第39話 地獄蟻 vs 悪魔憑き 1
全身が赤黒い血がどろどろに爛れたような色をしている。
頭部に六つはある複眼が、そのすべてに自分を映しているのを肌で感じる。
細く長く伸びた触角は絶えず四方八方へと向きを変え、周囲三百六十度を警戒し付け入る隙を与えない。
「……これがモンスターってやつか? 文字通り化け物じゃねぇか……」
俺にとっては、これが生まれて(生まれ変わる前から含めても)初めて見る、生きたモンスター。
街を一歩出ればこんなやつがウヨウヨしているなんて、この世界はどうやらとんでもないディストピアだったのかもしれない。
(馬鹿を言え。こんなのがそうそううろついていてたまるか)
「あ、やっぱり?」
(人界では滅多に姿を現さん怨嗟地獄蟻だ。こやつに会うて生きて帰ったと言う者は少ない。なんせ何でもかんでも食いつくしてしまうからな)
「……やっぱり地獄じゃねぇか」
大きな棘が無数についた鉤爪のような脚が振り下ろされる。
馬車から距離を取るように迂回して躱していく。
しかし、すぐに自分の方が誘い込まれているのに気付いた。
「足場が……!?」
怨嗟地獄蟻の脚が触れた場所から、徐々に地面が流砂へと変えられていき、草も岩もすべてさらさらの砂になって消えてしまった。
そして砂は怨嗟地獄蟻の方へと引き込まれるように流れていく。
(あれの厄介な能力の一つがこれよ。その身に触れた無機物すべてを砂へと変え、生き物は流砂で飲み込んで食べ尽くす。捕らわれたら終わりと思え)
「ならどうしろって!?」
蟻野郎は、何故かリリーや騎士たちのいる方は狙わず、俺にのみ集中して攻撃を浴びせてくる。
俺がほかのみんなを巻き込まないように立ち回らざるを得ないのがわかっていて、あえて俺を追い詰めて楽しんでいるようだ。
「ふざけた野郎だ!」
(いいや、そうした嗜虐心も無いではなかろうが、単純にお前を強敵として認知しているのだ)
蟻の口内に急激にエネルギーが集まっていくのを感じ、咄嗟に大きく飛び上がる。
次の瞬間、やつの口から酸の砲弾が放たれた。
危なく逃れたが、さっきまで俺のいた場所がじゅうじゅうと煙を上げて溶け出し、強烈な刺激臭に思わず鼻を覆う。
そして、たちまち猛烈に視界がくらくらと歪み、続いて激しい頭痛と吐き気が襲ってきた。
「ぐっ……、うぇ……っ」
(いかん! 魔力を切らすな!)
手放しそうになる理性を必死に働かせて、全身を魔力で包む。
しかし、こわばった体はまともに言うことを聞かず、振り抜かれた鉤爪の一撃をモロに喰らってしまった。
地面を跳ねるようにして飛ばされていき、はるか遠くの丘の斜面に激突。
派手なクレーターに埋もれながら、全身の痛みに悶え苦しむ。
「いっ! ……て、ぇぇ……っ!」
(……防御が間に合わんかったら肉体が破裂しておったな。しかしあやつ、思ったより強くないぞ。まだ若い個体らしいな)
あ……あれで、強くないって……?
教会で命を燃やした時の比じゃない、尋常じゃない痛さだぞ……。
まだ身体じゅうが痺れて指先が痙攣してるし、頭痛も吐き気も治まる気配が無い。
(あれらのモンスターに共通するのは、とにかく生きたまま獲物を食らおうとすることだ。その方がより生命力をスピリットへ変換しやすいかららしいが、実際のところはわからんな。死んだ獲物より生きた獲物の方が新鮮で美味いからというだけかもしれん)
今はそんなことどうでもいい。
とにかく、なんとかしないと……!
(わしが言いたいのは、やつは徹底的にお前を弱らせようとするはずだということと、お前を強敵として警戒しているうちは、他のものは眼に入らんから安心して戦え、ということよ。幸い、距離も取れた。姫たちを巻き込む心配は要らん)
……確かに、蟻野郎はそのすぐ後ろにいる集団には目もくれず、ひたすらこちらを凝視して、ゆっくりと歩を進めてくる。
あの蟻酸の溶解液も撃ってくる気配はない。
一度見せたから、次は簡単に通用しないと思っているのだろうか。
確実に俺を仕留めるための算段を立てているようだ。
「……モンスターってのは、理性の無い、本能で動く殺戮衝動の塊、じゃないのかよ……」
(その通りだて。しかし、理性は無くとも知性はある。こちらも策を講じねば、あれを討ち果たすことは叶わんぞ)
悪魔の青白い炎が俺の全身を覆う。
少しづつ、ほんの少しづつ眩暈が和らいできた。
万全とはいかないが、何とか立ち上がり二本の足で大地を掴む。
「……あ……ったま、いてぇ……。で、どうすりゃいい……?」
(正面突破にはいささか無謀が過ぎる。ゆえに、まずは電撃で麻痺させ、奴の動きを止めるぞ。とはいえ、やられっぱなしは面白くなかろう? 一発は一発。こちらもキツイのをお見舞いしてやらねばな)
命じられるままに、掌に漆黒の雷を生み出す。
ひとつ、ふたつ、みっつ。稲妻を帯びた小球を手の中で回転させ、高速に達したとき、プラズマが爆ぜるようにエネルギーが溢れ出そうとするのを無理やり抑え込む。
うっかりすると、上がってくる胃液をぶちまけそうになるのを必死にこらえながら、腰を落として踏ん張る。
「ギギギギギ……」
俺が何か始めたのを見て、蟻野郎は掲げていた前脚を地に付け、這うような体勢に。顎の牙がガチガチと鳴り、六つの複眼が俺の一挙手一投足を見逃すまいとこちらへ集中する。
迎え撃つつもりか?
いいぜ……だったら、目に物見せてやる。
構えた両腕を突き出すように、蟻野郎の顔面に狙いを定めた。
見てから避ける、なんて時間は与えない。
テメーが地獄の大蟻だったら、こちとら悪魔に魅入られた童だ。
どっちが格上か、試してみようぜ!
(さあ、丸焦げにしてやれぃ!)
「いくぜ――
今にも手のひらから膨れ上がろうとする雷光を、悪魔の腕でさらに上から圧縮。
回転を続けていた小球が力づくで一気に圧し潰され、その反動から生まれる爆発的エネルギーが、迅雷の暴威となって敵へと放たれた。
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