第7話 リリー
昼食の少し前、ようやく到着した彼女を引き連れて、俺たちは食堂へとやってきた。
先生がみんなに彼女を紹介する。
一斉に注目が集まり、彼女はびくりと肩を震わせる。
「みんな、今日から一緒に暮らすことになった、リリーよ。仲良くしてあげてね。さ、ご挨拶してくれるかしら?」
「……こ、こん、にちは……」
リリーと名乗る少女は、それきり俯いて黙り込んでしまった。
まあ、無理もない。貴族様のお屋敷からいきなりこんな場所に連れて来られたんだからな。俺だって同じ立場なら、どうしていいかわからなくなるだろう。
「はい、ありがとう。はじめは大変なこともあるでしょうけど、みんな、お友達になってあげてちょうだいね」
「えー! あたらしいおともだち?」
「リリーちゃんていうの?」
「かみ、きれー」
「しろーい!」
「……う、え、あぅ……」
あっという間に取り囲まれて、怯えたように震えて立ちつくすリリー。
親代わりがあの先生なもんだから、ここの子たちはみんな純粋で無邪気だ。
新しい友達が増えたと聞いて大喜びで、夢中になって突撃してしまっている。
プチパニックに驚いて赤ん坊たちが騒ぎ出す前に、抑えてやらないと。
「おいお前ら、落ち着けって。困っちゃってるだろ? ほらほら、とりあえずお昼にしようぜ、な?」
「そうね。みんな座ってちょうだい。リリー、あなたはこの男の子の隣にしましょうね」
俺がみんなを席に戻しているあいだに、先生はリリーを俺の隣の席に座らせた。俺と先生でリリーを挟む形だ。
全員で食前のお祈りを済ませる。
その間も、リリーはずっと目を伏せ、息を殺すようにじっとして動かない。
完全に怯えちゃってるな……。
「今日のお昼はきのことお野菜のスープよ。好き嫌いしないで食べること。いいわね?」
はーい、と元気に返事をしたところで、俺と先生が順番に器を配る。
先生は好き嫌いしないようにと言ったが、盛り付けの時点で具を一人一人の好みに合わせているのは内緒だ。
「はい、リリーの分。熱いから気を付けろよ」
「え……」
パンとスープだけの器を前に置くと、リリーは動揺して周囲をきょろきょろと見まわしてから、また顔を俯かせる。
見ているこっちが辛くなるくらい、真っ青だ。
貴族と言う話だったし、たぶん、今までの食生活と違い過ぎるんだろう。
献立もそうだが、おそらくこんな風に大勢で喧しく食べるなんてこともなかったはずだ。
すこし迷った末に、思い切って彼女の手を取った。
取り乱して暴れるかも、と思ったが、一瞬びくっとしたあとは、静かに震えて我慢していた。
ぎゅっと固く目を閉じ、いまにも涙が零れそうになるのを堪えている。
泣いたら、もう止められないと思っているのかな。
怯える彼女に、ただ出来るだけ穏やかに、優しく言葉をかける。
「隣にいるから。大丈夫。一緒に食べよう。」
まず一口、目の前で食べて見せる。
続いて、彼女の分のスープをそっと掬うと、怖がらせないようにゆっくりと口元に差し出す。
「ほら、食べよう。大丈夫だから」
無理に押し付けることはせず、少し手前で差し出したスプーンを止める。
また顔を背けてしまったリリーから目を逸らさず、辛抱強く見つめる。
言葉の代わりに、ほほ笑みで伝えるように。
一分か。二分か。ただただ待ち続ける。
駄目かもしれないな、と思ったとき、少しだけ、ほんの少しだけ、リリーが顔を上げた。
視線が揺れる。
落ち着け。こっちが慌てちゃだめだ。そういうのは、たちまち伝わってしまう。
震えそうになる腕を押さえつけながら、優しく笑いかける。
リリーはしばらくの間、泣き出しそうな瞳を堪えたままスプーンを見つめていた。
が、やがておずおずと顔を近づけると、小さく口を開いてくれた。
零さないように、丁寧にスプーンを運ぶ。
黄金色のスープが彼女の唇に滑るように注がれる。
こくり、と喉が鳴る。
「――っ、…………」
つぅ、と涙が頬を流れる。
声にならない息が、俺と彼女の間にこぼれていく。
俺は何も言わず、ただ添えるように手を当てて、彼女の側に居続けた。
いつの間にかみんなは食事を終えていて、遊びたいと寄ってきた子どもたちを先生がやんわりと引き留め、当番のシスターを呼んで赤ん坊たちを任せ、そのままみんなを連れて食堂を出て行った。
扉が閉まる前、先生がちらっとこちらを見た。
何か言われるかと思ったが、結局何も言わずに、扉は閉められた。
「……まだ、食べられるか?」
「……うん」
俺はもう一度スープを掬うと、彼女の口へ運んだ。
すっかり冷めてしまったスープは輝きを失っていたが、リリーの頬にはほんのりと明るさが戻ってきていた。
それから小一時間ほど、カチャカチャと食器の立てる音だけが食堂に響いていた。
結局パンは食べられなかったものの、スープだけは綺麗に飲み干してくれた。
相当に気を張っていたんだろう、俺が食器を片付けているうちに、疲れ果てて眠ってしまったみたいだった。
リリーを起こさないように背負って、食堂を出る。
扉の外で、先生が待っていた。
「リブロー様のお部屋に、お布団を敷いておいたから。今日はもうずっとその子と居てあげてちょうだい。夕御飯もあとで部屋に運ぶから」
「いいけど、他のみんなは?」
「ブリューさんが来てくださったから、こっちは大丈夫よ。目が覚めたときあなたがいなかったら、きっと怖がって大変だと思うから。リリーから目を離さないで」
「わかってるよ」
以前はリブロー様の私室だった空き部屋に入ると、中央に敷かれた二組の布団の片方に、リリーを横たえる。
開け放たれた窓から注ぐ陽の光が、頬に残る涙の痕を照らしていた。
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