの翁の人品というものは立派だったと俺は思ってる。それこそ英雄様と呼べる位に。世間がどう蔑もうが俺の知ったことじゃないね」


 男は僅かに笑みを浮かべる。

 それは自然な感じだったが、やはり厳めしい相貌が関係して恐ろしくも見えた。

 しかし向けられた言葉にシャロンは歓喜すると、腕の中にある本を抱きしめて新たに湧いた涙をなんとか堪えた。


「さて、それで訊ねたいことがあるんだがね、お嬢ちゃん。翁の墓はどこだい」

「あ、その、数ブロック先にある教会です!」

「ん、ありがとうよ。それじゃあ――」

「あのあの、道案内します!」


 背を向けて去ろうとした男にそういうシャロン。

 振り返った男は困ったような表情だった。


「いや、別にいいぞ? 迷子って訳でもないんだ、ただ数ブロック歩くだけだぜ」

「で、でも、その、折角ですし、一緒に挨拶できたらなって!」

「……翁も喜ぶってか?」

「はい! きっと、喜んでくれます!」


 シャロンは嬉しかった。

 自分以外の誰かが老爺を思ってくれることが奇跡にも思えた。

 ならば同じく慈悲を抱く同士、共に祈る事こそが何よりもの手向けになるのでは、とシャロンは男に提案する。


「……仕方ねぇ。そうも必死な顔されちゃぁなぁ……道案内、頼んでもいいかい、お嬢ちゃん」

「はい、なんなりと!」


 少女の興奮した様子に男は笑みを零す。

 今度の笑みは優しい具合だったが、シャロンはそれを見逃した。

 一人舞い上がるシャロンだが店の掃除は忘れている様子で、駆け足で出入り口へと向かう。

 未だ立ち竦む男を置き去りにするところだったが、ふいにシャロンは立ち止まると男へと向き直った。


「あ、そうだ、私の名前はシャロンです!」

「……そうかい。いい名前だな」

「あなたは何ていうんですか?」


 男は、未だ名乗ってもいなかった、と頭を掻いてぼやく。


「シド・フラワーショップだ。ああ、別に花屋って訳じゃない。フルネームさ。実に不釣り合いだがな」

「フ、フラワーショップ、さん……ですか?」

「シドでいい。いや、シドと呼べ。頼む」

「り、了解です、フラワ……ぷぷっ。いやいや、シドさん!」

「……だから名乗るのは嫌なんだよ、糞垂れめ……」


 かぶりを振り、シドは嘆息した。

 そうしてから目を細め一人納得したように頷く。


「少し予定と違ったが……まあこの方が安全か」

「え? 何かいいましたか?」

「いや、気にしないでくれ。それより道路は濡れてるから気を付けて歩いてくれよ?」

「大丈夫です! さあさあ行きましょう!」


 露に濡れるロンドン市。

 鼻歌交じりに歩く少女、の後ろを着いて歩く益荒男の姿あり。

 通りを歩く人々は、事案発生だろうかと妙に心配したような表情で、二人を見守っていたりもした。

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