第36話 眠る街に悪魔が起き出す


 街はまだ眠っている。

 静かな通りに、気まずげな二人の足音がコツコツと響く。


 「あー、しかし、なんだな。テロリストどもは十人はいたんだろう? それをたった一人でのしちまうなんて、顔に似合わず、腕が立つんだな」

 「……いえ、私など。勝てたのは、これのおかげです」


 私は例のダガーナイフをハロルドさんに見せる。

 彼の眼が驚きに見開かれる。


 「おいおい、そりゃあ精霊武装か……!? 第二級、いや第一級品じゃないか。最近の近衛はこれが標準装備なのか?」

 「いえ、そうではなく……」

 「じゃ自前か!? はぁ~……。いやはや恐れ入ったな。確か実家は準子爵だったよな。ひょっとして家宝か? 見たこともない紋様だが……」

 「いいえ、ただの量産品です。元々は、ですけど……」

 「どういうことだ?」


 話して良いものか迷ったが、彼ならば大丈夫だろう。

 私は、そのダガーが短剣から作り変えられた経緯を説明した。

 ――ゾルバが悪魔と契約を交わしたことも。

 影の悪魔について語ると、ハロルドさんは神妙な顔で頷いていた。


 「なるほど、あの子が悪魔と契約を……」

 「驚かれないのですか?」

 「あの子ならやりかねん。それに、あの教会にその手の品があることも知っていたからな。なんら不思議はないさ」

 「……あの、今更なのですが……どうして素性を隠して、あの孤児院に?」

 「もちろん仕事さ。上の命令でね。君こそ不思議に思わなかったのか。あそこがなぜ逃避先として選ばれたのか」

 

 それは私も疑問に感じていた。

 シスターが、カティア様と深い繋がりを持っているということは知っていたけれど。


 「もともとそういう場所だったんだよ。あそこに勤めていらした司祭様は、いわゆる悪魔祓いのプロフェッショナルでね。そっちの界隈じゃ右に出る者はいないと言わしめた達人だったそうだ。残念ながら三年前に亡くなられたが、彼の遺した守護結界がまだ教会には生きているから、そっち方面でも守りに適していたってわけさ」

 「そうだったのですか……」

 「それに、シスターに全幅の信頼を置いているらしいからな、カティア様は」

 「……あの、カティア様とシスターは、どのような関係で?」

 「学生時代の同級生、らしいがね。……っと、着いたぞ」


 気づけば、第一教会の正門の前まで来ていた。

 急に足が竦む。

 この中に――ゾルバの死体があるのだと思うと、胸の奥がギュッと締め付けられる。

 それでも、行かなくては。

 誰あろう私が、彼の亡骸を埋葬しなくてどうする。

 震える手を強く握って、行きましょう、と声をかけようとして、


 「おい、どういうことだ?」


 隣にいたハロルドさんが困惑の表情を浮かべていた。


 「どうされたのですか?」

 「マルス騎士、君の話じゃ、西側の通用口を通ったんだよな?」

 「ええ……」

 「正門は?」

 「はい?」

 「正門は? 帰るとき通ったのか?」

 「いえ、通っていませんが……」


 言われて初めて気が付いた。

 正門の扉が開いている……?

 それも、不自然な歪みや凹みがある。まるで無理やりこじ開けたみたいな。


 「まさか……!」

 「は、ハロルドさん!?」


 慌てて走り出して彼を追いかける。

 工事中の柵を飛び越えて、礼拝堂へ。

 そして、また気づく。

 あのときゾルバが倒したはずの見張りがいない。


 「嘘……見張りが目を覚ましたの? いったい、どこへ行って、」

 「違う! こっちに来い!」


 一足先に中へ入ったハロルドさんが、大声でこちらを呼ぶ。

 急いでそちらへ向かうと、信じられないことに、


 「――何も、無い」


 礼拝堂から一切の死体が無くなっていた。

 切り捨てたはずの男たちの死体も。

 置いてきたはずの彼の死体も。


 「どういうこと……? 確かに私は、ここで、敵と戦ったはず……」

 「ああ、この辺の壁にも床にも、戦闘の跡がある。そこは疑っちゃいない」

 「では、何が……」

 「見ろ、血の跡が一滴も無い。仮に全員が生きていて、目を覚ましたとしても、血痕が見当たらないというのはあり得ない」


 確かにその通りだ。

 満身創痍のテロリストが、命からがら逃げていく最中に、わざわざ綺麗に拭いていったとでもいうのか。

 いや、今はそんなことはいい。


 「それより、あの子がいません! ゾルバはいったいどこへ? ここにいたはずなのに! 奴らが連れ去ったの……いえ……もしかして、まだ生きているの? だったら、すぐに助けに――」

 「落ち着け! どうやら事態はより深刻になった。とんでもなくまずいぞ」

 「なんです? 訳が分かりません! いったい何がどうなったのですか!?」


 思わず声を荒げる私に、ハロルドさんは予想外の一言を告げた。


 「悪魔だ。ゾルバと契約していた悪魔が解放され、ここにあった死体を喰らい尽くしたんだ」


 思考が、一瞬止まった。

 悪魔? あの悪魔が、死体を……?


 「そ、そんな、そのようなこと、が……?」

 「マルス騎士、これまで悪魔と遭遇した経験は?」

 「……いえ、ありません。低級のゴーストくらいなら討伐したことはあります、けど……」

 「話を聞くに、その悪魔は少なくとも上級、もしかすると特級クラスの悪魔だ。契約に縛られて弱体化していたにも関わらず、ただの短剣を精霊武装に変えたり、雷を自在に操ったり、並の力じゃあない。そんなヤバい奴が、宿主の死をきっかけに野に放たれてしまった。何をするかわからんぞ」


 まさか、あの悪魔が?

 ゾルバと一緒に行動していた時は、決して悪意は感じられなかった。

 むしろ、彼を友と呼び、協力的な様子さえ見せていたのに。

 あれは演技だった……?

 主人との契約に縛られていたから、大人しく従っていたに過ぎなかったということ?

 ゾルバが死んだ今、その本性を現したということなの?


 「許せない」


 拳を握る。

 へたり込んでいた足を、強く打ち付ける。

 何もかもを奪われてたまるか。

 これ以上、ろくでもない奴らの好きになんてさせない。


 「行きましょう、ハロルドさん!」


 私は礼拝堂を飛び出し、正門を出て悪魔の痕跡が無いか必死に探す。

 後からハロルドさんが追いついてきて、私の肩を掴んだ。


 「おい、落ち着け!」

 「でも、ゾルバが!」

 「わかっている! だが、奴がどこへ消えたかわからないんだぞ? 闇雲に動いても無駄だ。マルス騎士、何か思い当たる節はないか?」

 「ありません……けど、ここで手をこまねいているわけには!」

 『呼んだか?』

 「……っ!?」


 ばっ、と振り返ると、影から人の形をした闇がぬるりと這い出してきた。


 『なに、ちょっと出かけていただけだ。儂ならここにおるとも』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る