第24話 消えた少女 3
太陽が眠りにつき、街の喧騒もすっかり鳴りを潜め、暗闇が街を覆い隠した頃。
既に祭りの片付けも終わり、肌寒さに身を震わせながら、俺は先生と並んで、教会の門の前に立っていた。
「リリーは、ミルフィが出て行ったのは自分のせいだって言って、かなり落ち込んでいて……最初は二人が帰って来るのをみんなで待っていたんだけど、そのうち居てもたってもいられなくなったのね。目を離した隙に教会を飛び出してしまったの」
俺たちの帰りが遅いんで、不安がピークに達してしまったんだろう。
ベアトリーチェは通用口で俺の帰りを待っていて、ハロルドさんもその場から離れていたタイミングだったようで、誰も彼女を止められなかったらしい。
「……わたしが目を離したばっかりに……」
「違うって! 先生が悪いとかじゃないよ。ちょっと不幸な偶然が重なっただけさ。っていうか、悪いのは俺だろ。ミルフィを見つけてすぐ帰ればよかったのに、寄り道して遊んでたから……」
「それこそあなたのせいじゃないわ。大丈夫、ハロルドとベアトリーチェさんがきっと見つけて連れて帰って来るわ」
「うん……」
ミルフィは罪悪感からか、泣きながら俺と一緒にここで待っていたのだが、そのうち泣き疲れてふらふらしてきてしまったので、他の子たちと一緒に子ども部屋に連れて行った。
サラやペリーネたちも心配そうにしていたが、ばあちゃんと一緒に説得して、部屋で大人しくしてもらっている。
みんな、ご飯も食べないで待っていたらしい。本当に心配をかけてしまった。
冷たい夜のなか、俺たちは立ち尽くす。
かじかんで痺れた手に、はぁっと息を吹きかける。
吐いた息が門扉の灯りに照らされて白く浮かび、すぐにほどけて消えていく。
何度も、何度も、浮かんでは消える。
冷たいままの手はちっとも温かくならない。
「今日は冷えるね」
「ええ。あなたももう戻って休みなさい。なにかあったらちゃんと知らせるから。あとは私が――」
「シスター! 坊ちゃん!」
ハロルドさんが戻ってきた!
傍には……誰もいない。残念ながら一人のようだ。
「ハロルドさん、リリーは!?」
「すまん、見付からなかった。今、マルス女史が騎士団の詰所に連絡しに行ってる。もう間もなく捜索隊が組まれると思うから、後はそっちに任せることになった」
「……そう。ご苦労さま、ハロルド。冷えたでしょう、中でお茶を淹れるわ。ゾルバ、戻りましょう」
「……うん」
「大丈夫だ、騎士団は優秀だから、きっとすぐ発見されるさ。心配は要らない」
ハロルドさんはそう言って朗らかに笑った。
リリー……無事でいてくれればいいけど……。
それから、ベアトリーチェが例の騎士――アドラーを伴って孤児院を訪れた。
俺は同席させてもらえなかったが、アドラーが酷く憤慨していたのはわかった。
時折、怒声に混じって机を叩く音が廊下にも届いた。
この責任は重いぞ、貴様らは重罪人だ、孤児院も解体して取り潰す、などと言っているのが耳に入る。
……孤児院が、無くなる?
先生は? みんなは? 俺は……どうしたらいい?
俺はその続きを聴いていられなくなって、慌ててその場を逃げ出した。
◆◆◆
時間にして半刻も経っていないだろうか。
話を終えたアドラーは、その後早々に孤児院を出ていった。まだリリーの捜索は続いているらしい。
先生はひどく疲れ切った顔をして、ハロルドさんに肩を抱かれて寝室に戻って行った。
俺が見ていたことにも気付かないくらいだった。
「小さい女の子を一人抱えた柄の悪い連中が路地に消えていった、という目撃証言があったの」
食堂でベアトリーチェが頂き物の珈琲を淹れているのを見ながら、彼女から話を聞く。
万が一、リリーが自力で孤児院に帰ってきた場合に備えて待機、という名目らしいが、要は捜索隊から外されたのだろう。
いつも身に着けていた短剣も外して、肩口に着けていた意匠も外されている。
「それがリリア様であったという確証は無いですが、信憑性は高いようです。それほど広くないこの街で、祭りで多くの人の目があるなか未だに発見出来ないということは、十中八九、事件に巻き込まれたと見るべきでしょう」
「……だろうな」
「単に誘拐目的のごろつき程度であれば、今晩にも片は付くでしょう。けれど、そうでなかったら……」
「大騒動に発展する、か」
「…………」
「これから、どうするんだ?」
「私にはもう。リリア様を見失った時点で懲罰ものなのに、行方不明になったとなれば……」
彼女は曖昧に濁したが、おそらくリリーは本当に攫われてしまったのだろう。
多分、考え得る限り最悪の連中に。
ベアトリーチェは責任を問われ、処罰されるんだろう。まさか、打首獄門、とか言わないよな……。
先生、というか孤児院も、何らかの賠償を求められるのは間違いない。
差し出されたコーヒーを黙って受け取る。
冷え切った手のひらに伝わるマグカップの熱が、痛いくらいじんじんと突き刺さるよう。
からからに乾いた喉の渇きを誤魔化したくて、珈琲に口をつける。……熱すぎるし、苦すぎる。
ベアトリーチェも同じ珈琲を啜っているのに、彼女は平然としていた。何も考えていないようだった。
それからしばらく言葉が出てこなくて、なみなみ残っているカップの水面を見つめる。
彼女はもはや俺を見てはいなかった。
俺も、ベアトリーチェを見れなかった。
「ただ一つ。リリア様のことは、あなたに責任はありません。全ては護衛の任を果たせなかった私にあります。あなたが気に病む必要は何一つありませんから」
「…………」
「むしろ、あなたには感謝しています。ここに来て、リリア様は本当によく笑うようになられた。同年代の友人に囲まれて、遊んだり、喧嘩したり。普通の子どもみたいに」
「…………」
「私自身も、学ぶことがありました。シスターやブリュー様との出会いも、素晴らしいものであった。当然、あなたとも」
「……買い被りだ。俺はそんな大層な人間じゃない」
「ふふっ。五歳の男の子がそんな受け答えを出来る時点で、無理があると思いません?」
「知らねーよ」
「ありがとう。ここで過ごした日々は、私にとって……リリア様にとっても、かけがえのないものでした」
「……でも、ハーグ孤児院は……」
ベアトリーチェは一瞬言葉に詰まり、悲しそうに目を伏せた。
それが、答えだった。
「もう寝ましょう。大丈夫、シスターもハロルドさんも、みんな……あなたたちを守りますから。珈琲、ご馳走様でした。美味しかったです」
ベアトリーチェはマグカップを綺麗に洗ってから、食堂を後にした。
俺はずっと、椅子に掛けたまま動けなかった。
手の中のマグカップは熱を失って、苦いだけの珈琲が燭台の灯を受けて黒く揺れていた。
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