第12話 魔女の薬


 「ごめんなさい、大丈夫だったかしら?」


 もう一人の騎士――先程ベアトリーチェと呼ばれていた女性が、俺たちに目線を合わせるようにして尋ねる。

 あの騎士よりも簡素な鎧だが、あしらわれた装飾は美しく、編み込まれたブロンドの髪もよく手入れされているのが分かる。この人も貴族だろう。


 「大丈夫です、ありがとう」

 「いやあ、坊ちゃん、すまなかった。血の気の多い人ではあるんだが、もう少し理性ある行動をしてくれるものと思っていたんだがなぁ。……まさか教会の中でもお構いなしとは」

 「隊長は元より今回の措置には反対を示されていましたから……。気が逸ってしまったのでしょうか」

 「だからと言ってあの男を許す気はありません。……そんなことより、ゾルバ! あなた、なんて無茶を……」


 先生が俺をがばっと抱き寄せる。

 思わず気恥ずかしくなって、慌てて抜け出そうともがく。


 「ちょ、い、痛い、痛いよ先生」

 「まあ、大変! ブリューさん、すぐに診てちょうだい! 傷が痛むみたいなの」

 「いや、そっちじゃなくて……」

 「あっはっは!」

 「ちょ、ばあちゃん!」


 顔を赤くしてじたばたしている俺を見て、ばあちゃんがゲラゲラ笑う。

 くっそ、あのババア、いつか泣かす。

 

 「笑い事じゃないわ! この子に何かあったら、あの男、絶対に許さないから」

 「あの、シスター? 穏便に、穏便にお願いしますよ!」

 「ハロルド! あなたは一体だれの味方なの?」

 「いやどっちの味方とかじゃなくってですなぁ……」

 「ひっひっひ。まぁまぁ、その辺にしときな。ゾルバ、あんた歩けるね?」

 「あ、うん」


 先生の腕から逃れ、その場で跳んで見せる。

 蹴られたところは痛むが、大きな怪我はしていない。


 「ふん。まあ、大丈夫だろうけど、一応診てやろうね。バレンシア、あんたは他の子たち連れて部屋に戻んな。そっちのアンタは……信用していいんだろうね?」

 「も、申し遅れました。ベアトリーチェ・マルスです。カティア様よりの命で、本日からこちらでお世話になります」

 「世話なんてするもんかい、こっちは子供の面倒で手一杯なんだ。お役目だろうと何だろうと、ここにいるうちはあんたにも働いてもらうよ。ここは孤児院なんだからね、大人として務めを果たしてもらうよ」

 「……仰る通りですね。シスター・バレンシア、私は本来は騎士ですが、ここではいち家政婦として、何なりと言いつけてください」

 「ありがとう、マルスさん。とりあえず、その鎧は脱いでいただけるかしら? 子どもたちが怯えてしまうといけないわ」

 「あ……し、失礼いたしました。すぐに外して参ります」

 「そんじゃ、自分が案内しましょう」


 ベアトリーチェはハロルドさんに連れられて客間の方へ向かった。

 お手伝いさんって、あの女性騎士だったのかよ。全然、家政婦じゃねぇじゃん。

 でもあの人はさっきの奴とは違って、良識ある騎士のようだ。

 ばあちゃんが家に入れたんだから、ひとまず信用してもいいのかな。

 

 「さ、行くよゾルバ。その子は……離れたがらないだろうから、一緒においで」


 ばあちゃんに言われるまで、リリーが俺の手を掴んでいたことに気が付かなかった。……ああ、俺ってば情けなさすぎる。


 最悪な気分のまま、教会の隣にある、ばあちゃんの店に向かう。

 ばあちゃんは街でも評判の薬屋で、一時期は領内外からも商人たちがこぞって買いに来たらしいが、ああいう性格のばあちゃんだから、いまでは地元の知り合いにしか薬は売っていない。

 それでも、その高い効能を目当てに、ときどき領主様のお屋敷から使用人が買い付けに来ているのだった。


 

 ばあちゃんが薬を取って来るというので大人しくしていると、リリーが小さく俺に謝ってきた。

 あのアドラーとかいう騎士がここへやってきたのが自分のせいである、ということは理解していたらしい。リリーには怪我を見られたくなかったが、声も無くしゃくりあげる彼女を見たら、外で待っていてくれとは言えなかった。


 「リリーは悪くないって」

 「……でも」

 「じゃあ、今度またあいつが来たら、一緒に追い払おうぜ。お前のことは俺が守るから、お前は俺を守ってくれよ」

 「……うん!」


 ようやく笑顔を見せてくれたことにホッとしつつも、内心は悔しさと恥ずかしさでいっぱいだった。

 彼女にはああ言ったが、次にあの騎士が来た時には、問答無用でリリーは連れて行かれてしまうだろう。

 それを止めるすべは俺には無い。


 「……ガキだな、俺」

 「何を当たり前のことを言ってんだい、頭でも打ったのかい」

 「うっせ」


 ったく、容赦ねーな、ほんとに……。

 戻ってきたばあちゃんに体を診てもらう。

 骨折などの大きな怪我は無かったが、あちこち内出血して青紫の痣が出来ていた。リリーはそれを見てまた泣きそうになって、宥めるのに一苦労した。

 ばあちゃん手製の塗り薬を塗って貰いながら、尋ねる。


 「なあ、ばあちゃん。あいつらのこと知ってんの?」

 「いいや、知らないね」

 「でも、ばあちゃんのこと魔女とか呼んでたじゃん」

 「向こうはどうだか知らないがあたしは初めて会ったよ。ま、もう二度と会いたくはないがね」


 それは俺も同感。

 

 「さっき言ってたカティア様って誰?」

 「この国の偉い人さ。それ以上は知らないよ」

 「その人がリリーをうちに預けたんだよね」

 「らしいね。けどまあ、お抱えの騎士があれなんだ。主の方もろくなもんじゃないだろうよ」

 「リリーをどうする気なのかな」

 「バレンシアに任せておけばいいさ。大人のことは大人が相手するよ。あんたはその子から目を離さないようにおし」

 「……わかった。ねぇ、じゃあ魔女ってなに?」

 「終わったよ。さ、とっとと服を着な」


 話の種にもしたくない、という感じで話を打ち切られた。

 昔、ばあちゃんに何があったんだろう。


 服を着直すと、リリーがまだ心配そうに顔を覗き込んでくる。

 大丈夫だよと言って、頭を撫でる。

 そういえばあのとき、みんなリリーをリリア、と読んでいた。リリーの本名なのかな。

 あの騎士がリリーを連れ去りにやってきたのは、そのカティアとかいう人の家の問題なのか。リリーとどういう関係なんだろう。

 ハロルドさんも、あの騎士たちと知り合いらしかった。

 何も知らないのは俺だけだ。

 

 ばあちゃんは、お前は何もしなくていいと言った。

 ハロルドさんも、先生も、きっとそう言うだろう。

 でもそれでいいのか。

 俺はこの子をちゃんと守ってやれるんだろうか?

 無邪気に寄り添うリリーが眩しくて、俺は彼女を真っすぐに見られなかった。


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